夏が終わり 1年を生きた また1年の旅が秋の訪れとともに始まる
生きることを確かめながら 生きる事を楽しみながら
生きる事を面白がり 一日一日の日暮の旅日記
4月28日
春ゆかば 車窓に流れし若葉かな
精一杯 生きて尽きれば 死ぬがいい
鷗外、曰く
生涯の残余を見果てぬ夢の心持で、死を恐れもせず、死に憧れもせず、人生の下り坂を下り行く。
長生きしようなどは思わずに、見果てぬ夢を追いかけて、たんたんと生きていこう。
寄せし波 孫に送られ 海に帰す
我も帰す 生まれ育った蒼き海
死を恐れる事もなくなった、でも逝く日を想う事もやめた、見果てね夢だけを追いかけよう、明日逝くも良し、生くるもまた良し。
老いるとは思い出に生きることという。思い出入らない、去りし日は過去であり、僕はまだ見ぬ夢を追い続ける。長生きする気はない、老いとして憐れみをかけられたら僕は天然に帰る。老いしものが、天然に帰ることが、新しい時代に必要でもある。一人の人間の、たかが一人の人間の知識やら経験よりも、若き情熱が何よりも上回る。私の背を押しつぶして乗り越えて行く若者が好きだ、その時天然に帰ろう、
私には夢がある、ゆえに私の時代が終われば去らねば、私の夢は実現しない。自分の夢のために、死を選択しなければならない。
4月14日
春が舞う 永遠に咲きにし 桜日や
装いの 裾に舞にし桜道
桜舞う 春も盛りの 青葉かな
散りゆきて 雨に若葉や 春が行く
桜舞い 新芽とともに それも春
僕はアメリカに憧れた。いつの頃からはわからない。おそらくは映画好きの父親に影響されたのだろう。自由の香りがした。
僕は恵まれて育った。だから自由ではなかった。だから自由に憧れた。アメリカに行く為に大学に進んだ。後のことは、考えていなかった。歯医者になった事は、ほぼ正解だった。アメリカに行くチャンスと資金を得ることができた。
父もハワイが好きだった。彼が最も愛した孫と、ハワイの海に帰った。
私もまたそう遠くない日に、天然に帰る。あの青い海のハワイの天然になれればと思う。
私の残された日はそう多くない。ハワイに朽ちる日を夢見て、明日に向かおう。
海青く 父を葬りし アロハオエ
我が父は 清く貧しく 朗らかに
我もまた その地に朽ちん アロハオエ
最後の一年は、青春の憧れの地アメリカ、父が眠るハワイで、朽ちようと思う。その資金を、死のための資金を、稼ぐために生きている。
死に時を自分で決められる幸せ、本当に良い人生だと思う。ガンは明確に死を意識しながら逝くことが出来る。生物学に生きている僕は、生と死の宿命を自らが体験することが出来る。僕の学問の最後の仕上げとして。素晴らしい日々だと、実感している。
医療に関係した人間としても、とんでもなく手強いガンと戦い打ち勝ってみたい。知恵比べ、僕は新しい発見をする環境にはない。知られている基礎的事項を組み合わせ、論理的に構築し、生理的な問題や病理的な事項に挑む。死をかけた知恵比べ、こんな楽しいギャンブルはない。
くち朽ちて 青春の地に 睡らんや
戦いて それが人生の醍醐味よ
吠え叫び 残り少なき 人生を
その日まで 怒り叫びて 生きんかな
穏やかの 言葉は知らぬわが歩み
僕は十分に生きた、十分に楽しんだ、十分に勉強をした。思い残すことはそれほどない。あとは妻が生きて行く糧は、今年中に目処が立つ、それが動き出せば、もうそろそろ離脱する時期が来たのだろう。
あとは、明確に死を意識しながら、そして魂の限りを叫び、生きて行くのも、身震いするほど、面白そうである。
4月5日
風寒く 今は蕾の夜桜や
時が行く 長く生き来て 明日ありし
過去を見て過去を思いて過去ありき
春爛漫 川面に桜も艶やかに
春や春 桜や桜 芦屋川
窓辺から 桜花弁 届かない
可憐にて 桜花びら 夜風かな
宵闇に 桜は満開 風寒し
あの偉大な風の街で、僕は自由に生きたいと思った。看板を背負わずに、肩書きも持たず、自由に生きようと誓った。その地には偉大な師たちがいて、海の彼方から来た黄色い肌の若者が吠える様に哲学を語った。師たちは口角泡をとばし、私に応じてくれた。課題発見者になれ!ある師は私に語った。課題を見つけろ、そんな人生を歩もうと誓った。その為には自由でなければならない。自由は全て自分で生き抜かなければならない。自由壁を超えて行かなければならない。私は、天才でも無い。ボロボロになって、課題を求め続けた。人生の終わりに近くなって、課題らしきものを見つけられるかもしれない。旅路はまだ続く。
僕はここまで生きてきた。残された時はそれほど多くは無い。間も無く、一瞬にして、みんなの前から消え去る。
回り道をしすぎたのかもしれない。でも、いまは、その分面白い。
何も達成できない人生だった。だから、今が楽しい。
名もなく財にも縁のない道だった。守るものも無いから、好きに生きている。
自由に生きて来た。自由ほどしんどいことは無い。ても、自由に生きて来たから、人生に満足している。
名もなく、誉もなく、財もなく、でも、自由だけはいっぱいあった。
だから、もう少し自由に生きてみる。しんどい道を歩き続ける。
人生の終わりがちらちらと見えている。でも、まだ丸くならない。怒り、泣き、叫び、そして笑う。
人は、老いと共に、穏やかになり、そして、生命に執着する。僕は年と共に、刺々しくなっていく。そしていつ死んでも良いさと、若い頃の無鉄砲さは変わらない。僕はガンになった。でもこの病気で生存する人が一人だったら自分だと思っている。若い頃にこの飛行機が落ちても一人でも助かればそれは僕だと思った時と同じだ。ノーテンキさは、今も変わらない。
スラムを、紛争地を、テロの地域を歩いたあの頃、あの道を行っていたら、死んでいたかもしれない。命のやり取りの日々が楽しかった。今は、ガンと向かい合う。老いても、あの頃と変わらない。命のやり取りをしている。今も変わらない。
3月29日 間もなく弥生が終わる 週末には桜が満開になるのだろうか
が咲き、青葉となり、枯葉となり、枯れ落ちる、その営みが私の生命力を強めてくれる。
煌きて 水面静かなに まだ弥生
神よ、長くは生きる必要はない。あと5年だけ、あと5年もあれば良い、あと5回だけサクラを見たら、天然に帰るのも良い。神よあと5年だけの時を。神よ、あなたが抗っても、私は生き抜く、あと5年だけは石に齧りついても、最後の生きた証を残すため。
海青く 父も巡りし旅路かな
空高く 父が愛したアロハオエ
あの日から 二度目の桜の 開花かな
生き生きて 今年もサクラの 春や春
限りあり あと幾年の桜かな
今年もサクラの季節が巡り来た。また、生きた、生きることを季節が教えてくれる。天然に囲まれて、過ぎ行く時を知る。しかし、私はそう遠くない季節に、天然として貴女を見ることになる。そんな日もまた楽しみでもある。
その昔この上海に父もいた
上海の若者の息吹が頼もしき
この街の眩しき若さにたじろぎて
あと少し 生きてこの子ら見守らん
人生はまだまだおもしろそうである。やる事がいっぱいある。しかし、終り時がある。腹一杯はならない、また腹が減る、きりがない。ゴールまで見ようと思ってはいけない。あとは若者に松明を渡して、去ることだ。もう少しだけ私の力が必要かもしれないが、ほんの少しだ。勘違いしないで、終り時を間違ってはいけない。私の時代はまもなく終わる。新しい人たち引き継ごう。生きていれば、70歳が目安だ。その時私は、屁理屈をつけて、続けようとするかも知れない。しかし、ガンは有難い。そんな愚図な私を、引き離してくれるだろう。
ただ生きて死んでゆくのもまた良しと
名はなくも 静かなあなたが 好きだった
古里は 静かにありて 海蒼く
叔父逝去、父の六人兄弟も、末っ子が一人となった。時は移る。古里を旅する
古里は、すでに彼方に去りにけり
若き母 星越峠を越えたとか
故郷よかくもおもろき人生さ
細く長く生きても、面白くはなさそうだから、あと数年で良い、今仕掛けている事案が目処がつけば、天然に帰ろう。
社会的には、成功をした訳でもない、まあ普通の人生だったが、個人的には面白おかしく、楽しい人生だった。後ろ指を指されることもあったが、それなりに、想いは貫いたつもりだ。
今仕掛けている事案も、妻が子が、暮らして行けるものだけを残してやれれば良い。財産も何もなくて良い。慎まやかに暮らせるだけのもので良い。そんなはっきりした目標がある。そう時間はかからない。それほど長くなくて良い残された時間で、少しだけ子供たちに貢献して、それだけで良い。
自分で動けなくやなれば、終わりにしたい。幸いにして、僕は進行性のガン、死ぬ事は結構難しくはなさそうだが、死期を迎え、数ヶ月の動けない期間をどう対処するか、問題はそこだけのようだ。
山越えて 残り少ない春よ来い
サラサラと 水音が聞こえて 春が来る
3月7日 2月の資金繰りにめどが立つともう10日が近付く。なかなか軌道に乗るには時間がかかる。S女史に、F・Aの義兄弟に そしてS・O等々、邪魔され邪魔されの日々が10数年続いた。小さくてもいいから自分でやろう、然しまた話は大きく動き出すが、命に限りがあることを知った今、何がほしいというものでもない。12日からは上海、抗がん剤治療は当面休止にする、今回は相当疲れた、髪の毛も抜けた。ある程度の流れができた、自分のためにではなく、残るもののための準備ができた。そう時間はいらない、3年か5年、その程度あればそれだけのものは残せるのだろう。あまり命も惜しくはない。
気がつけば 弥生の空が おもむろに
歩み来て 時の流れや 春かほる
2月26日 昨日は東京日帰り。B先生の紹介で上海のM先生と面談。中国での事業を本格的に動かすことに、ちかじか上海に行くことになる。本格的に動くならば、中国は以前から面白い、Mau Minoa'kaブランドで動かす。
それぞれの装置に新しい名前をつけて 商標を取り活動を始める。海外を基本として展開する。日本の匠の技を医療輸出する。
並行して I先生と Children for the Future ボランティア事業を始める
セーブザチルドレンを去ってもう25年がたった。今復活する。死に場所が見つかったようである。海外ボランティア、僕の人生のほとんどだった、それが僕が倒産する原因でもあり、僕の人生そのものであった。63歳にしてそして死を見つめながら、国際ボランティアの世界に復活をする。人生のすべての集約の場所ができる。Iに感謝である。見知らぬ国での野垂れ死に、理想形である。世界を駆ける、人生の終わりに来て、本当の意味での活動ができる。
僕の大好きな 東京駅の居酒屋で それは駅に併設してあった「都食堂」父とよく言った。そこには旅人がいた。旅人が食を取り、また旅を再開する、和洋中なんでも食せるそんな食堂が好きだった。そこには人生を見ることができた。いろいろな人生があった。そんな思いを感じさせてくれる食堂が東京駅にある。
そこでI先生と話の中で生まれた。そこが僕にはあった。まったく頭になかった。
おもしろい、世界有数の活動にして見せる。世界での子ども達のための0円食堂、楽しく食して、子どもたちが旅立つのを見送る、元気でな、と。そんな事業をしてみたい。僕たちの生命を紡ぐ子どもたちを見送る、年老いた大人たちは旅立つ子どもたちをただ見送る、そんな事業が良い。
これは本気でやれる。昔のように、肩を張ることもなく、自然に、ただ時間の流れに流されて、名もいらぬ、誉れもいらぬ、命もいらぬ、生命を紡ぐだけでいい
I先生、少し楽しすぎるぜ(笑)
2月23日
昨日は父親の弟が逝去、十数年ぶりで宍喰に出かけた、片道4時間弱、遠い。
昔なら 多田・目良名前を知らない町民はまず居なかったが、時代も変わった。
宍喰町史の最初に出てくる「ただ」の名も知らない住民がほとんどになた。6人兄弟だった父親も末っ子の叔父が一人残るだけになった。時代は変わる、だから面白い、命を紡ぐだけでいい、だから生物は面白い。あまりにも思想に合う人生が送れる自分が楽しい。
1週間ほど前から髪の毛が抜けだした。いろいろな状況でいろいろな副作用が出る。やはり抗がん剤により体力自体の後退があるのだろう?前回は髪の毛は問題なかったのに今回は相当脱毛する、どの程度抜けるのか見ておこうと、手間がかかるが、キャプの生活を送っている。
診療も少しづつだがステップアップしている。子ども達と保護者と、一緒に泣き笑いできるそんな診療を少ししてみたい。
2月18日
抗がん剤は70%でもそうとうこたえる様で、骨髄抑制が強く出ている。今日でま薬剤が効きもとに戻っている。
3月14日から再開する予定ではあるが、もう一度ゆっくりと考えてみよう。どうするか?ガンとの知恵比べである。楽しくもあり面白くもある。
仕事が徐々に動き出した。夏までには大きく車輪を動かす。65でこの社会から足を洗う。みんなが動けるようにまでしておかねば、時間がない急ごう。
そして72歳までの7年で人生最後を楽しもう、朽ちて行くだけかもしれない、しかし石にかじりついても生きる、または新しい何かを見つけることができるのかもしれない。来年の夏で奥さんも還暦、仕事を一切引退して、生きて行ける状況にしよう。そしてその翌年の2月の誕生日65歳で終わり、新しい日を歩く。時間はない、でもやればできる
2月10日
夢に駆け 見知らぬ街で 野垂れ死
若者よ 僕の時代は 終わりけり
すっぱりと 全てを捨てたら 知らんぷり
老人よ もういい塩梅の 終わり時
経験よりも蓄積よりも、若者の夢と希望が、新しい時代を切り開く。
失敗も良い悩むも良い、心配などしなくて良い。新しい時代を信じて、舞台から降りよう。後継者など考えなくて良い、必ず誰かが現れる。
61歳でガンが見つかった。62歳で、自分で生きる方法を考えた。10年生きる。ガンとの知恵比べに負けず、72歳。ガンの治療をやめる。かんとの共存を捨て、後は、神の御心のままに、天然の向こうに消えて行く。笑ってグッドバイ、そんな老人で在りたい。
抗がん剤の副作用が 恐らくは月火曜日あたりが最頂点だったのだろう。血小板数は4万程度、まあまあである。好中球は1000以下、それも読み込み済みである。慣れてくると大体の間隔が本来わからない自覚症状もないのにわかるようになる。
2月6日 あと数日で63歳になる 僕はあと2年65になれば一つの区切りである
年金の支払いは最低限の期限は終わったらしい。義務が終わった。頂くのは遠慮するが、通常は65歳から年金が支給される。
まだ死ぬわけにはいかない。ガンの対処の僕の考えが正しい事を先ず証明しなければならない、62から自分の考えで対処してきた。だから72歳まではなにはともあれ生きる。その後は神の御心のままである。しかし社会的には65で一つの区切りがつけられそうである。流れをつくり、スタートさせれば、僕の役割は終わる。後は、余命を清く貧しくも美しく生きる。
2月5日
これで最後になればいいのだが 抗がん剤の治療を終えた。
結構大変なのだろうが、相変わらず体調は問題がない
体力は抗がん剤の治療で落ちるが、回復する
結局は人間に死に時は体力の終わりになる
そして新しい事業のめどが立ちそうである、方向性が決まれば
あとは動くだけ、1年もあれば軌道に乗る
後は 引き継ぐ若者が 好きにすればいい
それはだれかわからない いまのところ一番の人材は周迪曦だろう
I先生やM園長が前面に立ち動かすのだろう。
人生は 死に時求めし 旅路かな
短詩文芸は二つの道があり、
文芸と叫びに分かれる。
私は誰から短詩文芸を習った訳でもない
ただ父の背を見ていた。
そして父は短詩に叫べと。
生き生きて あと幾年の 歩みかな
若者よ 我が背を踏みて 飛び上がれ
面白く 死と向き合いて 残火や
死のやり取りをした父の世代の凄み
私もそれに憧れ世界をかけた。
しかし本当のやり取りではなかった。
しかし今、死と向かあい、男の修行中である。
父はあの支那の地で、何が何でも生きて帰ると思った訳でもない。事実を受け入れ、事実に抗わず事実に負けず、淡々と生き生きて、
私も、淡々と、事実を楽しむ。
1月29日 今年初めてのそして最後にはしたい抗がん剤の投与の一回目が終わった。問題は来週で、骨髄抑制がどう出るか?それさえなければ抗がん剤も面白いのだが、70%の容量と免疫療法の組み合わせならば、骨髄抑制させなければ続けることも可能かもしれない。骨髄抑制は数的なものが基本となって目安としているが、そのレベルもまた考える方が良いのだろう。
70%容量だとそれほど吐き気感等々の副作用も出ないのだが、自覚症状のない骨髄抑制がどう出るのか、色々対応策も考えてやってきているので、ある意味その結果も楽しみともいえる。
久しぶりにS女史とその家族の話が出た。どうしているのだろうか?あれから丸三年がたつ。月日は多くのものを解決する。結果として、黙って耐えたのが正解であった。当時いろいろとS女史の話を鵜呑みにした人たちは、結局は言葉の軽い人たちであり、それを相手にすることは同レベルになる、ということだった。昔竹下元首相にお目にかかった折に、なぜいつもわかっていることができるのか?とお聞きした事があった。「男は黙って・・」と爽やかにお答えして戴いた。力の違いを思い知らされた。あれから20年以上がたち、多少は成長したのかもしれない。 冬空に 雨音聞きて 暖かに
S女史家族そしてA家族、多くの金銭を持っていかれ、多くの負債や不信を残してくれた。でもそれを解決することが修行でもある。その修業が多くの人たちの幸福に少しでもつながればと思う。そして自分の生きがい、毎日の燃料でもある。ガンを楽しむのも、貧乏をクリアーして進むのも、男の修行、人は恨まず、彼ら彼女たちに感謝、なのだろう。
1月25日 今日から抗がん剤治療を始める。恐らくは最後の抗がん剤治療にするつもりだ。スパによる温熱効果、琵琶灸による温熱効果、を日常の基本として
Beam onを週に数回、サプリメント、そして免疫療法での治療を続けることにしている。ガンがほとんど消えている。協力してくれたみんなのために、10年は生き抜かねば、ガンをクリアーした頃にはならない。生き抜いて見せよう。
一年ぶりに周君が来訪。僕のもとに来て14年 日本に13年、彼が世界のマウスピース矯正を決める妥当という予感も当たりそうである。僕をはるかに凌駕して越えている。わが子が自分を超えて行くさみしさを感じるとともに、喜びを感じる。日本に彼のために新しい会社をつくる。そこは美容矯正とアンチエイジングがマウスピース矯正の基礎となり、数年後に汎用系の成人用マウスピースが美容とアンチエイジングを基礎にして世界で一番の装置を彼が作り出すだろう。しばらくは僕自身が技工をして、彼のための新しい会社を始める。
これまで進めるとは予測外だった。今の中国の力と彼の能力が新しい時代をつくろうとしている。1億円の開発費を集めれるのは僕の能力にはない。そして若者である、ITを皮膚感覚で扱っている。置いて行かれた感がある、さみしさがある。一般的なマウスピース矯正のレベルは超えている。インビザライン等とは比較にはならないレベルに至っている。しかしそれで満足するな、もっと高みを目指せと、伝えた。美容矯正、アンチエイジング、歯ぎしり症候群治療、この3つの治療法が彼の今のレベルにかぶされば、世界を変えることができるだろう。凄い事が始まろうとしている。それを彼にすべて伝承する。そしてあと2年で成人マウスピース矯正は終わる。周君が後を引き継ぐ、僕をはるかに超えて、あと10年から20年の時間が彼を世界に羽ばたかせるだろう、それを見ることができるだろうか。生きてみたい、そんな気にさせてくれる。 凄いとしか言いようがない。凄さを誰もわからないのだろうが、僕故にそれが分かる。本当に自分の老いがさみしくもあるのだから。しかし嬉しくもある、複雑な気持ちである。
またKさんから新しい情報である。子ども達の現状、アメリカでは国家プロジェクトとして子ども達の状況に臨みだした。そして中国ではその状況に大きな危惧があることをアメリカの研究機関が報告している。食育と口腔育成である。マジでこの研究をする時が来た。コーカソイド等はまだ成長に問題がいないのではとの想いもあったが、アメリカでも子ども達の異変が国を挙げて問題視しているという。
子ども達のための研究を本格化するべき時期が来た。まだ死ねない、まだ死に時ではないようである。
まだ死に時は 彼方かな
1月18日 1月も半分が過ぎ、寒さも今日から本格的なようである。先週の土曜日から、久しぶりに診療を始めた。普通の歯科医院とはだいぶ違う診療だが、基本的には診療は好きではないが、たまにするのも面白い。今回の診療開始はいくつかの狙いがあるが、その中で大きなものが海外を見据えたものである。20代半ばから海外に出て、40代半ばまで海外で多くの日々を過ごした。その後生きて行く、暮らすのに精いっぱいの日々が続き、そしてガンとの対面、20年の時間を生活と闘病とそして、研究開発にと、動きを全く止めた時間を過ごした。またそれも今になれば面白かった。
ガンをクリアーした事を証明するにはあと10年は少なくとも生き抜く、70を超える、生きるか死ぬか、その時になればどちらでもいいが、それまでの10年をまたあの頃のように駆けてみよう。そのスタートが今回の診療の開始でもある。
海を越え 残りの時を 駆け抜けん
70までは体力はまだありそうでもある。ガンにも負けない。アメリカに憧れアメリカに渡った25歳、あれから40年近い月日がった。
想いでは あのミシガンの 粉雪や
センチメンタルジャーニーではない、新しい希望と夢を賭けた旅を始めたい。40年以上前に抱いた、海を越え世界を駆けるとの想いをもう一度行う。命の尽きる日まで世界への旅を続ける。その1歩が始まった。
1月11日 高齢者対応の、嚥下障害及び誤飲性肺炎予防のメカニズム及び治療法の開発を行う。メカニズムの解明はほぼできた。あとは、協力を得て臨床応用する装置、治療法を開発することになる。
あと5年もすれば多くの疾病は解決される方向に動くのだろう。例えばがんもその方向が動き出せが、飛躍的に改善することになる。ガンは特に心理面での要素が大きく、4~5割は心理面により左右されるという。基本的には「ノー天気」である性格がポイントになる。ということは、ガンは死に直結しないという社会的な流れができると、改善率は急上昇する。それは慢性疾患に共通の事項であり、例えば、糖尿病が高い死亡率を示すような流れになれば、糖尿病の死亡率は著しくなるのだろう。心理とは大変面白い。ガンは高齢化とともに増加する、遺伝子のコピーミスが原因なのだからそれはそうなのだが、治療方針ミスがあったと言えよう。外科的療法という選択は間違いではなかったが、抗がん剤治療に問題があった。医院のホームページに詳細を書いていこうと思うが、創薬の思想に問題がったように思う。
しかし、疾病の治療法がよりよくなれば、問題も多い、いかにたくましく生きるのか、介護老人ばかりでは困る。小児口腔育成は、研究はほぼゴール近づいている。あとはこれが普遍的なものとして啓発されていけばいい。誰かが設けることになるのだろうが、あまり僕には関係はない。次のテーマは高齢社会における、いかに元気な老後を送れるか、である。いかに元気な大人になるかが小児口腔育成のテーマであったが、それが今度はいかに元気を継続するかに代わるだけなのだが。小児にほぼ10年近くかかったが、高齢者にもそのぐらいの時間がかかるのだろうか?生きるのにも少し飽きては来ているが、今年から次のテーマに行くことにしよう。
生きるのも 少し飽きもし 時が過ぐ
ガンももう少し手ごわいかと思っていたが、そうでもなかった。答えは心身のバランスをとり、心身を鍛えること、そして楽しく生きて、良い社にめぐり合う、その程度でいい、もちろん、治療法は「免疫」が主体になる。詳細は私の専門ではない、私は「健康」が専門であり、子供たちが健康に成長することをテーマとして、今年からは、高齢者が健康に生きることをテーマの研究を始めている。
介護の期間を著しく短くする、健康年齢を10才は上げる、そんなテーマの研究を始めよう。
貧しさも 面白きかな えびっさん
金のない 商売繁盛 本戎
父は「幸せと思えば幸せ、幸せとはそういうものだ」と言った。
ガンも面白かった、小児口腔育成も、美容外科も面白かった、ただ貧乏だけは同じだったが(笑) 高齢者の研究も面白そうだ、面白いことそれは幸せなのだろう。
1月4日 今年は面白くなりそうな、
玄冬をかくもおもろく 生きにけり
治療をやめればいつでも死ねる、そんな進行がんの面白さもある
免疫療法は金がかかる 金で命が買える
そんな時代が来たようでもある。いくつまで生きるのか?そんな問いを与えてくれたガンにも感謝である、人は永遠に生きることもない、故に
人に命の限りがあるならば 自分の人生は自分で決める、あと5年か10年か
暖冬の 空は煌めき 初陽かな
暖かすぎるお正月であった。いろいろな季節があって面白い
妻が快気祝いの品物を買ってきた、そして関係者に送るようである。ガンの快気祝いも面白い、そんな思わぬ発想が大好きでもある。
高齢者の嚥下障害の解決、しいては誤飲性肺炎の解決が始まる。そして「噛みしめ症候群」の解明を進める。
そして人生の終わりには、始まりであった「ストレス」と「総義歯」で終わりたいのだけれど、まだそこまでにはまだまだのようである。特に総義歯は、枯れてこそその効果を示してくれる。まだ「枯れ」そうもない。
今年もほんに忙しそうな春
年明け早々やることが目白押しである。死には自分で決める、いつ決めるか、やることが多すぎる。
2016年元旦 転移性の肺がんの影がほぼ消えた。まだ生きる事になりそうである。そして新しい1年が始まる。朝日が輝く、私の命もまだ輝いている。
ガンという疾患とその闘病の日々は命に終わりがある事を教えてくれた。終わりがあるが故に今を生きる事を教えてくれた。そしてガンに対しても逃げることなく、向かい合う事が新しい日々を迎える事が出来る事を知った。
空を見て 新しき年の 始まりに
限りある 命を見つめて 新春や
春よ来い ああ人生は面白き
1月4日 今年は面白くなりそうな、
玄冬をかくもおもろく 生きにけり
治療をやめればいつでも死ねる、そんな進行がんの面白さもある
免疫療法は金がかかる 金で命が買える
そんな時代が来たようでもある。いくつまで生きるのか?そんな問いを与えてくれたガンにも感謝である、人は永遠に生きることもない、故に
人に命の限りがあるならば 自分の人生は自分で決める
暖冬の 空は煌めき 初陽かな
暖かすぎるお正月であった。いろいろな季節があって面白い
妻が快気祝いの品物を買ってきた、そして関係者に送るようである。ガンの快気祝いも面白い、そんな思わぬ発想が大好きでもある。
高齢者の嚥下障害の解決、しいては誤飲性肺炎の解決が始まる。そして「噛みしめ症候群」の解明を進める。
そして人生の終わりには、始まりであった「ストレス」と「総義歯」で終わりたいのだけれど、まだそこまでにはまだまだのようである。特に総義歯は、枯れてこそその効果を示してくれる。まだ「枯れ」そうもない。
今年もほんに忙しそうな春
年明け早々やることが目白押しである。死には自分で決める、いつ決めるか、やることが多すぎる。
私に 無償の愛を与えてくれた人はこの世に3名いる 父と母と妻である 父と母は既に天然に帰った そして 私が続いて妻が近い将来に天然に帰るのだろう 私が生きたあかしを残す必要もない この3人の心に生きていれさえすれば、それでいい。 天然からこの世に生まれ来て この3名との出会いは何よりも 幸せであり 生まれてきたかいがあったと思ういま両親は天然にて僕を待つ 僕が天然に向かう時妻だけに送られて 旅立ちたい 子にも兄弟にも友にも知られることなく
12月17日 また生きて 新しきもあり 師走かな
死に向かう 時を知りつつ 生きて春
CTで肺への転移がんがあと一つ、それも中抜けが大きくなり
ほぼ消えつつある状況になっている。
ガンを経験する、死を見つめるそんな日々をこれからも続けるのだろうが、一つの区切りをつけて、あと数年は生き抜ける。確実に死に向かっていることを知っている、それは人はいつか死ぬことを理解できた。それは無になる、無になるのに何の栄華もいらぬ。それを得たことが人生本当に幸せである。
また会おう 散りゆく枯葉に声をかけ
もうすこし私は生きる、まだまだやらねばならないことがありそうだ。私を信じてくれる人たちのためでいい。残されたこの命を燃え尽きて見せたい
10月6日 それもよし 毀誉褒貶は 人の言
名もいらぬ 命もいらぬと 神無月
とぼとぼと 歩きし朝は 穏やかに とぼとぼと人の半分ほどの速さで 芦屋川沿いを歩き 芦屋駅に 約一キロほどの道だが今日まで歩くことができなかったのだが なんとか歩いてみた。人生と同じだ。人よりもその半分の速さで行くと いままで見えなかったことも見える。 抜き去る人の目は見下しているようにも見えるのだが、それもまた面白い
9月28日 歩き行き 坂を上りて 空を見る
生き生きて 七難八苦を 楽しがり
ぼろぼろの 人生求めて 還暦か 成功に彩られた人生よりも ボロボロな底辺を歩む人生がおもしろそうだと なぜかそんな道を求めて歩いてきた
天然への道があとどれほどあるのかは分からない 1年 3年 5年 10年
どうせここまで来たのだから、七難八苦を超えて 九難十苦もいいだろう
9月26日 汗を拭き 残暑の中を 歩く秋
季節(とき)廻り 命のハードル越えて行く 免疫療法を昨日から始めた。2週間 30万円の治療で 4か月をめどにまず行う
いろいろな試行錯誤を繰り返し 命のハードルを越えて そして結局は死に向かう
死がゴールであることを知りながら、それでもいくつものハードルを越えて進む
生まれ来て 食べて 生殖をして 老いて 死んでいく
命など 他愛もないと 想いつつ 生きていることが面白そうだからと、 また新しいハードルに挑む
9月24日 長月も もう終わりかと 秋の雨
人生は 七十年と 決めた秋
生き抜いて ただ生き抜いて 生き抜いて 10クールの 抗がん剤治療の 1か月が終わり スケジュール的ではあるが予定した10クー ルが終わった。最後の最後に来てそうとう身体にこたえた。今も歩くのがしんどい。今の時代人
生は70年ぐらいがちょうどいい。あと8年、体を鍛えて、生き抜いて、そんなことを心に誓う 秋 でもある
9月7日 朝の露 豊かな秋の 実りかな
秋が来て 冬に向かいて 命道
9月今年もあと4カ月、今年の正月には次の春がどうなるか予測もたたなかった。あと4カ月は生き
秋が行く また一年の 道があり 抜くだろう。基本的には最後と決めた抗がん剤治療も10回の区切りで終わった。さすがにしんど
季節(とき)廻り 命の限りの 面白き い、日曜日昨日は一日中寝ていた。腎臓摘出から、抗がん剤そして肺への転移、抗がん剤を標準 治療の合剤3種を繰り返して、一進一退。抗がん剤の副作用もいろいろ経験した、ガンのことなら聞
いてくれ、実体験には勝てないさ・・・面白い一年だった。さあ、次なる一年、来年の長月、9月
には何を記しているのだろうか?もっともっと面白き時を送ろう。
9月2日 それぞれに 十分生きて 秋の夜 同じような時代背景に生きてきた、よく似た年齢の同窓生もまだ元気そうである。どれほどの人生
をこれから生きるのかわからないが、皆それぞれに十分生きて、それなりの道程がある。
自分自身どれほどの時間があるのかわからないが、今が十分に楽しい時間でもある
肌寒き 長月の朝は 静かなり 気温と世の音は相関するのだろうか。あれだけ騒がしげな夏が去り秋の訪れとともに 朝が一気に静かに流れ始めた
秋が来て 命をつまみに騒ごうか 一進一退の抗がん剤治療にもそろそろ飽きてきた。違う土俵でまた違う事がしたくなる
命や生活を酒のつまみにして生きてきた感がある。そろそろまたと血が騒ぐ。
やりたい事やる、周囲には迷惑がかかる、そんな人生だと諦めるのもいい、妻にだけは(笑)
2015年 8月26日 嵐過ぎ 葉月の終わりの 朝の空 自分では抗がん剤入院はもう最後になると思っている
もう一度3日4泊の抗がん剤10クール目の2回目の投与で終わりにしようと思う
罹患が分かり摘出をして、肺への転移、抗がん剤治療
私に得えるものの大きな日々であった。
生き行きて また新たな夏を 目指すなり 明日死んでも後悔はない、やりたい事をしてきた。やりたい事をやりたいように生きると、周囲に
迷惑はかける。家族には特に妻には迷惑をかけてしまう。それは後悔でもあるのだが。ここまで
来るとその後悔も平常になる。しかしまだ面白そうでもある。行き行きて 行き行きて新しい夏を目
指す。今の私には一年は遠い。だからしっかりと日々を歩く。
歩いているとガンもまた新しい楽しみになる。どう改善するのか、身体を整える、身体を整えて
治療を行う、それがガンへの対応のポイントである。1年の私の思考である。
8月15日 戦いを 生きし人の 夏の笑顔 既に父も母も逝き、戦いは遠い彼方になった。
二人の終戦記念日の思い出は笑顔であった。
二人にはあの戦いの日は既に過去に過ぎ去り 青春のひとこまであったのだろう
空青し そして妻が 生まれし日 4つ違いの妻の誕生日、長く二人で生きてきたようにも思う。
今、妻も 私の死を見つめながら生きている
2回目の夏が行く 静かな、小さな 夏の二人の一日が過ぎる
静かな小さな日々の楽しさよ 穏やかに過ぎし二人の夏
8月12日 夏が行き 想いは彼方へ 去りにけり 御巣鷹山の日航機事故から30年がたった。8月11日に生まれた娘も30歳に
少し長く生きた感がする 抗がん剤治療から1年 ガンとともに後4~5年生きてみようか
その程度がいい塩梅なのかもしれない
雲が行く 治療も飽きたと 夏の日や 抗がん剤治療も9クールが過ぎた 骨髄系と自律神経末梢神経系医の蓄積による副作用が少し
ずつ蓄積している。確かに抗がん剤は問題が多い。
結局抗がん剤についても医者もわかっていないのだろう。同業者だからよくわかる。試行錯誤して
いる。抗がん剤は、用い方である。蓄積して体を傷め衰弱させる。実感としてわかった。数値には
出ないものである。
8月10日 新しき 日々を求めて 夏や夏 抗がん剤の10クール目はやめる 新しい抗がん治療を求めよう
おそらく抗がん剤の考え方は第一義的なものではない
また がんについては 基本的な考え方を変える事も必要になろう
8月4日 もっと生き もっともっとと 夏も行く 生きる事に興味がある。だから生きる。それだけである。
もっと面白くなりそうな、もっと面白くなるのだろう、生きいきて面白がろう
毎日を激しく激しく生きてる、今日も激しい暑さの一日である
8月1日 起きるのに ばてて暑さも 葉月なり 起きることがばてる 流るる汗が心地よい 生きていることを実感する
病にて 今が一番の 人生(とき)なりて もしかすると今が一番充実した時期のように思えてしまう
もちろんそんな時期にも終わりが間もなく来るのだろう
その日を心配しても仕方がない 来るものは来る ならば来る日までひたすら駆ければいい
時間が短ければ駆ける速さを上げれば、距離は稼げる。
7月31日 文月の 終わりは一番の 暑さとか
ゆらゆらと 川面の風も 暑そうな 抗がん剤9クールが終わり退院。盆明けから10クールに入る。そして同時並行として
免疫治療を始める 鍼灸も始める 何でもやろう 楽しめるものは楽しもう
これまでの人生も何でも興味があればやってきた 名もいらない、財もなしでいい
ただただ興味がわくがままに 命もさしてほしくはないのかもしれないが
7月29日 文月の 風はゆったりにして 重くあり
まだ生きて 夏の日差しを 浴びている ぼろぼろになるまで生きる、広島の長崎の、70年前に人びとは毅然として運命に耐えた
誰を恨むことなく、毅然と、凛と 立ち尽くしたい そしてゆっくりと歩き続けたい
7月22日 雲低く 雨に濡れよか 夏の日や 雨模様である 夏至が過ぎ少しずつ冬に向かう しかし 天空は夏の盛りにはまだである
まだまだ人間が出来ない、それもいいように思う、感情の趣くままに過ごしていればいいのだろう
激しく攻撃的であれ、子ども達の攻撃性のなさを見ていると、死ぬまで攻撃的であろうと思う、感情
的であろうと思う、 雨粒や そこのけオイラが お通りだ
7月18日 嵐去り 水面激しく 光けり 雨台風が去った。芦屋川の流れも速い。
行く川の 流れや速く 嵐去る 四国の小さな漁村に生を受けて、なぜか台風が好きだ。台風だけでもないのだが
災害や危機が結構嫌いではない、いや好きなのかもしれない。平安な、日々は飽きる
ガンでも悪い判断が出てもそうは驚かないし、悲観にも思わない。どうしたら良いのかを
考えるのが楽しい。
生きるより 生き抜く明日の 朝日かな
命にそれほどの未練もないが、生き抜く楽しみが、命を継続させている
「神よ私に七難八苦を与えたまえ」山中鹿之助でもないけれど
人生は七難八苦を切り抜けて 生き抜くことが楽しい
7月15日 空や陽や 夏や来りて かき氷
空は夏 汗したたりて 梅雨明けず 熱い梅雨の日々が続く、流れる汗は生きている実感を持たせてくれる。私は物事の道理を
当たり前のように受け入れてきた。それは、自然の営みというものに対して感性の少ない人生で
あったかもしれない。おそらく、「死」を日本のだれよりも見て来た。紛争地で、難民キャンプで。
それもまた自然の道理であり、私の感情はそれほど動かなかった。しかし、自分が死を見つめる
ときに来て、自然の営みに、感じることが多くなった。
名もないし、財もないが、あらためてこれまでの人生が幸せだったと思う。そしてこのような今を持
てたことにも幸せを感じる。
7月13日 梅雨空の 合間の光 汗流る 11日は新浦安の明海大学での専門セミナー 盛会に終わる そして12日の早朝に博多に
山笠の 流れる汗や 夏来る 博多の夏まつり 祇園山笠の期間に当たる
金曜から日曜まで流した汗は相当量のような、あと何回の夏を迎えるのか、汗を流すのか
限りがあることは、いいことなのかもしれない。試験がないと勉強をしない、何かないと動かない
限りがあるからいろいろとしてみたいこともある。しかし、多くのことをしてきた人生でもあり、
夏の空 想いは遥か 青くあり やり残したという後悔はないが、少し思い出に浸ってみたいという想いはあるようだ。
7月7日 七夕の 夜空見上げて 雨の香や 風邪気味も回復し、体調も少しずつ改善している。無論抗がん剤治療前までもいかないが、食べ
ること、それなりの運動、そして気力と知力。
それほど思い残すこともない人生なのだが、もう少し生きてみるのもおもしろそうでもある
僕にもしもの時があれば・・と心配されることも多い、世の中うまくいく、それなりに流れは続く
心配はいらない、それが世の中、いいものは、必ず受継がれる。それだけの自信はある、ゆえに
そう心配はしていない。今を着実に歩くこと、それが一番大切だと。
7月1日 文月の また生き延びて 夏来る 生きることに真剣に向き合う日々も楽しい。以前は生きることは当たり前であり、向き合うことは
なつきたる なかった。手の甲を見る、皺とシミに老いを感じる。終戦時の阿南陸相が出てくる本を読む。彼は
終戦の日に割腹自殺する。その死にざまをいいか悪いかは別にして、古武士の如くである。
私に古武士の意気があるだろうか。世に向かい自信を持って去ることを自らの手で可能だろう
か。小児育成も動き始めた。あとは海外が動き始めれば、思い残すこともないだろう。そこまでは
石にかじりついても生きようとは思うが、その後はおめおめと老いを晒したくはない、それが矜持
でもある。
6月30日 時が行き 文月来たりて 梅雨空や 時がゆっくりと過ぎていく。どんよりとした雲、まだ梅雨は続く、そして疲労感や脱毛、末梢神経の
障害など、それなりに抗がん剤の副作用が続く。QOL聞きなれた言葉だが、昔この言葉のやり取
りでWHOと協議をした30年ほどの前の日々を思い出す。結構いろいろとやってきたのものだ。
抗がん剤治療と副作用の中でQOLをどの程度維持しながら生き続けるのかが問題のようでもあ
る。ここで無治療に舵を切れば、あと2年程度だろうか?2年でどこまでいけるのか?いろいろと
悩みまたそれがおもしろい毎日でもある。
6月23日 病にて あと幾歳の 季節かな 疲れやすい日々が続いている。呼吸も少しではあるが苦しい。抗がん剤のせいなのか
肺転移がんの伸展かは分からないが。
今日は画像診断の日で、CTを撮影する。状況次第では抗がん剤治療の継続を
状況次第ではこれはガンが縮小していない場合は他の選択を
自分自身も考えなければならない、どの道を歩くのか
6月17日 垂れこめし 雲の隙間に 陽光(ひかり)あり 死を思いながら生きるのはまた楽しくもある。あとどのくらい生きれるのか、生きるためにはどうす
のか。光と闇が交互に想いの中に現れて、死ぬのもおもしろそうでもある。
様々な抗がん治療に挑戦するのもおもしろそうでもある。人生、想うことは楽しい。思うが故に人で
ある、意識性のある動物が人間である。
6月16日 梅雨空に 見上げし空の 低さかな 8クール目の抗がん剤治療を終えて昨日退院。
新しい治療法が開発される中で、いつそれに切り替えるのか判断のしどころでもある。
老いを晒して生きたいとは思わない。あとどのぐらい生きようか、死に時が問題になる。
夏がもうすぐやってくる。昨年の夏は、手術等々でないと同じであった。今年はそれなりに
楽しもう、昨年の分まで。
6月 4日 水無月の 濡れし大地の 香かな 私はいつしか消える 存在しないと表現される 時もそれで終わる
私とは何か、私の時とは何か、ただ生まれただ死んでいく
父と母は逝った、天然の向こうに消えて 大地と一体化した
私には父と母の香りだけが仄かに残っている
5月21日 老いゆきて 明日をいかに 思うてか 私も老境に差し掛かりながら、まだ家族の将来の道は出来ていない 渦中である
故にもう少し家族のために生き抜かねばならぬ、そしてそれが終わり自分の人生だけを
見つめる時期が来た時、何を想うのだろうか 身体も老いる どう生きどう死のうと思うのだろうか
5月19日 人や人 人は何を 語ろうて
晴れやかに 皐月の空は 謳うなり 人は意識で機能を動かす唯一の生命体なのだろう。気持ちの持ち方、という言葉があるが
まさに気持ち一つでどうにでも変化する。ということは気持は脳の活動であり、脳が生命までも左
右することになる。まず知力であり、そして気力、最後が体力なのだろう
5月13日 春や春 思えば長く生きてきた
季節(時)廻り 寿命は自分で 決めるなり 介護をさせたくもなくされた苦もない。自分の命は自分で決める、生物として生きる意味がなく
なれば生物をやめる。残念ながらその日はそう遠くもない事を知った。80がそのリミットとしても
後20年程、ガンに罹患して、何を得たか、それは生物としての自分という存在であった
色々な事をした。色々な事に挑戦して、すべて負けた。でも面白おかしい人生であった。これか
らもそうありたいと思う。そして、自らが生きる事が出来なくなれば、それで終わりにしたい。
5月4日 春ゆきて 五月の空は 夏模様
今日は雨 五月の風は 南から 逝った父を見ていると80を超えて急速に老人化した思いがある
私は今62、ガンの状態から見て、通常は2年か5年の程度であり80を超えるとも思わない
また超えて生きようとも思わない ただ私はプライドが高いから5年生存率が10数%なら
それは何がってもクリアーする。人に負けるのは自分が許さない。
4月3日 春行きて 桜も宴や 芦屋川 後5回、必ず桜を見ると呟きながら 芦屋川のほとりを歩く朝
4月7日 春や春 空は曙 霞雲 もう慣れてしまった病室から春の朝の空を見る あと5年生き抜こうと
抗がん剤の治療が始まる朝
4月9日 雪空の 寒の戻りや 春麗 慣れた抗がん剤治療、あとは身体中の洗浄の点滴を一日半
仕事も進み、ある意味,快適ともいえるが、あとは運動を始めよう
4月10日 病窓の 春は曙 風はなく 昨夜は点滴が外れ 血だらけ 朝にまた外れ水だらけ いろいろ楽しい
この大学にも、歯医者の子供たちが多い 面白い現象でもある
11日 春が行く あれからひととせ 元気なり ガンの発見から1年、肺への転移があるが、体調は昨年よりもいい
仕事と抗がん剤治療と体調管理、そして何かありそうでもある
ガンと共存して、10年は生きてみる おもしろそうである
今日は土曜、今日明日は自宅で過ごすことにする
13日 夜が行き 桜や光や 水音遠くに する事がありそうでなさそうな、人生でもあるが、さあ10年と構えると
ドンと落ち着いた感である
20日 雲低く 今年の弥生は 雨模様 一昨日から個室に移動、白血球が減少している。これまでの経験からほとんど
問題はないのだろうが、念のための入室らしい
22日 空遠く 霞て春の 輝きや 個室にも飽きてくる 逆に仕事は遅くなる 人声が聞こえてこそ
その音が耳に入らない集中力が発揮する 大部屋がいい、のも珍しいのかな
30日 霞ゆく 弥生の終わりの朝寒し 4人部屋にはいろいろな人間模様を見る事ができる、前のベッドに拘束された人がいる
私にはそれは屈辱と映る、私にはそんな人生の選択はない つまらない矜持ではあるが
11月13日 退院の前日に一人のご老人が隣のベットに入院された。看護師との話が聞こえてくる。抗がん剤治療→拷問治療・ホルモン治療→回春治療、看護師の単語を彼流にいいかえる、そして放射線科→島倉千代子・・・? ほうしゃせんか・・ホウセンカ
なるほど歌の題名である。一人で大笑い、だから大部屋は止められない。
第一の30年は明日が楽しそうであった。だから前に向かって人生を楽しんだ。次の30年は果実を求めた。失敗続きの人生であり、転び続けた。ただ起き上がることだけはしてきた。今名誉もなければ財もない、だから大部屋なのだろうが、それが楽しみを与えてくれている。生きる喜びをもらたしてくれる。人生いい塩梅である。
そして毎日を楽しむために5つのテーマに残された人生を挑もうと思う
1)ヒトの成長と発達
2)進化と医学(歯科学)
3)負荷と生理(Distress と Eustress)
4)ヒトの多様性と複雑性 (人間と適応)
5)ヒトの進化(人はどこに向かうのか
ライフワークであり どのくらいかかるのかは分からない
すこしすこし 進もう 最後の30年 いつまでの命かは知らないが
のライフワークを終わらせれれば 人生思い残すこともないだろう。
11月12日
早くも霜月である、だが思いのほか暖かである。3泊4日の抗がん剤の日程を終えて
暖かな秋の日差しの中を電車に揺られて帰宅した。
ガンは前向きに生きるとき、人生を変えてくれるという、本当にそうだと感じる今日こ
の頃でもある。ガンにり患して恐らくは寿命は短くなったのだろうが、その分の益は十
分に得ていると思う。
気付きや新しいものとの出会い、30年の青春時代、30年の苦悩の時代、そしてガ
ンが新しい30年の始まりを与えてくれた。
9月29日
思考する楽しさ 思考は明日を夢見る
思考の先は二つある 肯定か否定である
性格なのだろう 私はすべて肯定する 肯定するから疑問がわく
否定すれば 答えが出る それで終わる
肯定することにより 疑問が出て また思考が続く
人よ 思考せよ 思考をづつけよ 人は思考をする動物である
2015・9・17
私に与えられた時間が少なくなっていることを自覚している
しかしやらねばならないことがある
残りの時間を引き延ばしても それをやりきることが
私が生きた最後の存在意味なのだから
私にはあの故郷の海が与えてくれた 底知れぬ体力があり気力がある
海蒼し 大空の青に 続き行く
2015年 9月 15日
秋の夕暮れは冬に向かう時の香りを感じさせながら、
過ぎ去った夏の思い出を引きずる。
長い秋の影を追うようにして私は歩く
はあはあと息を継ぎながら、体力の衰えを感じながら
秋の夕暮れの道を歩いている
10回目の抗がん剤治療を終えて、今日から免疫療法を始める。まずは第1回目のクール2週間を1タームとして6タームで1クールを基本とするらしい。それでどのような変化を生じるのか、変化が少なければPD-1との併用に進む。来年になるだろう。それで1~2クール 約6カ月。それでも・・エピジェニックな分子標的を併用する。それで6カ月。来年いっぱいのトリートメントイメージでもある。
人の体は、他の動物とは大きく違っている事は確かである。その要因は簡単には二つあり、一つは二足歩行そしてもう一つは意識性を持つ事である。この二つは他の動物にはなくと言う事は、マウス等での実験では局所的に意味があっても、全身的な意味はない事を示している。意識性はメンタルともサイコロジカルともいえる。構造はストラクチャー、この二つの要素に挟まれて、代謝と機能がある。10数年前の私ならばこのようなホメオパシー的な文章を書くことは全くなかったのであろう。その私が、マウスピース矯正と言う、まったくの局所的生体反応を操作する分野を経て、人の成長と進化や健康と大きく関係する口腔育成の概念と治療法の開発に至り、そしてガンの罹患。何とはなく胡散臭げな全人間的医療、以前なら毛嫌いしたのだが、全人間的な医療を、健康医療を、今故に語ることができそうである。
歯列矯正と言う分野に参入して15年、そして誰も手を出さなかった、世界で初めての口腔育成にほぼ10年、いろいろな不安も疑問もあった過程であったが、今この二つに関しては無性に自信がある。世界で第一人者であるという過信もある。そしてガンになり同時にファビリティーションデンタルと言う概念との出会いは、私を変えたようである。もちろん基本的な私の存在意味である、二つの分野における私の知識をいかに残すか、そのための仕事を始める時が来ている。相当な労力を要するようでもあるが。しかし同時進行としてファビリテーションデンタルの概念を普遍的にすることができるのかどうか。私にメリットがあるとしたら、ガンの罹患者であり、自らの身体を実験台とすることが可能なことなのだろう。
抗がん剤最後の予定が血液検査で白血球が低下し、コロニー刺激のサイトカインを注射して3日目が過ぎた。一年も抗がん剤の治療を続けていると、それも飽きた。違う土俵に移ろう。一年は十分に生きた。去年の今頃に、何年生きれるか自信はなかったが、それなりに生きた。色々と学ぶ事が出来た。経験は何にも勝る。経験の時間は多くのものを与えてくれる。次なる土俵が面白そうである。
今日から9月、長月、夜長月と言う。病院にいても肌寒い。病院にいるとあたらめて色々な人生がある事を知る。このフロアーには泌尿器科・上部消化器科があり、同じ階の東側のフロアーは糖尿病である。入院患者のたまり場で、いろいろな人の話を聞く事がある。自分を含めて病気とは何かを考える。糖尿病が分かりやすい。体重を減らせと言われている、食べ物を加減せよと・・・・。私は糖尿病はない、好きな物を好きなだけ食べ、生きる事は食べる事と思って、ひたすら食べている。病期の流れは比較的非科学的と言われる中にあるように思う。確かに若いころは「科学の権化」でもあり、西洋に軸を置いた。しかし、時とともに、科学にはより論理的科学性が必要であること、を知るに至ったように思う。多くの著名な科学者がたどった道でもあり、若いころはそれは違うとも思ったころがあった事が懐かしい。科学を否定しているのではなく、科学の論理性の重要性をより求めていると言い換えていい。三段論法ではなく、多段論法に耐え得る論理性が必要であると言っていい。
ここ数日は朝がしんどい。そして階段や坂道は相当きつい。平地はそうきつくはなく、歩くのは膝だけが問題である。抗がん剤は本当に悩むところでもある。治療の基本は免疫療法においているが、それに低用量の抗がん剤が効果があるのなら、流れでもう1クールを入れても良いのかもしれない。骨髄の造血能が相当低下していることも確かであり、とりあえずは今回が再度の標準医療における抗がん剤の使用の最後になるのかもしれない。きょう採決をしてどうするかを決めるが、採決で造血能がどれほどの状況かが目安とも言える。
抗がん剤の単純なマニュアル投与は基本的には止める方がいいのだろう。抗がん剤が効かないのではなく、抗がん剤は効くときは効くし、効かないときは効かない。
1年も抗がん剤治療を受けて、経験して文献を読むと、百聞は一見にしかず、でもないが、何万人診ていようが、自らの経験には勝てないだろう。(笑)
T細胞の免疫治療に80%程度の容量の抗がん剤を利用する、さてどうなるのかこれも経験である。抗がん剤を利かすためには必要な事は人間力をいかに高めるか。それがポイントになるように思う。
1.身体の構造と機能を再構築する
2.身体の代謝を再構築する
これが人間力の要素の多くを占める
その基礎的なものの上で 抗がん治療を行うことで、抗がん剤もそして免疫療法も効果を示すように思う。
転移したガンはなぜ悪質なのか、
転移した場所はエピジェニックな環境である。そこは原発、プライマリーな環境ではない。故にエピジェニックな環境に合わそうとする。
例えば きゅうりである。お店に出る多くのきゅうりは、カボチャの根を接ぎ木している。
これはきゅうりの皮を厚くし、中身の水分の蒸発を防ぐことになる。このような、キュウリはきゅうりでも、接ぎ木と言うエピジェニックな条件は、異なる植物に変えている。ガンも基本的に同じだと思う。見た目感は原発組織のガンであるが、遺伝的な要素はエピジェニックな性質もまた持つことになる。生物は基本手的に生き抜こうとする。これは10数億年以上の歴史による。ガンもまた生物である以上生き抜こうとする。生き抜こうとするのはガンだけではなく、ガンが出現した本体も然りである。ということは、本体の機能と構造を再構築することは必要になる。
転移がんにどのように対応するのか
現状発見されている伝染病の中で、狂犬病は100%の致死率になる。しかしワクチンで予防することが可能である、ということは適切な免疫機能が発言すれば、狂犬病にも打ち勝てる能力があるともいえる。
ガンに対応することはより分かりやすい。ガンは長年身体にあるがゆえに、免疫からいろいろな方法で生き延びようとしている。それは逆に免疫機能に対して部が悪い存在であることも言える。
抗がん剤治療は悩むところだ。継続するか休止するか。抗がん剤についてはいろいろな意見がある。そして医療側も試行錯誤している。ガンに対してそれほど専門家もいない。その場その場、局面局面の専門家はいる。しかしトータルとしての専門家はいないようである。腫瘍内科と言う分野が担当するのだろうが、それほどの専門家もいない、となると抗がん剤はそれなりの情報で使われている感がする。明確な理念ポリシーでの利用はほとんどないのだろう。
自分の身体である。最後は人に任せたくはないし、自分で決める事になる。さて、どうする、免疫治療派開始する。これがガン治療の本選になりそうに思う。何はともあれ放射線を除く標準治療を経験した。経験しないとわからない事が多い、そして次のステップに何を選択し何を考え何を想うか。
血液検査で血小板数が1.7万。予想外の低さの様で、とりあえず入院、血小板剤を2日ほど入れる。それ自体はそれなりなnだが、問題は増血小板能の活性低下であろう。
抗がん剤治療も考えなければならない、そろそろ標準的な治療はやめ時になるのかもしれない。または長期に中止した方がいいだろう。免疫療法を中心として、1年を過ごすことになりそうである。抗がん剤治療により免疫療法もメリットがあると言う事も言われるのだが、なかなか難しい問題でもある。体調の状況からいえば、免疫療法がより効果的な療法だろうと思う。それに代替医療を並行して動かし、漢方、鍼灸が面白そうであり、後は薬物療法をどう考えるかを研究者に基本案を考えてもらい、結論を出す事に。週末は入院で、避暑である。
血液検査で白血球は2800程度、血小板が3万程度。それ自体はたいした問題でもないのだろうがそのことをどう読むのか、今後の治療にどう考えるかである。簡単にいえば抗がん剤にどう対応するかと言える。免疫療法療法もいろいろある。鍼灸も大きく言えば免疫療法である。いろいろな免疫療法は可能な限り長く続けてみようと思う。
昨日の血液検査で白血球数が減少しているのはそれでいいのだろうが、リンパ球の%が増加している。これも面白い現象である。続けている鍼灸の効果なのだろうか。
ガンの組織検査の結果では、目印となるものが40%、それにかけるのは危険なので、トータルな免疫治療を行ってはとの提案。それはそれでいい。かっては西洋的科学の権化でもあった自分が違う科学性を求めている。結局は哲学する心に逝きつき、哲学的科学こそが人間を分析し科学的な判断となる。40数年前に志した「哲学」今になるとそれが正解だったように思うのもおかしい。
Iが後継をどうするかといった。後継はない、それが結論である。すべてを公共のものにする。それだけの価値をつける。価値をつけた時、私はこの世を去るのだろう。そしてそれなりの人材群が、私を超えて行く。今までは後継を創ろうとした。そういう意見に応じた。しかしそれはすべて失敗だった。後継などはない、あるのは自分であり、未来である。まだまだおもしろいことがたくさんあり、前に向かう、ひたすらに前に向かい、そして前のめりで倒れよう、そうすればだれかが私を超えて行く、私の背中を踏みしめて超えて行く。超えて行く人材がいなければ、それだけのものであったのだろう。しかし、エースデンタルには自信がある。これは残るだろう、新しい歯科医療のパラダイムシフトを起こすだろう、ビジネスとしては海外に拡大が最低命題である。後は子ども達の成長のための健康医学をどう創造するかもある。負荷とは何かを考えることもその流れである。負荷、いい意味でのストレス、40年前に帰るのだろうか、ストレスとは何か?考えてあの頃が懐かしい。アメリカシカゴで悩んだ、どんな道を歩こうかと。
確かに抗がん剤でばてている。抗がん剤をどう考えるのか、難しい。でも考えることが楽しい、夏の暑さにばてているのが分かる。抗がん剤の細胞侵害に加えてこの暑さである。しかし食べている。副作用で味覚もトラぶっている。だから食べている。ふつうは、夏バテと味覚障害、食欲はなくなるのかもしれない。でも、食べている、味を確かめるためにドンドンと食べる。味は判らなくとも、美味しい。
抗がん剤治療9クール2回目の入院。いくら元気とはいえ、抗がん剤を入れると、身体疲労はある。暑さもあり、東京は疲れた。夜に熟睡するとほぼ疲れ自体は取れたが。抗がん剤による体力の減退はどうしても続く。抗がん剤は本当に難しい、医者にこれをオペレーションしろというほうが難しい。医学的な知識、生物化学的な知識、自然科学的な知識を持つと自負している、とそれに加えて多少は歯科での臨床の経験を持つなかで、自分自身の抗がん剤のオペレーションは本当に難しい。しかし、難しい故に興味がわく、がん治療は難しい故に私の新奇性を掻き立てる。よくぞガンになりにけり、であり、この年齢であることに意味があった。高齢になりなっても新奇性を持てなかったかもしれない。ガンを考える事があらゆる仕事に通じている。私ほど、ガンになりラッキーと思える人間も少ないだろう、身体的には確かにきついが、この程度のしんどさはまだまだ十分に乗り越えられる。それよりも、考えれることの楽しみが数十倍勝る。
ガンである事は未来への事業展開が難しい。アドどのぐらい…が常に頭にある、2年か3年か5年か事業展開には少なくとも5年は欲しいのだが、ガンを罹患していると5年は遥か彼方の感がある。しかし、そこで悩んでも仕方がないと、ふっきる事も必要であり、5年10年を目指して 67,72の年齢のゴールを目指して歩き始める。途中で倒れても前向きに倒れれば、それなりの意味を持つのだろうと、それを信じて未来に向かえばいい。前向きに倒れよう、それが気持ちを高揚させるし、より集中した動きになる。
ガンに罹患しステージがⅣゆえに、未来を目指す。どこで倒れるかは時の運、何事も、治療も、事業も、研究も、社会貢献も、ライフワークも、どんどん行こう前に向いて走り続ける、精一杯やりきれば、後は神の御心のままである。
どの様な運命であろうと受け入れる。運命に毅然として立ち向かえる人間でありたい。幼いころより常に心に刻んだ「神よ我に七難八苦を与えたまえ」である。
昨日に抗がん剤の点滴を終えた。1回目の3泊4日 明日には一度退院する。そして来週に2回目の点滴を終えて 面的治療の順部を始める そして8月に始める。金はかかるが面白い、ほぼ1年はこれで遊べそうである。あともどんどん遊び道具が待っている。稼いでも使いどころに困るのだが、このような事に使えるならば、頑張ってどんどんと稼ぐ。少しホットフラッシュぽい感じはするがいつもの事でステロイドで改善はする。
肝機能も炎症反応等々も問題はないが、少し血球が少ない。元々多い方ではないのだから、まあまあというところなのかもしれない、故に免疫療法がより効果的なのかもしれない。
昨日(7月20日)に入院して今回は3泊4日の抗がん剤治療を始める。これを2回繰り返して1クール1カ月、それにプラスして2クール目から免疫療法を始める。これ治療法を1年やってみようと思う。後、数個の対処法を頭に入れている。基本は体力であることは間違いない。ただ、まだ体力とは何かの命題の解決がついていない。運動能力ではない事は確かであるが。この事はアレルギーにも関係がある。
木曜日に退院し、日曜日は東京、そしてまた来週には3泊4日の抗がん剤治療を行う。束縛は原則は8日間だが盛って生き方によれば4日程度。抗がん剤はどうしても併用はしばらくはするだろうから、この大学以外にも候補があり、現在検討中でもあるのだが、免疫だけで解決もするのかどうか、面白いところである。
とりあえずは流れに任せてみようと,そんな一年が終わった。次なる一年は、免疫療法を行ってみよう。一般的な免疫療法に加えて、鍼灸などの免疫活性を高めるだろうといわれる療法を試してみよう。いろいろなことを経験できる楽しみ、若かった頃のように何でもしてみたい、何でも試してみたい、そんなことを毎日考えていたころに帰ったようでもある。あの頃は命知らずだった。何も怖くもなかった。そして今そんな気持ちに帰っている。少しからだの動きが悪い。膝も痛い。しかし健全な精神は健全な肉体に宿る。ガンの治療の方向も決まった。肉体を再度改善しよう。
ガンは多くのことの免罪符になるのもいい。僕が恐れる奥さんもガンは、少しは免罪符になっている。医者や関係者からは「がんばりましょう」と言われる、頑張る気はない。ただの、持って生まれた新奇性がガンってどうよ?と、好奇心が私の心を燃えさせている。「ガンには見えませんね、お元気そうですね」それも困る、ガンは僕の免罪符。
何か知らないものを求め続けた20代、30代、あの頃と同じ息吹を感じてしまう。
明日になるのが楽しかったあの頃、今も明日が待ち遠しい。あの頃よりももっと具体的な空想が楽しい。どう衰えて行くのか、どう死に向かうのか、そして僕の死はほんの一瞬だろうけど、どう響くのだろうか。
なにはともあれ一年が過ぎた。転移がんは数個はあるがまだ小さい。二人の医師は少し進行しているようだというが、僕自身の考えでは抗がん剤の効果は減少はしていないがそれなりの効果を見せていると思う。CRPが平常値0.1~2程度であり、画像診断だけの判断では変化に対応できない、とくに肺は呼吸により大きさが相当量変化するために、画像の変化がある。CTも所詮平面である。頭の中で立体的に読むことが必要である。私にはほんの少しだが縮小しているように見える。2人の医師とは逆であるが。
1~2クールでは劇的に効果を示した。しかし容量を減じた3~4クールではその効果は少し減少した。そして5,6クール 少しの変化のなく 小さながんの増加があった。そして7、8クール、明確にはわからない 医師の言質では ガンが3個ほどあるという。前回の話では、本人は忘れているのかもしれないが、4個であり、上記したように大きめの1個は私の判断ではわずかに縮小または拡大はしていないという状況にある。
通常の考えでは、抗がん剤を効果を示したファーストラインを試すべきだということになり、それには異論はない。ただ、抗がん剤を経験してみて、ガン剤に対するいろいろな意見にほぼ結論的な考えを持つようになった。詳細はまた異なる機会に記するが、簡単には抗がん剤は効果がある。本来の効果はあれほど低いものではない。しかし自己治癒力が問題である。自己治癒力が相当落ちた状態での効果は低いし、同時に身体への異害作用の方が強くなる。人はがんというものに死をイメージする、助かりたい、多くの人は抗がん剤に頼る、しかしその時点では抗がん剤弊害作用が強く出る。簡単なメカニズムであり、標準的な治療派も、抗がん剤反対派も、それが分からないのか不思議だ。エボラもそうなのだが、受け手のレベルの問題が常にある。それに心理が被さる。さてさて、ガンもおもしろい。
昔から刹那的だったと思う。目の前のメリットしか不要だった。幼いころ小児喘息で苦しんだ。何回も死んだ方が楽だと幼心に思った。また、このまま死ぬのかもしれないと思うことも発作の中で何回も感じた。
死を見ることは嫌いだった。でも死を恐れることはなかった。
今を楽しければいい、父も母も八十歳を優に超えて生きた。僕はそれほどいきれない。しかし生きることは時間の問題でもない。いかに生きたかが大事だと思う。生きる価値は死後でもない。今をいかに生きたか、自分の中で満足できれば幸せである。今の毎日に後悔はない。
僕にもしものことがあれば…、おそらく問題はないのだろう、それを心配する必要もない。僕が今を精いっぱいに生き抜けば、もしも・・残された人たちは僕以上の逞しさを持って歩き続けることだろう。僕の後を心配する必要はない、今を精いっぱいに生きることが大事なのだろう。
誹謗中傷の裁判も和解に進もうと思う。もう飽きたし、終わったことである。終わったことはそれで終わり。彼もそれほど悪い男でもない、思い込みは強いが、それだけいい人間なのだろう。すべては明日に向かえばすべてがウエルカムである。虫唾が走る人間も何人かはいるがそれ以外は、過去はすべて忘れてウエルカムでいたいと思う。ガンであろうが無かろうが齢62になり、残された時間はそれほどはない。僕にもしもの場合はどうするのかとの心配は無用である。みんなが力を合わせて、より良いものにしてゆく基盤を作ればいい。後継者もいらない、僕の変わりもいらない、みんなが前向きに生きていけるそんなムードを作ればいい、そのためにはすべての人をウエルカムである。ウエルカムの人々が切磋琢磨して、新しい明日を拓くと良い、想いもいのちも絆もすべて継続する。
去年の夏はほとんどが病院だった。あと何回の夏が迎えれるのかは分からない。目標は10回である。ただ、衰え出すと一気に衰えるのも事実だろ。しかしそうはいかない。僕には体力・気力そして知力がある。そして松明を次なる世代に引き継いで人生を終わる、それまであと10回の夏を生き抜こうと思う。
もちろん頭に一部には、後1~2年なのではとの想いも確かにあるのだが、それも含めた上で、生き抜こうという体力と気力=意欲もそして知力がまた必要なのだろう。
水無月が終わり、文月になる。まだ梅雨空は続く。
おそらくは人生の中で最も充実した日々を送っているようだ。毎日の業務の中で集中しているが、ふと気付くと自分はステージⅣのがん患者であることを思い出す。少し分野は違うが毎日が歯科医学の執筆等の仕事に追われているが「ガン」という疾患にそれほど遠くもないところで思考し考察しそして実務を行っている自分がおかしくなる。治療法の開発の度合いは別にすると、現状レベルではそうは長くいきれないだろうし、「長生き」という言葉自体がガンに罹患する前から自分の辞書にはない言葉であったが、現実として具体的な面で、長生きは全く概念としてではなく、自分の中では存在しない。今の仕事にどれほどの時間が必要なのか、現状では1年から数年、宿題や試験と同じである、期日が見えると捗る。死というゴールがある程度見えていると仕事も捗る。面白いものである。60年間得たことを残しておく、それは自分に何らメリットはない。それが私が求めた人生でもある。残したものが有意義なのかそうでもないのかは、私は知ることもないのだろう。その時は天然の向こうに帰り、「無」となっているにしか過ぎない。私を創った父も母も今は無になり、私もまた近い将来に無になる。
なんでも面白がる、七難八苦をおもしろがり楽しむ。ガンであることも面白く楽しい、いろいろな経験ができることがまた楽しい。昔からいろいろなことを経験したかった、何にでも手を出した。それは金銭欲も名誉欲もなく、ただどんなものか知りたかっただけだった。ガンにり患した。思いもよらない出来事でもあったが、単純な胃がんや肺がんでないところもおもしろい。抗がん剤治療を楽しみ、入院生活を楽しみ、これからの日々を楽しめる。無になる日を目指して私は充実した日々を送る。人生の最後に近くなり人生また面白い。
6月23日 兵庫医大でCTを撮影、血液検査も。CRPは0.2、歯っ研究は少し少ないが3000台、抗がん剤治療ではまあまあなのだろう。CTは、5ミリ程度のものが2つ、以前からある、くびれのあるガン10ミリ少しのものが1つ、抗がん剤で抑え込まれているのか、少しづつ成長しているのか分からない、ということは7.8クールの抗がん剤の効果もわからない。3月の時点では3つばかりの話だったから今は3つなら1つは消失しているらしい。5ミリ程度の小さな影は消失するのも早いようである。なにはともあれ、今回の抗がん剤もそれなりに効果があったのだろう。
もう一歩治療を前に進ませるには免疫療法を加える手であろう。従来の免疫用法から新しいPD阻害薬まで、今後いろいろな選択肢が出てくるのだろう。7月2日に免疫療法の検討することになった。
「前に向かう」少しづつでもいいので、前に向かい歩き続ける。そうすれば可成れず物事は解決する。6月11日は、誹謗中傷の裁判の証言の日であった。まったく後ろ向きの、だれもが得をしない裁判である。そしてO君がやってきた。これも後ろ向き、解決を求めるものではなく、母親が家内に電話してくる。これも後ろ向き、後ろ向きでは解決はしない。このことはK女史のおかげで少しは前に進むようでもあるが、本人そして彼の母親には、これからも手がかかるのだろう。しかしこれはもう私においては終わりである。彼らとのつながりはまったくなく、ビジネスでしかない。後ろ向きな流れは、たとえ解決されたとしても、味気ないそれだけの存在になってしまうものでもある。
仕事もみんなのおかげで順調に動いている。もちろんもっと拡大する必要はあるが、少しずつである。急がば回れ、急がず進む。
抗がん剤治療は今年一年はしてみようと思っている。試行錯誤だが、実体験の中での勉強だから時間がかかる。集中的に勉強すればあっという間に専門的なレベルには行くのだが、今のところその暇がないし、私でなくてもいい様な時代背景にある。このまま人体実験的に勉強してゆく程度でちょうどいいのかもしれない。
2週間目の投薬が終わり 1週間後の投薬でサードラインの2クール目 合計で7.5クールの投薬である。そして至って元気である。もう少しくたびれた方がそれらしく低位のだろうが、シスプラチンは少し答えるが、セカンドラインとはくたびれ方が違う。2クール1カ月の旧約での体力強化が一番いい様に思う。新しいPD免疫療法やいまアメリカでの治験にある近赤外線を使った抗がん治療が今後の主流となって、本当にガンを消滅させる治療になるのだろう。抗がん剤は長かったがあだ花であり、緊急避難的な治療法であった様に思う。
10年を生きる、ステージⅣのガン罹患も、10年は生きることができる、そんな生き方であり、治療法を自らが開発しよう
ガンが遺伝子のスイッチミスが原因なら、スイッチのレベルを研究する自分には格好のテーマであるように思う。
治療自体、臨床自体は僕の仕事ではない。専門家がたくさんいるし、今まさに怒涛のようにその解決治療法が開発されそうに思う。語句の役割は、生命体の基本である、体力・気力・知力はどう成長するのかに関係する事項である。
そう長く生きれそうもないし、長く生きたくもない。ちょうどいい塩梅で、グッドバイ、そんな人生でありたいし、ありそうでもある。ガン様さまでもある。
何を成して逝くのか。思い残すことなくいければそれでいい。
① 細胞と負荷の関係 よりよく生きるための負荷について
② 進化から見た顎口腔系と全身との相関について
③ 顎機能学について
この3つの基本事項を、世の化中パラダイムシフトを起こしてて、残したいと思う。
そして 1、子ども達の成長の基本と暮らし
2、なぜ食育と口腔育成なのか
3、専門家の為の食育と口腔育成マニュアル を残しておこうと思う
最後に生業となった
各種歯の移動と口腔育成のための装置と臨床に関する項目
を残して、さっさと、この世の中にサヨナラをしよう。誰にも見られる必要もなく、自分が生まれ生きてきて、そして無に帰する、その一つの証として残しておこう。
著名人がガンでここ数日なく亡くなった。死が怖くもないが、気にはなる。残された日はそう長くはないのだろうから、想いの限りに生きて行こうと思う。自由気ままに生きて行こうと思う。世の中のすべての束縛に関係なく、生きて行こうと思う。
金が欲しいわけでもないが、生業も一つの目的を達成して終わりたい。特に海外での事業を始めよう。24歳の春にアメリカに行きたい、海外に目を向けたあの日の様に今年は海外に目を向ける。
事業は特許も何も取らない、そしてそれは世界で自由に使えるようにする。歯科治療の新しいパラダイムである。年商ベースで「50億」ぐらいだろうか。ACOでトラブル前は年少10億円をその年に、目指そうとしたのだから、そのぐらいは行きたい。
月末に多くのガンで著名人の死が伝えられた。第六感的に思ったのは抗がん剤である。今自身も抗がん剤治療を行っている。この治療は治療側に臨床力がいる。臨床力とは治療力である。抗がん剤は効果があることは確かである。ガンの種類により、ガンのメカニズムに違いがあり、その薬の薬理的メカニズムに合うか合わないのかがありそうではあるが、まったく効果のない事は考えにくい。私の第2クールに効果がなかったということになっているが、一度時間が出来たらこれまでの経過をじっくりと画像を追いながら考えてみたい。しかし、ガンのような種類の薬は生体には基本的には有害である。簡単には毒を持って毒を制するのがこの種の治療である。毒の使い方である。
毒をどう使うのか、標準医療に慣れてしまうと、臨床力が落ちてしまう。それがガン治療における大きな問題点であろう。現状どうすればいいのか、今のところ策はない、自分自身の体調と抗がん剤の意味を考えながら、治療を行う、ガンを一気に消滅させるのではなく、体調との兼ね合いを求めながら、ガンを諫めてそしてガンと共存しながら、本当にガンを消滅させることが可能な方法と時期が出現すれば一気呵成にそれを行う。それを医者に求めるのは酷である。そんな教育を受けてはいない。現代医学教育の盲点である。それならば利用するのは、やなりITなりの文明の利器なのであろう。
昨日から8クール目、サードラインの抗がん剤治療が始まった。そして週末は東京で楽しい夕食をした。どうもそう簡単にはくたばるわけにもいかないようである。
作家の車谷長吉氏が亡くなった。69歳であった。西行法師にあこがれ、世捨て人を目指して、最後は詩人の高橋純子さんとの夫婦の日々に生きた人であった。僕も世捨て人にあこがれた青春であるが、彼ほどの事は出来なかった。今も心の中に「世捨て人」への強い憧れがある。でもできない、父三平は、うまく世を捨てながら、巷と折り合いをつけた人生を生きた。そうもいかない、僕の方が不器用である。彼は人との戦いは起こさなかったが、僕はどうしても起こしてします。「世捨て人」基本的な能力が欠如しているのだろう。憧れだけで終わると思う、それも人生である。ならば、自分の体が自分で操作できなくなる日までは、(その日が来ればおさらばであるが)巷のど真ん中で生きて見るのも面白い。世捨て人の心を抱いて、巷の真ん中で生きてやろうと思いだした。もっともっと闘おう!想いのほどを叫び、世の中と戦い、ドロドロの時を送ってやろうと思う。そんな初夏の日々である
マウスピース協会に対するひぼう中傷のブログ等の裁判が始まり1年半がたつ。もう季節も2回目を繰り、新鮮さもなくなり、どの様な結果になっても、誰にとってもプラスなことはなくなった。 一言でいえば飽きたし、時間の浪費でもある。被告の陳述書を読んでもまあ、被害妄想というのかそういう感覚になるのだなあと、面白くもある。と言って、どちらでもいい感じもしないでもない。反論はと言われても、反論に値しない事を考える方が時間の無駄でもある。そして裁判はどちらに転んでも私にはそれほどの影響はない、結局は真実は何かということでしかなく、時間がたてば真実が真実になる、虚実はいくら言いつくろっても言い飾っても、虚実でしかなくなる。そんなものなのである、世の中はうまい事なっている。その時間が長いか短いかの問題で、これほど文明が進むと、その時間は昔に比べれば著しく短縮している。
悲壮感のない抗がん剤治療のサードライン、8回目の治療を終えて一度退院10日ほど休薬して、8回目の治療を行う。通常サードラインまでいくと、普通はもう手の施しようのない…と、いうことなのだろうが、期待に添わず元気である。ガンになり本当にどうなのかと言えば、楽しくはない、でも面白い。これからも面白おかしく生きてみよう、このままだと死期も明確に自覚できるだろうし、生物学医学に生きてきたのだからそのぐらいはわかる。そして市までの間が面白そうでもあるが、それまでの期間例えば2019年までの5年間はかけぬけてみようかと思う。そしてそのあとは死に向かって、謳い、叫び、詠み生きるのも面白そうである。
6日に退院し、きょうは10日、3日ほどしかたっていないのに、多くの事をまた見つけた。毎日が本当に面白い。15日は東京である。また新しい発見がありそうで面白い。
前のベットのおじさんの奥さんが泊まり込んでいる。生殖だけを目的とする。生きる事、生活することを助けあうことはほとんどない。
人間ではほとんどの夫婦が、子育てが終わった後、長く共に生きる。
多くは女性が楼記の男性を支えて生きる。その期間にそれまでの長い時間以上に、つながり、きずなが強くなる。そこには子供も存在しない、老いた二人が強い繋がりを築いてゆく。そして「死」という別れに向かって時の流れを歩いてゆく。生まれ変わったらどうすると聞かれる、誰もが答える、また同じ夫婦で生きると。僕の場合はそれ以外の選択肢はないのだが、彼女は違う選択をするほうが幸福なのだろう。
ガンの罹患は本当に自分にとってどうなのかを思う事がある。負けず嫌いで、ガンになってよかったと言っているのだろうか、と思う事がある。しかし、「武士道とは死を自分で決める事である」という人生観に於いても良かったと思うし、介護を受け、自分の尊厳、動物としての意義を失して生きるなくてもいい、そして「死」というゴールを実感して夫婦を生きる事が出来る、等々。やはりガンへの罹患は本当に人生の最後を充実感を持たせてくれると思う。体力、気力、智恵力を5年は維持する事が出来そうである。やらねばならない事がある、石にかじりついても生きるが、それ以上になると、どうなのかなあ、と今の時点では思う。
歯科学の新しいパラダイムシフトを口腔育成の保育における重要性を、世界に残すことにチャレンジして行くのだが、アイデアはないのだが、医療の世界それもガンにチャレンジしたい気持ちもあるが。いい加減な、自然科学ではない対象は原則あまり得意ではない、自分を対象にすると言っても、自分自身は非常識の人間であるから少し無理がありそうだ。
昨年の5月8日にがんを告知された。1年が過ぎた。まだまだ元気だし、まだまだ寿命は続く。人生は面白い、人生は楽しい、僕は幸せな日々を過ごしている。しかしいつか生命の尽きる日は必ず来るのだろうが、ただ言える事はその日は自分で決める。生命の原則は終わることである。自分の生命は自分で決める。そして幸せに終わる。
とはいえ、ガンよりも膝が問題と思う、膝をどう治すかを考えよう。ガンはステージⅣだろうが、自分の生命とは直接的に関係はない。それは奇跡ではなく必然である。
種を存続させるために長い歴史で得た経験上の最適な生と死の循環の平均値が種の寿命である。種を存続させるために「死」があり、実に最高の存続の方法でもある。故に死は生の為にあり、人間以外の種に於いて、言い換えれば個体性を持った人間以外の動物に於いて、死を考えるなどの必要はないといえる。しかし、個体性を持った人間は、人から人間となり、個体の存続と消滅に一喜一憂することになる。
しかしながら、人間も人間以外の動物の本能性を強く受け継いでおり、その個体が、例えば私が死して、無機質なものとなった時、多くの人の意識から時間とともに忘れさられる。残された人々はどうなるのか、それなりの個体性を持って生きてゆく、それほどの心配はいらない、世の中はなるようになる。成るようになってゆくのが世の中でもある。
30歳代のころ「幸せって?」と、日本のトップクラスの宗教家のみならず、世界のイスラムやキリストそしてさまざまな宗教家から哲学者に問うたことがある。誰もが私の心を揺さぶる言葉を発しなかった。そしてある日父に同じ質問をした。「幸せと思えば幸せだし…僕はどこにいてもどんな時も幸せだ」と。
一つの生命体、人という心理的な存在を持つ生命体の生きる期間は短い。長くともほんの100年程度である。生命体にはそれなりの寿命があるが、それはその週に於いてその寿命が適している状態であるといえる。その基本的な要因は「種の存続」の基本目的がある所以なのだが、
生まれて死ぬ、それが生物の宿命である。立花隆氏が、NHKsスペシャル番組で「臨死体験-死ぬ時心はどうなるのか」を考えている。死ねば、存在がなくなる、死ねば無機物になる、無機物には心理的な代謝はない、それは存在がなくなるだけの事である。無機的存在と有機的な存在の違い、そして有機の中でも脳的存在がある種と、存在がない有機がある。そして人になった時、人だけに心理的な存在がある。しかし心理的存在の行為に思考的存在があり、それは智恵力ともいいかえることになる。
思えば長い時間を色々な事をしてきた。その中で医療と科学の間を行き来しながら生きてきた時間も長い。どうしても医療にはなじめなかった、基本的には好きではない、語弊はあるが頭より肉体労働、そんな仕事はもともとあまり好きではないのだろう。
抗がん剤を投与すると、どうしても体が衰弱はする。通常の生活ではそれほどわからないのだが、ウオーキングなどをすると息が切れるし疲れがです。しかし、コンクールからは早朝少し散歩を始めた、5月からは朝晩の散歩をしてみようと思う。食と休養そして適度な運動が体力の基本である。
1年がたち、元気である。左側の腎臓から尿管は摘出している。それ以外変化はない。肺に4個ほど小さな転移がんがあるらしい。抗がん剤は3種類目、クールが明日で終わる。ちょうど4週で、次のクールを続けてもいいし、少し時間をおいてもいいし、というところである。
5月になった、連休が明けて、ちょうど一年前に腎盂がんの告知があった。肺への転移があり、病期で言うとⅣ、平均的には5年生存率は10%程度という。5年生存率をどこから測るのだろう、医療の医療のいい加減なところなのだが、このいい加減さに気持ちが参る事もある。医療が自然科学の本家だと思いがちだが、医学はどちらかというと人文科学的であり、自然科学としては結構いい加減である。
昔でいう、昭和で言う、天皇誕生日であり、今風には昭和の日という。今日で抗がん剤の点滴が終了、Mvac療法という多剤の抗がん剤での治療の1クールが終わる。これまでの抗がん剤の結果をくわしく見ているものでもないが、それなりにこれまでの6クールは結果は出ているように思う。転移性の肺がんはいつくかが発現する。 成長が停止しているときその効果はないのではないだろうか。そして発現し成長した時抗がん剤が効果を示す、ということなのだろうか。次回からは画像をより詳しく見て行こう。担当医師を信用しないわけでもないが、自分の目で見て判断する事も、CTを学んだ事もないが、少し興味が出てきたようだ。
命の限りを感じながら 死を見つめて、」短詩をうたう日が来るのだろう。その日の為にもう少し日本語を学んでおこう。命の限りに謳う日の為に。やつれて、命の限りを感じながら、血を吐くように言葉を吐く、その日が来る事が楽しみでもある。
60数年生きてきて、いろいろなものを学んだ、そして考えた。もっと学ぶことが山ほどあるのだが、もうそれほどの時間はない。それが残念なのだが、学んだもの考えたものは、次世代の少しでも参考となるように残しておく事が人の一つの役割なのだろう。限られた時間の中で重要なのだろう。いくつかのホームページに残して、そして同時に歯科医療界に、保育界に色々な方法を用いて残してゆくことになる。その事にどれだけの時間がかかるのだろうか、3年、5年10年、それはガンと共存するという知恵を出すことにもつながる。そしてその思考の中で、おそらくは最後になるだろう一つのテーマが見えそうでもある。細胞遺伝子のスイッチ」色々な角度でそれを切る事ができる。
歯牙の萌出=汗腺の成長 ・・・皮膚免疫
唾液腺の成長 唾液腺の成長
↓
自律神経機能 基礎は
血液等の免疫機能
食する意欲 ⇒ 新奇性
攻撃性 ⇒ 群れる社会性
生活意欲 常識的な行動
協力的な行動
規制的な行動
この成長の中で細胞の遺伝子たちがどうスイッチが入りどのレベルがどうの様な状況に至るのかを、より基礎科学的な検証が求められる。そのためには研究所の設立と資金がいる。食育・口腔育成研究所を・・夢に終わるか、いや研究は次の世代に任せるとしても少なくとも研究所の設立までは行おう
そして
口腔状態は全身の成長を導く
口腔状態は口腔の廊下を導く
の二つのテーマもより普遍的な論証を行わねばならない
ガンである以上に、老化という限りがある生命である
かっこよく死のう、日常の生活の中で、一瞬にしてこの世を去ろう。そんな毎日を送るためには、毎日の変化を求める事が必要になる。
毎日が変わる、変わり続けることが積み重なった時、物事は大きく変わる。
成人用マウスピース矯正装置「SAKURA」はおそらく世界一のシステムを含有する装置だと、自負できる。その意味を今後数年かけて残してゆこうそしてこれを使いきれるかどうかは、製作する技工士と治療する歯科医師次第である。このイクイップメントはあくまでも装置であり、医療機器とは違う。
口腔育成システムは、世界で初めての考え方である。但し、子の口腔育成はまだ未完成であり、この意義が全身に及ぶ事を論理的に説明する構築作業が残っている。臨床的な試験を繰り返して、構築しなければならない。そしてその延長線上に新しい命題がありそうに思うが、今はそれが何か分からない。ガンがイメージ上にあるのだが、もう少し思考を続けよう。
装置関係は、すべて公表する。すべて口腔基礎科学研究所のホームページに記載する。多くの人が参考にすればいいし、それが改良されて大きく変化するのもまたいい、私は老いている。独り占めにするほどの時間はない、
遅くとも来年には海外に進出する、日本の技を売り物にして。
おそらく生業も大きくこの1年2年で変化する。細かな事に気を使うことはない。おそらく1年後の春には、すべてが一新されている事だろう。
4月13日 昨日まで外泊、入院1週間の経過、週末は結構身体的には疲労感があったが、思うことの多い時間であった。一年後の状況は大きく変わっている。この年の暮の変化以上に。変えねばならないし、変えることがより良いものとなる。そのためには、今は黙して進むしかない。もう決めた、その線は崩さない、変える、大きく変える。
慣れたというのか、気ままもありというのか、入院生活もそんな自由度があると、セリエ博士ではないが、ストレスも「スパイス」である。6時朝食、12時昼食、6時夕食、そして9時就寝で5時に起きる。1日中机に向かい、仕事をして、たまにはこのような職を中心として規則正しい生活が体にはいい。確かにストレスもあるのだが、このストレスを「スパイス」と考えれば、またEustressとしてのストレスが増えたともいえるし、以前はこれがDistressだったのだから、なれというのか心の持ち方というのか、心の持ち方一つといえるようだ。
事業の完遂に、壁を設定すると、あと1年が家族のため、3年が海外事業のため、そして5年が一つの売り上げの壁をくりあーする、と思ってきた。しかし、子供のこと 大規模調査の答え出すのに、調査が2年とb運席1年にレポート1年、少なくとも私の仕事としては4年がかかる。成長の話を残すのンも3年程度か?食育口腔育成口腔育成の概念とその装置の製作などでも3年程度?マウスピース矯正の基本と応用と技工も3年、
3年では短い、5年か。
ガンの発見から生存率が2年で0に近いというレポートもあったが、その時に思った、レポートのアバウトさにいまさらながらに、その掲示が本当にいいのかどうか疑う、ということは、ネガティブさに人間は弱い。
確かに、知ることがアメリカナイズしていて、表面的にはいいようにも思えるが、人間の心理がそれに耐えれるのかどうか、おそらく耐えれる人の利率は大変低いだろう。心理をいかに読み流れそれを伝えるのか、一般の医師にはそれは無理である。心理学を学んだ専門家にゆだねるべきだろう。
生き抜く基本はやはり体力、気力、知力、人間が人間であることの意味の力でもある。おそらくそのあたりに答えがありそうでもある、それを科学的な論理にどう落とし込むか、5年は少なくとも思考がいる。そして5年の論理構築がいる。10年か?
ガンを思考することを始めたら、言うだけではなく、私自身が生き抜く10年を実践することも求められる。普遍的に、平均値としての10年、その10年の意味は、私の年齢で10年
若い人ならもっとである。私の年齢では私の価値観があるからの設定で、介護年齢までというだけの意味になるだけなのだが【笑】
それをやり始めるか!世界で私しかできないという高いぷプライドを持って。命をかけての挑戦だからより面白い。ただ、ストーリーメーカーとしては、生命は紡がれ続くことを忘れてはいけない、医学は生きることを求め続けるが、私は死ぬ意味も生きることに常に考慮しておかねばならない。
村上千幸山東保育園園長は35年来の友人である。彼と2009年ごろから子供の成長について共同研究を続けてきた。彼との何気ない食事での会話が私にあたらしい研究活動の種を与えてくれた。1970年代から本当は1960年代かららしいが、子供たちに少し筒異変が生じていた。解決は30数年の流れの中でなされず、状況はより悪化していた。村上園長との食事から約5年が経過し、私の立場では、ゴールはある程度見えている。それを具体的な社会活動に落とし込む、それが彼の仕事である。これは大変力がいる仕事であろう。彼の立場で言うなば「暮らし」を現代社会でいかに実現するになる。
私のゴールはほぼ見えている。今年中には私の分野の中での具体化を終えたい。装置そして食育指導の具体化である。そしてそれに平行して、論理構築をしておかねばならない、具体的には「負荷=ストレスと成長の相関」ということになるのだろうか、一年ほどをかけて、構築して残しておく作業がある。同時に「大規模調査」の答えを出す、3年計画だから来年まで続く、私には調査は大きな意味があったが、調査の意義を研究者にも保育園にもそして誰よりも保護者と子供たちに見える形で、成果を持たせていかねばならない、ということで、この分野においてもあと、少なくとも今年度から3年は生きてゆかないと義理が果たせない。(笑)
そして、子供たちの成長についてある程度のイメージがつかめたところにガンである。ガンもまたその解決策がない。子供たちの状況と、本当によく似ている。エイズのような、エボラのような外部からの侵襲ではない。外部要因における疾患の解決の研究方向はある程度確立しているともいえる。しかし内部要因による疾病や成長の問題については、自己免疫疾患等もしかりで、研究方向が見えていない。
偶然というのか、その機会が与えられてのだろう。自分の命をかけて、求めてみるのも面白い。抜本的な解決方法が提示されるには時間は必要な感じがするが、私にできることはその道筋を示す、解決へのストーリーメーカであらんと、心が燃えている。思考し続けること、、思考をやめないこと、そうすれば必ず、答えは見えてくると信じて進もう。より多くの人々をいやすために、方向さえ示すことができれば、私の役割は終わる、村上園長のような力と知識で世を変える人が必ずいる。その人に引きつけば、私の仕事は終わる。
これまで、いくつかのストーリーを描いた。セーブザチルドレンはまあ年齢が若すぎて、しかるべき人に引き継ぐのができなかった。後悔はあるがそれなりに大きくなっているのだからいいだろう。そしてマウスピース強制は、普遍的な広がりを持たせることにした。特定の人に引き継がず、知る限りの情報を公表して行く。
「ガン」相手が相手だけに面白い。自らの命をかけるだけにまた面白い。いかなる時も楽しむことだ。そう思って生きてきたし、そうなったし、これからもそうして行きたい。
今年になり、2回のセカンドラインの抗がん剤治療を経て、自分なりに医療に対する意識が大きく変わったように思う。抗がん剤治療は相当身体にこたえた。抗がん剤治療そのものについての考察は右側に記載するとして、この間に多くのことを考える機会があった。同時にこの期間は、jこれまでのライセンス契約で対応した、オールクリアーオルソ、そしてSNラインとは異なり、エースデンタルジャパンは自分の個人商店であり、個人が利益に直結する。
自分に利益もそして責任も直結することは、いろいろな意味でプレッシャーになり、いろいろな思考を行うことになる。そして、手前味噌であるが、今どのような症例にも対応できるシステムとしてのマウスピース矯正と理屈としての小児口腔育成は完成したと思う。小児口腔育成は歯科医療からみた面は8割がた完成したと思うが、保育めんらかの視点はまだ色々と考察しておかねばならないことも老い。そしてこの考え方は世界が相手においても、他社との比較として相当レベル上位にあると自信を持って言える状況になった。そして海外に出る。子どもたちの成長をリセットする。その自信は十分にある。故にあと10年は生きなければならない。私が10年生きることは、自分のメリットよりも、多くの人に、個人にメリットを与えられそうである。5年で何とかなるように思ったが、10年が必要なようである。10年すれば70歳を超える。そろそろ介護が見えてくる、介護は私の辞書にはない。その前に生命の炎を燃やしつくそう。何が何でも10年を生き抜く、そのためにはどうしてらいいのかのか、考え実行に移し、そして動こう。
生物の宿命として、いや存在はすべてにおいて老いる。鏡に映った老いた自分をみるのが嫌になる。死は当たり前のことのように受け入れられる。思い残すことは家族だけで、それ以外明日死んでもいい。生きるだけ生きた、自分のための人生はもう充分である、家族のために多少のものを残せられれば、思い残すことはない。しかし、老いたくはない、ひざが痛い、動けない、昨朝、芦屋川を渡ろうとして川に足が落ちた。左足が踏ん張れなかった。惨めだった。老いたくはない、老いる前に死ぬべきである。それが生命としての定めなのだろう。今しばらく、想いを多少築き上げて残して、老いが確実になる前に、去りたい。
今になり思うことは、下記したいろいろな出来事は、私にとって、結果オーライであった。その都度、いろいろな状況を改善できた。マウスピース矯正や小児口腔育成のテクニカル的な面や、またITの問題など、その事件があった故に大きく展開が変わった、多くのものを得ることができた。ガンの罹患も自分には多くのプラスをもたらしてように思う。考える時間、思考するテーマ、命の時間との引き換えかもしれないが、得るものの方が大きいように思う。命と引き換えに時間は確かに減少したと思う。しかし、与えられた時間内で、多くの事項を残していこうと思う。その一つ、入れ歯の事項もまた浮上してきた。望むものではなかったが、歯科医療に携わることになった私の原点でもある。母親とフランク先生、この二人の稀代の「入れ歯師」に出会えてことがすべての出発点である。私は歯科医師ではない、入れ歯師である。マウスピース矯正装置やら口腔育成装置やら等々はあくまでも入れ歯師の延長線上の考え方をののべたにしか過ぎない。その程度の貢献である。二人の入れ歯師の思いを残しておくこともまた私の仕事なのだろう、神から与えられた時間が少ないだけに、心が騒ぐ、急がねばならない、60数年を生きてきた。多くの先人先輩たちから多くのものを与えられた。それを次世代に残してゆかねばならない、残された時間がない、残しておくものは山ほどある、先人先輩に感謝する、故に楽しい。命を削っても残す時間を大切にしたい、それが私の生きてきた証拠だから。私の命などさしたるものではない、次世代に残すことそれが意味を持つ。神よ私にそれだけの時間でいい、それだけの時間を与えてほしいと、思う。
ビジネスは難しい、マウスピース矯正も2回にわたり、トラぶった。5年前に破産手続きをして、それ以後前面に出ないでおこうと、ライセンス契約だけの立場であり、最初はS氏一族に、2回目はF・O氏に経営権を任せ、一歩引いた立場で、協力してきたが、結局は双方ともに多くの負債を残されて終わった。2回目か、事後処理に追われながら、再出発。飽きないと言えば飽きない毎日で、ガンでくたばっているわけにもいかないのが正直なところである。
芦屋で歯科医院を始めた時、世間から相手にされない状態だった。借入金はできない、現金払い、運営が大変だった。規模が小さいからよかったが、無スピーす矯正は大きくなりすぎた。故にビジネスの動きを妨げると思いい、マウスピース矯正では前線から距離を置いた。しかし、結局はうまくいかなかった。負債だけが残りまた再出発である。今はステージⅣのがんでもあり、制約がまた増えた。借入金ができない、に加えて信用がない、私の名前で彼らが動いているから世間はその気になっている、そしてガン。
財なし、信なし、身体は病なり、まあ、いいか、開き直るのが私の性分である。人に何を言われようが、人にどう評価されようが、芦屋で歯科医院を開設し再出発をした時も思った、毀誉褒貶は人の言。倒れても立ち上がりた取れても立ち上がり、その都度強くなれるし、その都度大きくなれる。さあ、また歩き始めよう、家族のために、仲間のために、そしていま日本の子供たちが私を求めていると信じて。前面に出て、旗を振ろう、前面に出て動き続けよう。
倒れるのが先か、軌道に乗るのが先か、5年後年商50億を目標に
口腔科学は難しい、ともすると大工仕事にもなり、訳の分からない代替医療に巻き込まれがちになる。口腔内だけに話を絞ることと、口腔が関連する諸問題はまずは分けるとして、口腔外に関連する事項は、確かに目を引く。しかし、大それたことはないように思う。食育と食生であり、口腔育成と口腔機能改善でしかない、そのうえで身体のバランスに大きく関係するという点がある。歯列咬合は生涯を通じて移動をしながら,動的な平衡状態にある。その平衡状態が問題である。平衡状態にならないあるレベルを超えた場合、動的な異常状態を引き起こす。整形的な問題はわかる。単なる幾何学の世界である。しかしたとえば自律神経系の改善などはなぜ起こるのだろうか。膝の痛みは幾何学的なバランスの問題であり、ある程度の根気があれば改善に近づける。Beam onで痛みを緩和しながら、形態を変え、その原因である筋力をつけて行く、全身的な筋トレ等も行うと良い。これは100%とは言わなくとも、それなりのレベルには、年齢等に即した求めるレベルには改善するのだろう。
三ノ宮の噂の整形に行ったが、治療自体は変わり映えはしない。基本的には完治しない。という疾患は確かにもうかる。医院自体は盛況であった。昨日は宝塚市立病院に、同級生の柳澤先生を訪ねて、インプラントの除去を依頼した。彼もまた大変忙しそうであった。医療機関は特に医院が増大している歯科医療機関では、ビジネス感覚が大きく経営に左右する。人のマインドを捕まえる、今という時点の風をいかに捕まえるか、そんな時代である。目の前を吹く風である。その風を捕まえるには今の状況を短時間でそして適格に判断して行動に移すことが求められる。
老いたくはない。老いが自分に覆いかぶさる前に天然に去りたい、いや去ろう。そのためにはガンにり患した事をある意味幸に思う。肺には1センチ程度の転移がんがある、これだどうなるかはわからない。しかしそれに対処する、抗がん剤かもしれないし、無治療かもしれないし、手術かもしれない。寿命とがんと仕事と生きがいと、それらとの折り合いをつけながら生きて行く、自分の意志の通りにいけるか、自分の意思をガンが上回るかわからないが、いまは堂々と自分の人生を歩く。どう折り合いをつけるかはその時その時の風のままに。
少しずつ、朝のウオーキングを伸ばしている。今週は2キロ半から3キロコースを、来週は3キロから3キロ半コースと。体力も少しづつ回復している。身体を鍛え、体力をつけ、ガンとともに生きて、生きれるだけ生きて、しっかりとした生活としっかりとした仕事に全力で向かおう。
朝はウオーキング そして 青汁と野菜サラダ に ヨーグルトにVC1000㎎、そして滋養強壮ドリンクにココナッツオイル
しっかりと取ろう
昼は 野菜サラダにおかず
夜は 野菜サラダにおかずにココナッツオイル
VC1000㎎
炭水化物はほんの少しか付き合い時に摂取
後は少しづつトレーニングを
少しづつ温泉でのリフレッシュ 週2回 脱毛次第だが
膝を治して ホノルルを目指そう
芦有道路を少し上がるとライト氏の設計した建築物がある。その駐車場までが第一ステップ、次に正門に、そして今日はその上の山手小学校まで歩いた。急坂はきついが、昨年夏からの抗がん剤治療も半年続いた。抗がん剤は体力に相当のダメージを及ぼす。最後の投与から一カ月が過ぎた。少しは体力は回復しているようだ、とは言え、メーターに例えれば10%程度までメモリが上がってきた程度だろう。膝が痛い。これは治療して改善しない糸、動けない。インプラントの除去と膝の治療だけは近じか治しておかないと、今年末のホノルル完走は難しい。自分に残された時間はどれほどあるのかわからない。しかし60を超えたら、自分の時代は終わったと、思うほうがいい。自分がつかんだこの40年の蓄積物を残してゆくほうに力を注ぐのがいいのだろう。女川町の復興は、還暦になった人間は口を出さない、ということらしい。いい言葉だと思う。今は軌道に乗せる中で口を出さないわけにはというよりも先頭を走らざるを得ないが、明日数年、若い連中に任せる時期が来るのだろう。それまで走りきろう。それで終わりにして、口を出さない日が早く来てほしいとも思うが。
がんになった事、損得を自分自身の中で考えればどうなるのだろうか?ぶらぶらと芦屋川の畔を2キロほど歩きながら思った。
おそらくトータルで言うならば、がんになって、得であったといろいろな面から言える。がんにならなければ、85歳ごろまでは生きたのだろう。15年から20年程の寿命と引き換えにこれまでの事そしてこれからの事、いろいろな得る事の方が多いように思う。のんべんと老いるより、集中して何かを残して去るのがいい。
今時間はゆっくりと流れている。以前のように瞬く間に1年が終わるように思うことはない。がんが分かり手術をしてほぼ1年がたった。長い一年だった。そして今やることが多い、多すぎる、そうするとこれまで以上に時間は思う以上に長い。三寒四温、少しずつ暖かくなる。
エースデンタルジャパンが稼働して2カ月が経過、ギリギリの線だがそれなりに動いている。これまでの流れの集約と拡大は現状のスタッフが活躍してくれている。後はフランチャイズの拡大をどうするか、フランチャイズの提携し会員の拡大をどうするかになってきた。
こそもたちの口腔育成も拡大してゆかねばならない。やることも多くなった。命の限界と折り合いをつけながらどこまでできるか、一日一日が勝負というのもまたおもしろい。母が逝き、父が逝き、自分自身を創造した両親はもはや天然に帰っている。いかに生きいかに死ぬのかは自分で決める。そうして命の絆を次の世代にどう渡して消えるのかここ5年10年の勝負になる。その期間だけは生き抜いて見せなければ、そして静かに無に帰して天然に去る日を楽しみにしよう。毎日を一歩ずつ、しっかりと歩いてゆこう。
マウスピース矯正にしろ、小児口腔育成にしろ、そして食育口腔育成支援センターや保育にしろ、できるだけ裏方で生きていければと思って色々と考えてきたのだが、事業ではオールクリアーオルソSさんにすべて譲ろうと思っていたが、家族間のトラブルで崩壊し、次はOおよびAの子息にこの事業を譲ろうとした。同時に小児関係の事業もOに委譲しようとしたのだが、ふたを開ければとんでもない状況である。
もうやめた、自分が前に出るしかない、あと何年の命か知らないけれど、その後はやりたいやつがやればいい、Sさん一家にしろ、OおよびAさん一家にしろ、その任には大きく力不足であった。自分で出てくる奴が後をやればいい。それまではすべて目良誠が前面に立つ。2001年芦屋松浜町で再起のスタートを切った時に比べればすべての面で楽である。もちろんマイナス面、Sさんが、O&Aさんが生じたマイナス面もあるのだが、あの時のマイナスと比べればほんの少しでしかない。どうやるか、あまり問題はないのだがひとつだけあるとすれば「S」、どうするのかが今年のテーマの一つになるのだろう。
なにはともあれ、すべてに全面に、すべてに立ち向かう、逃げない億劫がらない、何とか滑り出しはそれなりに動き出している。
几帳面に目標設定をしながら、生きてきた。その多くは実現しなかったが、常に目標を定め、それに向かい努力はしてきたつもりである。しかし、目標設定はできても、それに向かうスケジュールを立てることはできない立場になった。いつ、ガンが暴れだし、いつこの命の炎が尽きるかは分からない。しかし、それもまたおもしろい、これまでとは違う人生観を持って歩いて行ける。 2015.2.25
2月21,22日 大規模乳幼児調査の研究者会議その前に土曜日は懇親会、一年ぶりの再会であり、楽しい時間を過ごすことができた。「保育園をコアとした新しいコミュニティーの勧め」その実現に向けて歩き始めよう、8月に第一回の会議を開催し 10月子育て支援センター全国大会で第2回の会議を開催する。やることがどんどんと増えて、死んでもらっては困ると、中山先生から言われると死ぬわけにはいかないのかもしれない。
ガンは確かに私の人生のスパイスであった。しかし、そればかりを記するには、色気がない、文人としての色気がない文章が長々と続く。自分で決めた一つの区切りが昨日で終わった。さて、新しい時間を始めよう、もっと色気のある文章を、人生の道連草の記を残して行くとしよう
2015.2.21