道連草
私の、あなたの人生は限りある。なぜ人生=時に限りがあり、どう生きてどう終わるべきなのだろうか。
師走である。進行ガンが動き出して2回目のお正月を迎える。時間は長いまだ2回目。
SNライン社のことでは上海の周君に大きく迷惑をかけたようだ。A-Fは僕の周りから家族まで多くの傷を残してくれた。
そして事業の回復はまだまだ道半ばであり、苦しい状況には変わりはない。ACOのSそして今回と人生最後に来て大変なうえに進行ガンが重なり、相当な負荷がかかった人生である。しかしそれも楽しもう、逃げずに楽しめばそれなりに答えが出る。もうすこし死ぬわけにもいかない、しかし向こうに陽の明かりが見えて来た。新しい歯科医療の展開にはIがいる。技工の展開にはSがいる。
2015年が終わろうとしている。2013年にはACO‐S女子にすべてを持っていかれた、そして多くの誹謗中傷が残された。2014年暮れ、AーFにまたすべてを持っていかれた。Oには信用までボロボロにされた。そして末期がんが見つかった。
しかし、2015年何とか生き抜けた。ガンもほぼ回復基調になった。妻や子には多大な迷惑をかけた。しかし終わるわけにはいかない、妻や子のためにも、信頼すると藻や仲間のためにも。ゼロになった。3回のゼロである、貧乏は慣れている、地獄も見た、死を見つめもした。そして何もない。
そしていつものように前を向く、15年前のように歯医者をする、やはり歯医者が私をいつも救ってくれた。
11月13日 退院の前日に一人のご老人が隣のベットに入院された。看護師との話が聞こえてくる。抗がん剤治療→拷問治療・ホルモン治療→回春治療、看護師の単語を彼流にいいかえる、そして放射線科→島倉千代子・・・? ほうしゃせんか・・ホウセンカ
なるほど歌の題名である。一人で大笑い、だから大部屋は止められない。
第一の30年は明日が楽しそうであった。だから前に向かって人生を楽しんだ。次の30年は果実を求めた。失敗続きの人生であり、転び続けた。ただ起き上がることだけはしてきた。今名誉もなければ財もない、だから大部屋なのだろうが、それが楽しみを与えてくれている。生きる喜びをもらたしてくれる。人生いい塩梅である。
そして毎日を楽しむために5つのテーマに残された人生を挑もうと思う
1)ヒトの成長と発達
2)進化と医学(歯科学)
3)負荷と生理(Distress と Eustress)
4)ヒトの多様性と複雑性 (人間と適応)
5)ヒトの進化(人はどこに向かうのか
ライフワークであり どのくらいかかるのかは分からない
すこしすこし 進もう 最後の30年 いつまでの命かは知らないが
のライフワークを終わらせれれば 人生思い残すこともないだろう。
11月12日
早くも霜月である、だが思いのほか暖かである。3泊4日の抗がん剤の日程を終えて
暖かな秋の日差しの中を電車に揺られて帰宅した。
ガンは前向きに生きるとき、人生を変えてくれるという、本当にそうだと感じる今日こ
の頃でもある。ガンにり患して恐らくは寿命は短くなったのだろうが、その分の益は十
分に得ていると思う。
気付きや新しいものとの出会い、30年の青春時代、30年の苦悩の時代、そしてガ
ンが新しい30年の始まりを与えてくれた。
9月29日
思考する楽しさ 思考は明日を夢見る
思考の先は二つある 肯定か否定である
性格なのだろう 私はすべて肯定する 肯定するから疑問がわく
否定すれば 答えが出る それで終わる
肯定することにより 疑問が出て また思考が続く
人よ 思考せよ 思考をづつけよ 人は思考をする動物である
2015・9・17
私に与えられた時間が少なくなっていることを自覚している
しかしやらねばならないことがある
残りの時間を引き延ばしても それをやりきることが
私が生きた最後の存在意味なのだから
私にはあの故郷の海が与えてくれた 底知れぬ体力があり気力がある
海蒼し 大空の青に 続き行く
2015年 9月 15日
秋の夕暮れは冬に向かう時の香りを感じさせながら、
過ぎ去った夏の思い出を引きずる。
長い秋の影を追うようにして私は歩く
はあはあと息を継ぎながら、体力の衰えを感じながら
秋の夕暮れの道を歩いている
7月9日 免疫療法の説明を受けた。興味深い、やる価値もあるようだ。いろいろな療法がガンにはどんどんと出てきたいる感がする。医療とはそんなものだというのもわかる。30数歳のころ、直接は関係のない人生であったが、ガンの原因論がほぼ見つかろうとしていた時期を知っている。そのころも食にかかわっていたのだが、今ほど直接的ではなかった。
もちろんガンで死ぬ人も今も少なくはない。ガンに罹患する人は増加しているようでもある。長寿になったこと、ストレスが増えたこと、様々な複合要因なのだろう。今、研究中の子供のアレルギーも然りである、単純な要因ではなく、社会と個人の複雑に関連した複合要因なのであろう。それを単純に言えば、ガンであろうと、アレルギーであろうと、社会の変化と、言うしかない。
免疫もおもしろくなっている、同じ免疫でも過剰反応のアレルギーを考えるのと、免疫治療とでは違うもののように思えてしまう。しかし、故に免疫療法の話を聞くのもおもしろい。
現状の抗がん剤にしろ免疫治療にしろ 完全に治癒傾向を表すのは10%程度、基本は体力があるかどうかだと思える。知力だけではない、気力と知力も人間の基礎力として不可欠であると思う。免疫療法を見ると、効果を示すのは25%程度と記している。抗がん剤もそうなのだがこの数字は事実関係を示しているにしか過ぎない。統計とはそういうものである。客観的に数字のみを見つめることも必要である。数字上で表せば、「無」は「0」である。数字的には無は簡単に表現できる。しかし無を数字以外でイメージすることは難しい。同じようなことが統計には起こる。数字と実態は同一ではないことが多い。
私の場合抗がん剤治療は結構効果を示していると思える。おそらく免疫療法で完全にとはいかぬまでも、ある程度のレベルで安定化するように思う。そして時間稼ぎが十分可能に思う。なぜか、それは体力であろう。
6月23日 兵庫医大でCTを撮影、血液検査も。CRPは0.2、歯っ研究は少し少ないが3000台、抗がん剤治療ではまあまあなのだろう。CTは、5ミリ程度のものが2つ、以前からある、くびれのあるガン10ミリ少しのものが1つ、抗がん剤で抑え込まれているのか、少しづつ成長しているのか分からない、ということは7.8クールの抗がん剤の効果もわからない。3月の時点では3つばかりの話だったから今は3つなら1つは消失しているらしい。5ミリ程度の小さな影は消失するのも早いようである。なにはともあれ、今回の抗がん剤もそれなりに効果があったのだろう。
もう一歩治療を前に進ませるには免疫療法を加える手であろう。従来の免疫用法から新しいPD阻害薬まで、今後いろいろな選択肢が出てくるのだろう。7月2日に免疫療法の検討することになった。
「前に向かう」少しづつでもいいので、前に向かい歩き続ける。そうすれば可成れず物事は解決する。6月11日は、誹謗中傷の裁判の証言の日であった。まったく後ろ向きの、だれもが得をしない裁判である。そしてO君がやってきた。これも後ろ向き、解決を求めるものではなく、母親が家内に電話してくる。これも後ろ向き、後ろ向きでは解決はしない。このことはK女史のおかげで少しは前に進むようでもあるが、本人そして彼の母親には、これからも手がかかるのだろう。しかしこれはもう私においては終わりである。彼らとのつながりはまったくなく、ビジネスでしかない。後ろ向きな流れは、たとえ解決されたとしても、味気ないそれだけの存在になってしまうものでもある。
仕事もみんなのおかげで順調に動いている。もちろんもっと拡大する必要はあるが、少しずつである。急がば回れ、急がず進む。
6月25日 23日のCTでは前回の撮影からは大きく変化はない。左右に小さな影が2つと比較的大きなのが1つ、3月30日から、ほぼ3カ月だがそれほどの変わりはない。ここ5年がガン治療のピークを迎える治療法が開発されるのではないだろうか。人類もそろそろがんとの闘いに終わりを告げる時が来たようである。その後には今僕が手をつけている進化の急激な展開による様々な問題が出てくるのだろう。いつもだが、少し早すぎるのが僕の思考なのだろうか。故にお金にならない。その延長線上にある「口腔育成」そしてマウスピース矯正も早すぎたようでもある。離れた時、花が咲く。それでもちろんいいのだが、今回はそれが見れるかどうかは分からない。死してはなれるか、伝え終わってはなれるか、どちらにしろ、ガン治療が間に合うかどうかの綱渡りのような人生である。刺激があっていいのかもしれない。
6月18日 15日に退院し 3日目 最終の抗がん剤の点滴が9日、ちょうど一週間目、Mvacという抗がん剤の合剤の治療法だが結構体も参るようである。臨床の人たちの言う、抗がん剤は効かない、抗がん剤はよくないという話もそれなりに理解できる。この薬を体力のない状態の患者に使えば逆効果になるだろう。抗がん剤、放射線という流れは止める方向で考えるのがいいのだろうとおもう。そして、そう遠くない将来にその治療法が開発されるのだろう。私が間に合うかどうかは別にして、ガンが克服される時代が来そうな実感的な予感がある。
私は何をしても結局は何をしても飽きるから、それほど生活自体に目標もしたいこともないので、まあ、この世をおさらばするのもまたいいのだろうと、思っているし、もがきながら生き続けるのもおもしろいのかとも思うし、ただ、老いを晒して生きることだけは自分のプライドが許さない、それだけは確かである。
6月5日 ガンという疾患自体に目を向けて、そのメカニズムと成長のメカニズムとの相関を考える穂も面白そうでもある。朝、パートで勤めていた女性に偶然面談した。乳がんでの治療中である。抗がん剤治療を先行し、先日摘出したそうである。抗がん剤は相当きつかったとの話である。基本はやはり体力、その体力を現代人はそのレベルが相当低下しているのだろう。そこに私の研究のテーマがありそうである。ガンそのものの治療は、もう私が入り込む余地もないだろうが、見病である事、元気である事の意味に、何らかのまた面白い引っかかりがありそうでもある。
抗がん剤には二つの大きな問題があった。新しい治療法の流れが始まっている中では、過去形で「あった」という事にしよう。一つは副作用そして一つは効果が限定的である点である。最後は耐性の問題である。
①副作用 ②効果の限定性 ③耐性 の3点である。この3点を少しずつ思考をくりかえしてみたい。
5月20日 ガンや免疫の研究は、今から始めても出遅れている。今はまだ、大向こう受けはしないが「成長」そして健康医学が、トップランナーとして走れる分野なのだろう。ガンは間もなく一つのゴールを迎えるように思う、そこに参加の余地は残されていないようである。
5月19日 抗がん剤8クール目へ
-元気であるー
昨日5月18日入院 19日から抗がん剤治療を始める。抗がん剤の身体への副作用、俗にいう表現的な副作用ではなく身体全体を衰退させるという副作用については、急激に影響が及ぶ人や徐々に影響される人などに分かれるように思う。
自分自身は炎症反応を一つのマーカーにしているが、前回の退院時から今回も0.2程度、おそらく安定した状態なのだろう。ガンによる組織破壊があまり進んでいない状態、共存できていると考えている。
5月13日 アメリカのFDAで以前話題になった近赤外線によるガン治療が本格的に認可された。治験に入りそいう遠くない将来に臨床適用されるだろう。そして日本でも小野薬品など世界でいくつかの薬品会社が開発したらしい、免疫細胞の活性阻害を阻害する薬が臨床応用したらしい。ガンはそう遠くない将来解決されそうだと、スタッフに話したが、現実になろうとしている。もう数年の問題だろうが、現時点でも私に効果があるような気がする。世の中では餅屋は餅屋でその分野分野に優秀な人間が多くいる。ガンにウイングを伸ばしてみたら・・・と少し欲張った気持もなくはなかったが、しょせん付け刃、自分の専門は専門で一本道を走るほうがいいと思い知らされた(笑)
そうなると、私たちは、人生そして社会というものを、冷静に考える事が必要になる。生物としての私たち、人間としての私たち、そして群れとしての人間、生物、自然との折り合い、有限な資源、遺伝と進化、今本気で考える事が求められている。
5月12日 今の時点で、ガンが身体を蝕んでいるのか、共存しているのかは分からない。いたって元気である。確かに抗がん剤の副作用としての疲労感はあるが、食欲はいたって旺盛でもある。5月19日から抗がん剤治療のサードラインの2クール目を始める。気持の中では開き直っているというのか、必ず転移がんが見つかって(昨年の夏だが)5年以上は生きるという強い意志があり、抗がん剤がどうのこうのというものでもなく、聞かなければ効かなくてもいいし、抗がん剤がなくとも生き抜いて見せる。非治療でも、免疫療法などを組み合わせて5~10年は生きるしただそれ以上生きて不細工な姿は見せたくないのでそれぐらいでいいと思っている。ただそれだけはきっちりと生きていようと思う。そのためには食べること、生きる強い意欲、そして思考する力と適切な運動が不可欠に思う。
5月5日 医学は科学的に考える事が難しい分野である。科学的に考えると矛盾が多く出てくる。大学の恩師佐藤精一先生がキリスト教の洗礼を受けた時、私は反発した。科学者が宗教に走る事を。佐藤先生は私の反発に笑っていた。彼は科学者ではなく医学者であった。医学者が宗教に生きる事はよくわかる年齢になった。科学は1+1=2である。しかし、医学の答えはいくつもある。それなりの答えは「1」なのだが、見方におれば答えは無限であるともいえる。
今日採血をする。連休明けの昨年5月8日にこの大学病院を訪れた。そして腎盂ガンであることが判明した。摘出の手術を経て抗がん剤治療を7クール目、最初のGC療法と言われる薬を早くやめすぎたように今になると思うが、ただ結果としておそらくそれもOKになるように思う。なぜかと言われるとそれなりに意味があるのだが、おそらく正解の様に思う。
平均値とは違う風変わりな僕である。平均的な面が多くあるのに、なぜか平均値から大きく外れる事がある。最初の抗がん剤治療が3.5クールで終わり次に行った。しかし理屈としては継続しておくほうが短期的な効果としては正解であったように思う。途中で薬を変えた。結構体にはきつかった。術者側の意見とは大きく違った。そして本来はGC療法が効果がない場合行うべきではないと言われているMVACという多剤療法を今始めた。ある程度の時期が来たらなぜこの事が正解なのかを説明してみたいと思う。
5.1 白血球数は3400ほど、副作用として血液の減少が問題の様である。前駆細胞を増やすサイトカインが新たに開発されているらしい。次回からそれを投与するとすれば、外出をしながらの抗がん剤治療が可能になる。
抗がん剤には賛否いろいろあるが、がん治療の多くに利用されている。特に私のような病期のⅣ、言い方を変えれば末期にはそれしかないのだろう。
末期という言葉は何を指すのだろう、これもまた難しい。概念的な言葉の意味は難しい。CRPは0.1、この値は結構指標になるように思う。
2015.4.29 抗がん剤の新しい療法の1クールが終わった。なんとなくそれなりに効果を示しているように感じる。相変わらず元気であるし、CRP値もここ2回は0.5と多少高いがそれほどの高さでもない状態を示している。抗がん剤の効果があれば高い事も推測できる。今朝はウオーキングと筋トレ、以前に比べればそれほど高いレベルでもないが、それなりに体力の縮小を防いでくれる。体力とは 食に休養に適度な運動と説明されるものだろう。
気力は「生命への要求≒社会力-群れる力等々」そして智恵力が、人間の適応力の基本であるならば、生命力の基本であり、治癒力でもある。
2015.4.26 ここ数日 毎朝1.5㎞ほど、病院の周りを歩く。そして筋トレを少しして、ビタミンCを十分に取る、そうしながら次の抗がん剤治療に向かう。白血球の減少と血小板の減少以外の副作用は少し脱毛はあるがさしたるものではない。外に出る事も問題にならなくなるだろう。
薬剤の耐性とは何なのだろうか?生物の「適応性」で片付ける事ができるのだろうか?
その前に抗がん剤でよく言われる事は効果が少ない例があるということであり、私自身も今回のセカンドラインの俗に言う保険適応のGT療法は効果がなかったと評価されている。
4月24日 昨日で白血球数は3650 CRPは少し高い1.1 前回は0.3.
CRPが少し高い。今週の2回目の抗がん剤は飛ばしたので、来週は予定通り行うことになる。今朝からトレーニングを始める ウオーキングを1.5Km、後はスクワット、腹筋、腕立て等々を少しずつ始める。
ヒトの適応力の高さとは何か、智力・気力・体力である。詳細は進化のページで考える。体力は持久力の高さということは、食と適度な運動が必要である。気力は生きる意欲、群れる気持ち。そして最も重要なものは智力、人間しかもたない力である。智力は考える力である。アメリカ海軍の英雄ストックデール中将は7年間ベトナム戦争で捕虜となった。彼は7年間に及ぶ過酷な捕虜生活から生還した。彼は言う、悲観的でもなく楽観的でもなく現実的であることが生き抜けた要因である。「悲観主義者は風向きが悪いと不平を言う、楽観主義者は風向きが変わるのを待つ、しかし、現実主義者は帆を調整して風向きに立ち向かう」現実をしっかり受け止めながら、思考しその状況に立ち向かう。「なぜ私だけがこんなことになったのかと悲観主義者は想う,楽観主義者は何とかなるさと思う、しかし現実主義者は、現実の状況を思考分析し、それに立ち向かう知恵を持って、気力と体力を高め生き抜く」
4月20日ある医者が、「夜が怖い」とテレビで話していた。 彼もガンに罹患し、抗がん剤治療を受けている。彼は、地域の医療に長年尽力し、地域の人たちから頼られて生きてきたという。
僕は全くにその感覚はなくなっている。僕は明日が楽しそうである。それには死も含まれる。科学者の科学者たるゆえんは「好奇心」であり、お医者さんたちとは違う。そして、進化に携わる人間は、生命を、自分の生命を客観的に眺め、理解する。そのテレビでは「講演中に倒れたら格好いい」というセリフがあった。その通りだと思う。明日に向かってどんどんと生きる。今を楽しみ生きる。それで、明日に何があろうと、それもまたおもしろい。60年が人としての一つの区切という、故事は良くできている。あとは、残された時間をどのようにして生きるかであろう。5年か10年か15年か、何年かは分からない。
「いかにして死ぬのか」それは、日々の中で倒れていく、そんな生き方をしよう。講演中に壇上で倒れるのもいい、いつの日か人は逝く、特にがんに罹患した私はその危険性は高いが、いい死に方ができると思う。日々の生活の中で、一瞬にして倒れてそして逝く、多くの人が望む死に方を実践して見せたいと思う。
4月13日 昨日まで外泊、入院1週間の経過、週末は結構身体的には疲労感があったが、思うことの多い時間であった。一年後の状況は大きく変わっている。この年の暮の変化以上に。変えねばならないし、変えることがより良いものとなる。そのためには、今は黙して進むしかない。もう決めた、その線は崩さない、変える、大きく変える。
慣れたというのか、気ままもありというのか、入院生活もそんな自由度があると、セリエ博士ではないが、ストレスも「スパイス」である。6時朝食、12時昼食、6時夕食、そして9時就寝で5時に起きる。1日中机に向かい、仕事をして、たまにはこのような職を中心として規則正しい生活が体にはいい。確かにストレスもあるのだが、このストレスを「スパイス」と考えれば、またEustressとしてのストレスが増えたともいえるし、以前はこれがDistressだったのだから、なれというのか心の持ち方というのか、心の持ち方一つといえるようだ。
事業の完遂に、壁を設定すると、あと1年が家族のため、3年が海外事業のため、そして5年が一つの売り上げの壁をくりあーする、と思ってきた。しかし、子供のこと 大規模調査の答え出すのに、調査が2年とb運席1年にレポート1年、少なくとも私の仕事としては4年がかかる。成長の話を残すのンも3年程度か?食育口腔育成口腔育成の概念とその装置の製作などでも3年程度?マウスピース矯正の基本と応用と技工も3年、
3年では短い、5年か。
ガンの発見から生存率が2年で0に近いというレポートもあったが、その時に思った、レポートのアバウトさにいまさらながらに、その掲示が本当にいいのかどうか疑う、ということは、ネガティブさに人間は弱い。
確かに、知ることがアメリカナイズしていて、表面的にはいいようにも思えるが、人間の心理がそれに耐えれるのかどうか、おそらく耐えれる人の利率は大変低いだろう。心理をいかに読み流れそれを伝えるのか、一般の医師にはそれは無理である。心理学を学んだ専門家にゆだねるべきだろう。
生き抜く基本はやはり体力、気力、知力、人間が人間であることの意味の力でもある。おそらくそのあたりに答えがありそうでもある、それを科学的な論理にどう落とし込むか、5年は少なくとも思考がいる。そして5年の論理構築がいる。10年か?
ガンを思考することを始めたら、言うだけではなく、私自身が生き抜く10年を実践することも求められる。普遍的に、平均値としての10年、その10年の意味は、私の年齢で10年
若い人ならもっとである。私の年齢では私の価値観があるからの設定で、介護年齢までというだけの意味になるだけなのだが【笑】
それをやり始めるか!世界で私しかできないという高いぷプライドを持って。命をかけての挑戦だからより面白い。ただ、ストーリーメーカーとしては、生命は紡がれ続くことを忘れてはいけない、医学は生きることを求め続けるが、私は死ぬ意味も生きることに常に考慮しておかねばならない。
村上千幸山東保育園園長は35年来の友人である。彼と2009年ごろから子供の成長について共同研究を続けてきた。彼との何気ない食事での会話が私にあたらしい研究活動の種を与えてくれた。1970年代から本当は1960年代かららしいが、子供たちに少し筒異変が生じていた。解決は30数年の流れの中でなされず、状況はより悪化していた。村上園長との食事から約5年が経過し、私の立場では、ゴールはある程度見えている。それを具体的な社会活動に落とし込む、それが彼の仕事である。これは大変力がいる仕事であろう。彼の立場で言うなば「暮らし」を現代社会でいかに実現するになる。
私のゴールはほぼ見えている。今年中には私の分野の中での具体化を終えたい。装置そして食育指導の具体化である。そしてそれに平行して、論理構築をしておかねばならない、具体的には「負荷=ストレスと成長の相関」ということになるのだろうか、一年ほどをかけて、構築して残しておく作業がある。同時に「大規模調査」の答えを出す、3年計画だから来年まで続く、私には調査は大きな意味があったが、調査の意義を研究者にも保育園にもそして誰よりも保護者と子供たちに見える形で、成果を持たせていかねばならない、ということで、この分野においてもあと、少なくとも今年度から3年は生きてゆかないと義理が果たせない。(笑)
そして、子供たちの成長についてある程度のイメージがつかめたところにガンである。ガンもまたその解決策がない。子供たちの状況と、本当によく似ている。エイズのような、エボラのような外部からの侵襲ではない。外部要因における疾患の解決の研究方向はある程度確立しているともいえる。しかし内部要因による疾病や成長の問題については、自己免疫疾患等もしかりで、研究方向が見えていない。
偶然というのか、その機会が与えられてのだろう。自分の命をかけて、求めてみるのも面白い。抜本的な解決方法が提示されるには時間は必要な感じがするが、私にできることはその道筋を示す、解決へのストーリーメーカであらんと、心が燃えている。思考し続けること、、思考をやめないこと、そうすれば必ず、答えは見えてくると信じて進もう。より多くの人々をいやすために、方向さえ示すことができれば、私の役割は終わる、村上園長のような力と知識で世を変える人が必ずいる。その人に引きつけば、私の仕事は終わる。
これまで、いくつかのストーリーを描いた。セーブザチルドレンはまあ年齢が若すぎて、しかるべき人に引き継ぐのができなかった。後悔はあるがそれなりに大きくなっているのだからいいだろう。そしてマウスピース強制は、普遍的な広がりを持たせることにした。特定の人に引き継がず、知る限りの情報を公表して行く。
「ガン」相手が相手だけに面白い。自らの命をかけるだけにまた面白い。いかなる時も楽しむことだ。そう思って生きてきたし、そうなったし、これからもそうして行きたい。
今年になり、2回のセカンドラインの抗がん剤治療を経て、自分なりに医療に対する意識が大きく変わったように思う。抗がん剤治療は相当身体にこたえた。抗がん剤治療そのものについての考察は右側に記載するとして、この間に多くのことを考える機会があった。同時にこの期間は、jこれまでのライセンス契約で対応した、オールクリアーオルソ、そしてSNラインとは異なり、エースデンタルジャパンは自分の個人商店であり、個人が利益に直結する。
自分に利益もそして責任も直結することは、いろいろな意味でプレッシャーになり、いろいろな思考を行うことになる。そして、手前味噌であるが、今どのような症例にも対応できるシステムとしてのマウスピース矯正と理屈としての小児口腔育成は完成したと思う。小児口腔育成は歯科医療からみた面は8割がた完成したと思うが、保育めんらかの視点はまだ色々と考察しておかねばならないことも老い。そしてこの考え方は世界が相手においても、他社との比較として相当レベル上位にあると自信を持って言える状況になった。そして海外に出る。子どもたちの成長をリセットする。その自信は十分にある。故にあと10年は生きなければならない。私が10年生きることは、自分のメリットよりも、多くの人に、個人にメリットを与えられそうである。5年で何とかなるように思ったが、10年が必要なようである。10年すれば70歳を超える。そろそろ介護が見えてくる、介護は私の辞書にはない。その前に生命の炎を燃やしつくそう。何が何でも10年を生き抜く、そのためにはどうしてらいいのかのか、考え実行に移し、そして動こう。
生物の宿命として、いや存在はすべてにおいて老いる。鏡に映った老いた自分をみるのが嫌になる。死は当たり前のことのように受け入れられる。思い残すことは家族だけで、それ以外明日死んでもいい。生きるだけ生きた、自分のための人生はもう充分である、家族のために多少のものを残せられれば、思い残すことはない。しかし、老いたくはない、ひざが痛い、動けない、昨朝、芦屋川を渡ろうとして川に足が落ちた。左足が踏ん張れなかった。惨めだった。老いたくはない、老いる前に死ぬべきである。それが生命としての定めなのだろう。今しばらく、想いを多少築き上げて残して、老いが確実になる前に、去りたい。
今になり思うことは、下記したいろいろな出来事は、私にとって、結果オーライであった。その都度、いろいろな状況を改善できた。マウスピース矯正や小児口腔育成のテクニカル的な面や、またITの問題など、その事件があった故に大きく展開が変わった、多くのものを得ることができた。ガンの罹患も自分には多くのプラスをもたらしてように思う。考える時間、思考するテーマ、命の時間との引き換えかもしれないが、得るものの方が大きいように思う。命と引き換えに時間は確かに減少したと思う。しかし、与えられた時間内で、多くの事項を残していこうと思う。その一つ、入れ歯の事項もまた浮上してきた。望むものではなかったが、歯科医療に携わることになった私の原点でもある。母親とフランク先生、この二人の稀代の「入れ歯師」に出会えてことがすべての出発点である。私は歯科医師ではない、入れ歯師である。マウスピース矯正装置やら口腔育成装置やら等々はあくまでも入れ歯師の延長線上の考え方をののべたにしか過ぎない。その程度の貢献である。二人の入れ歯師の思いを残しておくこともまた私の仕事なのだろう、神から与えられた時間が少ないだけに、心が騒ぐ、急がねばならない、60数年を生きてきた。多くの先人先輩たちから多くのものを与えられた。それを次世代に残してゆかねばならない、残された時間がない、残しておくものは山ほどある、先人先輩に感謝する、故に楽しい。命を削っても残す時間を大切にしたい、それが私の生きてきた証拠だから。私の命などさしたるものではない、次世代に残すことそれが意味を持つ。神よ私にそれだけの時間でいい、それだけの時間を与えてほしいと、思う。
ビジネスは難しい、マウスピース矯正も2回にわたり、トラぶった。5年前に破産手続きをして、それ以後前面に出ないでおこうと、ライセンス契約だけの立場であり、最初はS氏一族に、2回目はF・O氏に経営権を任せ、一歩引いた立場で、協力してきたが、結局は双方ともに多くの負債を残されて終わった。2回目か、事後処理に追われながら、再出発。飽きないと言えば飽きない毎日で、ガンでくたばっているわけにもいかないのが正直なところである。
芦屋で歯科医院を始めた時、世間から相手にされない状態だった。借入金はできない、現金払い、運営が大変だった。規模が小さいからよかったが、無スピーす矯正は大きくなりすぎた。故にビジネスの動きを妨げると思いい、マウスピース矯正では前線から距離を置いた。しかし、結局はうまくいかなかった。負債だけが残りまた再出発である。今はステージⅣのがんでもあり、制約がまた増えた。借入金ができない、に加えて信用がない、私の名前で彼らが動いているから世間はその気になっている、そしてガン。
財なし、信なし、身体は病なり、まあ、いいか、開き直るのが私の性分である。人に何を言われようが、人にどう評価されようが、芦屋で歯科医院を開設し再出発をした時も思った、毀誉褒貶は人の言。倒れても立ち上がりた取れても立ち上がり、その都度強くなれるし、その都度大きくなれる。さあ、また歩き始めよう、家族のために、仲間のために、そしていま日本の子供たちが私を求めていると信じて。前面に出て、旗を振ろう、前面に出て動き続けよう。
倒れるのが先か、軌道に乗るのが先か、5年後年商50億を目標に
口腔科学は難しい、ともすると大工仕事にもなり、訳の分からない代替医療に巻き込まれがちになる。口腔内だけに話を絞ることと、口腔が関連する諸問題はまずは分けるとして、口腔外に関連する事項は、確かに目を引く。しかし、大それたことはないように思う。食育と食生であり、口腔育成と口腔機能改善でしかない、そのうえで身体のバランスに大きく関係するという点がある。歯列咬合は生涯を通じて移動をしながら,動的な平衡状態にある。その平衡状態が問題である。平衡状態にならないあるレベルを超えた場合、動的な異常状態を引き起こす。整形的な問題はわかる。単なる幾何学の世界である。しかしたとえば自律神経系の改善などはなぜ起こるのだろうか。膝の痛みは幾何学的なバランスの問題であり、ある程度の根気があれば改善に近づける。Beam onで痛みを緩和しながら、形態を変え、その原因である筋力をつけて行く、全身的な筋トレ等も行うと良い。これは100%とは言わなくとも、それなりのレベルには、年齢等に即した求めるレベルには改善するのだろう。
三ノ宮の噂の整形に行ったが、治療自体は変わり映えはしない。基本的には完治しない。という疾患は確かにもうかる。医院自体は盛況であった。昨日は宝塚市立病院に、同級生の柳澤先生を訪ねて、インプラントの除去を依頼した。彼もまた大変忙しそうであった。医療機関は特に医院が増大している歯科医療機関では、ビジネス感覚が大きく経営に左右する。人のマインドを捕まえる、今という時点の風をいかに捕まえるか、そんな時代である。目の前を吹く風である。その風を捕まえるには今の状況を短時間でそして適格に判断して行動に移すことが求められる。
老いたくはない。老いが自分に覆いかぶさる前に天然に去りたい、いや去ろう。そのためにはガンにり患した事をある意味幸に思う。肺には1センチ程度の転移がんがある、これだどうなるかはわからない。しかしそれに対処する、抗がん剤かもしれないし、無治療かもしれないし、手術かもしれない。寿命とがんと仕事と生きがいと、それらとの折り合いをつけながら生きて行く、自分の意志の通りにいけるか、自分の意思をガンが上回るかわからないが、いまは堂々と自分の人生を歩く。どう折り合いをつけるかはその時その時の風のままに。
少しずつ、朝のウオーキングを伸ばしている。今週は2キロ半から3キロコースを、来週は3キロから3キロ半コースと。体力も少しづつ回復している。身体を鍛え、体力をつけ、ガンとともに生きて、生きれるだけ生きて、しっかりとした生活としっかりとした仕事に全力で向かおう。
朝はウオーキング そして 青汁と野菜サラダ に ヨーグルトにVC1000㎎、そして滋養強壮ドリンクにココナッツオイル
しっかりと取ろう
昼は 野菜サラダにおかず
夜は 野菜サラダにおかずにココナッツオイル
VC1000㎎
炭水化物はほんの少しか付き合い時に摂取
後は少しづつトレーニングを
少しづつ温泉でのリフレッシュ 週2回 脱毛次第だが
膝を治して ホノルルを目指そう
芦有道路を少し上がるとライト氏の設計した建築物がある。その駐車場までが第一ステップ、次に正門に、そして今日はその上の山手小学校まで歩いた。急坂はきついが、昨年夏からの抗がん剤治療も半年続いた。抗がん剤は体力に相当のダメージを及ぼす。最後の投与から一カ月が過ぎた。少しは体力は回復しているようだ、とは言え、メーターに例えれば10%程度までメモリが上がってきた程度だろう。膝が痛い。これは治療して改善しない糸、動けない。インプラントの除去と膝の治療だけは近じか治しておかないと、今年末のホノルル完走は難しい。自分に残された時間はどれほどあるのかわからない。しかし60を超えたら、自分の時代は終わったと、思うほうがいい。自分がつかんだこの40年の蓄積物を残してゆくほうに力を注ぐのがいいのだろう。女川町の復興は、還暦になった人間は口を出さない、ということらしい。いい言葉だと思う。今は軌道に乗せる中で口を出さないわけにはというよりも先頭を走らざるを得ないが、明日数年、若い連中に任せる時期が来るのだろう。それまで走りきろう。それで終わりにして、口を出さない日が早く来てほしいとも思うが。
がんになった事、損得を自分自身の中で考えればどうなるのだろうか?ぶらぶらと芦屋川の畔を2キロほど歩きながら思った。
おそらくトータルで言うならば、がんになって、得であったといろいろな面から言える。がんにならなければ、85歳ごろまでは生きたのだろう。15年から20年程の寿命と引き換えにこれまでの事そしてこれからの事、いろいろな得る事の方が多いように思う。のんべんと老いるより、集中して何かを残して去るのがいい。
今時間はゆっくりと流れている。以前のように瞬く間に1年が終わるように思うことはない。がんが分かり手術をしてほぼ1年がたった。長い一年だった。そして今やることが多い、多すぎる、そうするとこれまで以上に時間は思う以上に長い。三寒四温、少しずつ暖かくなる。
エースデンタルジャパンが稼働して2カ月が経過、ギリギリの線だがそれなりに動いている。これまでの流れの集約と拡大は現状のスタッフが活躍してくれている。後はフランチャイズの拡大をどうするか、フランチャイズの提携し会員の拡大をどうするかになってきた。
こそもたちの口腔育成も拡大してゆかねばならない。やることも多くなった。命の限界と折り合いをつけながらどこまでできるか、一日一日が勝負というのもまたおもしろい。母が逝き、父が逝き、自分自身を創造した両親はもはや天然に帰っている。いかに生きいかに死ぬのかは自分で決める。そうして命の絆を次の世代にどう渡して消えるのかここ5年10年の勝負になる。その期間だけは生き抜いて見せなければ、そして静かに無に帰して天然に去る日を楽しみにしよう。毎日を一歩ずつ、しっかりと歩いてゆこう。
マウスピース矯正にしろ、小児口腔育成にしろ、そして食育口腔育成支援センターや保育にしろ、できるだけ裏方で生きていければと思って色々と考えてきたのだが、事業ではオールクリアーオルソSさんにすべて譲ろうと思っていたが、家族間のトラブルで崩壊し、次はOおよびAの子息にこの事業を譲ろうとした。同時に小児関係の事業もOに委譲しようとしたのだが、ふたを開ければとんでもない状況である。
もうやめた、自分が前に出るしかない、あと何年の命か知らないけれど、その後はやりたいやつがやればいい、Sさん一家にしろ、OおよびAさん一家にしろ、その任には大きく力不足であった。自分で出てくる奴が後をやればいい。それまではすべて目良誠が前面に立つ。2001年芦屋松浜町で再起のスタートを切った時に比べればすべての面で楽である。もちろんマイナス面、Sさんが、O&Aさんが生じたマイナス面もあるのだが、あの時のマイナスと比べればほんの少しでしかない。どうやるか、あまり問題はないのだがひとつだけあるとすれば「S」、どうするのかが今年のテーマの一つになるのだろう。
なにはともあれ、すべてに全面に、すべてに立ち向かう、逃げない億劫がらない、何とか滑り出しはそれなりに動き出している。
4月11日 今日で抗がん剤とガンの、第7クール、第一回の戦いが終わるだろう。シスプラチン系のこの感覚は慣れた。前回のGTではぐったりと来たが、今回はファーストステージと同じで、ぐったりではなく、体にきた、持続力がない、という感じである。第1クールで自宅に変えっつたとき、階段をkじゃけ上がった時に感じた持続感のなさである。
10年を生きるその思考は始まったばかりである。急ぐ必要もない、急がなくても体力はまだまだ大丈夫だ。現状はこのような病院と仕事の生活も充実している。副作用時のセミナーの出席が心配でもあるが、うまくクリアーできるだろう。自宅で一人の気ままな生活も面白いが、少し制約のある病室での生活も慣れるといいもので、スパイスが効く。人間には常に「スパイス」=負荷=ロードが必要で、負荷を常に掛けることにより成長し続ける。ステージⅣの状態から10年は生きいるという、科学的な根拠は何か?
悪性新生物がただ成長し続けるということが問題となる。ガン細胞が、ある程度の進行度において、抗がん剤等をもってして、消失する可能性は今のレベルでは大変低い。成長を抑える、そして共生することは基本的に可能なのだろう。なぜ可能なのか?
4月10日 少しだが浮腫が出ていて、体重が増加している。シスプラチンの場合は以前もこの程度の体重の増加はあった。倦怠感はどうしてもあるが、ステロイドを入れると回復する。やはり、抗がん剤治療は体力・気力が基本にあるように改めて思う。今回の抗がん剤は初心に帰るでもないが、腎盂がんには初めて適用された多剤適用だが、このほうが効果があるようになんとはなしなのだが、感じている。肺に転移すると、おそらく、腎盂=上皮がんの傾向を持ちながらも、エピジェニックに肺の環境に影響されてくるので、転移ガンは対処が難しいともいえるのだろう。しかし、何とはなくなのだがそれがある意味転移ガンの弱点であるようにも思う。最後の抗がん剤を終えて、36時間一日半、あと36時間程度が抗癌剤とがんとの闘いのようである。
4月7日 朝
1ヵ月半ぶりの病室である。12時昼食、6次夕食、9時就寝 夜間に1度程度起きて排尿そして5時過ぎに起床し、6時に朝食。
生活リズムとしては病院生活が合っている。共同生活というストレスはどうしてもあるのだろうが、気ままに過ごすことで解消できる。気に入らなければ
病院を移ればいい。今回の2カ月で、この病院での治療も最後になるかもしれない。少し景色に飽きてきた感がある。
10年を生き抜く、それが僕のテーマであり、目的である。何が何でも生き生きて10年をめざそう。
ガンが見つかりほぼ1年が過ぎた。腎臓の摘出から、肺への転移、そして抗がん剤治療、ファーストレインが4カ月、セカンドラインが2カ月、明確にセカンドラインは効果がなかったが、ファーストラインは効果があった。ファーストレインをもう少し継続するほうがよかった感じもする。今回はそのファーストラインに近いまたは同じ薬剤を含む、古くからある療法を2カ月行う。体力も正常に近く戻り、今回の2カ月の治療はそれなりに楽しみでもある。それでいろいろなことが見えてきそうでもある。効果がなければ出どうするか、新しい発想で、この病院から離れて、違う動きをしてみるのもいい。それもそれなりに楽しみである。色々な立場や環境での楽しみ方があり、僕は僕なりの立場と環境で、がんを楽しむ。お金だけはこれまでは縁がなかったが
七難八苦いろいろあった。ただ、それぞれの局面で楽しんできた。そして楽しめた。とんでもない苦しい時期もあったし、死を考えた時期もあったが、それもそれなりに今となれば楽しめたと思う。楽しむことだ、生きることを、今という時間を。
4月3日
3月30日に再度胸部のCTを撮影、小さな影が2つばかり増え、以前からあるガンが2センチ近くになっているとの画像診断だった。
体調はすこぶる体調である。食事、寝る事等々により体力も相当回復した。腎盂癌に最も標準的な抗がん剤治療を受けることにした。どう転移癌をクリアーして行くのか?治療法としては、抗がん剤しか思いつかない。しかし、もう一つの手は免疫力におる改善である。抗がん剤と免疫力は、原則相反するのだろう。それをいかに相関させるのか、そこに新しい治療法があるように思う。確かに抗がん剤の効果は低い、しかし理論的には効果がないことはない。抗がん剤におけるストレスを軽減しながら体力をつけ、がんに相対する方法を自らの体で見つけてみたいと。来週月曜日にまた入院する。今回は原則として2カ月連続の入院になるが、体力そして仕事、生業いろいろな要素を組み合わせながら快適な時間を過ごしてみたい。10年を生きる、10年後は72歳、どのような癌でも10年は生きることができる、その一つの試金石でもある。
3月28日
新しい挑戦のために、10年の時間を全力でかけることが目的になった。10年の時間は、通常の治療では難しいだろう。抗がん剤では数年が限界であり二桁の年数を生き抜けることは考えにくい。自らの進退を鍛え、免疫機能を高め、体力を十二分に高めて生き抜くことが必要であり、受け身の治療ではなく、能動的な挑戦がその基本となるのだろう。
そして2週間ほど前から、いろいろな試みを始めた。
野菜を中心とした食事、ココナッツオイル、青汁、炭水化物を少なめに
そしてビタミンCを5000mg等々
体力をつけるために 運動は欠かせない、そのためには膝を治す
そして免疫力をつけるために来週から「鍼灸」、ひざを治し姿勢を治すための「整体」も始めようと思う。
30日に胸部CTを取る、セカンドラインが利かなかった右肺のガンはどう変化しているのか、小さくなるのもよし、大きくなるのもよし、今は10年を生きるために、全力で思考する。私は切った張ったは嫌いだから、医者にはならず歯医者になり、それも臨床から食いぶちを得るとき以外は郷里を置いた。だから治療の腕は基本的にはそれほどでもないし、知らない。しかし考えることは得意だから、考えよう。どうしたら10年を生き抜けるのか?
それはとりあえずは 1.規則正しい生活=睡眠と生活習慣
2.バランスのとれた食事
3.免疫力を高める行動
4.体力をつける適度な運動
5.ビタミンCなどの摂取 を始める
そして 必要に応じて ① 手術 ②放射線 ③ 抗がん剤 の標準的な治療を最小限に組み合わせる。さあ、10年を生き抜くために多くの命題がある、しかしこのガンに対する思考もまた心をうきうきさせてくれる。
3月22日
昨日は博多に、行き帰りの新幹線で、うとうとしながら想いを巡らした。
ガンの発生メカニズムはほぼわかってきた。遺伝子のスイッチミスがほぼ正解なのだろう。成長期のスイッチのレベルの高低についての検証が私の今のメインの仕事だが、スイッチのミスが何らかのストレスによって生じる、これががんの発生の基本であるとされる。
「がん細胞は、正常な細胞の遺伝子に2個から10個程度の傷がつくことにより、発生し、これらの遺伝子の傷は一度に誘発されるわけではなく、長い間に徐々に誘発されるということもわかっている。正常からがんに向かってだんだんと進むことから、「多段階発がん」と称される。
正常な細胞に決まった異常が起こると、その細胞は増殖し、そこに第二の異常が起こると、さらに早く増殖するようになり、異常の積み重ねにより、がん細胞が完成すると言われている。
がん遺伝子の変化は、特定の蛋白質の働きを異常に強めることにより、がんにつながる増殖異常を引き起こす。したがって、その蛋白質の作用をうまく抑えるような薬を見つければ、細胞ががん化することを防いだり、すでにできているがんの増殖を抑えたりすることができる。
がん遺伝子がアクセルとすると、そのブレーキにあたる遺伝子が、がん抑制遺伝子であり、がん抑制遺伝子は細胞の増殖を抑制したり、細胞のDNAに生じた傷を修復したり、細胞にアポトーシス(細胞死)を誘導したりする働きをする。DNAの傷が蓄積するとがん大変ですので、異常を感知して、その細胞に細胞死を誘導することも必要となるす。このように、がん抑制遺伝子はブレーキの働きをしていると考えられている。
遺伝子の傷は、その突然変異によるものばかりであると思われてきたが、、遺伝子突然変異以外にも、細胞が分裂しても薄まることなく、新しくできた細胞に伝達される異常があることがわかってきた。それがエピジェネティックな変異で、具体的には、「DNAメチル化」と「ヒストン修飾」の変化で特に、DNAメチル化の変化はヒトがんの多くで認められ、多段階発がんのステップとして関与している場合もあることが知られている」
というのが多くの解説書に書かれている内容だろう。それは分子生物学的なレベルでの話である、より実際になると、スイッチミスが重なり、ガンになり、ただ多くのスイッチミスは身体の防御機能がそれを消失させる、抑制遺伝子もあるし異物に対する免疫システムもある。それを逃れたがん細胞が増大化する。
私自身を考えると、成り立ちはそれでいいとして、遠隔転移がある、今のところ肺に限定している。上行静脈で肺に転移し、肺によりフィルターされ転移して発育した状態なのだろう。最後の画像診断での大きさは1センチ強、2か月前からほぼ倍近くに増大化している。その間のセカンドラインの抗がん剤は効いていない。感覚的には、異常に体力が奪われた感がある。薬剤自体は最初の抗がん剤よりは副作用等は少ないとされているが、個体差があるのだろうか、私には大変きつい薬剤であった。
そしてガンが見つかりほぼ1年の時間が経過した。原発部位である腎臓は摘出した。そして抗がん剤治療をする前に、肺への小さな転移が見つかる。そして抗がん剤治療でそのがんは消えるた、しかし、新しい小さな影が見つかり、セカンドラインに入る、しかしセカンドラインは相当体力を消耗し、抗がんの効果はなかった。最後の抗がん剤の投与からほぼ1カ月半、そして退院からちょうど1カ月が経過している。今朝6キロほどをウオーキング、ひざはまだ痛いが体力はだいぶ帰ってきている。
さてこれからどうするのか、標準的に考えられることは抗がん剤の治療でサードラインを設定することである。しかしその効果は、やってみなければわからない。薬剤自体では体力の消耗も激しいし、正常細胞、免疫系を含むシステムも攻撃する。主治医任せにする段階でもなくなった、自分のこれまでの知識を総動員して考察しなければならない。
抗がん剤はどうしても体力を著しく消耗する、30日に胸部CTを撮影するがその画像状況と今月初めの画像の変化により考えることになるだろう。
セカンドオピニオンも必要になるかもしれない。
3月17日
Beam onによる一酸化窒素の産出でのがん治療がどうなるのか、等々を思いながら朝、肺にBeam onを5分ずつの照射を金曜日から始めている。今日で5日目である。膝は比較的快調である。長距離をウオーキングするとどうしても形態的に痛みはあるが、ガンなどは話が違う。一酸化窒素には免疫系への貢献として白血球なども産出し病原菌やガン細胞に対処するメカニズムがあるとのこと。また血流を良くし、もちろんガンの血流も良くなるのだが、それ以上に正常細胞の血流により、正常細胞の活性を高めることは、その不要な細胞を除去する力が働くのだと思っている。
あと2週間ほどで一度胸部CTを撮影予定だが、楽しみである。これはきっと効果を示していると思う。もちろんそれだけではなく、朝の運動や、食事、サプリメントなどの効果もあるのだろうが。
3月15日
根本的な解決にはならないが、ひざの日常的な痛みは、Beam onで劇的に消失した。違和感はもちろん形態の変化の問題だからあるのだろうが、これについては右側で記述するが、麻酔ブロックの数倍は効果がある。灯台下暗しで、今まであまり気にしなかったのだが、NBCの田中会長の来院にて改めてBeam onを自身に施術するとその高い効果にはおどろだった。ついでに一酸化窒素について、以前の自分のセミナーの資料を見ていると、免疫系への効果やガンに対する効果などが文献などとともに残っており、これはいけるとの、訳の分からない予感。
一昨日より肺に照射を開始。これは効きそうだ。もちろん誰にでも聞くというものでもないのだろう。もちろん金精機外線だけで、効果が出るなど、マジックではないのだから、体力や気力、心理、いろいろな条件が絡み合い、効果を見せるのだろうが、私には確実に効きそうな気がする。そのためには必要なのは気力と体力、それがすべての前提に思う。何が何でも生き抜いて見せる。もちろん論理的に感知などは考えられないが、ともに生きることは確実に可能に思う。世の中には色々とおもしろいことがあるものだ。本当に身近にこんな装置上がるのを忘れていた。面白い。
3月10日
昨日午後にCT画像の説明を受けに外来に、本音としてはよくわからない。前回新しい影があるという話が画面に向かって右側側だったが、左側の肺の話になっていた。CTは自分の時代にはなかったからどう見るのか、よくわからない。左側は以前の消失したというがんの話だったのだが。角度の違いもありそうだ。間質性肺炎の疑いということでもあったが、肺活量も通常で、逆に人並み以上に4200だった。よくわからない、ガンは難しい、少しずつ勉強もしたいが。
と言いつつも、ガンに神経を使うのも飽きた。あと何年かはもういい、生きれるだけ生きよう、10年15年、20年は言い過ぎかもしれないが、目の前の仕事をクリアーしてゆこう。あと何年生きて、何をする…、と考えるのに急に面倒になった。しっかりと生活をして、しっかりと仕事をして、生きるだけ生きて、神の御心のままに天然に去ろう、と思う。明日死ぬのもよし、100歳に死ぬのもよし、その時その時を全力で生きよう。
3月9日 6回目の抗がん剤、5回目からはセカンドラインの抗がん剤治療であった。通常の知識では、手術後転移がんが現れるのが早い、耐性ガンが出現するのが早い、ということになるのだろうが、新生物は、そう簡単に判断できるものではないようにも思う。
成長のスイッチが次々に入りながら成長をする。そのスイッチにはレベルがあり、はいらない場合は疾病と判断される。私の専門はスイッチが入った場合のレベルの問題である。成長環境が成長にどう影響を与えるのか、成長のレベルにどう関連するのか、ということになるのだろうが、過度になることは比較的少ない、生物には生物には、過度にならない基本的な要素がある。それはそうとして、成長時ではなく、成長後に細胞が変化し続けることを恒常性という。成長の様相と少し違うのだが、基本はよく似ている。ここでスイッチが間違って入り、異質な細胞ができると、これは新生物と呼ばれる。これが成長すると悪性の場合、ガンになる。通常スイッチが正常に入ることは相当保守的なのだが、たまにスイッチが正常に入らない場合がある。これに自己免疫が対抗するシステムもある。正常にスイッチが入らない原因は「ストレス」である。どのようなストレスかは個別性がある、物理的、科学的、心理的ストレスが関連する。ガンの場合は成長という機能だけが極めて強く残っている状態にある。それ以外のその細胞が持つ恒常性における機能性は喪失している。そしてこの中の一部の細胞が、血液・リンパの解剖学的航路に乗って移動し、リガンドの場所で成長を開始するのが転移である。今日CTの画像検査を行う。
3月5日
常に「死」に対する意識がある。死自体を恐れるということはない。生きてゆく過程には目的と目標を設定する。その設定に常に死を意識している、という意味である。ガンが発覚後、手術を受け、転移がんが見つかり、抗がん剤治療をした、短い時間での動きであり、通常はあまり良くない状況だというのだろうが、1年が経過して、この土曜日に再度画像診断を受ける。
本音でいえば、転移がんは消失しているように思うが、外れると厭なので、残っている場合のことを想定している。2クールごとの投薬、問題は体力の回復をどうするか、抗がん剤はこれに尽きるように思う。「耐性」の問題も同様な気がする。薬はある一定以上がないと耐性ができる、体力がないとある一定量以下程度を継続する、そうすると耐性ができる。体力の問題になる。今後の抗がん剤のスケジュールをどうするか、抗がん剤をやめる気はない、薬理が大学の最初の出会いの場であった思い出があり、何らかの縁だろう、抗がん剤ととことん付き合ってみたいと思っている。しかし、体力を優先しないと、抗がん剤に負けるし、耐性もできる。体力はどうすればいいのか、食べることである、そして適切な負荷を身体に与えること、朝の2キロ程度の散歩なのだがその程度でも不可欠の運動である。そして食べる、食べる、人間は食べることに尽きる。
4月には1年になる。1年は長くもあり短くもあった。人生としては長かった、治療としては短かった。そして1年が経過して、石にかじり付いても2年は生きれる自信がついた。そして動けなくなって半年がプラス、なにやかやで3年は生き残れるだろう。か掘るさんが60歳まであと2年と少しそのぐらいは何とかなるだろうし、その期間で仕事も軌道に乗せる。後はなるようでいい、天然に帰るもいいし、適当に生きるもいい。もっともっと面白おかしく生きるのもまたいい。
3月2日
春の訪れである。春の終わりにがんがわかり、まあ季節で言えば一年がたったことになる。ネットなどで見ると、また成書でもそうだが5年生存率というのがある、1年生存もあれば2年生存もある、しかしどこからをいうのだろうか。手術後なのか、抗がん剤治療後なのか?よくわからない。
これから5年~10年で相当がん治療も変わるように思えるが、現時点では、摘出手術、抗がん剤、放射線の3つの治療以外にないのも事実である。治療法としては初期段階ともいえる。どんな失敗も同じようなものであり、初期から始まる。近頃実感するのだが、現時点ではこの3つの治療しかないし、この3つの治療ががんの治療に最も適しているように思う。しかし、どの疾患における治療も同じなのだろうが、初期の治療法は身体への負担が大きい。故に体力勝負の面が大きい。ガン以外の疾患は、体力があればり患しにくい、しかし、ガンは発病メカニズムが違う、体力に関係なく罹患する。しかし、その後の治療では体力勝負になる。初期治療はすべて同じような歴史を持つようである。では、体力とは何か?の命題になるとわからないというのが正直なところである。
2月25日
抗がん剤ってなんだろう、何回も記してと思うけれども。そのメカニズムだけを見ていると、正常細胞よりもがん細胞によく聞くはずであるが、比較の問題であり正常細胞もまた痛めつける。それもメカニズムとしてよくわかる。
薬にはよく聞く聞かないというのがある。どの様な薬にもよく見られる現象である。薬は違わない、受け手が違うだけである。イメージ的なのだが、抗生物質を多く投与して来た事から、水の流れに例えると、水の流れが激しい場所に抗生物質を流すと、それは自由に活動し広がり、水の流れに乗るように思う、淀みのある流れの悪いところでは抗生物質も淀み、活動しないような、そんなイメージを持つ。もともと元気な人、もともと体力のある人、もともと気楽に生きている人、そんな人が抗がん剤もよく聞くし、がんであることを自覚して、無治療を選択したとしてもそれなりの意義を見せてくれる人のように思える。 ガンに立ち向かうには、結局は体力・気力であるように思う。では何が対局で・気力なのか、よくわからない。ただ体力・気力が満ちていれば、ダイナミックな水の流れを作り出す。
がんになる原因、がんになってからの身体状態、二つは分けて考える方がいいのかもしれないし、同じ流れで考える方がいいのかもしれないが、ここではとりあえず分けて考えてみたい。
几帳面に目標設定をしながら、生きてきた。その多くは実現しなかったが、常に目標を定め、それに向かい努力はしてきたつもりである。しかし、目標設定はできても、それに向かうスケジュールを立てることはできない立場になった。いつ、ガンが暴れだし、いつこの命の炎が尽きるかは分からない。しかし、それもまたおもしろい、これまでとは違う人生観を持って歩いて行ける。 2015.2.25
2月21,22日 大規模乳幼児調査の研究者会議その前に土曜日は懇親会、一年ぶりの再会であり、楽しい時間を過ごすことができた。「保育園をコアとした新しいコミュニティーの勧め」その実現に向けて歩き始めよう、8月に第一回の会議を開催し 10月子育て支援センター全国大会で第2回の会議を開催する。やることがどんどんと増えて、死んでもらっては困ると、中山先生から言われると死ぬわけにはいかないのかもしれない。
ガンは確かに私の人生のスパイスであった。しかし、そればかりを記するには、色気がない、文人としての色気がない文章が長々と続く。自分で決めた一つの区切りが昨日で終わった。さて、新しい時間を始めよう、もっと色気のある文章を、人生の道連草の記を残して行くとしよう
2015.2.21
2月23日坂東三津五郎が死去した。膵ガンから転移肺癌が昨年の9月に発症し、今年1月インフルエンザいを発病し、昨日死に至ったという。私と同じ経過である、9月に転移肺癌が見つかった、そして抗がん剤治療を4クールして、そのガンは消失してが、また小さな影が見つかり、セカンドラインと抗がん剤治療では呼ぶ、新しく選択された抗がん剤治療をして今に至っている。どうなったかは3月に入りCTの画像で判定される。ここまでくればそれほど大したことでもない。ほぼ1年という年月が経ち、ガンとの生活にも慣れてきた。テレビでむ治療を選択して、5年まだ普通の生活を続ける乳がんの女性のテレビを見た。彼女は生きる事に未練もなく、堂々と死を選択している強さがある。その強さが彼女をまだまだ生きさせるのだろう。
私はすこぶる元気である。もちろん副作用もある。しかし、毎朝、2キロは軽くウオーキングをしている。仕事、生きることへの意欲は、私以上にその女性以上に、彼は持っていたのだろう。何が違うのだろうか、難しい命題である。
抗がん剤治療で言うファーストライン、そしてセカンドライン計6クールの治療を終えて退院した。約半年をかけた治療であった。一先ず休息をする。適切な運動と筋トレによる体力を作る。初日 6時起床 芦屋川沿いを川下に向かいスロージョッキング
朝のジョキング →ホノルルマラソン
筋トレ
糖分を減らし ケトン体を摂取し、80Kgを切る体重を維持する
週に2回程度は、温泉で体を休める
ビタミンCを2000㍉/日
3月からは本格的に仕事を稼働し始める。そしてガンといかに折り合いをつけて生きるのか、抗がん剤も良いだろう、短期の手術も良いだろう、高額な放射線治療も良いだろう、さあ、10年生きて見せよう、
「SAVE the CANCER ! Let's enjoy a life」
私は臨床家ではない、単に在野の一生物学者でしかない。故にガンについて臨床的な事項は何も知らない。経験ある臨床家にいろいろ教えてもらいながら、最後は「生物学者」として判断し、10年を生きて行く。
②1年が経過して
腎臓の摘出後抗がん剤治療を続けている。クール数でいえば7回目が終わり 8回目に入る。1クールがほぼ1カ月だから7か月が終わった。体調はどうかと言われると、すこぶる快調である。確かに体力というもの、持久力力と言い換える方がいいのかもしれないが、それは抗がん剤を投与すると相当落ちる。
先日、アメリカのFDAが新しいがん治療法を認可したと新聞に報じられた。以前話題になった抗体をガン細胞に付着させ、近赤外線で抗体を活性化させてガン細胞を破滅させる方法である。おそらく、うまくいくのだろうと思う。今後この10年、ガンに対する夢の治療法が開発されてくるのだろうとの予感がある。現状の方法はステージによりいろいろあるのだが、問題は僕のようなステージⅢからⅣ、ステージⅠ,Ⅱは現状の治療法でも治癒率は高い、しかしⅢⅣになると、治癒という言葉はなくなり、共存になる。そして致死率は異常に高くなる。
5年生存率は、罹患部位により変わるが、僕の腎盂がんなどは10数%程度という報告が多い。ただこの報告もわかりにくい。分かりにくいのだが、数字だけが一人で走りだす、すると、ガンのステージが高いとイコール死に結び付ける。また、日本人の二人に一人ががんにり患し3人に一人がガンが原因で死亡するというと、不治の病のような感覚にとらわれる。特にステージが高いとほぼ死という誤解が生じる。そして抗がん剤は使うべきではない…、ガンは放置しろ…ガンには代替医療等々の議論が活発化する。基礎医学は自然科学なのだが、臨床医学になると急に人文科学的に傾く。少し冷静にガンを考えておく必要がある。ここ10年でガンに対する治療法は一気に高まりを迎える時期にあるように感じる。そのために、今冷静にガンの治療に対する基本的な事項を論理的に構築しておかねばならないように思う、そうしなければ、これからの優秀な研究者たちの努力が、無駄になるように思えてならない。
1.生きることとは
①はじめに
ちょうど1年ほど前に、腎盂尿管がんであることを血尿から知った。リンパ節転移もCTから見ることができた。腎盂尿管がんの標準的な治療は摘出である。その形態状腎盂がんが治癒することは考えにくい。4月に血尿が出て、肺に別物の扁平上皮がんがあることもわかり、取り急ぎ7月に摘出手術、それで一息つけるかと思うと8月末には、肺へのメタ、1㎝ほどの転移がんが見つかった。5月末のPet撮影ではなかったので3か月ほどで1センチほどになっている。おそらくその時点では数ミリ、Petでは見れない大きさが3カ月で1センチに急激に成長したのだろう。これで病期は確実にⅣになり、言い換えれば末期とも言える状態になった。8月より抗がん剤治療を始めた。そしてⅣクール、年末になりその転移がんはも従来の扁平上皮がんも消失していた。しかし、GC療法では効果がない異なるメカニズムを持つがんがいるのだろう、肺に5ミリ弱の小さな影が一つ見つかった。CTで確認できる最小の大きさの陰であり、その外形をみると転移がんのように見える。年明けとともに、抗がん剤のセカンドラインでの抗がん剤治療を2クールが終わった。そしてCTを撮影した。
2ヶ月後のCT画像では空洞の壊死を呈しながらほぼ年末に7ミリ程度であったものが、倍程度に拡大している。もちろん一方向の撮影になるので3D上の拡大はわからない、と。形態は二つにくびれ、その二つの中心が空洞化している。セカンドラインの抗がん剤は効果がなかったのだろうとの説明になったが、前回年始に説明があった部位とは違う。
ガン治療自体がそう長い歴史があるわけではない。故によくわからないということが多い。それを前提にして、約1年ほど前に腎盂尿管がんが分かり、摘出手術そして肺への転移、それに対する抗がん剤治療がセカンドラインへ、1年もたたない中での動きであった。あわただし一年が終わり、そして、今、たばこをやめ、早寝早起き、そしてビタミンCサプリメントに野菜中心で、炭水化物を減らした食生活、元気である。抗がん剤ファーストラインが4クール、セカンドラインが2クール、抗がん剤による体力の衰えは確かにあるが、回復基調にある。すこぶる元気であり、ガンも説明によると、転移肺がんが一つが増大化傾向にあるが、他には問題は見られないという。僕には僕しかできないものがあり、多くの子供が僕にそれを求めている。自分のことはあまり構っている時間的な余裕はない。ガンはだれかが対処していくのだろう、僕は僕なりに一生物学者のガンへのアプローチ、ガンとともに生きる自分自身の問題として残しておこうと思う。
「病は患者自身が治す、医療はそのお手伝いをするだけである」そんな話を聞いたことがある。いいえて妙である。転移がんといえども、初期である。手術まではなかった。転移がんは進行が早いと言われる。しかしは早期は早期である、どう対応するか次第となる。ただ、出現の様相をみていると、体力の衰え、ストレスの中で出現が早まる。手術とともに体力が落ちストレスがたまり、METAが出現した。そして2クールの抗がん剤相当の縮小をみた。続く2クール本来は1.5クールになり、体力の消耗は激しく、精神的にもストレスがたまった。その後新しい小さな影をみる。そしてその影に対処するために、セカンドラインの治療を2クール、この治療は体力を相当消耗させた。自分自身には合わない薬剤であり、精神的なストレスも相当感じた。そうすると7ミリ程度の影が倍近くになっていた。そんな中で抗がん剤不用説は間違いだとは思う。無治療説も選択すべきではないと思う。ただ、医療が陥りやすい面がどうしてもがん治療には出て着るのではと思う。それは先述した 「病は患者自身が治す、医療はそのお手伝いをするだけである」の概念を医療側が忘れることである。最後は本人の気力と体力、まさしく今そう思う。私はガンの専門家ではない、今のメインは成長であり、顎骨である。私は臨床化ではない、あくまでも一基礎科学屋である。末端の野にある生物屋である。そんな私よりももっとがん患者と接した医者は多いだろう。しかし私は自分の経験で語る。そしてどうなるかはわからない。間違っていたら、命を落とす。そんな状況下にあるのだが、私は「病は患者自身が治す、医療はそのお手伝いをするだけである」と患者側にあるがゆえにそう思う。気力体力を優先し、抗がん剤治療等のガン治療とどう折り合いをつけて生きて行くのか、そんなきわどいチキンゲームをしかけている。
とはいえ、無治療でも余命数カ月の宣告を受けながら、5年10年と生きている人も結構少なくはない。死亡する人が目立つし、話題にもなるからガンは怖いとの先入観があるが、おそらく生きたがら得ている人のほうが多いように思う。その基本は上記した気力・体力であり、ある人は普通の人の2倍を食するとブログに書いていた。ガンには確かに悲観的な情報が多く、マスメディアやネットで氾濫している。そして悲観的な情報は取り上げられやすくまた記憶に深く刻まれる。しかし、元気に過ごしている人が多い、そしてもう一つの問題として、ガンをクリアーしたとしてどうするのかという命題にこたえていない。若い人はそれなりに通常の疾病と同じで考えていい。しかし私以上の年齢の人間、高齢に分別される人間にとって治癒する、改善する等々の後の人生はどうなるのかについての命題にこたえなければ、逆にそうがんが簡単に治ってもらうと社会が困る。
一年一年を蜩のごとく生きてゆこう・・面白おかしく
日暮の詩 今を詠おう 今を語ろう 今を刻もう
明日を夢見るときは終わりをつげ 今を見つめる年齢と状況になった
ガンにり患した事を心から神に感謝する 心の言葉の調べそれは日暮の詩
私に対する誹謗中傷の裁判が和解した。
このサイトの文面の変更を申し出て来た。そんなたいしたこともないサイトだが見ている人間もいるようである。気まぐれな想集である。変更などいつでもする。
「謝罪文の掲載などもういいよ」と、言うつもりだったが、引くに引けなくなった。文面を乗せることにする。
以下が誹謗中傷の裁判の謝罪文である。あとは50万円の和解金をいただくことになった。その人の弁護士によれば、事実を言うのは良いらしい。
できれば名前も出さないで、終わりにすれば、彼自身は傷はつかないで終われたのに、私は傷つくのは慣れている。ネットには彼らの私への誹謗中傷だらけである。それを信じる人間がいていいし、信じない人間もいるものである。仕方がないので、けじめをつけることにする。
わたくし並びに日本マウスピース協会に対する誹謗中傷に対する裁判が
相手側の以下の謝罪文のブログへの掲載と和解金の支払いで、こちらも了承し和解に至った。ご心配をおかけした方々にご報告を申し上げるとともに、私どもを信頼しご支援をいただいた方々に改めて感謝を申し上げる次第です
「私は、当ブログの平成25年7月21日~同年9月1日付記事の中で、
一般社団法人日本マウスピース矯正協会および同協会理事長目良誠氏が、オールクリア・オルソジャパン株式会社の債務不履行に関与しており、同協会と新たに契約しようとする歯科医院及びその患者が同様の二次被害に遭うおそれがあるかのような内容を掲載いたしましたが、当事者間の訴訟の推移等を踏まえれば、いずれも事実に反しておりました。
上記記事掲載により、一般社団法人日本マウスピース矯正協会および目良誠氏に対し多大なるご迷惑をお掛けいたしましたので、同記事内容を訂正したうえ、ここに謹んでお詫び申し上げます。
平成27年11月20日
ストレートライン被害者の会 前会長 松村眞次
心理的ストレスショックとその対応
意識と身体の変化
1意識と身体変化
私自身にガントラブルが突然襲ってからほぼ3週間が経過した。大学病院へ行き2週間、数日前にほぼトラブルの内容がでそろった。それから3日程の時間が経過している。
1月から早朝の運動を始めたので・・・と思っていたのだが、2月ぐらいから痩せてきた。ダイエットが目的であったことから、運動の効果と勘違いしていた。そして4月の22日に「血尿」があり、翌日に泌尿器科に行き、ガントラブルが始まった。そしてここ数日人に会う機会があるのだが、22日以前にあっていた人たちと久しぶりに数週間ぶりに会うと「痩せましたね」と声がかかる。もともと大食いの方だが、ダイエットのことも考え食を少なめにしてたのだが、ガントラブルからあまり気にせずに食べるようにしているのと、煙草をやめた性もあるのか、一層よく食べたこの3週間程であった。通常ならば「太ったね」と言われるはずなのだが、確かにやせた様に思う。
原因として考えられることは、
-
ガンの進行が原因している
-
それ以外の要因が原因している と考えられる
ガン自体が現状からみてこれほどの「やせ」を生じさせているのは考えにくい。となると、2のその他の要因であるし、それはハンス・セリエ博士の「ストレス学説」が頭に浮かぶことになる。
汎適応症候群の発症までの経過は
「警告期」のショック相では、脾臓・リンパ腺・肝臓の萎縮、脂肪組織の消失、胸腺及び腹膜後ろの組織の浮腫、体温の低下、消化器官、特に胃、小腸、盲腸の激しいただれ、大脳皮質性の複合脂質の減少などが起こるといわれる。そして反ショック相では、副腎皮質の肥大、脂肪細胞の回復、浮腫の消失など、抵抗力が強まってくる。ここで少量の薬物投与を、または比較的症状が軽い場合、この時期に各機能が回復に向かうのだが、詳細は省略するとして、反ストレスのメカニズムは心理面のストレスに対しては働きにくいのが通説である。これらの症状が一気に出た時期であったと思える。
この一連の流れは、これまで論じられてきたことであり、その全体像は十分に理解できる内容であろう。
さて問題は以下のストレス学説の流れを心理ストレスではどうなるかを考える事になる。
「抵抗期」は、抵抗力が高まり、ストレス刺激と均衡が取れている時期で、生体の反応は比較的安定するものの、さらに続く場合、1~3ヶ月後に生体は抵抗力を失う。
「疲はい期」は、長期にわたるストレス状態に適応し続けることができず抵抗力を失い、最初の警告期のような症状を見せ、各ダメージや異変の発症、さらに放っておくと死に至る危険が生じる。
セリエ博士のストレス学説は生理学的なストレスのメカニズムに焦点が当てられており、心理学的要因については考慮されていないのだが、その後の研究で、心理学的要因が重要であることが報告され、現在「心理学的ストレス」の定義として支持されているのは、R,S.ラザルスの定義である。ラザルスは、「ストレッサーがストレス反応を引き起こす」という一方向的な従来のモデルに対し、「環境と人間は双方向に影響を及ぼし、この過程が賦活している状態がストレス状態である」とした。
ストレスを生じさせる「すとれっさ」にはいくつかに分類さえるが、今回テーマとするストレッサーは、エベント・ストレッーサーとして、私は分類しているものである。「人生の出来事としてのストレッサー」と解説されることが多い。
これらを前提として具体的に私自身の時間的な経過を参考にして意識と身体的な変化ついて考察しながら、ガンと言う疾病と「意識」として、どう向きかうのかについて考えてみたい。
ここで述べる意識は、出来事=イベントストレスである。ストレスはいくつかに分類できるが、ここではイベントストレスを扱う。ストレスは比較的個人性が高く、それを具体的に目安として見る事は難しい。本人が落ち込んでいるように見えても、その姿がストレスの高低を表現しているのでもない。評価は大変難しい。
2意識をどう持つべきか
心理的なストレスの解消をどうするべきかについてまず考えてみる事にしたい。その前に、
-
ガンとは何か
-
寿命
-
医療
と言う基本的な前提について考察しておきたい。
私自身の近年の専門は「成長」であり、「健康医療」と言う分野であり、ガンの様な疾病=疾病医療には本来遠い立ち位置なのだが、今回自分自身が罹患してみて、疾病医療であるガンへの関心を持った。
ガンと言う疾病を見つめという、自分自身では大変有意義な時間を持てたと思うが、その上で、ガンに対する一般的な見方は多少違和感を持つようになった。3名に1名がガンで死ぬ時代である、と言いわれる。ではここで日本における死因を見てみよう
3割の人間がガンで死亡すると言われる。逆に言えば7割はガンでは死亡しない事になる。ガンに罹患した場合、何割が死亡するのかは分からない。動物体にとって死の基本的な原因は、老化であるが、老化と老衰はイコールではなく、ガンや、心疾患、脳血管疾患、肺炎等、ここで挙げられている病名は老化に含まれる。ここにまず一つの誤解がある様に思える。二つ目は、老化は改善することが無い、老化を疾病と考えるならば、治療はあくまでも延命を目的とするが目的になる。
詳細な考察は除くとして、ガンは不治の病ではなく、老化に伴う疾病の一つであり、その治療の目的は「延命」であり、他の老化に伴う疾病と何ら違いは無いという点である。そして、ガンの基本的なメカニズムはほぼ分かってきた中で、平均的な寿命の延長や医療の向上及び社会の複雑性が、ガンの増大化を相対的に引き起こしており、ガンがより死因の中で多くなっているということで説明ができる。
相対的という言葉を上述したが、この相対性が老化的疾患には重要である。同時に進行度合いとの老化度との相関も同時に考察されなければならない。と言う事は簡単には、縦軸に老化度(及び抵抗力+事故に治癒の能力)を置き、横軸に疾病の進行度を置くことで、延命度を考えることができる疾患であると整理できる。
次に寿命を考える事にする。寿命度と老化度は大きく関係する。
ほとんどの動物は、生殖の老化による官僚とともにその生命を完了する。しかし人間は、特に女性において閉経期を過ぎても数十年の時間を生き抜く。ここで動物体とは何かについて簡単に考えてみる事にしよう。動物体は、有機物で出来たメカニカルな物体だといえる。動物体=生命体の存在は、単に繁殖と言うメカニカルな歯車が遺伝子に規定されているだけである。
3意識を変えるべき具体的な方法
動物体としての原点に立つことが基本となる。動物体の原則は、代謝であり、呼吸と食である。まずはそれを確実に確保すればいい。まずは大きくは2つ、
1.呼吸 ①朝夕各1時間程度の適度な運動(例えば、散歩等)を行う
②腹式呼吸を1日数回 1回数分行う
2.食 ③食べたい物を食べる バランスの取れた食材を取る
④規則正しく食事を1日3回食する
その上で
アブラナ科を中心として、野菜を多く取る
ニンニクを少量 バナナを数本 海藻を少し 毎日継続して食する
ビタミンCを大量にとる
ウコンやシジミ等の健康にいいとされる食を適度にとる
が、動物体としての人間の基本である。その上で まず 規則正しい生活スケジュールを送ること。 毎日毎日を軍隊の様に規則を守る必要はないが、適当に規則正しい生活を送ることが基本であろう。
そして ⑤休息を取ること
(1~3回程度の短時間のお昼寝またはからだを休めるために横時なるだけでいい、を行うこと)
⑥煙草やアルコールはこの際一気に止めること
*煙草やアルコールのメリットも分かるが、そしてこれらが疾病の原因とは思わないが、増悪因子とはなり
える。そしてメリット性は他のものに求めることで解決すればいい。ストレスリリーフは、上記した深呼吸でカバーできるし、ほんの短時間の散歩でそれを解決できる。
40年間煙草を吸ってきたが、止めるのにそれほど問題はなかった。考え事をした後に欲しくなる程度であり、上記したようにほんの短い散歩をしながら深呼吸をする事により、止めるだけではなく呼吸を強くする効果を求めた。
以上が日常の変更である。多いようだがそれほど大したこともない。だけでも身体の抵抗力は相当強まるし、それによる自己治癒能力は体力の増強とともに強まる事になる。
次に、テーマである「意識の転換」が大変重要であろう。
最も難しく最も簡単で最も効果の高い方法が、「全てを捨る」ことである。これまでのせいかつを全てを捨てば、それで解決ができる。と言う事なのだが、それが大変難しい。立場状況により大きくかわる。
これまで多くの「死」を診てきたが、自分が「死」に直面した時、改めて「生と死」を考える機会が出来た。「生と死」には二つの異なるアプローチがある。一つは、私の本職である生物的なアプローチであり、なぜ時間があるのかという、生命体としての根源的な解釈が求められる。この事についてはまた違う場で論じる事にするが、ここで論じるのは、人間としての「生と死」、「意識」における「生と死」と言い換えても良いのだろうが、人間的なアプローチである。
ハンス・セリエ博士は、彼の著書にも書いてあるのだが、お会いした折に、「課題研究者」と「課題発見者」のどちらかがある。研究者はどちらかを目指す事になる、と言われたことが今になり思いだす。本人が望むか望まないにかかわらず、組織に所属せずに生きてきた私には「課題研究者」になる全ての前提が無い、故に「課題発見者」それも大それたものではなく「ストーリーメーカー」=仮説や考え方を気まぐれに語る、程度の課題発見者の可能性しかなかったし、今後もないのだろう。
故にこれまで、権威もなければ信用も信頼もない、ただ野に咲くレンゲ草でしかない。しかし「やはり野に置けレンゲ草」と言う言葉があるが、れんげ草は野に咲いてこそ意味があり似合うのだろう。権威の信用も信頼もない故に、自由があるし、束縛もない、それが私には向いているし、それを求めた人生でもあった。後悔するものでもない。時代は情報化、以前の様に自分の想いを発信するにWebという強い武器がある。もちろんゆえにWebは玉石混合、権威もなければ信用も信頼もないならば、それがあるものと比べれば相当高度なものを求められる。故に楽しい。知恵をいっぱいいっぱい出すしかない、仮に説が認められることがあっても、少しおこがましいが、かってのメンデルの様に死後十数年たってから、という事になるのだろう。それもまた楽しい。今何も獲得することもないし、それを望まない。レンゲ草が好きだから、床の間の高価な花瓶にレンゲ草は似合わない。あくまでも野の小道に風に吹かれて咲いているのが似合うのだから。
夏がやってくる
夏がやってくる 夏は賑々しくやってくる
春の華々しさとも違う
秋の艶やかさとも違う
冬の重々しさとも違う
夏がやってくる 私の故郷の踊りの様に
全ての想いを吹き飛ばして
なにはともあれ踊ろうよと 賑々しい夏がやってくる
私はこの夏に手術を受け 抗ガン剤治療を行う
私は賑々しく病と闘う 故郷の踊りの様に
派手派手しく 賑々しく 踊ろう
霞ゆく 春空薄く いい塩梅
ああ六十を 改めて知る 春になり
ゆったりと 風に任せて 季節(とき)を行く
得意の結果論なのだが、基本的には結果オーライになったようだ。
概要から考えれば、変化が常に必要ならば、変化は常に若返ることが基本だろう。
今新しい時代へと切り替えるその時が来ていたのだと。もちろん老いる側はまだまだ、そしてそれに沿ってきた方々もそう思うのだろう、しかしそれでは、何も変わらない、前にただ進んでいるだけだろう。提供側も提供される側も、今変化が大きなステップになる。その時期に来たのだろう結果論だけど、オーライのように思う。
確かに引くことは老いた側には寂しさがある、経験や知識は、まだまだ必要なのだと思いたくもなる。
病気がなければ、中途半端な病ならば、私は引かなかっただろう。やはり変化が必要であり、60が一つの区切りなのだと思う。そして自分自身もまた新しい、全く白紙のものに挑戦する、その知識と経験を積んだのだと考えるべきなのであろう。
歳とともに臆病になる、今イメージできない、新しい挑戦に臆病になる。
マウスピース矯正という業がこの10年間の挑戦だった。そして途中から口腔育成が伴ってきた。昨年に、大きな裏切りをして、その影を引きずる連中からの誹謗中があり、それよりも残された人たちへの対応そして新たな立ち上げ、駆け抜けた日々だった。
そして 老いと若きと新しい人材が上手く絡まった。考えて考えた挙句、工程を大幅に変更して、新しいものを目指す、そこに大きな負荷があった。しかし、その負荷が彼らはクリアーできるのだろう、多くのものをなくすかもしれない、それでいい、残ったものが財産になる。私は病により、去る。去るべき時期だったのを病が示してくれた。そして私個人には新しい挑戦を病が背中を押してくれた。
私は奉られる、特別扱いされるのが嫌いだ、年齢とともに、そしてこの業を続ける中で、そんな雰囲気を感じていた。私は「やはり野に置け蓮華草」床の間は嫌いだ。床の間の息苦しさはもう十分だ。もう相当前になるが、お亡くなりになった髭の三笠宮殿下とお話をしたときにそんな話になった。お前ならわかってくれるだろ、そう言われたが、よく解る。皇室は本当に大変だと思うし、そんな気持ちを正直に持つ彼が私は大好きだった。
これ以上この道を行くと、自分が何かを見失いそうだ。結果オーライ
結合と分離が繰り返される。それが生と死の始まりであろう。環境条件は同じことはまずない、毎日毎時毎分毎秒で変化を続ける。その中で適切な負荷に耐えた結合構造体は、環境の変化への抵抗力を持つようになり、構造体の継続的な存在が可能となって行く。
思えば長く生きてきた。いろいろなことがあった。よく生きているものだと。
思えば長く生きてきた。何かを知りたくて、何かを見たくて、何かを体験したくて
一度限りの命を、それなりに懸命に生きてきた。それほど後悔もない。
ただ、まだ生が続く限り、挑み続けよう。まだまだ知ることも見ることも体験することもありそうだから。
ニュースからいろいろな死が流れている。
韓国のフェリーの沈没時間やら事故やら・・・
突然の死は虚しいだろう、悔しいだろう、
いつ逝ってもいい、そう考えながら生きる世なのか、
原則として悪性腫瘍 進行性である
全摘をしても リンパ節への転移がある以上 他部への転移の可能性は高い
そして 根治はないだろうし、あくまでも 延命の人生を送る
抵抗力をつける 体を強くする 逞しくする それしかない
規則正しく、健康な生活 無理をせずに ストレスをためずに
楽しく生きる
楽しく生きることは 求めないこと 自分に求めないことは
終わりが見えていると誰にでもできる
家族にも会社にも、周りにも何も求めない どうなるかは彼ら次第だと
求めなければ気楽に過ごせる
自分を許せば、他人も許せる
自分に甘ければ 他人にも甘くなれる
まあよくこれまでよく生きてきたよと 自分を褒めてやろう
他人もよくやっているよと 褒めてやることができる
明日が楽しみになる 明日は何があるのだろうか
今まで以上に楽しくなれる 楽しいことしかしない
そんな人生を歩こう
子供たちがより健やかに成長をする、そのために私たちは具体的に何をすべきであり、保育や子育てをどう変えてゆくのか、そしてそのロードマップをどう描き、どうそれを具現化するのか、を早急に考えなければなりません。
1980年前後に子供たちに異変がという意見が発せられてから30年以上、その間に生じた社会の変化、社会を1980年以前に戻すことなど不可能であり、保育・子育てのパラダイムをいかに変えるのか、そこには、日本という国家が持つ進化上の特異性のなかで、必ず世界に波及する子供たちの問題に対処する方法を確立しておかねばなりません。
若き息吹と命
病棟には二つの声が聞こえる
明日を見つめる息吹が駆け巡る 今を見つめた生命が横たわる
若き息吹に圧倒され 私も明日を見つめる力を得る
若き命の息吹はただただ明日に向かう
激しい空気の流れに私も立ちあがり
明日へ向かう勇気をもらう
抵抗性を持った構造体は、生命体としての位置を持つようになる。しかし常に想定外の環境変化に苛まれ、抵抗だけでは環境の変化に打ち勝つことができない状態が続く。様々な生命体が出現し同時に滅亡する過程を繰り返した。その中から抵抗性が変化し適応する力を得る事になる。その時点で生命体は生命活動体となり、自己を持つことになる。
*ウイルスも生命活動体に分類することができる。生物の前段階の存在である。生命体は有機物質であり、それ以外は無機物質からできていると定義する。
通常物質はエントロピーの法則に従い乱雑化するが、生命体は乱雑化している。適応性を持った時点から生命活動体はエントロピーの法則に反することになると思われがちだが、乱雑化している。
結合と分離が抵抗性を生じそこから適応性を生じた。環境は複雑化して拡大する。そのたびに生命活動体はほぼすべてのものが分離してしまうが、ほんの少しが残る、言い換えればその体の強い抵抗性により分離から絶えることができ、それが適応性となる。抵抗性に適応性が加わって行き、より存在性が強まって行く。
。
師走である。進行ガンが動き出して2回目のお正月を迎える。時間は長いまだ2回目。
SNライン社のことでは上海の周君に大きく迷惑をかけたようだ。A-Fは僕の周りから家族まで多くの傷を残してくれた。
そして事業の回復はまだまだ道半ばであり、苦しい状況には変わりはない。ACOのSそして今回と人生最後に来て大変なうえに進行ガンが重なり、相当な負荷がかかった人生である。しかしそれも楽しもう、逃げずに楽しめばそれなりに答えが出る。もうすこし死ぬわけにもいかない、しかし向こうに陽の明かりが見えて来た。新しい歯科医療の展開にはIがいる。技工の展開にはSがいる。
11月13日 退院の前日に一人のご老人が隣のベットに入院された。看護師との話が聞こえてくる。抗がん剤治療→拷問治療・ホルモン治療→回春治療、看護師の単語を彼流にいいかえる、そして放射線科→島倉千代子・・・? ほうしゃせんか・・ホウセンカ
なるほど歌の題名である。一人で大笑い、だから大部屋は止められない。
第一の30年は明日が楽しそうであった。だから前に向かって人生を楽しんだ。次の30年は果実を求めた。失敗続きの人生であり、転び続けた。ただ起き上がることだけはしてきた。今名誉もなければ財もない、だから大部屋なのだろうが、それが楽しみを与えてくれている。生きる喜びをもらたしてくれる。人生いい塩梅である。
そして毎日を楽しむために5つのテーマに残された人生を挑もうと思う
1)ヒトの成長と発達
2)進化と医学(歯科学)
3)負荷と生理(Distress と Eustress)
4)ヒトの多様性と複雑性 (人間と適応)
5)ヒトの進化(人はどこに向かうのか
ライフワークであり どのくらいかかるのかは分からない
すこしすこし 進もう 最後の30年 いつまでの命かは知らないが
のライフワークを終わらせれれば 人生思い残すこともないだろう。
11月12日
早くも霜月である、だが思いのほか暖かである。3泊4日の抗がん剤の日程を終えて
暖かな秋の日差しの中を電車に揺られて帰宅した。
ガンは前向きに生きるとき、人生を変えてくれるという、本当にそうだと感じる今日こ
の頃でもある。ガンにり患して恐らくは寿命は短くなったのだろうが、その分の益は十
分に得ていると思う。
気付きや新しいものとの出会い、30年の青春時代、30年の苦悩の時代、そしてガ
ンが新しい30年の始まりを与えてくれた。
9月29日
思考する楽しさ 思考は明日を夢見る
思考の先は二つある 肯定か否定である
性格なのだろう 私はすべて肯定する 肯定するから疑問がわく
否定すれば 答えが出る それで終わる
肯定することにより 疑問が出て また思考が続く
人よ 思考せよ 思考をづつけよ 人は思考をする動物である
2015・9・17
私に与えられた時間が少なくなっていることを自覚している
しかしやらねばならないことがある
残りの時間を引き延ばしても それをやりきることが
私が生きた最後の存在意味なのだから
私にはあの故郷の海が与えてくれた 底知れぬ体力があり気力がある
海蒼し 大空の青に 続き行く
2015年 9月 15日
秋の夕暮れは冬に向かう時の香りを感じさせながら、
過ぎ去った夏の思い出を引きずる。
長い秋の影を追うようにして私は歩く
はあはあと息を継ぎながら、体力の衰えを感じながら
秋の夕暮れの道を歩いている
7月9日 免疫療法の説明を受けた。興味深い、やる価値もあるようだ。いろいろな療法がガンにはどんどんと出てきたいる感がする。医療とはそんなものだというのもわかる。30数歳のころ、直接は関係のない人生であったが、ガンの原因論がほぼ見つかろうとしていた時期を知っている。そのころも食にかかわっていたのだが、今ほど直接的ではなかった。
もちろんガンで死ぬ人も今も少なくはない。ガンに罹患する人は増加しているようでもある。長寿になったこと、ストレスが増えたこと、様々な複合要因なのだろう。今、研究中の子供のアレルギーも然りである、単純な要因ではなく、社会と個人の複雑に関連した複合要因なのであろう。それを単純に言えば、ガンであろうと、アレルギーであろうと、社会の変化と、言うしかない。
免疫もおもしろくなっている、同じ免疫でも過剰反応のアレルギーを考えるのと、免疫治療とでは違うもののように思えてしまう。しかし、故に免疫療法の話を聞くのもおもしろい。
現状の抗がん剤にしろ免疫治療にしろ 完全に治癒傾向を表すのは10%程度、基本は体力があるかどうかだと思える。知力だけではない、気力と知力も人間の基礎力として不可欠であると思う。免疫療法を見ると、効果を示すのは25%程度と記している。抗がん剤もそうなのだがこの数字は事実関係を示しているにしか過ぎない。統計とはそういうものである。客観的に数字のみを見つめることも必要である。数字上で表せば、「無」は「0」である。数字的には無は簡単に表現できる。しかし無を数字以外でイメージすることは難しい。同じようなことが統計には起こる。数字と実態は同一ではないことが多い。
私の場合抗がん剤治療は結構効果を示していると思える。おそらく免疫療法で完全にとはいかぬまでも、ある程度のレベルで安定化するように思う。そして時間稼ぎが十分可能に思う。なぜか、それは体力であろう。
6月23日 兵庫医大でCTを撮影、血液検査も。CRPは0.2、歯っ研究は少し少ないが3000台、抗がん剤治療ではまあまあなのだろう。CTは、5ミリ程度のものが2つ、以前からある、くびれのあるガン10ミリ少しのものが1つ、抗がん剤で抑え込まれているのか、少しづつ成長しているのか分からない、ということは7.8クールの抗がん剤の効果もわからない。3月の時点では3つばかりの話だったから今は3つなら1つは消失しているらしい。5ミリ程度の小さな影は消失するのも早いようである。なにはともあれ、今回の抗がん剤もそれなりに効果があったのだろう。
もう一歩治療を前に進ませるには免疫療法を加える手であろう。従来の免疫用法から新しいPD阻害薬まで、今後いろいろな選択肢が出てくるのだろう。7月2日に免疫療法の検討することになった。
「前に向かう」少しづつでもいいので、前に向かい歩き続ける。そうすれば可成れず物事は解決する。6月11日は、誹謗中傷の裁判の証言の日であった。まったく後ろ向きの、だれもが得をしない裁判である。そしてO君がやってきた。これも後ろ向き、解決を求めるものではなく、母親が家内に電話してくる。これも後ろ向き、後ろ向きでは解決はしない。このことはK女史のおかげで少しは前に進むようでもあるが、本人そして彼の母親には、これからも手がかかるのだろう。しかしこれはもう私においては終わりである。彼らとのつながりはまったくなく、ビジネスでしかない。後ろ向きな流れは、たとえ解決されたとしても、味気ないそれだけの存在になってしまうものでもある。
仕事もみんなのおかげで順調に動いている。もちろんもっと拡大する必要はあるが、少しずつである。急がば回れ、急がず進む。
6月25日 23日のCTでは前回の撮影からは大きく変化はない。左右に小さな影が2つと比較的大きなのが1つ、3月30日から、ほぼ3カ月だがそれほどの変わりはない。ここ5年がガン治療のピークを迎える治療法が開発されるのではないだろうか。人類もそろそろがんとの闘いに終わりを告げる時が来たようである。その後には今僕が手をつけている進化の急激な展開による様々な問題が出てくるのだろう。いつもだが、少し早すぎるのが僕の思考なのだろうか。故にお金にならない。その延長線上にある「口腔育成」そしてマウスピース矯正も早すぎたようでもある。離れた時、花が咲く。それでもちろんいいのだが、今回はそれが見れるかどうかは分からない。死してはなれるか、伝え終わってはなれるか、どちらにしろ、ガン治療が間に合うかどうかの綱渡りのような人生である。刺激があっていいのかもしれない。
6月18日 15日に退院し 3日目 最終の抗がん剤の点滴が9日、ちょうど一週間目、Mvacという抗がん剤の合剤の治療法だが結構体も参るようである。臨床の人たちの言う、抗がん剤は効かない、抗がん剤はよくないという話もそれなりに理解できる。この薬を体力のない状態の患者に使えば逆効果になるだろう。抗がん剤、放射線という流れは止める方向で考えるのがいいのだろうとおもう。そして、そう遠くない将来にその治療法が開発されるのだろう。私が間に合うかどうかは別にして、ガンが克服される時代が来そうな実感的な予感がある。
私は何をしても結局は何をしても飽きるから、それほど生活自体に目標もしたいこともないので、まあ、この世をおさらばするのもまたいいのだろうと、思っているし、もがきながら生き続けるのもおもしろいのかとも思うし、ただ、老いを晒して生きることだけは自分のプライドが許さない、それだけは確かである。
6月5日 ガンという疾患自体に目を向けて、そのメカニズムと成長のメカニズムとの相関を考える穂も面白そうでもある。朝、パートで勤めていた女性に偶然面談した。乳がんでの治療中である。抗がん剤治療を先行し、先日摘出したそうである。抗がん剤は相当きつかったとの話である。基本はやはり体力、その体力を現代人はそのレベルが相当低下しているのだろう。そこに私の研究のテーマがありそうである。ガンそのものの治療は、もう私が入り込む余地もないだろうが、見病である事、元気である事の意味に、何らかのまた面白い引っかかりがありそうでもある。
抗がん剤には二つの大きな問題があった。新しい治療法の流れが始まっている中では、過去形で「あった」という事にしよう。一つは副作用そして一つは効果が限定的である点である。最後は耐性の問題である。
①副作用 ②効果の限定性 ③耐性 の3点である。この3点を少しずつ思考をくりかえしてみたい。
5月20日 ガンや免疫の研究は、今から始めても出遅れている。今はまだ、大向こう受けはしないが「成長」そして健康医学が、トップランナーとして走れる分野なのだろう。ガンは間もなく一つのゴールを迎えるように思う、そこに参加の余地は残されていないようである。
5月19日 抗がん剤8クール目へ
-元気であるー
昨日5月18日入院 19日から抗がん剤治療を始める。抗がん剤の身体への副作用、俗にいう表現的な副作用ではなく身体全体を衰退させるという副作用については、急激に影響が及ぶ人や徐々に影響される人などに分かれるように思う。
自分自身は炎症反応を一つのマーカーにしているが、前回の退院時から今回も0.2程度、おそらく安定した状態なのだろう。ガンによる組織破壊があまり進んでいない状態、共存できていると考えている。
5月13日 アメリカのFDAで以前話題になった近赤外線によるガン治療が本格的に認可された。治験に入りそいう遠くない将来に臨床適用されるだろう。そして日本でも小野薬品など世界でいくつかの薬品会社が開発したらしい、免疫細胞の活性阻害を阻害する薬が臨床応用したらしい。ガンはそう遠くない将来解決されそうだと、スタッフに話したが、現実になろうとしている。もう数年の問題だろうが、現時点でも私に効果があるような気がする。世の中では餅屋は餅屋でその分野分野に優秀な人間が多くいる。ガンにウイングを伸ばしてみたら・・・と少し欲張った気持もなくはなかったが、しょせん付け刃、自分の専門は専門で一本道を走るほうがいいと思い知らされた(笑)
そうなると、私たちは、人生そして社会というものを、冷静に考える事が必要になる。生物としての私たち、人間としての私たち、そして群れとしての人間、生物、自然との折り合い、有限な資源、遺伝と進化、今本気で考える事が求められている。
5月12日 今の時点で、ガンが身体を蝕んでいるのか、共存しているのかは分からない。いたって元気である。確かに抗がん剤の副作用としての疲労感はあるが、食欲はいたって旺盛でもある。5月19日から抗がん剤治療のサードラインの2クール目を始める。気持の中では開き直っているというのか、必ず転移がんが見つかって(昨年の夏だが)5年以上は生きるという強い意志があり、抗がん剤がどうのこうのというものでもなく、聞かなければ効かなくてもいいし、抗がん剤がなくとも生き抜いて見せる。非治療でも、免疫療法などを組み合わせて5~10年は生きるしただそれ以上生きて不細工な姿は見せたくないのでそれぐらいでいいと思っている。ただそれだけはきっちりと生きていようと思う。そのためには食べること、生きる強い意欲、そして思考する力と適切な運動が不可欠に思う。
5月5日 医学は科学的に考える事が難しい分野である。科学的に考えると矛盾が多く出てくる。大学の恩師佐藤精一先生がキリスト教の洗礼を受けた時、私は反発した。科学者が宗教に走る事を。佐藤先生は私の反発に笑っていた。彼は科学者ではなく医学者であった。医学者が宗教に生きる事はよくわかる年齢になった。科学は1+1=2である。しかし、医学の答えはいくつもある。それなりの答えは「1」なのだが、見方におれば答えは無限であるともいえる。
今日採血をする。連休明けの昨年5月8日にこの大学病院を訪れた。そして腎盂ガンであることが判明した。摘出の手術を経て抗がん剤治療を7クール目、最初のGC療法と言われる薬を早くやめすぎたように今になると思うが、ただ結果としておそらくそれもOKになるように思う。なぜかと言われるとそれなりに意味があるのだが、おそらく正解の様に思う。
平均値とは違う風変わりな僕である。平均的な面が多くあるのに、なぜか平均値から大きく外れる事がある。最初の抗がん剤治療が3.5クールで終わり次に行った。しかし理屈としては継続しておくほうが短期的な効果としては正解であったように思う。途中で薬を変えた。結構体にはきつかった。術者側の意見とは大きく違った。そして本来はGC療法が効果がない場合行うべきではないと言われているMVACという多剤療法を今始めた。ある程度の時期が来たらなぜこの事が正解なのかを説明してみたいと思う。
5.1 白血球数は3400ほど、副作用として血液の減少が問題の様である。前駆細胞を増やすサイトカインが新たに開発されているらしい。次回からそれを投与するとすれば、外出をしながらの抗がん剤治療が可能になる。
抗がん剤には賛否いろいろあるが、がん治療の多くに利用されている。特に私のような病期のⅣ、言い方を変えれば末期にはそれしかないのだろう。
末期という言葉は何を指すのだろう、これもまた難しい。概念的な言葉の意味は難しい。CRPは0.1、この値は結構指標になるように思う。
2015.4.29 抗がん剤の新しい療法の1クールが終わった。なんとなくそれなりに効果を示しているように感じる。相変わらず元気であるし、CRP値もここ2回は0.5と多少高いがそれほどの高さでもない状態を示している。抗がん剤の効果があれば高い事も推測できる。今朝はウオーキングと筋トレ、以前に比べればそれほど高いレベルでもないが、それなりに体力の縮小を防いでくれる。体力とは 食に休養に適度な運動と説明されるものだろう。
気力は「生命への要求≒社会力-群れる力等々」そして智恵力が、人間の適応力の基本であるならば、生命力の基本であり、治癒力でもある。
2015.4.26 ここ数日 毎朝1.5㎞ほど、病院の周りを歩く。そして筋トレを少しして、ビタミンCを十分に取る、そうしながら次の抗がん剤治療に向かう。白血球の減少と血小板の減少以外の副作用は少し脱毛はあるがさしたるものではない。外に出る事も問題にならなくなるだろう。
薬剤の耐性とは何なのだろうか?生物の「適応性」で片付ける事ができるのだろうか?
その前に抗がん剤でよく言われる事は効果が少ない例があるということであり、私自身も今回のセカンドラインの俗に言う保険適応のGT療法は効果がなかったと評価されている。
4月24日 昨日で白血球数は3650 CRPは少し高い1.1 前回は0.3.
CRPが少し高い。今週の2回目の抗がん剤は飛ばしたので、来週は予定通り行うことになる。今朝からトレーニングを始める ウオーキングを1.5Km、後はスクワット、腹筋、腕立て等々を少しずつ始める。
ヒトの適応力の高さとは何か、智力・気力・体力である。詳細は進化のページで考える。体力は持久力の高さということは、食と適度な運動が必要である。気力は生きる意欲、群れる気持ち。そして最も重要なものは智力、人間しかもたない力である。智力は考える力である。アメリカ海軍の英雄ストックデール中将は7年間ベトナム戦争で捕虜となった。彼は7年間に及ぶ過酷な捕虜生活から生還した。彼は言う、悲観的でもなく楽観的でもなく現実的であることが生き抜けた要因である。「悲観主義者は風向きが悪いと不平を言う、楽観主義者は風向きが変わるのを待つ、しかし、現実主義者は帆を調整して風向きに立ち向かう」現実をしっかり受け止めながら、思考しその状況に立ち向かう。「なぜ私だけがこんなことになったのかと悲観主義者は想う,楽観主義者は何とかなるさと思う、しかし現実主義者は、現実の状況を思考分析し、それに立ち向かう知恵を持って、気力と体力を高め生き抜く」
4月20日ある医者が、「夜が怖い」とテレビで話していた。 彼もガンに罹患し、抗がん剤治療を受けている。彼は、地域の医療に長年尽力し、地域の人たちから頼られて生きてきたという。
僕は全くにその感覚はなくなっている。僕は明日が楽しそうである。それには死も含まれる。科学者の科学者たるゆえんは「好奇心」であり、お医者さんたちとは違う。そして、進化に携わる人間は、生命を、自分の生命を客観的に眺め、理解する。そのテレビでは「講演中に倒れたら格好いい」というセリフがあった。その通りだと思う。明日に向かってどんどんと生きる。今を楽しみ生きる。それで、明日に何があろうと、それもまたおもしろい。60年が人としての一つの区切という、故事は良くできている。あとは、残された時間をどのようにして生きるかであろう。5年か10年か15年か、何年かは分からない。
「いかにして死ぬのか」それは、日々の中で倒れていく、そんな生き方をしよう。講演中に壇上で倒れるのもいい、いつの日か人は逝く、特にがんに罹患した私はその危険性は高いが、いい死に方ができると思う。日々の生活の中で、一瞬にして倒れてそして逝く、多くの人が望む死に方を実践して見せたいと思う。
4月13日 昨日まで外泊、入院1週間の経過、週末は結構身体的には疲労感があったが、思うことの多い時間であった。一年後の状況は大きく変わっている。この年の暮の変化以上に。変えねばならないし、変えることがより良いものとなる。そのためには、今は黙して進むしかない。もう決めた、その線は崩さない、変える、大きく変える。
慣れたというのか、気ままもありというのか、入院生活もそんな自由度があると、セリエ博士ではないが、ストレスも「スパイス」である。6時朝食、12時昼食、6時夕食、そして9時就寝で5時に起きる。1日中机に向かい、仕事をして、たまにはこのような職を中心として規則正しい生活が体にはいい。確かにストレスもあるのだが、このストレスを「スパイス」と考えれば、またEustressとしてのストレスが増えたともいえるし、以前はこれがDistressだったのだから、なれというのか心の持ち方というのか、心の持ち方一つといえるようだ。
事業の完遂に、壁を設定すると、あと1年が家族のため、3年が海外事業のため、そして5年が一つの売り上げの壁をくりあーする、と思ってきた。しかし、子供のこと 大規模調査の答え出すのに、調査が2年とb運席1年にレポート1年、少なくとも私の仕事としては4年がかかる。成長の話を残すのンも3年程度か?食育口腔育成口腔育成の概念とその装置の製作などでも3年程度?マウスピース矯正の基本と応用と技工も3年、
3年では短い、5年か。
ガンの発見から生存率が2年で0に近いというレポートもあったが、その時に思った、レポートのアバウトさにいまさらながらに、その掲示が本当にいいのかどうか疑う、ということは、ネガティブさに人間は弱い。
確かに、知ることがアメリカナイズしていて、表面的にはいいようにも思えるが、人間の心理がそれに耐えれるのかどうか、おそらく耐えれる人の利率は大変低いだろう。心理をいかに読み流れそれを伝えるのか、一般の医師にはそれは無理である。心理学を学んだ専門家にゆだねるべきだろう。
生き抜く基本はやはり体力、気力、知力、人間が人間であることの意味の力でもある。おそらくそのあたりに答えがありそうでもある、それを科学的な論理にどう落とし込むか、5年は少なくとも思考がいる。そして5年の論理構築がいる。10年か?
ガンを思考することを始めたら、言うだけではなく、私自身が生き抜く10年を実践することも求められる。普遍的に、平均値としての10年、その10年の意味は、私の年齢で10年
若い人ならもっとである。私の年齢では私の価値観があるからの設定で、介護年齢までというだけの意味になるだけなのだが【笑】
それをやり始めるか!世界で私しかできないという高いぷプライドを持って。命をかけての挑戦だからより面白い。ただ、ストーリーメーカーとしては、生命は紡がれ続くことを忘れてはいけない、医学は生きることを求め続けるが、私は死ぬ意味も生きることに常に考慮しておかねばならない。
村上千幸山東保育園園長は35年来の友人である。彼と2009年ごろから子供の成長について共同研究を続けてきた。彼との何気ない食事での会話が私にあたらしい研究活動の種を与えてくれた。1970年代から本当は1960年代かららしいが、子供たちに少し筒異変が生じていた。解決は30数年の流れの中でなされず、状況はより悪化していた。村上園長との食事から約5年が経過し、私の立場では、ゴールはある程度見えている。それを具体的な社会活動に落とし込む、それが彼の仕事である。これは大変力がいる仕事であろう。彼の立場で言うなば「暮らし」を現代社会でいかに実現するになる。
私のゴールはほぼ見えている。今年中には私の分野の中での具体化を終えたい。装置そして食育指導の具体化である。そしてそれに平行して、論理構築をしておかねばならない、具体的には「負荷=ストレスと成長の相関」ということになるのだろうか、一年ほどをかけて、構築して残しておく作業がある。同時に「大規模調査」の答えを出す、3年計画だから来年まで続く、私には調査は大きな意味があったが、調査の意義を研究者にも保育園にもそして誰よりも保護者と子供たちに見える形で、成果を持たせていかねばならない、ということで、この分野においてもあと、少なくとも今年度から3年は生きてゆかないと義理が果たせない。(笑)
そして、子供たちの成長についてある程度のイメージがつかめたところにガンである。ガンもまたその解決策がない。子供たちの状況と、本当によく似ている。エイズのような、エボラのような外部からの侵襲ではない。外部要因における疾患の解決の研究方向はある程度確立しているともいえる。しかし内部要因による疾病や成長の問題については、自己免疫疾患等もしかりで、研究方向が見えていない。
偶然というのか、その機会が与えられてのだろう。自分の命をかけて、求めてみるのも面白い。抜本的な解決方法が提示されるには時間は必要な感じがするが、私にできることはその道筋を示す、解決へのストーリーメーカであらんと、心が燃えている。思考し続けること、、思考をやめないこと、そうすれば必ず、答えは見えてくると信じて進もう。より多くの人々をいやすために、方向さえ示すことができれば、私の役割は終わる、村上園長のような力と知識で世を変える人が必ずいる。その人に引きつけば、私の仕事は終わる。
これまで、いくつかのストーリーを描いた。セーブザチルドレンはまあ年齢が若すぎて、しかるべき人に引き継ぐのができなかった。後悔はあるがそれなりに大きくなっているのだからいいだろう。そしてマウスピース強制は、普遍的な広がりを持たせることにした。特定の人に引き継がず、知る限りの情報を公表して行く。
「ガン」相手が相手だけに面白い。自らの命をかけるだけにまた面白い。いかなる時も楽しむことだ。そう思って生きてきたし、そうなったし、これからもそうして行きたい。
今年になり、2回のセカンドラインの抗がん剤治療を経て、自分なりに医療に対する意識が大きく変わったように思う。抗がん剤治療は相当身体にこたえた。抗がん剤治療そのものについての考察は右側に記載するとして、この間に多くのことを考える機会があった。同時にこの期間は、jこれまでのライセンス契約で対応した、オールクリアーオルソ、そしてSNラインとは異なり、エースデンタルジャパンは自分の個人商店であり、個人が利益に直結する。
自分に利益もそして責任も直結することは、いろいろな意味でプレッシャーになり、いろいろな思考を行うことになる。そして、手前味噌であるが、今どのような症例にも対応できるシステムとしてのマウスピース矯正と理屈としての小児口腔育成は完成したと思う。小児口腔育成は歯科医療からみた面は8割がた完成したと思うが、保育めんらかの視点はまだ色々と考察しておかねばならないことも老い。そしてこの考え方は世界が相手においても、他社との比較として相当レベル上位にあると自信を持って言える状況になった。そして海外に出る。子どもたちの成長をリセットする。その自信は十分にある。故にあと10年は生きなければならない。私が10年生きることは、自分のメリットよりも、多くの人に、個人にメリットを与えられそうである。5年で何とかなるように思ったが、10年が必要なようである。10年すれば70歳を超える。そろそろ介護が見えてくる、介護は私の辞書にはない。その前に生命の炎を燃やしつくそう。何が何でも10年を生き抜く、そのためにはどうしてらいいのかのか、考え実行に移し、そして動こう。
生物の宿命として、いや存在はすべてにおいて老いる。鏡に映った老いた自分をみるのが嫌になる。死は当たり前のことのように受け入れられる。思い残すことは家族だけで、それ以外明日死んでもいい。生きるだけ生きた、自分のための人生はもう充分である、家族のために多少のものを残せられれば、思い残すことはない。しかし、老いたくはない、ひざが痛い、動けない、昨朝、芦屋川を渡ろうとして川に足が落ちた。左足が踏ん張れなかった。惨めだった。老いたくはない、老いる前に死ぬべきである。それが生命としての定めなのだろう。今しばらく、想いを多少築き上げて残して、老いが確実になる前に、去りたい。
今になり思うことは、下記したいろいろな出来事は、私にとって、結果オーライであった。その都度、いろいろな状況を改善できた。マウスピース矯正や小児口腔育成のテクニカル的な面や、またITの問題など、その事件があった故に大きく展開が変わった、多くのものを得ることができた。ガンの罹患も自分には多くのプラスをもたらしてように思う。考える時間、思考するテーマ、命の時間との引き換えかもしれないが、得るものの方が大きいように思う。命と引き換えに時間は確かに減少したと思う。しかし、与えられた時間内で、多くの事項を残していこうと思う。その一つ、入れ歯の事項もまた浮上してきた。望むものではなかったが、歯科医療に携わることになった私の原点でもある。母親とフランク先生、この二人の稀代の「入れ歯師」に出会えてことがすべての出発点である。私は歯科医師ではない、入れ歯師である。マウスピース矯正装置やら口腔育成装置やら等々はあくまでも入れ歯師の延長線上の考え方をののべたにしか過ぎない。その程度の貢献である。二人の入れ歯師の思いを残しておくこともまた私の仕事なのだろう、神から与えられた時間が少ないだけに、心が騒ぐ、急がねばならない、60数年を生きてきた。多くの先人先輩たちから多くのものを与えられた。それを次世代に残してゆかねばならない、残された時間がない、残しておくものは山ほどある、先人先輩に感謝する、故に楽しい。命を削っても残す時間を大切にしたい、それが私の生きてきた証拠だから。私の命などさしたるものではない、次世代に残すことそれが意味を持つ。神よ私にそれだけの時間でいい、それだけの時間を与えてほしいと、思う。
ビジネスは難しい、マウスピース矯正も2回にわたり、トラぶった。5年前に破産手続きをして、それ以後前面に出ないでおこうと、ライセンス契約だけの立場であり、最初はS氏一族に、2回目はF・O氏に経営権を任せ、一歩引いた立場で、協力してきたが、結局は双方ともに多くの負債を残されて終わった。2回目か、事後処理に追われながら、再出発。飽きないと言えば飽きない毎日で、ガンでくたばっているわけにもいかないのが正直なところである。
芦屋で歯科医院を始めた時、世間から相手にされない状態だった。借入金はできない、現金払い、運営が大変だった。規模が小さいからよかったが、無スピーす矯正は大きくなりすぎた。故にビジネスの動きを妨げると思いい、マウスピース矯正では前線から距離を置いた。しかし、結局はうまくいかなかった。負債だけが残りまた再出発である。今はステージⅣのがんでもあり、制約がまた増えた。借入金ができない、に加えて信用がない、私の名前で彼らが動いているから世間はその気になっている、そしてガン。
財なし、信なし、身体は病なり、まあ、いいか、開き直るのが私の性分である。人に何を言われようが、人にどう評価されようが、芦屋で歯科医院を開設し再出発をした時も思った、毀誉褒貶は人の言。倒れても立ち上がりた取れても立ち上がり、その都度強くなれるし、その都度大きくなれる。さあ、また歩き始めよう、家族のために、仲間のために、そしていま日本の子供たちが私を求めていると信じて。前面に出て、旗を振ろう、前面に出て動き続けよう。
倒れるのが先か、軌道に乗るのが先か、5年後年商50億を目標に
口腔科学は難しい、ともすると大工仕事にもなり、訳の分からない代替医療に巻き込まれがちになる。口腔内だけに話を絞ることと、口腔が関連する諸問題はまずは分けるとして、口腔外に関連する事項は、確かに目を引く。しかし、大それたことはないように思う。食育と食生であり、口腔育成と口腔機能改善でしかない、そのうえで身体のバランスに大きく関係するという点がある。歯列咬合は生涯を通じて移動をしながら,動的な平衡状態にある。その平衡状態が問題である。平衡状態にならないあるレベルを超えた場合、動的な異常状態を引き起こす。整形的な問題はわかる。単なる幾何学の世界である。しかしたとえば自律神経系の改善などはなぜ起こるのだろうか。膝の痛みは幾何学的なバランスの問題であり、ある程度の根気があれば改善に近づける。Beam onで痛みを緩和しながら、形態を変え、その原因である筋力をつけて行く、全身的な筋トレ等も行うと良い。これは100%とは言わなくとも、それなりのレベルには、年齢等に即した求めるレベルには改善するのだろう。
三ノ宮の噂の整形に行ったが、治療自体は変わり映えはしない。基本的には完治しない。という疾患は確かにもうかる。医院自体は盛況であった。昨日は宝塚市立病院に、同級生の柳澤先生を訪ねて、インプラントの除去を依頼した。彼もまた大変忙しそうであった。医療機関は特に医院が増大している歯科医療機関では、ビジネス感覚が大きく経営に左右する。人のマインドを捕まえる、今という時点の風をいかに捕まえるか、そんな時代である。目の前を吹く風である。その風を捕まえるには今の状況を短時間でそして適格に判断して行動に移すことが求められる。
老いたくはない。老いが自分に覆いかぶさる前に天然に去りたい、いや去ろう。そのためにはガンにり患した事をある意味幸に思う。肺には1センチ程度の転移がんがある、これだどうなるかはわからない。しかしそれに対処する、抗がん剤かもしれないし、無治療かもしれないし、手術かもしれない。寿命とがんと仕事と生きがいと、それらとの折り合いをつけながら生きて行く、自分の意志の通りにいけるか、自分の意思をガンが上回るかわからないが、いまは堂々と自分の人生を歩く。どう折り合いをつけるかはその時その時の風のままに。
少しずつ、朝のウオーキングを伸ばしている。今週は2キロ半から3キロコースを、来週は3キロから3キロ半コースと。体力も少しづつ回復している。身体を鍛え、体力をつけ、ガンとともに生きて、生きれるだけ生きて、しっかりとした生活としっかりとした仕事に全力で向かおう。
朝はウオーキング そして 青汁と野菜サラダ に ヨーグルトにVC1000㎎、そして滋養強壮ドリンクにココナッツオイル
しっかりと取ろう
昼は 野菜サラダにおかず
夜は 野菜サラダにおかずにココナッツオイル
VC1000㎎
炭水化物はほんの少しか付き合い時に摂取
後は少しづつトレーニングを
少しづつ温泉でのリフレッシュ 週2回 脱毛次第だが
膝を治して ホノルルを目指そう
芦有道路を少し上がるとライト氏の設計した建築物がある。その駐車場までが第一ステップ、次に正門に、そして今日はその上の山手小学校まで歩いた。急坂はきついが、昨年夏からの抗がん剤治療も半年続いた。抗がん剤は体力に相当のダメージを及ぼす。最後の投与から一カ月が過ぎた。少しは体力は回復しているようだ、とは言え、メーターに例えれば10%程度までメモリが上がってきた程度だろう。膝が痛い。これは治療して改善しない糸、動けない。インプラントの除去と膝の治療だけは近じか治しておかないと、今年末のホノルル完走は難しい。自分に残された時間はどれほどあるのかわからない。しかし60を超えたら、自分の時代は終わったと、思うほうがいい。自分がつかんだこの40年の蓄積物を残してゆくほうに力を注ぐのがいいのだろう。女川町の復興は、還暦になった人間は口を出さない、ということらしい。いい言葉だと思う。今は軌道に乗せる中で口を出さないわけにはというよりも先頭を走らざるを得ないが、明日数年、若い連中に任せる時期が来るのだろう。それまで走りきろう。それで終わりにして、口を出さない日が早く来てほしいとも思うが。
がんになった事、損得を自分自身の中で考えればどうなるのだろうか?ぶらぶらと芦屋川の畔を2キロほど歩きながら思った。
おそらくトータルで言うならば、がんになって、得であったといろいろな面から言える。がんにならなければ、85歳ごろまでは生きたのだろう。15年から20年程の寿命と引き換えにこれまでの事そしてこれからの事、いろいろな得る事の方が多いように思う。のんべんと老いるより、集中して何かを残して去るのがいい。
今時間はゆっくりと流れている。以前のように瞬く間に1年が終わるように思うことはない。がんが分かり手術をしてほぼ1年がたった。長い一年だった。そして今やることが多い、多すぎる、そうするとこれまで以上に時間は思う以上に長い。三寒四温、少しずつ暖かくなる。
エースデンタルジャパンが稼働して2カ月が経過、ギリギリの線だがそれなりに動いている。これまでの流れの集約と拡大は現状のスタッフが活躍してくれている。後はフランチャイズの拡大をどうするか、フランチャイズの提携し会員の拡大をどうするかになってきた。
こそもたちの口腔育成も拡大してゆかねばならない。やることも多くなった。命の限界と折り合いをつけながらどこまでできるか、一日一日が勝負というのもまたおもしろい。母が逝き、父が逝き、自分自身を創造した両親はもはや天然に帰っている。いかに生きいかに死ぬのかは自分で決める。そうして命の絆を次の世代にどう渡して消えるのかここ5年10年の勝負になる。その期間だけは生き抜いて見せなければ、そして静かに無に帰して天然に去る日を楽しみにしよう。毎日を一歩ずつ、しっかりと歩いてゆこう。
マウスピース矯正にしろ、小児口腔育成にしろ、そして食育口腔育成支援センターや保育にしろ、できるだけ裏方で生きていければと思って色々と考えてきたのだが、事業ではオールクリアーオルソSさんにすべて譲ろうと思っていたが、家族間のトラブルで崩壊し、次はOおよびAの子息にこの事業を譲ろうとした。同時に小児関係の事業もOに委譲しようとしたのだが、ふたを開ければとんでもない状況である。
もうやめた、自分が前に出るしかない、あと何年の命か知らないけれど、その後はやりたいやつがやればいい、Sさん一家にしろ、OおよびAさん一家にしろ、その任には大きく力不足であった。自分で出てくる奴が後をやればいい。それまではすべて目良誠が前面に立つ。2001年芦屋松浜町で再起のスタートを切った時に比べればすべての面で楽である。もちろんマイナス面、Sさんが、O&Aさんが生じたマイナス面もあるのだが、あの時のマイナスと比べればほんの少しでしかない。どうやるか、あまり問題はないのだがひとつだけあるとすれば「S」、どうするのかが今年のテーマの一つになるのだろう。
なにはともあれ、すべてに全面に、すべてに立ち向かう、逃げない億劫がらない、何とか滑り出しはそれなりに動き出している。
4月11日 今日で抗がん剤とガンの、第7クール、第一回の戦いが終わるだろう。シスプラチン系のこの感覚は慣れた。前回のGTではぐったりと来たが、今回はファーストステージと同じで、ぐったりではなく、体にきた、持続力がない、という感じである。第1クールで自宅に変えっつたとき、階段をkじゃけ上がった時に感じた持続感のなさである。
10年を生きるその思考は始まったばかりである。急ぐ必要もない、急がなくても体力はまだまだ大丈夫だ。現状はこのような病院と仕事の生活も充実している。副作用時のセミナーの出席が心配でもあるが、うまくクリアーできるだろう。自宅で一人の気ままな生活も面白いが、少し制約のある病室での生活も慣れるといいもので、スパイスが効く。人間には常に「スパイス」=負荷=ロードが必要で、負荷を常に掛けることにより成長し続ける。ステージⅣの状態から10年は生きいるという、科学的な根拠は何か?
悪性新生物がただ成長し続けるということが問題となる。ガン細胞が、ある程度の進行度において、抗がん剤等をもってして、消失する可能性は今のレベルでは大変低い。成長を抑える、そして共生することは基本的に可能なのだろう。なぜ可能なのか?
4月10日 少しだが浮腫が出ていて、体重が増加している。シスプラチンの場合は以前もこの程度の体重の増加はあった。倦怠感はどうしてもあるが、ステロイドを入れると回復する。やはり、抗がん剤治療は体力・気力が基本にあるように改めて思う。今回の抗がん剤は初心に帰るでもないが、腎盂がんには初めて適用された多剤適用だが、このほうが効果があるようになんとはなしなのだが、感じている。肺に転移すると、おそらく、腎盂=上皮がんの傾向を持ちながらも、エピジェニックに肺の環境に影響されてくるので、転移ガンは対処が難しいともいえるのだろう。しかし、何とはなくなのだがそれがある意味転移ガンの弱点であるようにも思う。最後の抗がん剤を終えて、36時間一日半、あと36時間程度が抗癌剤とがんとの闘いのようである。
4月7日 朝
1ヵ月半ぶりの病室である。12時昼食、6次夕食、9時就寝 夜間に1度程度起きて排尿そして5時過ぎに起床し、6時に朝食。
生活リズムとしては病院生活が合っている。共同生活というストレスはどうしてもあるのだろうが、気ままに過ごすことで解消できる。気に入らなければ
病院を移ればいい。今回の2カ月で、この病院での治療も最後になるかもしれない。少し景色に飽きてきた感がある。
10年を生き抜く、それが僕のテーマであり、目的である。何が何でも生き生きて10年をめざそう。
ガンが見つかりほぼ1年が過ぎた。腎臓の摘出から、肺への転移、そして抗がん剤治療、ファーストレインが4カ月、セカンドラインが2カ月、明確にセカンドラインは効果がなかったが、ファーストラインは効果があった。ファーストレインをもう少し継続するほうがよかった感じもする。今回はそのファーストラインに近いまたは同じ薬剤を含む、古くからある療法を2カ月行う。体力も正常に近く戻り、今回の2カ月の治療はそれなりに楽しみでもある。それでいろいろなことが見えてきそうでもある。効果がなければ出どうするか、新しい発想で、この病院から離れて、違う動きをしてみるのもいい。それもそれなりに楽しみである。色々な立場や環境での楽しみ方があり、僕は僕なりの立場と環境で、がんを楽しむ。お金だけはこれまでは縁がなかったが
七難八苦いろいろあった。ただ、それぞれの局面で楽しんできた。そして楽しめた。とんでもない苦しい時期もあったし、死を考えた時期もあったが、それもそれなりに今となれば楽しめたと思う。楽しむことだ、生きることを、今という時間を。
4月3日
3月30日に再度胸部のCTを撮影、小さな影が2つばかり増え、以前からあるガンが2センチ近くになっているとの画像診断だった。
体調はすこぶる体調である。食事、寝る事等々により体力も相当回復した。腎盂癌に最も標準的な抗がん剤治療を受けることにした。どう転移癌をクリアーして行くのか?治療法としては、抗がん剤しか思いつかない。しかし、もう一つの手は免疫力におる改善である。抗がん剤と免疫力は、原則相反するのだろう。それをいかに相関させるのか、そこに新しい治療法があるように思う。確かに抗がん剤の効果は低い、しかし理論的には効果がないことはない。抗がん剤におけるストレスを軽減しながら体力をつけ、がんに相対する方法を自らの体で見つけてみたいと。来週月曜日にまた入院する。今回は原則として2カ月連続の入院になるが、体力そして仕事、生業いろいろな要素を組み合わせながら快適な時間を過ごしてみたい。10年を生きる、10年後は72歳、どのような癌でも10年は生きることができる、その一つの試金石でもある。
3月28日
新しい挑戦のために、10年の時間を全力でかけることが目的になった。10年の時間は、通常の治療では難しいだろう。抗がん剤では数年が限界であり二桁の年数を生き抜けることは考えにくい。自らの進退を鍛え、免疫機能を高め、体力を十二分に高めて生き抜くことが必要であり、受け身の治療ではなく、能動的な挑戦がその基本となるのだろう。
そして2週間ほど前から、いろいろな試みを始めた。
野菜を中心とした食事、ココナッツオイル、青汁、炭水化物を少なめに
そしてビタミンCを5000mg等々
体力をつけるために 運動は欠かせない、そのためには膝を治す
そして免疫力をつけるために来週から「鍼灸」、ひざを治し姿勢を治すための「整体」も始めようと思う。
30日に胸部CTを取る、セカンドラインが利かなかった右肺のガンはどう変化しているのか、小さくなるのもよし、大きくなるのもよし、今は10年を生きるために、全力で思考する。私は切った張ったは嫌いだから、医者にはならず歯医者になり、それも臨床から食いぶちを得るとき以外は郷里を置いた。だから治療の腕は基本的にはそれほどでもないし、知らない。しかし考えることは得意だから、考えよう。どうしたら10年を生き抜けるのか?
それはとりあえずは 1.規則正しい生活=睡眠と生活習慣
2.バランスのとれた食事
3.免疫力を高める行動
4.体力をつける適度な運動
5.ビタミンCなどの摂取 を始める
そして 必要に応じて ① 手術 ②放射線 ③ 抗がん剤 の標準的な治療を最小限に組み合わせる。さあ、10年を生き抜くために多くの命題がある、しかしこのガンに対する思考もまた心をうきうきさせてくれる。
3月22日
昨日は博多に、行き帰りの新幹線で、うとうとしながら想いを巡らした。
ガンの発生メカニズムはほぼわかってきた。遺伝子のスイッチミスがほぼ正解なのだろう。成長期のスイッチのレベルの高低についての検証が私の今のメインの仕事だが、スイッチのミスが何らかのストレスによって生じる、これががんの発生の基本であるとされる。
「がん細胞は、正常な細胞の遺伝子に2個から10個程度の傷がつくことにより、発生し、これらの遺伝子の傷は一度に誘発されるわけではなく、長い間に徐々に誘発されるということもわかっている。正常からがんに向かってだんだんと進むことから、「多段階発がん」と称される。
正常な細胞に決まった異常が起こると、その細胞は増殖し、そこに第二の異常が起こると、さらに早く増殖するようになり、異常の積み重ねにより、がん細胞が完成すると言われている。
がん遺伝子の変化は、特定の蛋白質の働きを異常に強めることにより、がんにつながる増殖異常を引き起こす。したがって、その蛋白質の作用をうまく抑えるような薬を見つければ、細胞ががん化することを防いだり、すでにできているがんの増殖を抑えたりすることができる。
がん遺伝子がアクセルとすると、そのブレーキにあたる遺伝子が、がん抑制遺伝子であり、がん抑制遺伝子は細胞の増殖を抑制したり、細胞のDNAに生じた傷を修復したり、細胞にアポトーシス(細胞死)を誘導したりする働きをする。DNAの傷が蓄積するとがん大変ですので、異常を感知して、その細胞に細胞死を誘導することも必要となるす。このように、がん抑制遺伝子はブレーキの働きをしていると考えられている。
遺伝子の傷は、その突然変異によるものばかりであると思われてきたが、、遺伝子突然変異以外にも、細胞が分裂しても薄まることなく、新しくできた細胞に伝達される異常があることがわかってきた。それがエピジェネティックな変異で、具体的には、「DNAメチル化」と「ヒストン修飾」の変化で特に、DNAメチル化の変化はヒトがんの多くで認められ、多段階発がんのステップとして関与している場合もあることが知られている」
というのが多くの解説書に書かれている内容だろう。それは分子生物学的なレベルでの話である、より実際になると、スイッチミスが重なり、ガンになり、ただ多くのスイッチミスは身体の防御機能がそれを消失させる、抑制遺伝子もあるし異物に対する免疫システムもある。それを逃れたがん細胞が増大化する。
私自身を考えると、成り立ちはそれでいいとして、遠隔転移がある、今のところ肺に限定している。上行静脈で肺に転移し、肺によりフィルターされ転移して発育した状態なのだろう。最後の画像診断での大きさは1センチ強、2か月前からほぼ倍近くに増大化している。その間のセカンドラインの抗がん剤は効いていない。感覚的には、異常に体力が奪われた感がある。薬剤自体は最初の抗がん剤よりは副作用等は少ないとされているが、個体差があるのだろうか、私には大変きつい薬剤であった。
そしてガンが見つかりほぼ1年の時間が経過した。原発部位である腎臓は摘出した。そして抗がん剤治療をする前に、肺への小さな転移が見つかる。そして抗がん剤治療でそのがんは消えるた、しかし、新しい小さな影が見つかり、セカンドラインに入る、しかしセカンドラインは相当体力を消耗し、抗がんの効果はなかった。最後の抗がん剤の投与からほぼ1カ月半、そして退院からちょうど1カ月が経過している。今朝6キロほどをウオーキング、ひざはまだ痛いが体力はだいぶ帰ってきている。
さてこれからどうするのか、標準的に考えられることは抗がん剤の治療でサードラインを設定することである。しかしその効果は、やってみなければわからない。薬剤自体では体力の消耗も激しいし、正常細胞、免疫系を含むシステムも攻撃する。主治医任せにする段階でもなくなった、自分のこれまでの知識を総動員して考察しなければならない。
抗がん剤はどうしても体力を著しく消耗する、30日に胸部CTを撮影するがその画像状況と今月初めの画像の変化により考えることになるだろう。
セカンドオピニオンも必要になるかもしれない。
3月17日
Beam onによる一酸化窒素の産出でのがん治療がどうなるのか、等々を思いながら朝、肺にBeam onを5分ずつの照射を金曜日から始めている。今日で5日目である。膝は比較的快調である。長距離をウオーキングするとどうしても形態的に痛みはあるが、ガンなどは話が違う。一酸化窒素には免疫系への貢献として白血球なども産出し病原菌やガン細胞に対処するメカニズムがあるとのこと。また血流を良くし、もちろんガンの血流も良くなるのだが、それ以上に正常細胞の血流により、正常細胞の活性を高めることは、その不要な細胞を除去する力が働くのだと思っている。
あと2週間ほどで一度胸部CTを撮影予定だが、楽しみである。これはきっと効果を示していると思う。もちろんそれだけではなく、朝の運動や、食事、サプリメントなどの効果もあるのだろうが。
3月15日
根本的な解決にはならないが、ひざの日常的な痛みは、Beam onで劇的に消失した。違和感はもちろん形態の変化の問題だからあるのだろうが、これについては右側で記述するが、麻酔ブロックの数倍は効果がある。灯台下暗しで、今まであまり気にしなかったのだが、NBCの田中会長の来院にて改めてBeam onを自身に施術するとその高い効果にはおどろだった。ついでに一酸化窒素について、以前の自分のセミナーの資料を見ていると、免疫系への効果やガンに対する効果などが文献などとともに残っており、これはいけるとの、訳の分からない予感。
一昨日より肺に照射を開始。これは効きそうだ。もちろん誰にでも聞くというものでもないのだろう。もちろん金精機外線だけで、効果が出るなど、マジックではないのだから、体力や気力、心理、いろいろな条件が絡み合い、効果を見せるのだろうが、私には確実に効きそうな気がする。そのためには必要なのは気力と体力、それがすべての前提に思う。何が何でも生き抜いて見せる。もちろん論理的に感知などは考えられないが、ともに生きることは確実に可能に思う。世の中には色々とおもしろいことがあるものだ。本当に身近にこんな装置上がるのを忘れていた。面白い。
3月10日
昨日午後にCT画像の説明を受けに外来に、本音としてはよくわからない。前回新しい影があるという話が画面に向かって右側側だったが、左側の肺の話になっていた。CTは自分の時代にはなかったからどう見るのか、よくわからない。左側は以前の消失したというがんの話だったのだが。角度の違いもありそうだ。間質性肺炎の疑いということでもあったが、肺活量も通常で、逆に人並み以上に4200だった。よくわからない、ガンは難しい、少しずつ勉強もしたいが。
と言いつつも、ガンに神経を使うのも飽きた。あと何年かはもういい、生きれるだけ生きよう、10年15年、20年は言い過ぎかもしれないが、目の前の仕事をクリアーしてゆこう。あと何年生きて、何をする…、と考えるのに急に面倒になった。しっかりと生活をして、しっかりと仕事をして、生きるだけ生きて、神の御心のままに天然に去ろう、と思う。明日死ぬのもよし、100歳に死ぬのもよし、その時その時を全力で生きよう。
3月9日 6回目の抗がん剤、5回目からはセカンドラインの抗がん剤治療であった。通常の知識では、手術後転移がんが現れるのが早い、耐性ガンが出現するのが早い、ということになるのだろうが、新生物は、そう簡単に判断できるものではないようにも思う。
成長のスイッチが次々に入りながら成長をする。そのスイッチにはレベルがあり、はいらない場合は疾病と判断される。私の専門はスイッチが入った場合のレベルの問題である。成長環境が成長にどう影響を与えるのか、成長のレベルにどう関連するのか、ということになるのだろうが、過度になることは比較的少ない、生物には生物には、過度にならない基本的な要素がある。それはそうとして、成長時ではなく、成長後に細胞が変化し続けることを恒常性という。成長の様相と少し違うのだが、基本はよく似ている。ここでスイッチが間違って入り、異質な細胞ができると、これは新生物と呼ばれる。これが成長すると悪性の場合、ガンになる。通常スイッチが正常に入ることは相当保守的なのだが、たまにスイッチが正常に入らない場合がある。これに自己免疫が対抗するシステムもある。正常にスイッチが入らない原因は「ストレス」である。どのようなストレスかは個別性がある、物理的、科学的、心理的ストレスが関連する。ガンの場合は成長という機能だけが極めて強く残っている状態にある。それ以外のその細胞が持つ恒常性における機能性は喪失している。そしてこの中の一部の細胞が、血液・リンパの解剖学的航路に乗って移動し、リガンドの場所で成長を開始するのが転移である。今日CTの画像検査を行う。
3月5日
常に「死」に対する意識がある。死自体を恐れるということはない。生きてゆく過程には目的と目標を設定する。その設定に常に死を意識している、という意味である。ガンが発覚後、手術を受け、転移がんが見つかり、抗がん剤治療をした、短い時間での動きであり、通常はあまり良くない状況だというのだろうが、1年が経過して、この土曜日に再度画像診断を受ける。
本音でいえば、転移がんは消失しているように思うが、外れると厭なので、残っている場合のことを想定している。2クールごとの投薬、問題は体力の回復をどうするか、抗がん剤はこれに尽きるように思う。「耐性」の問題も同様な気がする。薬はある一定以上がないと耐性ができる、体力がないとある一定量以下程度を継続する、そうすると耐性ができる。体力の問題になる。今後の抗がん剤のスケジュールをどうするか、抗がん剤をやめる気はない、薬理が大学の最初の出会いの場であった思い出があり、何らかの縁だろう、抗がん剤ととことん付き合ってみたいと思っている。しかし、体力を優先しないと、抗がん剤に負けるし、耐性もできる。体力はどうすればいいのか、食べることである、そして適切な負荷を身体に与えること、朝の2キロ程度の散歩なのだがその程度でも不可欠の運動である。そして食べる、食べる、人間は食べることに尽きる。
4月には1年になる。1年は長くもあり短くもあった。人生としては長かった、治療としては短かった。そして1年が経過して、石にかじり付いても2年は生きれる自信がついた。そして動けなくなって半年がプラス、なにやかやで3年は生き残れるだろう。か掘るさんが60歳まであと2年と少しそのぐらいは何とかなるだろうし、その期間で仕事も軌道に乗せる。後はなるようでいい、天然に帰るもいいし、適当に生きるもいい。もっともっと面白おかしく生きるのもまたいい。
3月2日
春の訪れである。春の終わりにがんがわかり、まあ季節で言えば一年がたったことになる。ネットなどで見ると、また成書でもそうだが5年生存率というのがある、1年生存もあれば2年生存もある、しかしどこからをいうのだろうか。手術後なのか、抗がん剤治療後なのか?よくわからない。
これから5年~10年で相当がん治療も変わるように思えるが、現時点では、摘出手術、抗がん剤、放射線の3つの治療以外にないのも事実である。治療法としては初期段階ともいえる。どんな失敗も同じようなものであり、初期から始まる。近頃実感するのだが、現時点ではこの3つの治療しかないし、この3つの治療ががんの治療に最も適しているように思う。しかし、どの疾患における治療も同じなのだろうが、初期の治療法は身体への負担が大きい。故に体力勝負の面が大きい。ガン以外の疾患は、体力があればり患しにくい、しかし、ガンは発病メカニズムが違う、体力に関係なく罹患する。しかし、その後の治療では体力勝負になる。初期治療はすべて同じような歴史を持つようである。では、体力とは何か?の命題になるとわからないというのが正直なところである。
2月25日
抗がん剤ってなんだろう、何回も記してと思うけれども。そのメカニズムだけを見ていると、正常細胞よりもがん細胞によく聞くはずであるが、比較の問題であり正常細胞もまた痛めつける。それもメカニズムとしてよくわかる。
薬にはよく聞く聞かないというのがある。どの様な薬にもよく見られる現象である。薬は違わない、受け手が違うだけである。イメージ的なのだが、抗生物質を多く投与して来た事から、水の流れに例えると、水の流れが激しい場所に抗生物質を流すと、それは自由に活動し広がり、水の流れに乗るように思う、淀みのある流れの悪いところでは抗生物質も淀み、活動しないような、そんなイメージを持つ。もともと元気な人、もともと体力のある人、もともと気楽に生きている人、そんな人が抗がん剤もよく聞くし、がんであることを自覚して、無治療を選択したとしてもそれなりの意義を見せてくれる人のように思える。 ガンに立ち向かうには、結局は体力・気力であるように思う。では何が対局で・気力なのか、よくわからない。ただ体力・気力が満ちていれば、ダイナミックな水の流れを作り出す。
がんになる原因、がんになってからの身体状態、二つは分けて考える方がいいのかもしれないし、同じ流れで考える方がいいのかもしれないが、ここではとりあえず分けて考えてみたい。
几帳面に目標設定をしながら、生きてきた。その多くは実現しなかったが、常に目標を定め、それに向かい努力はしてきたつもりである。しかし、目標設定はできても、それに向かうスケジュールを立てることはできない立場になった。いつ、ガンが暴れだし、いつこの命の炎が尽きるかは分からない。しかし、それもまたおもしろい、これまでとは違う人生観を持って歩いて行ける。 2015.2.25
2月21,22日 大規模乳幼児調査の研究者会議その前に土曜日は懇親会、一年ぶりの再会であり、楽しい時間を過ごすことができた。「保育園をコアとした新しいコミュニティーの勧め」その実現に向けて歩き始めよう、8月に第一回の会議を開催し 10月子育て支援センター全国大会で第2回の会議を開催する。やることがどんどんと増えて、死んでもらっては困ると、中山先生から言われると死ぬわけにはいかないのかもしれない。
ガンは確かに私の人生のスパイスであった。しかし、そればかりを記するには、色気がない、文人としての色気がない文章が長々と続く。自分で決めた一つの区切りが昨日で終わった。さて、新しい時間を始めよう、もっと色気のある文章を、人生の道連草の記を残して行くとしよう
2015.2.21
2月23日坂東三津五郎が死去した。膵ガンから転移肺癌が昨年の9月に発症し、今年1月インフルエンザいを発病し、昨日死に至ったという。私と同じ経過である、9月に転移肺癌が見つかった、そして抗がん剤治療を4クールして、そのガンは消失してが、また小さな影が見つかり、セカンドラインと抗がん剤治療では呼ぶ、新しく選択された抗がん剤治療をして今に至っている。どうなったかは3月に入りCTの画像で判定される。ここまでくればそれほど大したことでもない。ほぼ1年という年月が経ち、ガンとの生活にも慣れてきた。テレビでむ治療を選択して、5年まだ普通の生活を続ける乳がんの女性のテレビを見た。彼女は生きる事に未練もなく、堂々と死を選択している強さがある。その強さが彼女をまだまだ生きさせるのだろう。
私はすこぶる元気である。もちろん副作用もある。しかし、毎朝、2キロは軽くウオーキングをしている。仕事、生きることへの意欲は、私以上にその女性以上に、彼は持っていたのだろう。何が違うのだろうか、難しい命題である。
抗がん剤治療で言うファーストライン、そしてセカンドライン計6クールの治療を終えて退院した。約半年をかけた治療であった。一先ず休息をする。適切な運動と筋トレによる体力を作る。初日 6時起床 芦屋川沿いを川下に向かいスロージョッキング
朝のジョキング →ホノルルマラソン
筋トレ
糖分を減らし ケトン体を摂取し、80Kgを切る体重を維持する
週に2回程度は、温泉で体を休める
ビタミンCを2000㍉/日
3月からは本格的に仕事を稼働し始める。そしてガンといかに折り合いをつけて生きるのか、抗がん剤も良いだろう、短期の手術も良いだろう、高額な放射線治療も良いだろう、さあ、10年生きて見せよう、
「SAVE the CANCER ! Let's enjoy a life」
私は臨床家ではない、単に在野の一生物学者でしかない。故にガンについて臨床的な事項は何も知らない。経験ある臨床家にいろいろ教えてもらいながら、最後は「生物学者」として判断し、10年を生きて行く。
②1年が経過して
腎臓の摘出後抗がん剤治療を続けている。クール数でいえば7回目が終わり 8回目に入る。1クールがほぼ1カ月だから7か月が終わった。体調はどうかと言われると、すこぶる快調である。確かに体力というもの、持久力力と言い換える方がいいのかもしれないが、それは抗がん剤を投与すると相当落ちる。
先日、アメリカのFDAが新しいがん治療法を認可したと新聞に報じられた。以前話題になった抗体をガン細胞に付着させ、近赤外線で抗体を活性化させてガン細胞を破滅させる方法である。おそらく、うまくいくのだろうと思う。今後この10年、ガンに対する夢の治療法が開発されてくるのだろうとの予感がある。現状の方法はステージによりいろいろあるのだが、問題は僕のようなステージⅢからⅣ、ステージⅠ,Ⅱは現状の治療法でも治癒率は高い、しかしⅢⅣになると、治癒という言葉はなくなり、共存になる。そして致死率は異常に高くなる。
5年生存率は、罹患部位により変わるが、僕の腎盂がんなどは10数%程度という報告が多い。ただこの報告もわかりにくい。分かりにくいのだが、数字だけが一人で走りだす、すると、ガンのステージが高いとイコール死に結び付ける。また、日本人の二人に一人ががんにり患し3人に一人がガンが原因で死亡するというと、不治の病のような感覚にとらわれる。特にステージが高いとほぼ死という誤解が生じる。そして抗がん剤は使うべきではない…、ガンは放置しろ…ガンには代替医療等々の議論が活発化する。基礎医学は自然科学なのだが、臨床医学になると急に人文科学的に傾く。少し冷静にガンを考えておく必要がある。ここ10年でガンに対する治療法は一気に高まりを迎える時期にあるように感じる。そのために、今冷静にガンの治療に対する基本的な事項を論理的に構築しておかねばならないように思う、そうしなければ、これからの優秀な研究者たちの努力が、無駄になるように思えてならない。
1.生きることとは
①はじめに
ちょうど1年ほど前に、腎盂尿管がんであることを血尿から知った。リンパ節転移もCTから見ることができた。腎盂尿管がんの標準的な治療は摘出である。その形態状腎盂がんが治癒することは考えにくい。4月に血尿が出て、肺に別物の扁平上皮がんがあることもわかり、取り急ぎ7月に摘出手術、それで一息つけるかと思うと8月末には、肺へのメタ、1㎝ほどの転移がんが見つかった。5月末のPet撮影ではなかったので3か月ほどで1センチほどになっている。おそらくその時点では数ミリ、Petでは見れない大きさが3カ月で1センチに急激に成長したのだろう。これで病期は確実にⅣになり、言い換えれば末期とも言える状態になった。8月より抗がん剤治療を始めた。そしてⅣクール、年末になりその転移がんはも従来の扁平上皮がんも消失していた。しかし、GC療法では効果がない異なるメカニズムを持つがんがいるのだろう、肺に5ミリ弱の小さな影が一つ見つかった。CTで確認できる最小の大きさの陰であり、その外形をみると転移がんのように見える。年明けとともに、抗がん剤のセカンドラインでの抗がん剤治療を2クールが終わった。そしてCTを撮影した。
2ヶ月後のCT画像では空洞の壊死を呈しながらほぼ年末に7ミリ程度であったものが、倍程度に拡大している。もちろん一方向の撮影になるので3D上の拡大はわからない、と。形態は二つにくびれ、その二つの中心が空洞化している。セカンドラインの抗がん剤は効果がなかったのだろうとの説明になったが、前回年始に説明があった部位とは違う。
ガン治療自体がそう長い歴史があるわけではない。故によくわからないということが多い。それを前提にして、約1年ほど前に腎盂尿管がんが分かり、摘出手術そして肺への転移、それに対する抗がん剤治療がセカンドラインへ、1年もたたない中での動きであった。あわただし一年が終わり、そして、今、たばこをやめ、早寝早起き、そしてビタミンCサプリメントに野菜中心で、炭水化物を減らした食生活、元気である。抗がん剤ファーストラインが4クール、セカンドラインが2クール、抗がん剤による体力の衰えは確かにあるが、回復基調にある。すこぶる元気であり、ガンも説明によると、転移肺がんが一つが増大化傾向にあるが、他には問題は見られないという。僕には僕しかできないものがあり、多くの子供が僕にそれを求めている。自分のことはあまり構っている時間的な余裕はない。ガンはだれかが対処していくのだろう、僕は僕なりに一生物学者のガンへのアプローチ、ガンとともに生きる自分自身の問題として残しておこうと思う。
「病は患者自身が治す、医療はそのお手伝いをするだけである」そんな話を聞いたことがある。いいえて妙である。転移がんといえども、初期である。手術まではなかった。転移がんは進行が早いと言われる。しかしは早期は早期である、どう対応するか次第となる。ただ、出現の様相をみていると、体力の衰え、ストレスの中で出現が早まる。手術とともに体力が落ちストレスがたまり、METAが出現した。そして2クールの抗がん剤相当の縮小をみた。続く2クール本来は1.5クールになり、体力の消耗は激しく、精神的にもストレスがたまった。その後新しい小さな影をみる。そしてその影に対処するために、セカンドラインの治療を2クール、この治療は体力を相当消耗させた。自分自身には合わない薬剤であり、精神的なストレスも相当感じた。そうすると7ミリ程度の影が倍近くになっていた。そんな中で抗がん剤不用説は間違いだとは思う。無治療説も選択すべきではないと思う。ただ、医療が陥りやすい面がどうしてもがん治療には出て着るのではと思う。それは先述した 「病は患者自身が治す、医療はそのお手伝いをするだけである」の概念を医療側が忘れることである。最後は本人の気力と体力、まさしく今そう思う。私はガンの専門家ではない、今のメインは成長であり、顎骨である。私は臨床化ではない、あくまでも一基礎科学屋である。末端の野にある生物屋である。そんな私よりももっとがん患者と接した医者は多いだろう。しかし私は自分の経験で語る。そしてどうなるかはわからない。間違っていたら、命を落とす。そんな状況下にあるのだが、私は「病は患者自身が治す、医療はそのお手伝いをするだけである」と患者側にあるがゆえにそう思う。気力体力を優先し、抗がん剤治療等のガン治療とどう折り合いをつけて生きて行くのか、そんなきわどいチキンゲームをしかけている。
とはいえ、無治療でも余命数カ月の宣告を受けながら、5年10年と生きている人も結構少なくはない。死亡する人が目立つし、話題にもなるからガンは怖いとの先入観があるが、おそらく生きたがら得ている人のほうが多いように思う。その基本は上記した気力・体力であり、ある人は普通の人の2倍を食するとブログに書いていた。ガンには確かに悲観的な情報が多く、マスメディアやネットで氾濫している。そして悲観的な情報は取り上げられやすくまた記憶に深く刻まれる。しかし、元気に過ごしている人が多い、そしてもう一つの問題として、ガンをクリアーしたとしてどうするのかという命題にこたえていない。若い人はそれなりに通常の疾病と同じで考えていい。しかし私以上の年齢の人間、高齢に分別される人間にとって治癒する、改善する等々の後の人生はどうなるのかについての命題にこたえなければ、逆にそうがんが簡単に治ってもらうと社会が困る。