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ガンは面白い。発病の因子など、自分の本業に近い話も面白いが、治療も面白い。抗がん剤が、賛否両論、色々ある。その極端な話を、医者が言うから面白い。自然科学の世界で、専門家がまずは、そんな極端な両論は言えない。

ペネシリンの当初の話によく似ている。反対論者の話も、なんとなくよく似ている。ペニシリンとは違い、相手が少し複雑で、解決には時間がかかりそうである。

結局は、ペニシリンと同じなのだが、今はまだ体力勝負である。逆に、医者の腕の見せ所だと思う、体力とガンの力との、兼ね合いをどうしながら、治療を進めるか。しかし、数値とマニュアル医療では、なかなか難しいのかもしれない。。

 

 

 

昨日の2回目抗がん剤が一時中止、今日12日採血検査の結果をみることになった。ちょうど2週間前にインフルエンザの予防接種をしたことで、リンパ球の変化が大きく好中球が減ったのだろうが、それはそれでいいだろう。

抗がん剤は大雑把にどのように効果を示し、効果が減少し、耐性等を持つようになるのか。

薬が耐性を持ち、効果に個人差があり、副作用にも個人差があることは、よくあることだが、抗がん剤が特にそうなのか、そうならば、ガン贅物の特性が他の寄生虫や細菌、ウイルス、等々その生命力は申請生物よりも低いともいえる。前提が多いために、その効力を数字化することは難しい。しかし、前提の上に立つ数字化は可能なのかもしれない。

 前提は、  ① 抗がん剤に効果があるまたは高い

       ② 二つ目は耐性の個人差だが これは往々にして①との関連が大きい、①が高い場合②の 耐性獲得度は低くなる。

もうひとつは③ 新生物の力度合いになるのだが、これは相対的なもので①②に相関している。

 その上で 比較的効果が高いことを条件にしてみると、効果が低い場合、係数を落とすことにあるのだが、

  1.ある係数で初回目に効果をしめす

  2.そこから一定の係数に従い耐性、効果が低下する

  CTの映像から2クール後の状態は、ほぼ2~30%程度に低下していた。最初のよう流が体重比でいえば多すぎたようなのだが、その大杉が理屈としてはよかったように思う。生物が相手の場合は、最初にガツンが原則である。2回で80%がなくなるのは、100から50を引く、さらに25を引く と残りが25 、または1回目60% 残り40 2回目 50% で40×0.5=20という考えもできる

先記ならば 3クールで 25-12.5=12.5、4クールで12.5-6.25=6.255クールで 3.125  6クールで1.575,7クールで0.795 8で0.3875 、9で0.193、 10で0.05464  、その効果は減少しながらも継続し限りなく0に近づく。 掛け算でも原則は同じであり、3回目で20×0.4=8、4回目で 8×0.3=2.4 5回目で 1.2 6回目で 0.12 となり7回目で0.006となって変化する 。どちらにしろ半年程度のクール数でひとけたの可能性に減じる。となると、そこに自己治癒能力が 加味するので、どちらにしろ0ポイント以下になる6~クールが目安でいいのだろう。それまで体力が持つかどうかが基本的に重要になる。

 体力というよりも治癒力は 体力と精神力であり、精神力は

1.気力=前向力

2.平静力

3.理解力

そして最も重要なものが 4.思考力である。

少し血液の値が低いので第4クールを延長して来週あたりに抗がん剤を点滴するがそれでほぼ4クールが終了。上記の計算では 残りは

6程度か 2.5程度 が計算的な数字である。 ガンという言葉は以前は気に障る言葉であり、あまり聞きたくもない言葉だったが、今は興味深い。大変面白いと思ってしまう。これだから人生やめられない。たわいもない、人文科学的なお遊びなのだが、退屈な人生を面白くしてくれている。

 

 

 

 

12月8日 昨日は午後一時外出で自宅にシャワーのために帰った。7b月から入退院を繰り返している、といっても7月以外は抗がん剤治療での入院であり、私が以外と元気なために、入退院を繰り返している、という普通に感じるイメージでもなく、長期にわたる入院のために、経済的な面も考えると、合室にはなるのだが、それに慣れればそれほど気にもならない。特に当たらに仕事が動き出した前回の入院化らはすることが多く、時間が足らない毎日だから、それを自宅でするよりも、事務所でするよりも居住環境がいい病院でする方が効率的になっている。

 抗がん剤の投与における自覚状態ンも少しづつ違いがある。投与後のしばらくの期間のほてり感、更年期障害でいうホットフラッシュがありステロイドでそれは改善する。ステロイドは昨日で投与が終わるので、今日はどうか投与後100時間程度が経過するので、自律神経系の副作用は減少してくるのだろうか?

 足のピリピリ感は、昨日あたりにある程度見られた。腫瘍崩壊の核酸の体内代謝がまだあるのかもしれないが、その程度は減少してる。前回からも減少し、昨日と比するとこれも減少している。末梢神経障害ならば手先にも生じるはずだが、手先はほとんど感じない。やはり代謝によるものと考えた方がいいのだろうか。100時間を超えると今回もこの現象は強まっているようでもある。上記した前提が正しいと仮定すれば、まだ腫瘍崩壊のメカニズムが働いていると考えることができる。CT等の画像で仮に消失したとしても、この現象が生じている以上はガン細胞は微笑に手存在するとも言えるし、過程の前提が間違っているということも考えられる。

 しかし感覚的には末梢神経系の異常という感じではなく、代謝的なピリピリ感であり、ということは、ガン細胞も思いのほかしつこいものであることが理解できる。このピリピリ感がなくなるまでは、抗がん剤は相当体力を焼失させるが、その勝負になるのだろうと思う。なぜガン細胞がそれほどまでに生命力を持つのかは、それほど難しい問題ではない。戦略的な適応ができない生物であることがポイントである。戦略性のない生命は、基本的には環境条件の変化に対応できず、消滅するしかないのだが、生命体としては頭が悪い分強いと言える。それに対応尾するには2つの要素があり、より強い変化を与えるか、頭脳で勝負するかであるが、現状はずので勝負する研究がまだまだ時間が必要となる。現状は体力勝負ということになるのだろうか?

 副作用と呼ばれる、例えば血球系の変化は全く教科書通りの出方をする、また体重の変化もいつも同じパターンである。

 いろいろな身体の変化がその都度に代わるのが楽しみである。抗がん剤をどう考えるのか、自分が実験台だから、偏った見方もあるが、それはそれなりに意味がある。

 

12月1日 霜月が終わり師走の月が始まる。水曜日3日からまた入院する。病室生活を続けていると、季節の流れに身体が変化していない。身体は秋から急に冬になり寒い。

 街に出てみると、抗がん剤効果と言うのか副作用と言うのか、私自身は変わらないと思っているが、相当体力が落ちているのに気付く。病院内を歩いていてもしんどくもあるのだが、街を歩くと坂道があり上り下り、そして階段、肩で息をしながら歩いている。通常の容量の80%だが、体重からの計算だと多すぎる。体重から計算するしかないのだが、そこに見立てがあって本来は良いのだろうが、現代の医療はマニュアルに従う。だが、結果論として、最初は強い量を投与するのは基本でもあるのだから、よかったように思う。個人差があり誰もが同じようには行かないが、投与方法も当たった様である。自分自身では「転移」という診断には少し疑問を持つのだが、話は大きい方が面白いとすれば、それでいいのだろう。薬とは体を痛める、故に病気の原因となるものを痛める事が出来る、そして尿酸値は薬で抑えられているが、代謝して腫瘍崩壊がまだ続いているように感じる。耐性の問題はあるが、腫瘍崩壊のような状態では耐性は出にくいとも言えるだろう。縮小の場合は耐性を持つことは疑問は無い。崩壊、消滅させることが重要なのだろう、それにより耐性も無くなる、という事は可能な限り今の状態を続けることであり、それも論理的である。故に、3ケ月、3回のクールは過ぎたが、折り返し点であり、あと3ケ月3クールを続ける。

 どうすれば、抗がん剤の効果を誰もが普遍的に持つようにできるのだろうか。自分はどう違ったのか、何が違うのか、考察をして行かねばンらないのだろう。

 

 11月28日金曜日  入院から24日、ひとまず退院、そして来週から4クール目の抗がん剤治療が始まる。6クールをやることは、教授・準教授も確認しているのだから、必ずやることになる。ということは折り返し点である。あと3カ月、慣れてもいるし飽きてもいるが、それほど苦にもならない。大部屋も楽しめている。次回何かあった時は特別室の経験もしたいと。どうせならいろいろな経験をして楽しまねばと、いまは仕事も新たな飛行に向かい助走中。3ヶ月後は逆に楽しみが増える。いろいろな変化がいい方に生じているように思う。

 

11月14日金曜日 入院からちょうど10日目、抗がん剤の点滴が昨日で終わり,副作用がどうなるか、のレベルを見ながら、退院になる。12月にもう一クールをして来年にCTを確認し、後どうするかの判断だろう。

 ガンが分かり7カ月、リンパ節転移、検査を経て摘出、そして抗ガン治療、腫瘍症候群的な状態で、著しいガンの縮小、そして再度の抗ガン治療。再3クールの抗がん剤の点滴が昨日終わった。深夜から、脚のヒリヒリ感はほとんど減少した。ヒリヒリ感=尿酸が減少した=尿酸の生産が落ちたのか、尿酸を生産するガン細胞の崩壊がなくなったのか、それはガン細胞自体が大勢を持ったのか、ガン細胞が減少したのか、に考えることができる。

  現在服用中のフェブリクは10ミリを2週間飲み、火曜日から20ミリに移行した、この薬剤は一般名:フェブキソスタットで、フェブキキサンチンオキシダーゼは体内で尿酸を生成する酵素の一つであり、非プリン型のキサンチンオキシダーゼ阻害薬である。キサンチンオキシダーゼ(xanthine oxidase、XO、XAO)は、活性酸素種を発生させるキサンチンオキシドレダクターゼの型の一つで[2]、ヒポキサンチンをキサンチンへ酸化し、さらに尿酸への酸化を触媒する酵素である。ヒトを含む多くの生物において、プリン類の異化に重要な役割を果たす。20ミリに変えてから、ピリピリ感は減少し、昨日の抗がん剤点滴後の午後は脚のピリピリ感は一時的に増えたが、就寝時以降には相当減少している、気にしなければわからない。抗がん剤による拡散の崩壊で一時的に増えたのだろうが、薬剤効果が出てきたと考える方が分かりやすい。

 ピリピリ感は昨日までは確実に高いレベルであったので、ガン耐性があったとも考えにくい。腫瘍崩壊症候群に至らず、カリウム等も安定しており、現代の腫瘍治療のポイントの一つとなろうとしている、腫瘍崩壊を促しながらそれをコントロールするのが思いのほかうまく進んでいるようである。

 抗がん剤に対するいろいろな意見もあるが、抗生物質やワクチンがそうであったように、いろいろな批判にさらされながら、確立してゆくように思う。実際その過程を自分が体験してみて、抗がん剤、薬は面白いものだと思う。

 全く医療が嫌いなのに、父親の「食うために医療系に行った方がいい」との助言で、それならと、いちばん楽そうな歯科大学に進学した。免許さえあらばいいから、親に言われ続けたのに、なぜか入学から薬理学の教室に出入りして、教授に言われるままに、マウスの組織標本を造りそれを覚え、なんやらと薬理の研究のまねごとをし、進級とともに研究の手伝いをしながら、6年間も過ごしたのも面白いが、そこで薬理に出会ったのも面白い、そして、それからのアメリカ生活なども含め、今になりそれらが絡み合うのもまたおもしろい。

 

 

  11月4日

 明日からまた入院である。2週間程の娑婆生活に、多少疲れて、刑務所に帰るのが補っとする、そんな気持ちもないことは無い。娑婆ではどうしても急いでしまう、感情を高ぶらせてしまう。長引くといらいらとしてくる、ストレスがたまってくるが、なぜか急がないし、高ぶることもない、ストレスは外出外泊でうまくリリースすれば、こんな入院生活もそれほど悪くは無い。抗がん剤がよく聞いたのも分かるように思う。5月の終わりにPETを撮影し、それから3ケ月後、立った3ケ月で、1センチ強のガンが見ることができた。転移だろうが、3ケ月は検査と検査と入院手術と終日後の回復、確かに今に想えば、相当なストレスなのだろう。そのストレスが新しい転移ガンを生じさせたと考えると、3ケ月と言う期間の短さ、そして術後化学療法の必要性など、あくまでも自分自身の経験則なのだが、見えてくるものが多い。

   今もムカッとすることがあるが、後に引きずらない、その時点でむかっとして、一瞬にして、平常に戻るようになった。多少は人間が出来てきたのかも知れないが、他人にしたらムカッとすることは、同じだから、自分自身が人間が出来たと思っているにしか過ぎない。人間が出来たかどうかは、あくまでも他人の、人間社会の評価なのだから、大病をして、死の間際まで追い込まれても、結局はあまり変わらないのだろうか。ただ、ストレスは少なくはなっているようにも感じる。気分転換が早い。自分自身にはいいことだろう。人間が出来るどころか、逆に年齢とともに、病とともに、自分勝手になっているようである。

 11月 霜月 雪待月とも言う、 晩秋 秋の終わりである。 今進行中の名誉棄損の裁判の打合せが弁護士とある。少し「飽きて」来ている。被告の主張を慮って読むと、それほど悪い男でもない。私の方がもっと悪いのかもしれない。彼が笑って、お元気ですか、とでもいえば、それで終わるのも良いのかもしれない。彼の主張の中で何人かの男が出てくるが、その連中のほうが始末は悪そうである。陰湿である。とはいえ、所詮歯医者さんで、かわいくもある。だいぶ前に、新宿の広域暴力団の何次団体化に暫く厄介になったことがあるが、その連中も根は悪くない。みんなそれほど悪い連中もいないものである。裁判も1年が経つ。どちらでもいい感じもする。前に進んでいる。過去は逆に勲章にもなる。そんなことで時間がつぶれるのも本当は、お互いに無駄なのだろう。お互いに謝ればそれで済みそうであるが・・・どうだろう! なかなか難しいのかもしれない。(笑)

  近隣で私の悪口を言いふらしているらしいS家族も、大変だろう。人の悪口を言うのは、友達との軽口なら良いだろうが、この様な誹謗中傷は、疲れる。後で無意識の中で疲れる。誹謗中傷をなぜするのだろうか? なぜそれを信じる人が居るのだろうか? 不思議と言えば不思議である。それにより何らかの利益を生むのなら理解できるが、今更悪口を、誹謗中傷をしてなに帰るものがあるのかと、問われるとない。無いのになぜ誹謗中傷するのだろうか?そんな心理が面白くもある。突き詰めてゆくと何らかのストレス発散と言う事になるのだろうか?

  S家族の場合は、私へのストレス、自分たちがしたことへの後ろめたさのストレス。裁判になっている被告のような場合は、彼自身のストレス。

結局はみんな暮らすのに大変なのだろう。生きるのに大変なのだろう。それを信じる人も、また何らかのストレスを抱えている。それで信じることで、ストレスを発散するのだろう。いろいろ理屈は付けるが、結局はストレス。ストレスが無い、少ない場合、反応は無いか少ない。自分自身もである、誹謗中傷のストレスが大きい場合は、過剰な反応をする。今はストレスが少ない、全て赦せばいいと思っている。結構明日に、自信を持ち始めている。その根本は、死を常に見つめていることだろう。命の限りを頭において生きているからなのだろうか?

 

 

2013年

 人生は旅 天然に生まれ天然に帰る

天然の流れは滔々と 全ては無、

真実は無、天然は無

我を生みし母は 時の流れの中で 淡々と 無に帰し 、我もまた無への旅を続ける

ただただ静かに 旅を続ける 」新たなる年が始まる ただ静かなり 」

 

僕は故郷を捨てた 君も故郷を捨てた

10年後 2023年 ともに故郷に帰ろう

君は隣町に生まれ 貧しき2つの隣り合った漁村の浜から 同じ海を見て育った

君も僕も故郷を捨てた あれから50数年の年が過ぎ 思いを全て彼方に さあ故郷へ帰ろう

全てを捨て去る旅も終りを告げる 六十齢

新しい旅を始めよう 名もいらぬ 財もいらぬ 命もいらぬ 人に見下され 人に後ろ指をさされ 面白おかしい人生を ただ無に向かって歩もう

10年後の君との約束だけを果たすために 無になり無に帰る旅

 

2014-1

長い道を歩いてきたような気がする

財も誉も信も どこかに置き忘れたようだ

ふと見れば 名も無い草が 風に揺られている

小さなれんげの花が もうすぐ咲きそうだ

長い道を歩いてきたようだ

名も無い草と季節の名も無い花々が 私の道連

 

1-31

なんと、劇的な還暦の年だった 裏切られたとか、誹謗中傷とか、逆恨みとか、そんな下世話な話はともかくとして、

面白くも無い世の中だが、何かと面白くしてくれる 人生飽きずに生きれることが何よりだ まだまだ人生止められない

 

私たちの科学は落ち穂拾いのようなものだ 先人たちの、人間の英知の、まったく基本的な事項を拾い集め ただただそれをまとめるだけ 過去だけを見つめ 先人に感謝しながら 人々の歴史をたどり 今をいかに生きるかの先人の知恵を伝えるだけ まあ なんと地味すぎるのか 人生、何かと派手に生きているのだから この程度がちょうどいい

 

 

60歳の夏に想う 時行きて さも楽しげに 生きにけり 60年を生きてきた。私は「破滅」を求めてきた。多くの失敗と多くの後悔と多くの反省の日々であった。そして自分を他人を許す気持を持てなかった。 60にして想う人の悪口を言うな、人の批判をするな人のせいにするな、逃げるな。そして 自分のすべてを許せば、人を許すことが出来る。 私は 人の悪口を言わず、人を批判せず、人のせいにせず、逃げず、そして 自分を許し、すべての人を許せる人間でありたい。 60にして想う私は「希望」を求めてこれからの人生を歩もう。「希望」それは新しい世代への期待である。

 

 

3月 

思い出とそして・・・

あの日 私は東京にいた

あの人たちが居なくなったと、残された人たちから連絡が入った。残された人たちの茫然とした顔、

そして目の前の解決に時間を取られていると、ある日、機器類も何もなかった。(最低限の機器類が残されていた。全くなくなると、困ると思っただろう。人間それなりに善の心もあるのだと、私はその光景を見ながら、誰にも見られないように微笑んだ)

それから、彼らを取り巻く人々の、ある意味醜くもあり、ある意味面白くもある、話が伝わってくる。そして、残った人たちそして私が悪者になる。彼らから被害を受けた人たちは、持って生きようのないはけ口を、そして彼らの話を信じた人たちが、残された人たちに姿かたちを変えて覆いかぶさってくる。

「悪口は言うな、弁解はするな、逃げるな。時間が解決するさ」私はそういうしかなかった。

新しい人たちが残された人たちの元に駆けつける。

事情も聞かず「さあ、どうする。みんなで頑張ろうぜ。」

そして、全くマイナスの状況に自ら進んで、新しい若い血が入って来た。

おそらく、この人たちのために、この出来事があったのではと、いまになって想う。

「少なくとも1年間は苦しいぞ。」私の言葉に、彼らは笑っていた。そんなこと承知の上で・・・、と目が語っていた。

一年がたった。みんなが耐えた。耐える事により彼らは逞しくなった、そして成長を続けている。

 

私の役割は終わりに近づいてきた。舞台を降りる時期に来たようだ。後は新しい人たちを、若いリーダーたちを、支える春が来たようだ。「老兵は死なずして、消えゆく・・・」まさにその言葉がポットと、マッチの炎のようにちいさく輝く。

 

もうすぐ、新しい春だ

 

2月

春の足音が聞こえてきたようだ

朝の陽も少しづつ近づくように感じる

春は若者の息吹が似合う

私は少し老いたのかも知れないが まだまだ四季を感じながら 歩き続ける 颯爽と

 

10日

明日からは 老いの道を歩いてみよう

老いる自分を楽しみに 老いてゆく姿を楽しみに

 

老いに逆らう事も無く 命の限りを受け止めて 飄々と 飄々と

 

12日 日差しに春の暖かさが見える まだ風は寒い 二月 冬が行く

 

17日 15日より 東京に

銀座並木も雪模様 行く人の 歩もいつもとは違い そんな宵もまた楽し

酒を飲み 語り合い 夜は更けて

外は月夜に雪景色

 

 

4月25日

4月の終わりの暖かな日差し

陽の光が、葉が煌めく、

私の目の前に メジロが一羽 どこからか舞い降りてきた

君はただ食べて、次なる命を生み増やす だけに生きるそれが生物である。

古代から生物はそういうものであった。

 

なぜそうなったのか?

ある海底のある環境下において、複数のアミノ酸が出現した。もちろんそれは現在のアミノ酸と呼ばれる構造を呈してはいない、アミノ様の構造を持つ有機体であろう。その構造体は多少とも構造の違いを持ち、それが海底で浮遊する中で、結合や分離を繰り返して行く。数十億年の時が経過してみれば、結合が生であり、分離が死であるという概念になる。

 

ここでは自然選択は採用されない。構造が強いから、環境に適しているから結合が繰り返されるのではなく、ただの偶然により、結合と分離が繰り返される。あるレベルを越えた結合が繰り返された時、一つの生命体と呼ばれる構造体となる、原核細胞のまだ前の段階であろう。

 

ここでは自然選択は採用されない。構造が強いから、環境に適しているから結合が繰り返されるのではなく、ただの偶然により、結合と分離が繰り返される。あるレベルを越えた結合が繰り返された時、一つの生命体と呼ばれる構造体となる、原核細胞のまだ前の段階であろう。この段階で、私たちが機能と呼ぶ何らかの機能をそれぞれことなる形としてそれぞれの構成体が持ち始めている。無数の構成体は結合と分離を繰り返してゆく。そして長い時間をかけて原核細胞へと進化して行く。詳細はまた述べるとして、生物体=生命体が持つ根本的な哲学はこの時点、最も当初から始まっている。上記したあるレベルを越えると、結合はより多くのものを結合するようになる。結合することがいいか悪いかではなく、ただ多くなるだけである。多くなればより多くのものを結合する構成になりそれがまた大きくなる。しかしその結合が、環境次第ではマイナスになることも生じる。多数の構成体は、また環境により一部が分離されたり、全部が分離したりする。

結合と分離が繰り返される。それが生と死の始まりであろう。環境条件は同じことはまずない、毎日毎時毎分毎秒で変化を続ける。その中で適切な負荷に耐えた結合構造体は、環境の変化への抵抗力を持つようになり、構造体の継続的な存在が可能となって行く。

 

 

/30

思えば長く生きてきた。いろいろなことがあった。よく生きているものだと。

思えば長く生きてきた。何かを知りたくて、何かを見たくて、何かを体験したくて一度限りの命を、それなりに懸命に生きてきた。それほど後悔もない。

 

ただ、まだ生が続く限り、挑み続けよう。まだまだ知ることも見ることも体験することもありそうだから。

 

ニュースからいろいろな死が流れている。韓国のフェリーの沈没時間やら事故やら・・・突然の死は虚しいだろう、悔しいだろう、 いつ逝ってもいい、そう考えながら生きる世なのか、

 

 

原則として悪性腫瘍 進行性である全摘をしても リンパ節への転移がある以上 他部への転移の可能性は高いそして 根治はないだろうし、あくまでも 延命の人生を送る

抵抗力をつける 体を強くする 逞しくする それしかない規則正しく、健康な生活 無理をせずに ストレスをためずに楽しく生きる

楽しく生きることは 求めないこと

自分に求めないことは終わりが見えていると誰にでもできる家族にも会社にも、周りにも何も求めない

どうなるかは彼ら次第だと求めなければ

気楽に過ごせる

 

 

 慶応の近藤先生の著で「がんと闘うな・・・」との意味をかかれたものがある。癌に対する基本的な考え方は、医学的というのか科学的というのか、直接の専門家ではないが、彼の考え方に賛同する点も少なくは無いし、私もよく似た思考をする。

しかし、それでも戦うべきだと私は思う。戦わねば何も残らない、神に身を任せてはならない、神は存在しない。

戦いは常に五分五分である、私はいろいろな戦いをしてきた、負けた戦いも少なくは無い。そして全てをなくした事もある。

逃げていてはなくすこともない、残す何かもない。悪性のガンだから戦え、がんもどきだから戦うなという論理ではない、どのようなものであろうとも戦うべきだと思う。

負ける戦いもある、どんなに頑張っても、いや今になり思えば、頑張りが足らなかった、冷静な判断が無かった。今私は、戦場の中に身を置いた。戦うか、戦わないか、確かに戦わず、静かに神の、御心に従う道もあるのだろう。しかし私は闘う。

戦うことの科学的な医学的な意味と意義を、そしてその戦いいの実験ノートをここに少しづつ記して行きたい。

 

今は科学的な考え方を述べないでおこう。基礎科学的な考え方と臨床とは大きく違う、

 

4月28日に兵庫医大において診察を受ける その後どう対処するのか 決まるのだろう

 

今はただ自分の症状を記していく 血尿が先週の火曜日の夜 そして翌日午後泌尿器科へ金曜日に膀胱内視鏡検査を経て

月曜日に造影CT撮影  水曜日に 主治医より 尿管がんと隣接するリンパ節への転移の説明そして

来週月曜日午後一番に兵庫医大に行くこれが一連のこれまでの流れ

 

確かに精神的には参る  どうしても微熱が続くので気分も滅入る  すっきりとする時もあり 全く自分が病気であることは感じない
多少 背中に痛みが 鈍痛がある 無い時もあり あまり痛いと鎮痛歳を最低限飲むと それなりに治まる

とりあえずは 月曜日に 主治医の方針が決まるまではこのままで行こう

腹は決めている 主治医と家内の判断に全て従う

説明はいらない ただ信じて戦う

そして 今はただがんと闘う

 

 

 

 

自分を許せば、他人も許せる

自分に甘ければ 他人にも甘くなれる

まあよくこれまでよく生きてきたよと 自分を褒めてやろう

他人もよくやっているよと 褒めてやることができる

 

明日が楽しみになる 明日は何があるのだろうか

今まで以上に楽しくなれる   楽しいことしかしない   そんな人生を歩こう

 

抵抗性を持った構造体は、生命体としての位置を持つようになる。しかし常に想定外の環境変化に苛まれ、抵抗だけでは環境の変化に打ち勝つことができない状態が続く。様々な生命体が出現し同時に滅亡する過程を繰り返した。その中から抵抗性が変化し適応する力を得る事になる。その時点で生命体は生命活動体となり、自己を持つことになる。

 

*ウイルスも生命活動体に分類することができる。生物の前段階の存在である。生命体は有機物質であり、それ以外は無機物質からできていると定義する。

*通常物質はエントロピーの法則に従い乱雑化するが、生命体は乱雑化している。適応性を持った時点から生命活動体はエントロピーの法則に反することになると思われがちだが、乱雑化している。

 

結合と分離が抵抗性を生じそこから適応性を生じた。環境は複雑化して拡大する。そのたびに生命活動体はほぼすべてのものが分離してしまうが、ほんの少しが残る、言い換えればその体の強い抵抗性により分離から絶えることができ、それが適応性となる。抵抗性に適応性が加わって行き、より存在性が強まって行く。

 

なごり雪

3月の雪はなごり雪

春を待つ街に 小さな雪が流れる去りゆく

厳しい冬の名残を惜しむように

人はその雪を見つめる なごり雪の中を

人は去り 人が来て新しい日々の始まりを準備している 去る人も来る人も名残の雪を見ながら そして新しい日々を想う

去る悲しみや想い出よりも 来る楽しみを夢見るがいい

 

 

人間としての「生と死」

 

これまで多くの「死」を診てきたが、自分が「死」に直面した時、改めて「生と死」を考える機会が出来た。「生と死」には二つの異なるアプローチがある。一つは、私の本職である生物的なアプローチであり、なぜ時間があるのかという、生命体としての根源的な解釈が求められる。この事についてはまた違う場で論じる事にするが、ここで論じるのは、人間としての「生と死」、「意識」における「生と死」と言い換えても良いのだろうが、人間的なアプローチである。

若き息吹と命

 病棟には二つの声が聞こえる

明日を見つめる息吹が駆け巡る  今を見つめた生命が横たわる

若き息吹に圧倒され 私も明日を見つめる力を得る

 

 若き命の息吹はただただ明日に向かう 

 激しい空気の流れに私も立ちあがり

 明日へ向かう勇気をもらう  

夏がやってくる

夏がやってくる 夏は賑々しくやってくる

春の華々しさとも違う

秋の艶やかさとも違う

冬の重々しさとも違う

 

夏がやってくる 私の故郷の踊りの様に

全ての想いを吹き飛ばして

なにはともあれ踊ろうよと 賑々しい夏がやってくる

 

私はこの夏に手術を受け 抗ガン剤治療を行う

私は賑々しく病と闘う 故郷の踊りの様に

派手派手しく 踊ろう

生物体の生命力はいかに食せるか、食を獲得し食せる能力次第であると言える。食を獲得し食せる能力が、オスメスは別にして繁殖=生殖力と同じ意味になる。しかし人間だけは生物体から離れてきている。閉経期を迎えた女性、性的能力を消失した男性も含めて、生殖とは関係のない時代を過ごす。人間だけが特別な存在の様に見るのだが、生物体にとって生殖≒増殖は必要十分条件でなくて良いのかもしれない。

 他の多くの生物が生殖と生命がイコールであるが、人間は違う。生物が無生物から区別される特徴としては、自己増殖能力、エネルギー変換能力、恒常性(ホメオスタシス)維持能力、自己と外界との明確な隔離などが挙げられる。しかし、この区分は例えば、ウイルスやウイロイドのような、明らかに生物との関連性があるがこれらの特徴をすべて満たさない。人間も満たさなくていいのかもしれない。

 まあ、ここら辺りまでは冗談半分の話になるのだが、本論は「意識」と「人間」である。ほとんどの生物は生殖能力の消失とともに生命も消失する。しかし人間だけは別である。生殖能力と生命は関係がない。まずはなぜ、生命と生殖が多くの生物で相関するのであろうか。

生命の継続性

 生命の継続性は生命体の誕生にまでさかのぼる。それはここでは省略し、その本能とも言うべき生命体の継続性は、生命体の最も根源的なものとして進化して来た。継続の為の食し、継続のために戦い、継続の為に生殖をおこなっている。全てが「継続」を目的とする事になった。むろん人間自身もそうであった。しかしいつかは別にして「意識」が生まれ、それが発達する中で、継続が人間と言う生命体の根源的なものではなくなり、意識と継続は両方がその基本となり、いつしか継続より意識が大きなものとなった。

 では「意識」とは何かに触れなけらばならない。「意欲・欲望」とも違う、「目的・希望」とも違う、では何か?

 

意識  百科事典マイペディア

通常は人が自己または外界についてもつ直接の明証的な認知をさす。デカルトは物の世界とは異なる独自な心の世界(レス・コギタンス)を想定したが,ここから,内省による意識内容の分析を主題とする19世紀の実験心理学が成立した。

 

意識  世界大百科事典 第2版

古代インドには,霊的,生命的なものを言い表す言葉の一つとして〈意manas〉(英語ではmindと訳される)という語があったし,また原始仏教では,現象界の分類(五蘊(ごうん)説)やその生成の説明(十二縁起説)に関して〈識vijñāna〉という ...

 

意識の流れ   百科事典マイペディア

流動する心理の統一的把握(はあく)を説くW.ジェームズの用語。stream of consciousnessの訳。20世紀の作家が人間の内的現実を追求して,生起する心象,記憶をそのまま描写する手法として用いた。

 

意識の流れ   世界大百科事典 第2版

アメリカの心理学者ウィリアム・ジェームズの造語で,意識を静的,要素的なものとする考え方を否定し,意識を〈流れ〉としてとらえるべきことを主張した。19世紀末から20世紀初めにかけて,人間意識の深層に対する興味が強まり,西欧文学の手法としての〈意識の流れ〉が用いられはじめる。ウィリアムの弟ヘンリー・ジェームズの小説には,この手法の片鱗がみとめられる。それは19世紀の心理主義小説とは異質のものである。たとえば恋愛心理の複雑な屈折や陰影をいくら精密に分析・表現しても,それは〈意識の流れ〉の文学にはならない。

 

意識性     世界大百科事典 第2版

心理学の用語。たとえば“リンゴ”という語を聞けば,その意味が即座にわかるが,その際,赤く丸い外形を思い浮かべたり,すっぱい味を口に感じているわけではない。このように,心像や感覚の媒介なしに事物が一挙に意識される場合をドイツの心理学者アッハN.Achは〈意識性〉と呼んだ。〈無心像思考〉とか〈非直観的思考〉という名称も用いられ,この病理的な形態は〈実体的意識性〉として知られる

 

と書かれている。「通常は人が自己または外界についてもつ直接の明証的な認知をさす。」でいいのだろう。

特に自己の認知が意識の基本的な意味であろう。自己を認知する能力は人間のみが持つものであり、それゆえに、継続性を一つづつと考える事になる。他の生命体においては継続性はあくまでも継続している存在である。存在性がつよまる。

 

 

6.25

意識=メンタルという人間独自の機能

 ワールドカップを見ていた時、開設者の元日本代表監督の岡田氏が「メンタルとはすごいものですね」と解説された言葉が頭に残る。今回ガンという疾病に、自信が関わる中で、意識の重要性、そしてハンスセリエ博士の云うショック反応、その中での心理ストレスの人間に及ぼす大きさに、再認識している。

 いかなる疾病においても、原則は同じである。疾病と体力のせめぎ合いであり、体力が劣ると疾病は加速して個体を侵そうとする。体力と疾病のせめぎ合いが全ての基本である。

 進行癌にしろ、ステルスと呼ばれる早期進行のガンにしろ原則は変わらない。

携帯の異なるガンが発生することは、環境の違いであり、それもまたうけて=体力の問題と考えて良いのだろう。

では体力とは何か? ここで人間では意識というものが大きな要素となる。意識は人間の身体の構造と機能にまで影響を与える。そしてその影響の度合いは想像以上であり、心理的ショックによるショック反応が生理学的なメカニズムとして加速して進む。生物的な体力は、加速度的にはそれほど進むものでもない。意識=心理的な面が加わり、その疾病の進行が加速して進む。特にガンという代謝性の疾病においては、心理面が大きくそのレベルや進行等に大きく影響を与える事が多くの症例よりみる事が出来る。しかしこの心理面へのアプローチはまだまだ少ないと言える。

ヒトの適応性は、脳機能の複雑さにより生じているのかもしれないその動きはウイルスのDNA変化によく似た変化を生じる、変化こそが適応性でありその適応性は、脳を機能として考えた場合において、論理的に解決できる。 ストレスホルモンは電撃ストレスの場合、慣れやすい心理的ストレスは慣れにくい電撃ストレスは、環境と考えることができる電撃ストレスに対応するシステムは古機能、心理的ストレスに対応する脳機能は新機能と考えることができるヒトは、古機能においては環境に適応しやすく 新機能においては適応しにくい新機能を利用して、環境ストレスをコントロールすると古機能はストレスに対して適応する ⇒環境適応には新機能の関与が重要であり新機能の関与において、身体形態の表現型も変化するのかもしれない もうひとつの側面は新機能による環境適応が古機能の適応を生じさすメカニズムであり、電撃ストレスが慣れると例えばストレスホルモンは減少する電撃ストレスにより亢進したストレスホルモン量は、適応により減少する 遺伝的要因や環境的要因により成長期においてある一定の量がその個体の適正値となる (成長途中でのストレスは、その適正値にどう影響を与えるのか?) 生命はなぜ増殖するのか? そしてなぜ滅するのか?

 

本格的なIT化への道は相当険しい道を上る事になるだろう。ITを万能と考えるのは、東アジア諸国だけなのかもしれない。特にマウスピース矯正におけるIT機器の開発は相当な器官がまだまだ必要であろうと思われる。もちろん今回始める様に一部の適応は可能な時代であるが、全てを行うにはまだまだ十分ではない。

 

IT化については、細分化して考える必要がある。大きくは移動におけるIT化、製作におけるIT化、この大きな分類から細かく分けて考える事が必要であり、また平行して特に小児における予知を考えて行くことも求められている。同時並行が並ぶが、成人においても自動的な移動システム、これはモーフィングで行うのではなく、症例毎のそして個別の最終的な目標に至る過程を、いかにITとして行うか等の開発も行われなければならない。

 

製作における開発は別の専門家に頼るしかないだろう。3Dプリンターがどの程度の精度を持って新化し、同時に成形素材の金額もまた問題となろう。現状のITシステムの移動は、多くの問題を抱えて進められている。私自身の腹の中では現状のITレベルでは7割方は困難さの方が優先している。やはり当分はITと手作業を組み合わせた移動様式で進める事になる。手作業の問題点は 2つであり 一つはヒューマンエラー、これは模型の製作と移動の2つのポイントからなり、もう一つは製作にかかる人件費の問題となる。

 

手作業においてエースデンタルジャパン及びACE DENTAL Internationalは、周迪曦という人間を抱えていることが大きなメリットであろう。彼がいかにこの手作業での問題点をクリアーしてゆくのかが、エースデンタルジャパン及びACE DENTAL Internationalの企業としての将来を左右する。

 

というのは、上記のITを万全なものとするには時間が必要となる。それがどの程度の期間なのかは分からない。その間は、やはり手作業が大きく意味を持つ。周迪曦は上海人であるが、日本の匠の技とおもてなしの心を持つ、日本人以上に日本人らしい若者である。彼の歯科医師としての基本知識と、手作業の妙味、そして心は、他を寄せ付けることはほぼないと確信している。もちろん彼一人ではできる事は限られる。世界に羽ばたくには、各分野のパートナー達が必要であり、それを統合するコーディネーターも必要になるだろう。エースデンタルジャパン及びACE DENTAL Internationalには確実にその人材が揃いつつある。私はそれらが周迪曦君のごとく、日本人である必要は全くないと思うし、おそらく日本人もその中に何名かいるだけであろう

 

 

死を見つめるときが来たようだ早すぎもせず 遅すぎもせずいい塩梅の時期なのか

 

何をするか、生き方を自らの能力を 最後の花を如何に咲かせるのか 決めるときが来たようだ

さしたる人生でもなかったが、それほど悔いもまたない人生だった

ただ想いのままに人生60年後は最後の花を 咲かせよう

さああと5年 あと5年 生きるテーマは?

 

 命の期間が短ければ 短いなりの生活を 命の期間が長ければ 長いなりの人生を

       これまで通りに 面白おかしくそれなりに 目的を決めて生きてゆく、まだまだ未熟だが、 残してやれるものも多少はあるだろう。

 

 

2014年4月23日

尿管がんの宣告、リンパ節転移あり、後どれほどの命なのかそれもまたよし、心残りは家族だけれど、何も残してはやれなかったけれど、未来へ、明日に向かう可能性だけは残せたように思う。今日は疲れた。明日からは涙を流さないで生きよう

 

 

さすがに眠れない夜のようだ。死を見つめる日々の始まりの日に、眠れという方が難しい。

死を怖くはないが、おそらくは急速にやつれてゆくであろう中で、いかに強く生きれるかが、自分自身の人生の中で問われることになるのだろう。

 

此処で弱音を吐いたら今までの自分の強気の人生を否定したことになる。いつも強気にいつも前を向いて、明日を信じて、それが私の生き方なのだから。明日から、神に誓う、決して弱音は吐かないし、思わない、考えない。明日を信じて、生き抜くことを信じて、多くの人に明日を信じることの楽しさを伝える日に向かい、前に進もう

 

世界のスラムや難民キャンプそして戦場を歩いてきた、

それが一つの売りになった

破産した、バブルの夢を見た、そして新しい歩みを始めた。

それが一つのネタになった。

 

さあ、つぎは 、神よ、七難八苦を与えたまえ、それに打ち勝つ力を与えたまえ、おそらくは最悪の生存率のこの病から生還して見せよう、

どうせなら、負けゲームを勝つ方が面白い、

 

多くの子供たちに生きる喜びを伝えるために、多くの人たちに命の意味を伝えるために、必ず帰ってこよう。

事業は彼らにすべてを委ねよう、私は私の仕事をする時が来た、命もいらぬ、名誉もいらぬ、財もまたいらぬ、自分らしい生き方と仕事をすることを、神は与えてくれた。神はなかなかいい奴だ。楽しませてくれる。

 

今日から始まる 明日への記

 

 

4/24    うとうととしながら…朝が来た。朝は必ず来るようだ、昨日は、妻が泣き子が泣き、仲間が泣いた。そして私も泣いた。さあ、今日からは泣くことはない、戦え、そして笑え。

 

面白き こともなき世を 面白く (高杉晋作の前の句に)

       七難八苦に 挑みゆく

 

 

痛みがなく、疲れもそれほどなく、ただ一人でパソコンに向かう何も無かったかのような時間が流れるしかし 生命時計が 少しづつ時を刻む 月曜日に兵庫医科大学に行く そこから色々な事が始まるのだろう 今は敵が見えたのだから 早く戦いたいと心がはやる強気な自分が帰って来た もちろんいつも戦いは同じだった負ける・・それがよぎることもいつもあった、負けたらどうなるのだろうかと、しかし、いつも強気でそれを打ち消してきた。必ず勝つ、必ず前に進み続ける、いくつもの苦難が立ちはだかった時そうして今まで来た だから今度もそうして前に進む必ず勝つ いま、やらねばならない事がある、それは子どもたちの未来を創ることこれだけはやり遂げよう

 

今確かに製作工程は大変な時期にある。これを乗り越えられるのかどうか、それは今後の事業の展開において大きくなれるか小さいままでしかないのかの分岐点でもあろう。それは担当する者の能力次第だろう。この分岐点の時に私は病になった。私が前に出れば解決はする事が出来るだろう。それでは何も変わらない、ACOのトラブルも基本は同じである。ACOは、彼らの能力のなさを、私の生にし、私から逃げることで解決しようとした。それに群がった人間達も同様である。私が前に出る事を好まず、そして通帳から機器まで全てを持ち去り、私にその責任を押し付けようとした。たむろした人間像も火中の人間像もすべて私の見えない圧力に負けただけでしかない。今回も根は同じである。しかし違いは人間像にある。私が前に出て解決を図ることよりも、彼らが自身で解決をはけることで、失うものもあるだろう、しかしえるものの方が大きい。解決する方策手順は伝えたいと思う。方策を実地するのは彼らだ。私が病との闘いに向かう、その準備はしている、全て戦いなのだから、準備が、戦力が必要になる。その上で、その時々の戦術が求められる。それは戦いにおける、古からの基本だと思う。必ず彼らは勝つだろう。そう信じることができる。

 

私には信じるべきものがある。信じるべき若者がいる。彼らは世界に羽ばたく、その負荷の渦中にいる。この程度の戦いなど、これから君達が挑む世界との戦いに比べれば、大したものではない。

 

 

4・25

この明日への記が

末期から生還の記になるのか

遺言の記になるのか

1年以内に決まるだろう

面白そうな2014年になりそうでもある。

 

 事業自体はそれほど心配はしていない、昨日の一日の動きがそれを如実に表していてくれる。逆に私が居ない方が・・・昨日からの彼らの表情が変わったのが分かる、福元氏を中心に彼らは石にかじりついても、この事業を世界一に導くのだろう、それは確実に私にはわかる、それがこの機会に私が、完全に事業から撤退する事を神は求めたのだろう。

私は自然科学者だから神は信じない。でも神の意志は信じる。昨年春のトラブルから、私を信じてくれた歯科医師の方々も少なくは無い、また信じたふりだけをしている人もいることも分かる、彼らはこの事業を彼らなりに支えてくれるだろう、そして新しくであった人たちもいる、彼らは私の想いを大きくしてくれることだろう、私の病はまんざらでもなかったように思う。

 

それと私は別である。私にはまだまだやることがありそうだ。

 

今回の病は リンパ転移しているのだから ステージはⅣ、通常の場合生存率は相当低いと判断すべきだろう。しかし私はこの病には負けない。しかしそれほど長い時間もまた無いのだろう。

やることがある。事業と関連する事ならば歯科医療のパラダイムを大きくシフトさせる、これは井出さんが中心になり動き出そうとしている。フォローをすればいいだろう。

後は私の考え方を残して行かねばならない。それがいいか悪いかは別の話で、周迪曦、大地に始まる若者達に、歯科学の新しい方向性へ歩く一助としてやる仕事がある、そして3Dシステムへの道を付ける事、この二つはやり切らねばならない。もう少し時間が必要だ。

 

そして村上千幸と中山先輩との約束は、これは時間がかかる

まだイメージの段階だ。これは彼らとの約束を破るわけにはいかない。これから1カ月近い入院生活が始まる、その間にしっかりとイメージを創ろう。

 

からだを休めて・・・などと悠長な事は云っていられない。もちろん今はこの病に打ち勝つことに集中しよう。そしてやらなければならない事がある。漫然と生きるよりも死を見つめて 限りある時間に目標を定めて、もちろんこの病との闘いもその目標の一つだ、その向こうにもまだ目標がある、それを越えるための時間は限りがある。故に第一の壁をしっかりと越えよう。

 

故に今回は遺言は記さないもう少し先だ 後いくつかの壁が必ずやってくる目標をなくしたとき 潔く遺言を記するつもりだ

 

 

4/27

得意の結果論なのだが、基本的には結果オーライになったようだ。概要から考えれば、変化が常に必要ならば、変化は常に若返ることが基本だろう。今新しい時代へと切り替えるその時が来ていたのだと。もちろん老いる側はまだまだ、そしてそれに沿ってきた方々もそう思うのだろう、しかしそれでは、何も変わらない、前にただ進んでいるだけだろう。提供側も提供される側も、今変化が大きなステップになる。その時期に来たのだろう結果論だけど、オーライのように思う。確かに引くことは老いた側には寂しさがある、経験や知識は、まだまだ必要なのだと思いたくもなる。病気がなければ、中途半端な病ならば、私は引かなかっただろう。やはり変化が必要であり、60が一つの区切りなのだと思う。そして自分自身もまた新しい、全く白紙のものに挑戦する、その知識と経験を積んだのだと考えるべきなのであろう。歳とともに臆病になる、今イメージできない、新しい挑戦に臆病になる。 マウスピース矯正という業がこの10年間の挑戦だった。そして途中から口腔育成が伴ってきた。昨年に、大きな裏切りをして、その影を引きずる連中からの誹謗中があり、それよりも残された人たちへの対応そして新たな立ち上げ、駆け抜けた日々だった。そして 老いと若きと新しい人材が上手く絡まった。考えて考えた挙句、工程を大幅に変更して、新しいものを目指す、そこに大きな負荷があった。しかし、その負荷が彼らはクリアーできるのだろう、多くのものをなくすかもしれない、それでいい、残ったものが財産になる。私は病により、去る。去るべき時期だったのを病が示してくれた。そして私個人には新しい挑戦を病が背中を押してくれた。私は奉られる、特別扱いされるのが嫌いだ、年齢とともに、そしてこの業を続ける中で、そんな雰囲気を感じていた。私は「やはり野に置け蓮華草」床の間は嫌いだ。床の間の息苦しさはもう十分だ。もう相当前になるが、お亡くなりになった髭の三笠宮殿下とお話をしたときにそんな話になった。お前ならわかってくれるだろ、そう言われたが、よく解る。皇室は本当に大変だと思うし、そんな気持ちを正直に持つ彼が私は大好きだった。 これ以上この道を行くと、自分が何かを見失いそうだ。結果オーライ

 

心音の記 2

12月17日

今回は、4クールの半分で抗がん剤を終える。中途半端だが、何故か結果オーライの感がする。肌を見ると、ハリが出てきたようである。シワシワだった肌が、違ってきた。体力がぐっと持ち直したようでもある。肌が違う。

 

 

2014年12月14日日付けが変わる時間に、父は、流星に乗って、天然の彼方へと帰って行った。妻と、生まれて初めて、冬の夜空を流星が翔けるのを見た。その時、たった一人の、孫は、彼が愛したハワイ、ホノルルの街を走り、ダイヤモンドヘッドへと、向かっていた。

彼は93年の月日を、貧しくも清く正しく生きた。いつも笑顔を絶やさず、常にありがとうと感謝し、人を憎まず、人を許し、オシャレに生きた。そして、想いは孫に託して、去っていった。

 

12月11日

 昨日の採血検査では白血球数が先日より多少減少気味である。前回の点滴前が2800、中性球が40%1100と少し、リンパ球が同程度、今回は2400総数で 中性球が30%720程度だがリンパ球が60%1400程度、インフルエンザワクチンの影響だろう。ちょうど出るころ、殆ど問題はない状況だと思う。

 3クールより継続しているだけにしんどさは以前より大きい。昨夜は少し油ものを食べすぎがのだろうか、夜中に気持ちが悪い瞬間があった。今朝は元気だが。

 前に進み続ける。寿命にそれほどの興味もない。何がしたいということもない。ただ前に向かって歩きたい。面白くなってきた感がする。これからどう進み続けるのか?ただただ前に進もう

12月9日

 昨日は会社に、年末を控え何かとバタバタしているが、今後の動きの予兆がみれる。この事業はどうしても私の能力による個人的な事業であることは否めない。後継者を求めることも難しい。それは次のステップで行われるのだろう。今は今の世代においては私の個人的な能力で動くことになり、それ以上を望むことはやめた方がいいようである。逆にいえば、自分の力のあらん限りを費やして走ることになろう。それが事業の拡大であり、あとどのくらい生きるのかはわからないが、残される家族への貢献でもあると思う。それ以外にすることもしたいこともない。確かに、昨年のACOのトラブルはマイナス要因であるのかもしれない。しかし、それにより見えたことも多い、故にプラスマイナス0であり、後は能力次第である。どのような状況下、時代下においても、いろいろなことがある、それをクリアーして初めてプラスである、どのような時代にでもプラスは困難が付きまとう、故にそれを超えて行くのが楽しくもある。

 

  年の瀬になり、自分の病状を想うと、これまでの人生を振り返る。隅本さんはん短い人生だったという、僕は長い人生だったように思う。師走の日々を病院で暮らしている。4人部屋、鼾、臭い・・・心地よい毎日でもないが、それもまた楽しい。経験したい、好奇心で生きてきたように思う、何も残さなかったし残せなかった。後悔はない、残そうとも思わなかった、目の前の一瞬が楽しければばそれでいい、が生き方であった。全く後悔がない。奔放に生きた、したいことをした、人生も残り少ないのだろう、師走の一日を隅本さんと話した。それぞれの人生である。

 

12月7日 

 第4クールの一回目の投与が終わる。午後から一度自宅に外出をしようと。体重用は前回とほぼ同じパターンである。今日で抗がん剤投与後72時間になり、抗がん剤の効果の時期が終わる、これ以後はその副作用である。特に腫瘍崩壊の中での代謝産物としての尿酸値、現在は尿酸低下剤での低下検査的には見られているが、実際はどうか、二つ目は副作用がどう出るか?ポイントは白血球数と血小板数であり、これもパターン化しているようでもある。後は体力は確かに徐々に低下しているが、今回を過ぎてお正月の多少長い休養器で回復すると思う。強い身体になった問題と改めに想っている。

となると腫瘍が崩壊どのような崩壊が生じているのかが最も関心が集まるところである。この点は今後もガンと付き合って生きて行く以上、生物屋という立場からは考えて行かねばならない。これまでの医療の歴史から言うと、やはり最後は「薬」という発想に行きつく。または、新しい方向性としての遺伝子操作になる。この二つが大きな治療法なのだろう。遺伝子操作がこれまでの外科であり、薬はこれまでと同じ、内科的な扱いになる。

遺伝子操作はまだ基礎な懸賞がしばらく続くだろうが、現状では、薬、抗がん剤がモズ考えられることになるのだろう。しかし、抗がん剤に対しては、反対論が多いし、確かに効果は数字上は少ない。そして副作用の問題は厳しい。日常的な目に見えるというのか、副作用は改善されているのだが、副作用が極めて危険な副作用が指摘されるに至っている。

 

 

 

12月5日

 昨日の抗がん剤の点滴期間は多少は気になり、動的な無理はせずに過ごしていた。今日からは生殖の栄養剤入りの点滴で、気楽になった。掃除のおばちゃんにも抗がん剤しているのに元気やねえ、と言われた。あまりほかの人は知らないので、元気なのかどうか、手術前のように何キロも歩くのは今は難しいが、それでも以前にも書いたが多少鍛錬をすれば大丈夫との、感覚でもある。確かに元気といえば元気、4クールの一回、一回が体表面積55ミリ程度、1クールが二回 110ミリ程度 1クールではその20%増しだから約140ミリ程度はきつい。それを経て、今までがこれまで400ミリ程度 半減はしていても、完全に抜けるにはこのような薬物は時間がかかるだろう。後25~260ミリ程度、それでも元気さは変わらないように思うし、効いてる感はいつもある。尿酸が薬で抑えられているが、足先の足の、この感じは手足病でもなく皮膚病でも、末梢神経でも泣きう、尿酸の動きに近いように思うということは腫瘍崩壊の一つの生理的なもののように思う。少なくはなっていて、腫瘍自体の消滅があるのだろうと、期待している。大きなガン、肺の手院かどうかはわからないが、病名的には分かりにくい、5月の26日のPetで判明した肺がんもみんなが転移だと憶測したが、血流転移には基本的には肉腫が多いとされていて、リンパの転移では癌腫が多いのが通常である。とすると、リンパは最近鈴歯科転移がない状態での、肺の転移は低いと考えられ、当初から私の中では、肺がんは別のものであることがイメージしていた。バイオプシーでは扁平上皮がんであり、転移ではなかった。今回の手院騒動も、自分ではわからないと思っているのだが、それはそれは別にして、抗がん剤の効果は確かに強く出て、消滅までもう来ていて、微細な体内の特に肺における扁平上皮がんの小型が現在消滅しているように感じささせる。とはいえ、それが簡単にわかる時代がそう遠くない将来に来るのだろうが、今はまだこのクールを終えCTでも撮ってみないとわからないし、5ミリ以下程度ではPetでもわからない。

 仕事も動き出した。それなりに動き出した。今回のACOの追加料金の案にはいろいろ悩んだが、やるからには腹を据えてやりきろうと思うし、新しくブレークスルーができそうでもある。いろいろなまだ解決のいる要因もあるのだが、それは一歩一歩前向きに進めば、解決されるように思う。

 すべてに一歩、一歩前にすすむことである。

 

 

 

4人部屋で人も入れ替わる。いろいろな人生があり面白い。

去る人の  病室の朝の 笑顔かな

退院に 言葉が跳ねる  おめでとう

 

 

 

12月4日

  今日から抗がん剤治療が始まる。入院すると、意識はガンを思慮するほうが多くなる。いろいろなことが気になる。人間とは不思議なものだと思う。医療側と患者側、これまではあまり気にしたこともなかったし、フリーの立場で病院に行くことはあまりなかったのだが、今回は全く患者の立場に立つといろいろなことを知った。意識、精神的な要素は本当に大きい。特にネットの情報が氾濫する中で、情報をとることはたやすくなった。それが正解かどうかは別の問題だが。多く取得できる情報を、冷静な思考で整理できれば治療に大きく貢献する。このことはガンが治癒した玉石混合の報告から見ることができる。

  感情的になることは、どちらにしろ治療を良い方向には向かせないようである。あまりにも悲観的になる、逆に感情的に前向きになることもあまりよくないようである。生きる伸びることに積極的になることは逆にストレスにもなる。それよりも、冷静に病気を思考し、冷静にどう生きるかを考え、そして冷静に自分に合った治療法を選択することである。どのような治療法でもいいように思う。それが冷静な判断に適すればがんの治癒または進行を止めることができる。

 

12月3日

 金曜日に退院し、短い期間だったが、充実をした4日間であった。事業計画をして、セミナーをして、事業の具体的な動きを決め、目標を決め、動き出すだろう。エースデンタルジャパンの方が少し心配だが、動くかどうか、チェックが必要なようだ。あと数日我慢をすれば、谷底の底からは抜け出せる、次は春である。春までに予定通りの動きが出来れば、あとは問題は無い。診療所をどう立て直すのかに頭を切り替える必要があるが、隅本さんとスタッフの軋轢は続くだろうが。

 今日から入院である。また気楽な生活に戻る。3週間程、一人だけ娑婆から抜け出し気楽な生活である。申し訳なくもあるが、後3クール。多少は生き延びた様である、思うに、最後は気力と体力と知力なのだろう。ガンの様な疾患は基礎力と偶然である。基礎力は成長時に決まる。しかしその後基礎力が低くても、改善はできる。それも環境である。自分の人生を振り返ると、そのように思う。過保護過ぎた幼少期、小児ぜんそくとの日々だった。思春期からのきわめて厳しいスポーツだらけの生活、勉強も人一倍した。自分の半生で仮説を証明できた様でもある。次の半生は、知力・体力・気力が寿命に影響する、との仮説への挑戦である。

 知力は考慮思考する力、体力は運動と食、気力は前に進む意思、と言える。常に、考慮思考し、適切な運動と食を取り、常に前に進む意思を持つこと、そんな毎日を過ごし、ガンに罹患した、転移もあったらしい、そんな私が、腎臓摘出して6クールの抗がん剤治療を経て、どれほど生きるのか、次の実験でもある。

 全く医療に対して失礼な入り方をした私の医療に対するお詫びの形なのだろう。人間力とは何か?人間とは何か?人間はどこに行こうとしているのか?を自身で命をかけて確かめろという、神の指示に従うかの様である。おそらくは辺りだろうと、信じている。

 

11月30日

 芦屋川の畔に移り住んで一年が過ぎた。その半分以上はガンの闘病の期間でもあり、半年は入院生活でもあった。この地に棲みかを求めたこと、ガンに罹患した事・・・・・、今から思えば必然であり、意味があった事なのだと思える。以前は車で会社に、人をそれほど見ると言う事もなかったのだが、芦屋川駅に多くの若い人たちが乗降する。死を見つめた中で、自然を見て、若者たちを見て、死の意味を考えさせてくれるし、それが自分の役割なのだと思う事になる。

 後3ケ月の抗がん剤治療を行うのだが、そうすると合計でほぼ10か月程の闘病期間となる。後3ケ月を楽しみ、そして人生が変わりそうである。後3ケ月の中で、過去の自分を全て許し、人を全て許そう。そして人生を楽しみ生きていく事にしよう。

  実質的にも、公的にも私との関係は無い株式会社 SNラインなのだが、私の名前が見え隠れすると、私からライセンス契約をしていると、兵庫県の保証協会は保証をしないというのも面白い。破産を経験すると、法律では免責になるのだが、社会はそうは簡単にはいかない、法律と感情は違うようで同じな面が、役所にもあるのが面白い。

  なかなか復活戦をさせてくれないのが社会である。ただ、一度谷底に落ちて、這い上がると、簡単にはくたばることは無い。谷底から這い上がった安部総理にそれを見る。私も、社会の谷ぞのから立ちあがり、死の淵からも抜けだそうともがいていいる。

  谷底い落ちると味方は少ない。条件は悪くなる。そうなると、『知恵』しかない、知恵は誰にも同様の機会を与えてくれる。知恵である。こんな人生が面白い。

 

 

11月28日

 とりあえず退院する。また来週水曜日5日後に入院して第4クールが始まる。6クール、来年2月末までが一応の予定である。今回の投与期間中の~3,4日後の感覚ではまだまだ効いているような感触がある。本当に劇的な消滅をするのかもしれない。来年早々に再度CT撮影が楽しみでもあるが、どちらにしろ抗ガン時治療は継続する。ちょうど半分が終了して、後半戦に入る。当初の話は3カ月であったが、いろいろあった。病名としてはMETAの肺がん、それに劇的なというか、適切なレベルの腫瘍崩壊、副作用に至らない状態で効果が進んでいるとの話にはなるのだが、少し疑問も生物屋からすればあるのだが、まあ高い効果だというのだから、結果オーライである。

 

 抗がん剤治療自体は相当強い薬のほうだとの話だったが、多少の衰退は感じるが、少し鍛えればすれば、元に帰る、これまでの経験からすればその程度の状況である。10代の終わりごろに食中毒になり、10数キロ一気に痩せたことがあった。その時期の感覚とそれほど変わらない。当時は10代の終わり今は60になった。感覚的にはまだまだその程度である。「身体が強いですね」との話をいただいたが、自分の今の専門分野から言うと、大変興味深い経験をさせてもらっている。身体が強いということはどういうことか、遺伝はどれほど関係するのか、そして成長、同じ成長でも年齢によりその様相が異なることになる。自分の幼児期を振り返りながら、自身がまさに人体実験場外である。飽きない。

  これまで7カ月、多くの同部屋の方々は70歳前後から上であり、確かにそれに比すれば、自分は若い。「まだお若いですから」と医者に言われるのも照れていたが、比較対象が好例だから若いのだろう。ただ、人間は宿命の中で死ぬことができなくなっている。死の時期も自分の意識の中で決める時代に移行している。

 歌手のジョニー大倉氏がなくなった。5年ほど前に悪性リンパ腫から立ち直り、肺がんの闘病を1年半近く続けて逝った。62歳である。

  後3カ月の抗がん剤治療後は、自分で死を決める人生になる。なにはともあれ、後半戦に向かおう。もっともっと強い身体を造りながら。

 

 

11月27日

 抗がん剤の第3クールも4周目を迎えた。これで予定のちょうど半分が終わる。5月の初めにこの大学病院に来て

ちょうど7カ月が経過した。後3カ月、10カ月の長丁場になるが、人生のいい経験にもなった。福を始め事業は何とか継続してくれ、家族に仲間に感謝の一年になる。

 事業も厳しい状態が続くが、なんとか持ち直すと思う。事業はポジティブシンキングである。病気はそうでもないのだが、事業は確実にポジティブである方が勝ち組になる。そして攻撃的であることが必要になる。

 病気の場合は冷静な判断が基本で、自分の体の方向性を冷静に判断することが回復の基本である。そして体力、

病気の改善には知力と体力である。しかし、事業はポジティブシンキング、常に前向きに前に進み続けることが成功の原則でもある。これまでの経験からして、一歩一歩前に進めば、必ずどのように高い山で桃ぼることができる。がけが崩れ、谷底に落ちても、また昇ることである、あきらめずに、前に前に、一日一歩、三歩進んで二歩下がる、チャレンジをすることである、そしてそれがだめならまたチャレンジである。阿切れ目なければ必ず、なんとかなる。そして知恵を出すことである、知恵である、知力とは少し意味が違う、病気の場合の知力とは違うようである。

 人口減に伴い、退職される年齢が高くなる。ということは、仕事を持っているときにガンに罹患することも多くなる。

10カ月近く仕事を休むことはまず不可能である。また、入院生活もストレスであろう。幸いにして僕自身は、仲間にも家族にも恵まれ、ストレスもあまり感じない。たまにストレスかなあと思うのだが、考えれば家に帰ってもそれほど違いはなく、楽しみを持てばそれなりに楽しみでもある。後3カ月は大部屋でいよう、それで終わりにはするが、その間にいろいろな経験を積んでみたいと。病気のストレスは理屈で考えればクリアーできる。

 

 

11月25日

 今朝は採血の日である。検査内容次第では第3クールが終わり、退院、また12月に入り第4クールを始める。年末まで続け、肺のガンの状態を検査し、次のクールに向かうかどうかを決める。第5,6クールがあることは頭にある。なければ、肺の一部摘出である。CT上で計測すると、元々の大きさが13ミリ程度、それが5ミリ程度以下に減少していた。今回でどれほど縮小しているか、そして消滅するためにはあと何回必要か、うまくいけば消失しているのかもしれないなどなど、結果が楽しみでもある。後どれほどは別にして、とことん行くのもおもしろそうである、信念にあと2回でもあと4回でも、行けるだけ行けばいいと。

 いろいろ試行錯誤したが、支援センタークックエンは閉鎖する。1年間の状況から、医療機関における「子育て支援センター」は確かに成功する。しかし、問題は運営である。四日市の三原先生がお話しされたように、運営は持ち出し、完全な赤字である。完全な赤字を補うには、

1.付随する診療所でその赤字を補えるか

2.赤字を情熱で補う                の2つだろう。付随する診療所でそれを補うのが一番なのだが、

そのために準備、機能させる順儀が欠かせない。何でもかんでも、造ればうまくいくものでもないことを、クックエンは証明した。それなりに1年赤字を抱えた意味はある。ビジネスとどう組み合わせるのかなど、紹介で来るデータはできたように思う。

 抗がん剤治療をいつ終わりにするかは現時点ではわからないが、一つは診療所を再度してみようと思う。もちろんフルタイムでするほどの時間的な余裕はないが、週に2~3日歯科医療をしてみようと思う。何かしないと基本的には暇を持て余す。どのような歯科診療を祖するのか、これから考えてみよう。

 

 

 

 

11月23日 今日は父親の誕生日である。93歳を迎えた。僕はまだ入院中である。彼に僕の状況は理解できない。少なくとも彼よりも長く生きなければならないのだが、彼も意識がしっかりしていたときは120歳近くはいくと言ってたので、あと27年、僕は88歳、難しいのかもしれないと、抗がん剤が奇跡的に効果を上げた、科学者という立場で、奇跡的という言葉は使うわけにはいかないのだが、患者としては許されるのかもしれない。そのうえで自信があるのは70歳台、父親がそうだったが、80歳になるまでは、青年だった。体力があった。同じような自信があるのだが、それ以上は生れと育ち、特に育ちが全く過保護過ぎたように思う。ガンになったこと、ガンから回復したこと、想定ないと言えば結果論だが想定内でもある。しかし、ガンに罹患したこと、そして80歳の声は効かずに寿命は尽きる、がいい加減でもあるが、想定内でもある。それが父との大きな違いであり、父の背をただ追いかけて生きてきた自分の人生だろうと、父親の93歳の誕生日に思う。

 昨夜長野で地震、夏の広島豪雨、御岳山噴火、ともすればのど元過ぎれば…とも思うが自然活動は常に訪れる。

 

 

11月22日

 想定外のことが起こるのだが、その原点は「コミュニケーション」不足なのだということがよくわかる。コミュニケーションが得意ではない人間が増えている。相手の気持ちを慮れない、故に相手の気持ちに沿えない、簡単にいえば、今の仕事にそんな人間が集まりすぎているようでもある。コミュニケーション力がない場合、歯車として動くのがいい。システムにして歯車として動く。ある意味区切りをつけるのにいい機会なのだろう。

 

 

 

11月20日 

 昨日 高倉健の訃報とともに「日々精進 忍びて終わりて後悔なし」の、延暦寺の酒井大阿闍梨が仏典からの言葉らしいが、「死ぬる日まで日々精進、その精進に何も求めず、終わりて悔いもなく」と生きていければいいと思う。

 なぜ歯科医療に進んだのか、今になって思えば、医科の選択肢はなかった。文学が夢だった少年時代に、父親の勧めで、食べるために医療のライセンスだけは持っておけ、との助言に従い歯科大学に進んだ。医科大学か歯科大学か、どちらでもよかったが、当時は金にするには歯科医療がよかった、それだけだった。故に大学時代は全く歯科に興味はなかった。卒業して一年、ただアメリカに行くお金儲けだけが目的で、勤務し、アメリカに渡った。しかしライセンスを持って、文学をする、環境が許さなかった。少年、青年時代の夢の実現に向けて、右往左往した人生だった。海外を駈けたし、バブルにも踊った、そして50歳の時に歯科に帰ってきた。それはただ、食べて行くためだけの目的だった。5年ほど前に、旧友村上千幸と再会する、そして「子ども」の世界に入っていく。それがある意味運命のように、宿命のように、歯科医療の重要性に、つながっていた。そして、負荷が生命活動に必要であることにつながっていた。

 20代半ば、アメリカに渡った。そこにハンス・セリエがいた。30代、セーブザチルドレンという国際的なボランティア団体を立ち上げた。ストレス=負荷と子ども、そういう時期があり今があるのだろうか。

 何に精進するのか、

 1)文学に精進する

 2)歯科医療のすごさを知らしめるために精進する

 3)子ども達の健やかな成長のために精進する

何を求めるのではなく、ただただ精進して、終わり手、悔いのない人生を歩いてみたい。

 

 

11月18日 

 昨日は今回のクールで最も疲労感が強い一日だったのかもしれない。福氏来院するが、長時間の打ち合わせは難しかった。やはり、過去の2クールをして今回と疲労は蓄積し、体力は落ちているようだ。入院時の体重が83Kg、今朝が81.5Kg食欲も下がり気味だったが昨日は少し無理をして食べた。今朝は昨日に比べると疲労感は少し改善している。足先などのピリピリ感は今朝は減少。昨日は一日中感じたが、ほぼなくなっているようだ。

 第3クール入院でちょうど2週間が経過、入院自体には慣れて、ストレスもなく、変化に楽しみもある。することも多い、今年はもう1クールの入院で、いろいろとちょうどいいのかもしれない。今年はじっくりと構えていよう。

 

 

11月17日 

 とりあえずは昨日で抗がん剤の投与は終わり、後は副作用の観察で退院、次のクールに臨む。大分、抗がん剤の効果の蓄積もあり、いつもより早く疲れやすさは出ているようである。その他の副作用は今回は比較的楽に終わるのではとの感触がする。肺のガンを指標にできるという、わかりやすさがあるとはいえ、その確認には手間が射る。もっと簡単に、抗がん剤の効果が分かればいいのだろうが、その前に抗がん剤の効果をもう少し分かりやすくならないと一般的にではないのだろう。個人的には抗がん剤のこの効果は大変ハッピーであったのだが、一般的にはまだまだ抗がん剤治療を高めて行くことがガンの治療には不可欠なのだろう。

 

 

 

11月16日 日曜日 

  11月も半ばが終った。第3クールの抗がん剤治療も後お昼の点滴が終われば、終了である。慣れてくるというのもおかしいのだが、気分的には流れが分かり気楽に受けている。

  脚のピリピリ感は昨日は少しあっが消えている。通常の崩壊作用は、抗がん剤から12~72時間程度の効果時間だろうから、そろそろなくなり、副作用として出てくることになるのだろうか。第一クールの副作用発現時期から続いた、脚のピリピリ感がこれまで続き、ちょうど抗尿酸薬を増やし、今回の抗がん剤の効果時間での身体の動きなどを感じていると、第4クールでどうなっているのかが、面白そうでもある。

  仕事も動き出すだろう。6カ月のロスは痛いが、それなりに意味もあったし、基礎ができた。試行錯誤することも重要であり、人生で何回も坂道を転げ落ちもしたし、脇の谷に落ちもしたが、上を見ることだ、あきらめないこと、そしてかららず、急がず、毎日一歩一歩、だ。必ず、もとに帰る、いやそれ以上の高みに登れる。

   残された時間が、どうなのかはわからない、それもまた変化のある闘病だから楽しくなる。また仕事も前に立って、みんなを引っ張ろう、どんどんとこれまでの経験を売り物にしよう。名誉も剤も、いらなくなった、命もそれほど執着心がなくなった、世間の評価も気にならない、後は楽しめればいい、それが1年でも5年でも10年でも、ただ、今日と明日を楽しみたい。もっともっと面白可笑しなことに出会いたい。雪待ち月の半ばの朝の空は、雲が墨の流れの様でもある。

 

 

 

 

11月13日木曜日

 今日から第3クール2回目の抗がん剤の点滴を始める。第2クールぐらいからだったように思いだすのだが、足先がピリピリしていた。それが尿酸によるものとは思いもよらなかったが、3クール目も数日前は結構ピリピリ感は強かった。ここ数日は減少しているが、また明日あたりからあるのかもしれない。

 

 ネットの情報によれば、腫瘍崩壊症候群とは?

  • 腫瘍崩壊症候群とは、悪性腫瘍の治療の際に抗がん剤治療や放射線療法の効果が優れており、腫瘍が急速に死滅(崩壊)するときに起きます。

    体内の尿酸が増える、

    カリウム、カルシウム、リンなどの電解質のバランスが崩れる、

    血液が酸性になる、

    腎臓からの尿の産生が減少する

    などの異常が出現します。腫瘍を死滅させることが悪性腫瘍の治療の目的ですので、治療がうまくいった時に起きる副作用ともいえます。

    • 通常治療開始後12時間~72時間以内に起きてきます

  • 腫瘍を劇的に崩壊させるのだが、その副作用として尿酸が出て、腎臓に英虚を及ぼす、血液腫瘍に多いものらしい。ガンの核酸に影響を及ぼし、それが代謝分解して尿酸に至るという、それ自体のメカニズムはよくわかるのだが、私のような固定ガンに生じるのは一説によると1~数%であるらしい。100名に一名のあるかないかの例なのだとか。なぜこのようなことが生じたのかのメカニズムに興味がわくが、今のところ思いもよらない。

  • 確かに生き延びたのだろう、逆によく効いたということは、微小がんが多くあった、微小ガンによく発生する、血液ガンに多い、という理屈なのだろう。とことんこの療法を続ければ、治癒さえ不可能でもない、確かに4回はすべきだろうと、言うのは理屈通りということになる。後4回の抗がん剤治療に対応できる体力、簡単には動いて、食べること、だ。

  • いろいろと面白い経験になる。おもしろすぎる人生、だ。仕事も動き出す、追い込まれて動き出す。「破産」以来、裏方にという考えに影響されてきたが、もういいだろう。一度死んだのだろうから、もう一度前に出て動こう。エースデンタルジャパンの代表になる。AceDental  Internationalのトップとして残された人生を動き回ろう。そのための準備を春までに。

 

 

11月11日火曜日

 昨日は副作用かフォットフラッシュで、しんどい一日だった。抗がん剤を点滴すると必ずこうはなるが、一昨日まではステロイドでそれをカバーされていたが、昨日から亡くなると、一日は相当こたえるが、抗がん剤の効いた感はバンバンである。冷静にはこれまでの状況はよくわからないのだが、結果だけでいえば抗がん剤が異常に効いているということなのだろう。今回年末までの2クールでどの程度の効果を示すのか、感覚だが、相当効果があるように思ってしまう。

 週刊現代にガンの5年生存率の報告があり、また今日のサンケイの記事では、乳がん検査の適否への疑問などが述べられている。ある意味情報過多であり、ある意味統計のあり方への疑問も感じてしまう。

 統計学は面白い学問であり、ある意味最強の学問でもあることは認めるのだが、それですべてを論じられない面白さもまた知っておくほうがいいのだろう。問題は命題である、テーマ性と前提がぴたーっとはまれば最強の武器なのだが、それがないととっぴでもない答えを導き出す武器でもある。何事も使い方なのだろう。

 「タカジン」の闘病記が話題である。再発から2年の夫婦の闘病記、彼の闘病の経過は詳しくは知らないが、情の人である感じがする、「意識」は情と知の二つに大きく割られる、病に関してもこの二つの意識の違いにより対処を考えなければならないと何となく感じている。

 

 

11月7日 金曜日

 昨日の抗がん剤治療の点滴終わり。きょうから日曜までは輸液のみ。日曜日には一度外泊の予定。入院生活もぴったりとライフスタイルに組み入れられてのように、気楽に過ごしている。前回とは違い、仕事や著作活動も進めていると、時間的な余裕がないくらいになる。就寝時間がまだサイクルが悪く寝不足気味だが、どうしても点滴の時期は対応が難しい。なれるだろう。別段身体はそれほど変わりもない。少し寝不足程度である。

 

 2クールまでは、状況が分からないままに、毎日毎日とテレビを見続けていたが、今はその時間もなく、仕事に追われている。時間は確かにいいことが多い。いろいろなことがマイナスも生じるが、プラスにも働き、整理がつく。自信を持って事業も研究も前に進めることができそうである。命の会議をいつも頭の片隅に置きながら、それを理性で解決し、コントロールをしてゆくことになるのだろう。このように定められた人生ならば、それに感謝したい。

 すべて結果オーライに働いてくれて今まで来た。結果オーライだから、途中は大変だ。結果だけオーライなのだから(笑)

今回のどうなるのかわからないままの毎日でもあり、気がつけば転移があり、それが検査途中では分からないままで、しかしそれが分かっていれば、治療計画が変わっていたのだろう、それがいいのか悪いのか、おそらくは今のほうがよかったのだと思う。主たるガンを摘出を優先して、転移等を抗がん剤を適応した。それが劇的に効果がみられている。通常の考えならば、先に抗がん剤を適応する方向に傾いたのかもしれないが、何んとなく今の方法があっていたように思える。これも結果オーライなのだろう。常に薄氷を踏むような人生だが、それも面白い。

 

 

 

 

 

 

11月5日水曜日 

 今日からまた抗がん剤治療を始めるために、入院。考え方によれば、気楽でもある。娑婆との距離感は、毎日のストレスを和らげてくれる。もちろん入院生活自体のストレスもあるが、これは娑婆の生活ストレスよりはリリースは楽である。我儘に自己中心であれば、リリースになる。それも大事である。可能な限りわがままに過ごそう。音が結構気を使う、考えればこれも幼児時代の環境が栄養を及ぼすようだ。自分自身がこんな仕事の中でそれに気づく。人間は、意識が身体機能の中で大きくなりすぎたのだと思う。ただ、従来の科学は特に医学は、この意識と言う機能を身体機能の中で比較的過小評価して来た。意識=心と身体とは別のものとの認識は、今も大きい。循環器が身体中をめぐるように、意識はそれ以上に身体の隅々にダイレクトに影響を及ぼす。その原点は保育にあり、生育環境にあると思う。人間は、これまで環境と言う条件が成長の生活の多くを占めてきたのだが、おそらくは1980年位を境にして、日本においては、成長の生活のが、人間の人工的な影響が環境からの影響を上回り始めたという事なのだろう。

  さあ、2カ月。抗がん剤治療を再開する。1,2クールは抗ガン剤が奇跡的によく効いた。命拾いをしたのだろう。34クール、ガンを消滅させるぐらいの抗がん剤治療をしていものだ。効果には個人差があると言う。なぜなのだろうか。おおざっぱには体質。体質とは何か、遺伝的要因の上の成長時が大きな要素なのだろうとは推測できる。

  フランチャイズ技工所の事業も面白、同時に子どもたちの事業も、何とか力づくで1にしなくてはならない。あと何年かかるのか、100にするのは私の仕事ではない、これまでもそうだった。1にする仕事、時間は数年か?その間は生き延びよう、これからは命の限りを見つめながらの力仕事、それもまたおもしろい。

  仕事も、そろそろ整理が必要だし、ACOの整理が必要だ。情を捨てて、切り捨てて、次のステップに進む。恨まれるだろう。

それも仕方がない、次なる時代、後継者の為に、そろそろ大胆に切り捨て進む時が来たようでだ。

 

 

 

 

11月3日 月曜日

 1日の午後から熊本へ、山東保育園村上園長と夏以来の再会。今年度の調査、来年度の調査について懇談、進展にご心配の様子だが、そろそろ積極的に動き出す方がいいのかもしれない。また何らかの問題は起こるのだろうが、立場上仕方がないのかもしれない。どうしても研究者同士となると、些細な事での諍いが生じやすいが、少し前に出ないと保育関係に迷惑がかかるのかもしれない。力仕事をしなければならない立場になるが、力仕事はどうしても力ずくになる。力仕事でなければ時間がかかる。板挟みになりながらは、いつものこと。

 フランチャイズ技工所は少しづつ動き出しそうでもある。新しい事を始める基本は、財でも名誉でもなく、想い。日本の技工士の技を守る、それが第一命題。それが歯科医療の再生に通じる。これもまた力仕事、力仕事は常に軋轢を生じさえる。それでも進もう、これまでの経験から、最後に信じてくれる人は10名いたら1名程度、みんないいところだけを持ってゆく、良いところが欲しくて始める訳でもない、やりがいである、マイナスをゼロを、1にするやりがい、面白さ。金もいらぬ、誉もいらぬ、命もいらぬ、面白く生きてみたい。

 

 

11月1日 土曜日

  11月になった。旧暦では 霜月(しもつき)、神帰月(しんきづき)、雪待月(ゆきまちづき)とも呼ぶ。冬の訪れを告げる月、晩秋の月、父の93歳の誕生の月でもある。5日からまた抗がん剤治療を始める。今回もとりあえずは2カ月、終わる頃は12月の終わり、師走の終わり、今年の終わりだろう。5月に始まった闘病、それほど戦い感は無い、ただ寝ているだけ、つまらない、そんな6ヶ月であった。そして遠隔転移らしい肺癌が見つかり、その後の抗がん剤でそれが奇跡的に(抗がん剤の効果には個人差があり、よく効く体質だったという事なのだが)効果を示し、継続して消失させるまで続ける事となり、おそらくその後、来年も、念の為の抗がん剤治療は行うだろう。

  61歳、年が明け2月で62歳、若いとは言われても、もう老齢である。この辺りで良いかなあ、との思いもある。後はわがままに、家族の為の、生活の糧を残しておけば、それほど思い残すこともないなあと、感じる。故に、人の評価はどうでもいい。世間の評価をもはや気にすることもない、我儘に生きればいい。家族と仲間の為だけに生きてゆこうと思う。

 

10月30日 2014年

  自分自身の腎盂尿管がんの病期はいろいろ意見があるが、原則的には、病気はⅣと考えれるのだろうと思っていたが、肺への転移が明確になり病期は確実にⅣ、文献的には5年生存率は、相当低い。ただ、当初ガンの罹患が分かった時、この生存率が大変低いことはショックでもあったが、生存率が統計的な処理として、問題は結構あると言う事、人間における疫学的判断は相当難しいことを改めて考え、ショック状態は自分の中で解決してた。しかし、腎臓と尿管の摘出手術を経て抗癌剤治療の始まる前まで、Pet診断後からちょうど3ケ月、1.3センチの新しい癌が出来ていたことが分かった。それはどう考えるべきなのか?もう一つは、2クールの抗がん剤治療を経て、そのガンと、もう一つの扁平上皮がんがほぼ消失に近い状況になっている、ある意味奇跡的な抗がん剤効果はなぜ生じたのか? 生物学に身を置くものとしては、興味深い。これからこの事についても、思考をして行きたいと思う。

 第一の命題は、考えてみると、やはりストレスなのかと、思わざるを得ない。それまでなかったものが、3ケ月の短期間に出現した。一つは、検査入院2回、摘出手術1回の治療としてのストレス。確かに初めての入院生活と手術のストレスは、特に摘出手術の2週間の入院は相当なストレスであったとは思う。ストレスを発散すると言う事がない、ため込んでしまうのが入院生活である。抗がん剤治療にも今その効果が高いとは理解していても、心のどこかにためらいがあり、入院生活のストレスをどうしよう、と思っている自分が居る。答えはできるだけ「わがままな患者」になること、それがストレス解消法だろう。

 他のページでも「ストレスとガンの発生の関連」については考察して行きたいが、ここでも、随時考察を繰り返てみたい。

 

 

10月28日 火曜日

  通常ならば、それなりに劇的な一日だったのかもしれないが、冷静すぎる、というよりも、開き直っている感がある自分が居る。生きる事に飽きた、そんな気持ちもわいてくる。隅本先生との会話、「ガンに罹患してある意味良かった、少し早かったかもしれないが」。老いて、食も取れず、下の世話をかけて、生きていくのは生物の基本法則ではない。ガンとは可能な限り最高の費用をかけて、来年から戦おう、そのために精いっぱいの金儲けをしてみよう。自分自身の為にこれからの人生を、と思う。そして、もう良いだろう、と自分が想ったら、がんとの闘いをやめれば、生物の終わりを迎える事ができる。結構ガンは分かりやすく、生物らしくしてくれる。という気持ちも片方であるのだが。

おそらくは、予測できるこれからの入院生活、抗がん剤の投与による入院に面倒さ、ストレス、を感じることができるからだろう。

  4クールを考えているとの話である。4ヶ月である。長い、結構ストレスがかかる。同ストレスをリリースするかが、ポイントにもなる。逆にそれが抗がん剤の効果をより高めるのではないだろう。それを考えて行こう。

 

10月27日 月曜日

  CT撮影の為の付属病院に出かけた。答えはある意味衝撃的だった。おそらくだが、腎盂ガンの遠隔転移があり、そしてそれが抗ガン剤療法により著しく縮小していた。消滅する可能性が高い判断だった。結果論で言えば「奇跡的」でもある。最悪の状況が、改善された。どう考えればいいのか、抗ガン剤を選択した事が吉と出た。とことん抗がん剤でガンを叩くのが常道だろう。

そして、その後どう生きるか、ガンと共存する、ガンととことん戦う、変な運命だが、それに正面から歩くしかなさそうである。

  もう少し 生きて歩けと 秋の空

 

10月26日 日曜日

 色々なことがあった先週の7日間だった。明日はCT撮影で今後の抗がん剤治療の計画を立てる事になる。ここまで生き延びたのだから、気持ちの整理もついた。事業を先頭に立って拡大し、ついて来てくれたみんなが自分たちでハードルを越える事が出来るまで、引っ張って行く。何があってもあきらめずに。誹謗中傷もいろいろとあるのだが、その全ての人たちも許そう。全ての人たちを赦し、出会ったら笑顔で声をかけよう。そしえ手を取り合える人のすべてと明日に向かおう。

 秋の陽が 新しき想いを 映し行く

笑って過ごす 決していからず、常に笑って・・・それだけは明日から始めよう 

 

10月25日 土曜日

 誹謗中傷の裁判の報告書が顧問弁護士より送られてきた。「言い訳をするな」、「人の悪口を言うな」そんな教育を受けてくると、そういう事を言えない自分が裁判や、また先日記した噂話のストレスが増す。歯科医の誹謗中傷はそういう人種の多い業界でもあり、それほど気にはならないが、かって雇用した人間の腹のある裏切り行為は、そんな人間を雇用した自分が悪いと、思うしかない。頼まれたり、どうしてもという事で受け入れる人間に限り、トラブルを生じさせる。

   誹謗中傷を受け入れる人間も半分いるだろう、それを信じない人間も半分をいるだろう、と思う。時間が解決するのだろうと思う。あのトラブルから1年半が経ち、噂の発信源は行方知らず、誹謗中傷のコアー連中は、内部分裂。時は多くの事を解決してくれる。

   時行きて ただ真実は ひとつにて

 ある意味、裁判や噂話を気にすることは煩わしい。しかし、それも人生である。それにつきあい生きてゆくことも面白い。真実は一つだからと、達観することも良いのだが、その真実を聞きたい人も、少なくは無いようである。確かに、誹謗中傷の中にもなるほどそういう感覚や考えもあり得るのか、と感心することも稀にはある。これまではそれをたたきつぶそうとしたが、老いたのか、それを参考にして、と思う事もあり、

このような、煩わしい時間を持つことも有意義と言えば有意義でもある。

      反省はしなくてはならない。これまでの自分とは変わることが必要でもある。ガンで死を覚悟した、故に少しは変わろう。

 

10月23日 2014年

  幼い頃は、病気がちであり、特に今頃 初秋から仲秋にかけては小児喘息でほとんど寝たきりであった。ひ弱な子どもであったのだが、10歳頃を境にして、病とは本当に無縁になった。大学の1年の時に、食中毒になり、外傷で左ひざを痛め、の2回入院を経験したが、食中毒は1泊、外傷は大学保付属病院で、歯科大学だから名ばかりで、大部屋に私しかいないし、病室で友人が食物を持ち込んで騒ぐのだから、好き勝手にしていたので、入院というものではなかった。

 

10月22日 水曜日

朝は雨模様であった。少ししんどい、今日は朝のジョッグウオークは中止である。

業務の整理ができた。色々な問題はあったが、それは解決できる事でもある。物事に逃げずに正面から立ち向かえば、必ず解決の道はある。解決の道は見つかった。後は努力なのだろう。私は多くの失敗を重ねた。しかし、それから立ち直るすべも知った。失敗から立ち直るには、「努力」である。一歩、一歩 逃げないで歩き続けることである。しかし、人生のほとんどを、足を取られ、引きづり、一歩一歩生きている様でもあるが、それもまた楽しい。

   また今日も 一歩一歩の 人生かな

 

10月21日 火曜日

ちょうど1年半ほど前に、あるトラブルが生じた。そのトラブルの張本人の一家が、私と私の家族の悪口を言っているらしい。私の方は一切そのことはしゃべらない事にしている。それをしゃべらない、何も言わないことが、矜持である。人間としての価値であると思っている。私の家系はそんなに裕福な家系でもない、ただ言える事はみんな誰もが矜持を持って1000年以上の営みを続け来た。それだけは誇りにしたい。

   夏の背が 遠くに見え 秋が行く

10月20日 月曜日

6カ月ぶりに業務復帰。大変な毎日であったのだろうと思う。昨年の2月に、今更どうのこうのと言うっても仕方がないが、全く0、いや実質的には相当のマイナスになり、リスタートを切れたのだが、その時の歪が、私の不在時に相当のレベルで現れた。去ってゆこうとする人間もまたいるし、無関心にいる人間もまたいる世の中捨てたものでもない、それに共に立ち向かってくれる人もまた新たにいる。勇気百倍である。

一昨日はJR芦屋駅までほぼ往復で2キロ、昨日は阪神芦屋駅まで2キロ半、ゆっくりと歩いてみた。3カ月ぶりだが、相当筋力や体力が落ちているのだろう、相当きつく感じるが、また徐々に始めよう。

 

 

 

10月15日 水曜日

6月から始まった入院生活も、今日で一つの区切りで一休みである。左側の腎臓、尿管全摘出及び膀胱の一部摘出の手術前の検査に始まり、肺がんの組織検査そして摘出手術から術後抗がん剤治療GC療法が2クールを続けさまに受けてきた。一度退院し休憩し、CTで現状を確認し次の治療を考慮する、今回の入院自体も50日、お盆明けに入院してもう秋も10月になっていた。空は秋晴れ、秋らしい朝日が光る。

もう少し退院は先かと昨日までは思っていたが、急きょ退院が決まったが、治療も半ばである。

秋空の 朝日は優しく 光入る

 

10月14日火曜日

抗がん剤治療の第2クール3週目が終わる。気がつくと手術をしたのが7月の14日、3カ月が経過した。傷口は大きいだけにまだまだ完全ではなく、気になるが、機能的にはほぼ回復しているのだろう。抗がん剤治療が終わっていれば、筋トレなどを開始したいが、抗がん剤治療はまだ続くだろうから、筋トレなどはもう少し先になりそうだ。

体重はほぼ10年前の値に。どうせなら、抗がん剤治療が終わったら、BMI指数を気にしてみよう。

嵐去り 古里の空を 想う秋

 

 

10月13日月曜日

台風19号が直撃の様子 病室にいると季節感どころか台風も感じない 周囲は高速道路ビル群が見えるだけ

本日の午後あたりから深夜にかけて、近畿地方を直撃だと。

噴火や土砂崩れは嫌なものだが、台風は、結構嫌いではない

 

血小板が少し低くなっている。再度の採決で、血小板の状態を見てから退院の予定に。

疾病医療の中では、抗がん剤治療と再生治療が最も最先端なのだろう。ただ、抗がん剤は、薬の歴史と同じで、

取り扱いが大変難しい。治療医学は、予防医学、人間はしょせんわがままだから、ワクチンにその方向があるのだろうが、

近未来の医療は流れていくように思う。

 

 

 

10月12日

明日から近畿地方に大型の台風

今朝の採血で問題なければ来週にでも退院 抗がん剤治療第2クール 飽きてきたことは確かである 

抗がん剤の副作用を見て1カ月過ごすのも確かに退屈でもある

フランチャイズ技工所の従業員の方がガンに、ガンにかかると相当な心理的なストレスがかかる

それからいかに早くして、ガンに対処していくのかが、大変重要であるように思う

科学的なエビでンスはないし、論理的でもないが、この「心理」というのが、ガンに限らずだろうが

大変重要なポイントであるように思う。

卵巣ガンでは、年間1万名が罹患して4500名程度が卵巣がんを原因として死亡するという。この1万名と4500名はイコールではない。しかしイコールと感じてしまうことがポイントであるともいえる。ガンに対する感覚的な心理を大きく変えることができれば、その死亡率は相当低下するのだろう。

 

 

 

 

 

10 月9日 昨夜は皆既月食  

多少無理しても食べるようにしていると、朝からおなかがすきだした

おにぎりとサンドイッチと。結構な量を食べている。

「体力」とはなにか? エボラ出血熱に罹患し40代のリベリア人がアメリカで亡くなった。

治療としては相当高い水準の治療であったと推測されるが、そして40代、なくなる確率としては高くないと考えられる

しかし、なくなった。身体能力という体力は相当高いであろうと思われる。体力にもいろいろある。文学的な表現はしやすい。芯からの強さ、と言えばいい。では芯からの強さとは何か?

これを自然科学的に考えるとすれば、 一つは遺伝的要因 もう一つは環境的要因 最後は現状的要因に分けて考える

2の環境的要因はいくつかに細分化され、①がほぼ3歳ごろまで ②が6歳ごろ ③12歳ごろ ④15歳ごろ ⑤18歳ごろ になるだろう。問題はこれの何がポイントなのだろうということである。身体的な機能能力と考えるならば分かりやすい。しかしそれは上記した阿附リアの方と被してどうだろう。か、彼自身がアフリカのあるグループの中ではその能力が劣っているとの理解も可能である。「体力」大変難しいのだが、すべては体力=自己治癒力が健康医学のポイントなのだろう

 

 

 

 

 

10月8日

ノーベル物理学賞 日本人受賞 

抗がん剤の倦怠感はまだまだ継続 コンビニまで行くにも 休憩をはさむ

抗がん剤は個人差が強い、当たり前と言えば当たり前で、自分自身は結構

副作用が強い、抗がん剤の副作用は、感覚的にはほぼ効用と比較しているように思える。

副作用と呼ぶのがいいのか疑問も出てくる。アナフェラキシーのような反応以外は原則は、薬の

効用が副作用となっているのだろうが。

その効用メカニズムの出現の場所も違っている。それもまた興味深い。

 

 

 

10月7日

台風一過、秋空・・・半年以上仕事から離れると、現場はそれなりに大変に。しかしいいきっかけになった。すべてを開放する、

生業を多くの人が関われるように。 嵐過ぎ 秋空朝日に輝きて

 

 

10月6日

抗がん剤の副作用だろう少し体調が悪い 倦怠感 熱っぽく 寒さも少しある 体力の減退が感じられる

外は台風 大型のビルにいると季節感どころか 台風の香りもしない 見えるのは高速道路、そしてビル群

香港は若者たちのデモ  

 

    

 

10月1日 早10月 秋も仲秋  今年は季節感のない病室の日々が続く

 この夏は広島の災害、そして御岳山の噴火災害、命のはかなさよ、

 そして私を含めた多くの病人がいる  生と死  生物学者として

 生と死をどう考え、自らがどう受け入れるのか  

 

   そして 誰に何を残して去ってゆくべきなのだろうか

   

9月29日 月曜日  

 5月からの本格的な闘病、幼いころに小児ぜんそくで、毎年、秋ごろからの1~2カ月程度の闘病のことを思い出す。

小学2年ごろから小学5年ごろまでだった

 5カ月が過ぎようとしている  そろそろ過ぎた日をこれからの日を楽しむのもいいだろう

 

   

 

2014年 9月28日  御嶽山 が昨夜噴火  アジア大会 仁川・韓国 後半戦に

 抗がん剤治療第2クール 点滴が終わり 来週木曜日の点滴開始まで何もない日が続く

 

  今日は日曜日、病院内も静か 9月の最後の日曜  本格的な秋が来る

     病院と闘病の 夏を感じることのない 月日が過ぎた

     さて、夏のないままに秋  何かが始まる  もっと新しい日が始まりそうな

          

 父は静かに消えた。時代から少しづつ離れ、そして消えて行った。私も少しづつ離れ、そして消える。それが時代が廻る事である。

 

私は父が消える時を静かに見守った。彼は静かに時代から消えた。私も少しづつ時代から去ろうとしている。あの頃は色々なことに興味があった、なんでも見たかったなんでも知りたかった、そして、少しづつ新奇の心を無くしている。私は少しづつ、時代から去ろうとしている。そして、消えて行く。

 

笑顔にて時代はめぐり父が逝く

名はなくも  父の背大きく見上げしか

手を引かれ 父と歩きし 古里や

冬空に  めぐる時代を見守りて

我もまたいつしか時に消えにけり

 

 

父は生まれ故郷、宍喰をこよなく愛した。県境の小さな町で、彼は生まれ育った。

八尾中から早稲田に、そして新宿、武蔵野館で映画に夢中になり、中退する。早稲田は中退でなければならない、とか。

宍喰史の最初に多田の名が出てくる。太平洋に向いた温暖な町で、住む人も暖かであった。中学で大阪の八尾に、ゆえに長くは住んでいないために、想いは深まったようである。

父はハワイが好きであった。もっとハワイで過ごさせてやればよかったのだが、私の事業の失敗で、そうできなかったことが後悔でもあるが、十年近い年月をハワイで過ごさせてやれたことが、少しは親孝行かとも思う。まあ、あのぐらいがいい塩梅なのだろう。

 

生きるべくして、生きる。肩を張らず、いからせず、ただ生くるべくして、生きるのが、人間らしいのかもしれない。

 

妻の老後だけを成り立たせるのに、それだけの時間は最低でもありそうだ。仮に身体が衰退しても、何とかなる状況になった。

バソコンさえあれば、達成可能である。

生くべくして生きて、消えゆくべくして消える

天然の運命のままに

 

 

2014年五月、ガンの告知を受けた。病期は、よく分からないが、ⅢかⅣ、まあどちらにしろ、早期でもない。あれから入院生活を続け、左の腎臓は摘出した。腎盂尿管ガンか、病名だあった。今は抗がん治療を続けている。そして、病名は、転移肺がんである。六か月、ネットや本など、得られる情報は、多く手に入れた。自分のなかでは、興味は薄れつつある。死を生をじっくりと思考できた。そして父の死を見守った。死は看取るのはない、見守るものである。種の継続を、見守ればいい。

治療は、今年は抗がん剤を3.5クールで終わる。この中途半端さが、また結果オーライ、なのだろう。中途半端だが、三回半は、しっかりと、二回の効果は抜群で、今年を一回と半、本来は二回なのだが、1回と半で終わると、体力が結構しんどかったのが、次回までに十分回復する。抗がん剤は、体力との折り合いであり、自己治癒、免疫力との、折り合いでもある。4回目が半で終わることで、抗がん剤の適用と体力の保持という、偶然ながら、相反する、二つを、偶然に得た。単に副作用で、中止するのとは違う。一、二回で、抜群の効果を見せ、しかしそれも偶然と体力である。見た目よりも相当体重がある。手術で痩せたが、それでも84kgは、ある。体重を基準にすると、相当高い用量になる。それが1回目、どんときたし、どんとこたえた。そして80%に減量した。もちろん、基本的な体力がある事が、前提だった。そして継続して、3クール、4クールと、少し身体に応え出した時、1ヶ月程度の休息である。体力を回復させる、時間を持てる。

この6ヶ月、多くのものを得た。ガンに対する答えは自分なりに出た。ガンは死への恐怖で思考を停止させる。そして、ガンは、ドラマチックに語られやすい。自然災害での事故は、語りにくい。現代日本人の平均寿命は、80歳程度、死亡原因の3割はガン。ガンの罹患者の平均寿命は、80歳程度なのである。私達はこの疾患をクリアーしようとしている。では、どうやって死ねばいいのだろうか?若くして罹患する場合がある。若いが問題であるが、私は61歳、若くはないが、高齢でもない、キーワードは、体力と精神力である。高齢者も同じである。私たちの年齢より低い、これが問題である。

  私は2人兄弟、二人ともガンのでもある。やはり成育環境は、成長の基礎に大きく関連する。妹は50歳台で、私は60歳台で、これは、体力差である。

同じガンでも若い人のガンと、我々のような世代以上とは、違ったものとして、考えるべきなのだろう。成育環境での基礎は私も妹もあまり良くないと思う。しかし、田舎育ち、運動との面で、少し違いがある。

どちらにしろ、成育と体力である。

ガンの治療には、まだ飽きてはいない。どうなるのか、結構楽しみである。ただ、治療環境には、飽きた。風景が同じなのは飽きがくる。飽きると物事にいい加減になる。来年から、考えよう。

 

如何に死ぬのか

 80歳を超えるかたが病室に入ってくる。手術後の経過は若い人には劣るが、それなりに回復する。近代医療は80歳の例えばガンの手術を可能にしている。その手術自体は、医者が判断し、本人が望んだのだから、結果は別にして治療自体は私が考察するものでもない。しかし、人間は如何に死ぬのか、どのように死ぬのか、考えさせられる。

 生命は必ず死を迎える。人間以外の生物は、神の、科学的には自然環境の御心のままに、死を迎えなくてはならない。自らが、死を生を、選択する自由はない。人間は完全ではないが、選択の自由を得た。 私たちは矛盾を抱えた、死という宿命と、それを選択できる英知、という矛盾である。英知が宿命に勝てない、のレベルで人は死を迎える。永遠の生命を得ることは不可能であり、私たちはいつか死を迎えなければならない。しかし私たちの社会は「生」に強いこだわりを持つようになった。生は何よりも優先されるものになった。買って「生」の優先権はそう高くはなかった。ほんの数十年前、若者は、天皇のために、国のためにと死を求められた。百数十年前には「武士道は死ぬこと」とも言われた。死は軽かった時代が続いた。その分、死を思考することができた。そして自らの結論持って死を見つめた。しかし、今は 「死」は思考を停止させる時代である。「如何に死ぬか」、思考を続けることは「いかに生きるかの思考をすることでもある。それができないのが現代社会であり、「生」に極めて感情的な対応が行われるが故に、「死」に対して思考を停止させてしまう。

 

 

「往く道は、精進にして、忍びて終わり悔いはなし」高倉健氏がこの座右の銘を残して逝った。この言葉は千日回峰を2回にわたり達成された酒井大阿闍梨が贈ったらしい。大阿闍梨らしすぎる。

雪待月も半分が終わり、師走の月に向かう。今年は色々とありすぎた。しかし、大変有意義な年でもあった。

残される家族と仲間のために・・・夏から駆け抜けた。後はんとしてもあれば、彼らがそれなりに生きて行ける方向性は残すことができる。方向性だけでいい、余分なものは要らない。春までもう一息なのだろう。

抗がん剤が劇的に効果を示しているらしい、らしいであり、それが事実かどうかはわからない。なぜ抗がん剤が劇的に効果を個体別に示すのか、生物やとしての興味は尽きない。大きなメカニズムはわかるように思う。それはそうとして、いま61歳、来年2月で62歳、高倉健氏の年齢までなら後20年、改めて想うと、何かしたいこともない、財もほしいとは思わない、誉もいらない、これからの人生に何を求めるのだろう。もともと、人生観は「楽しく面白く」であり人のため、社会のためになど考えもしない。名を残していなども思わない、名を残しても、自分にとってなにも楽しくも面白くもない。

「往く道は、精進にして、忍びて終わり悔いはなし」

良い言葉に出逢った。 これから死に向かい往く道、あと何年かは神のみぞ知る。精進して生きる、それは毎日に感謝し暮らす、凛として暮らす、

「晴耕雨読」忍びて終わる日まで。

 

 

 

年齢と死と

 

 「死」への恐怖は何歳になっても同じようである。加齢とともに脳機能が低下してゆくのが通常である。その低下により死への恐怖が少なくなる。脳機能が維持されると、逆に、高齢になればなるほど個体として死を考え、脳機能の後退がない限り死への恐怖は逆に高まることもある。若年者の場合、家族への想いが大きい、自分の死よりも家族を考える。自分の死後の家族の行く末を考える。自分の死への悔しさはあるが、死自体を怖がることは薄れて行くようである。しかし、高齢化した場合、家族の将来に対する想いはほぼない。死と自分が直接接している。想いは死への恐怖である。

 

  大部屋に居るというのは面白い。ある大学の教授が書いた、ガンの闘病記を読んでいて、大部屋が面白いとの話だったこともあり、空き部屋を待つ時間的な余裕もないこと、長期にわたる抗がん剤治療などでの経済的な問題なども考慮したのだが、多くの患者さんに触れることができて良かった。多少はこの業界に携わり今後も生きていくのだろうから、この経験は大きい。

  抗がん剤治療を入院でしていると、(おそらくは、通院での抗がん剤治療の大きくシフトする時代が間もなくやってくるのだろう、入院での抗がん剤治療の問題点はやはり入院ストレス、私個人は当初以外はなれたが、共同生活は現代人においてはストレスが大きい。副作用が減じてきて、管理するシステムが高まれば、入院の必要性はほぼんとないのだろうと、思う)多くの患者さんが入れ替わりする。そこで、表面的だろうが、その人の人生をみることができる。

 

 

 

 

全身麻酔と脳活動と高齢者

  同部屋に高齢者の患者がいる。オペ前から脳機能の高齢化は示している。同時に心理的な一つの傾向性もある。オペ後、認知症状態を強く示している。脳のでコード化が全身麻酔の影響で出来ていない状態を示している。複雑すぎる脳の回路構造は、麻酔はとりあえずは、その回路の動きを止める。若ければ、回路の動きはすぐに始まる。しかし老齢の場合、回復は遅い、またはそれ以上に何らかの後遺症は出る可能性は高い。しかし、身体機能として、心理として脳機能を取られない場合、それを認識することは大変難しい。もちろんレベルが高い場合、わかりやすいのだが、低い場合はわかりにくい、冷静な心理学的なアプローチが必要である。余談であるが、医療側と心理学側のより、親密な交流が求められる。

  人間は進化の中で、「心理」という機能を得た。他のいろいろな機能を犠牲にしてまで「心理」という機能を得た。進化的には、得たという、能動的なものではなく、環境がそれを与えた、という極めて消極的な進化、が本来であろうが。なにはともあれ心理を機能として得、そしてその機能は身体の他の機能に対して多くの影響を及ぼすように至っている。

  脳の機能に英子湯を及ぼすことは、身体機能に影響を及ぼすのだという、メカニズムは十分に理解されていない。このことが今日の高齢化と全身麻酔との関連から考察している。

 

 

  倒産を経験して、あまり表舞台には立たない、本来歯科医療には興味もないし、あまりしゃしゃり出るのも、という感じを持っていたために、マウスピース矯正においても、他の人間が前に出てほしいと思ってきた。しかし、現実はそれが裏目に出て、誤解されることも少なくはない。また、改めて装置や治療法を考える時間が続いたが、ほんとによく出ていている。よく考えられている。近年は子どものことに頭がいって、装置や治療法にあまり気を取られることもなかったのだが、改めて考察してみると、自分で言うのも変だが、よく考えられている。

 考え方が、既存のものとは大きく違うし、アプローチが全く違う範疇にあるがゆえに、誤解を生むし、装置を造る技工士や歯科医師、治療をする歯科医師、僕の考えなどと相当の違いが生じている、裁判の証言などを見ても、よくわかる、それが普通なのだということも知った。

 知らないことはいいことの様だ。知ってる方はどうしてもいろいろと考えてしまう。これからは前面に出ようと思う。ガン自体は進行がんだったよううに思う。レベル的には悪かったのだろう、今抗がん剤が異常に効果を示している、おそらくだけど、春まで行けば、しばらくは生き延びるのだろう。それからは前面で、しばらくはガンガンとやらねばならないようだ。春が待ち遠しい、春まで準備を重ねよう、春まで抗がん剤治療を頑張ろう。

 

 

 

60数年生きていると、多くの人と出会う。いろいろと騙されもしたし、誹謗中傷もされた、そして多くのものを失った。しかし、今になって思う、ガンと言う疾病にり患して、約半としての闘病を経験し、まだこれからも闘病が続き、再発と言う、共存の日々は続く。そんな経験を経て、これからの人生を考えたとき、全ての人を怨まず、全ての人を受け入れて、逆に彼らの力をも借りて、生きていければいいなあと、思う。確かにどうしようもない人間が居る。これまでの人生で、やくざ者やいろいろな業界の人間と関わったが、まあ今回の2人の人間だけは、どうしようもないなあ、とは思ったが、一人は、ある人の前夫とある技工士、他は彼らの載せられただけで、悪い人でもないのだろう。

 

 この二人だけはどうも無理だろうが、ほかの方々はもし再会することがあれば、笑顔でいたい。

 

今、昨年のネット上での誹謗中傷の裁判も継続している。もう時間が経ち過ぎて、面倒でもある。やるからには勝たなくてはならないのだと言う事になるが、主張や証拠がいろいろ出てくると、行き違いや上記の人物に操られているのが分かる。その人間はもういないのだが、裁判は続く。私は笑って会えることを期待するが、そうもいかないのが現実社会である、男と女の関係に似ている。一度分かれると、女は金輪際男を赦さないという、私は全て笑顔に帰れるのだが、普通人間はそうもいかないのだろう。憎しみ合っても何も生まれないのだが・・・。ノーベル賞の中村教授の様に「怒り」をエネルギーにするのもしんどいものだと思う。

 

 

 

 

 

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