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1月14日に入院する

そう簡単には死ぬわけにはいかない

 子どもたちを相手の仕事がまだまだ答えが出ない。ビジネスはそれなりの流れを創ることができる。しかし、子どもたちの仕事は時間がかかりそうである。

 何回も記するのだが、疾病との闘いは体力気力そして知力である。体力は食、気力は知力から。

どのようなサプリメントもどのよく養生も原則はその人次第であり、問題は体力気力、そのためには食べて負荷を与え、体力をつけることが前提であり、その上で気力でどう立ち向かうかであろう。

 生と死は、生命を永遠に紡ぐための最高の方法であり、私たちは生と死を粛々と受け入れなければならない、子ども達が私たちの命の魂を受け継ぎ時代に渡し、生命体は永遠に紡がれる。故に私たちは生きなければならない、滔々と生きなければならない。生きる事に意欲を持ち生きる事を楽しまねばならない。私は子ども達にそして人々に生きる事の意味を語らねばならない、生きることの楽しみを実践しなけらばならない、そのことも私の仕事の一つになった様である。その上で、死を楽しみにしていたい。

 

 

発現の早い転移ガンが新年にやって来た

 これまでのガンは2つあり、1つは肺が原発であり、もう一つは転移であることがCT画像からほぼ想像されていた。手術前にはなかったのだから、早い出現である。ある意味そのような流れのスケジュールの中で、発見され、手術というストレスがかかり、成長も促進さえたのだろう。抗がん剤3.5クールを昨年に行った。その2つのガンは見事に消えていた。完全に消滅していた。しかし、左側に小さな5ミリ弱の転移ガンとも割れる画像があった。

 よくはない状況になった。標準治療とされる抗がん剤の効かないガンがいたという事になる。バイ菌対策の実験をしていた時期にも同じことがった。この薬では効くのだがこの薬では効かない連中が同じバイ菌にもいる。そんなものでガンは、バイ菌と似ている。「悪性新生物」とは響きは良くないが言い得て妙である。とりあえずは、他の臓器では見つからない。今のところであるが、肺への血流で運ばれ、肺がフィルターになり、肺でいくつかのガンが育ちつつあったが、一部は第一時の抗がん剤で消えた、残ったガンが居る、この癌細胞に違う抗がん剤で対応する、2クール程度が基本だろうか、その上で効果を確認して、他の転移がなければ、手術も視野に入れる、が方向性なのだろう。今回違う抗がん剤になるのだろう、その内容は専門でもないのでわからないが、生物の専門家としては、状況は把握できている。さて、どうなるのか、自分の体を実験材料にしているのだから、面白い。

 月曜日に画像を見て、ある程度精神的には落ち込んだ、専門の分野ではないので、基礎知識に加えて、専門的な知識を得るには時間がかかるし、ある程度のレベルでしかかがえることはできないが、全てにやってくる状況は最悪である。しかし、なぜそうなるのか、そしてそれはどうなるのか、いろいろの選択肢がある、最悪の場合、報告があるのだが生存率という統計の中央値で観ると15カ月程度、自分の状況や治療の継続などから考えると、3年て度が基本で、前後数年の命であり、それにも向きあうことが必要でもあろう。でもそれに打ち勝たねば男がすたる、これは人文学的なもう一人の自分である。ではどうすればいいのか、気力体力である、気力の為の知力は整理がついた、状況は違うかもしれないが、自分なりに状況を解釈し、抗がん剤治療を受けて、新しい転移癌と対峙し、消滅と縮小をして見せる。そこに必要なのはあくまでも体力と気力、よく食べ、負荷を与え、そして、生活、幸いにして闘病しながらの仕事にも慣れた。入院しながらの仕事ができる環境であり、また制約された中での仕事が逆に効率を生む。クオリティーオブライフ、まさに生活に質が逆に上がっているのだろう。

 不安感が無いと言うとうそになる。気が抜けたとき、する事がない時は不安感が襲う、しかしそれもまたおもしろい、そこで新しい自分がまた生まれる。不安を謳うもよし、不安に揺れるのもまた良し、そして立ち上がればいい、笑えばいい、楽しく生きて行こう。面白くもなき世を、面白くしてくれている、土俵は違うが、逝った父と同じように人生を楽しむ、同じような人生である。

 

 

 

 

最高の人生を歩む

 文人を目指した人生で、おそらくそれほどの才能もないなかで、通常ならばガンの罹患など不幸中の不幸なのだろうが、自分自身はついていたと言うしかない。死を見つめる事が出来たことは誓を見つめる事が出来たことであり、思考することそして思考することにより言葉を駆使できたことは、人間冥利に尽きると言える。1日2日と朝方は良い日和、そして夕方には雪模様、そんな年の始まりである。

 

2015年 生き延びて 初日の出が私を包む

 昨年の5月に腎盂尿管ガンを発病し、夏に摘出そしてその後で肺への転移が見つかり 抗がん剤治療を開始して年末までほぼ4クールであった。2クールの時点で1.3ミリ程度あった転移肺ガンは、数ミリ程度まで縮小していた。年始に外来にて画像を再度確認するよう定である。腎盂尿管がんの遠隔転移がある症例では、1~2年生存率は十数パーセントと言われている。抗がん剤が著しく効果を見せるのが10数パーセントと言われているのだから、なぜかその生存者の中に入っているようである。シスプラチン・ゲムシタビンを併用した標準治療の抗がん剤治療、確かに体力の消耗があるのだが、膝のトラブルの方がしんどい、ガンは早期発見か、早期発見の難しい腎盂尿管ガンのような場合は、なぜか効果を見せたと先述したが、簡単である、「気力・体力」そして「知力」の充実がポイントだと自分が経験して分かる。

 最終の抗がん剤を投与してからほぼ3週間が経過しているが、足先がピリピリする副作用はまだある。抗がん剤治療は3、4回目も感覚的には前回の休養した2回目の終わりと同じ感じを持ち相当の効果を発揮している感がする。とりあえずは生き延びた様でもある。

 ただ、年末に父が逝った。母が逝き父が逝き、そして自分が死に直面する世代となり、ガンにも罹患し、死に方を考える時期が来たように思う。新しき年に、常に死に方を考えて生きて行きたい。あと何年生きるのかは分からない、ただ、生に対して戦い続ける事だけは言える。ガンと闘うな、は面白くもおかしくもない。ガンと闘い、死と闘え、生と闘う、戦い続けそしてボロボロになるのが人生の妙味である。

 

 

そしてまた始まる新しい闘病

 

META転移である、肺転移がまた見つかった。転移の発現が思うより早い。ただ、その他の臓器には見つからない。手術時のリンパ節転移も一つであり、摘出した腎臓付近にも見つからない。冷静に考えれば、転移は肺でフィルターにかかり肺だけの転移があると言う事が一つなのだろう。確かに発現が早い、進行度の早い細胞だろう。最初の店員ガンは抗がん剤がやけに効果が認められ、完全に消滅している。しかし今回新たに見つかった5ミリ弱程度のガンは2か月前には無かったようで、それはこれまで使った抗がん剤に耐性を示しているのだろう。元々肺にはいくつかの目に見えない転移ガンがあり、前の薬で消滅したもの、また生き抜いたものがいるということなのだろうか。もちろんこの二つのポイントが確定する証拠はないし、こう考える事が出来ると言う事なのだが、治療としてはとりあえずは全身へのガンの第一次の抗がん剤が効かなかったガン細胞があると考えて、抗がん剤の治療を2クールほど続け画像を見る方がいいのだろう。その時の状況次第になろうが、新しい抗がん剤がどれほど効果を示すかにより、考える事になる。そしてそれに打ち勝つには、どこまでも体力・気力・そして理論的に考え闘病に向かう知力が気力の見なものでもある。体力は食べること、適切な負荷をかけること、

 

ガンを克服するには

 ガンにならないためにはそれは漠然としている、ストレスフリーな生活を送ることであるが、これはあまりにも抽象的であり、ある意味の偶然性を求めるしかない。ガンの克服は3つの要素であろう。知力・気力・体力、まずは状況をしっかりと把握して病気のメカニズムを理解し、治療の効果のメカニズムを理解する。そして論理的な思考をもとに、治療とそれに伴う日常生活を過ごしていくことであろう。その上で、さらっとした気力が必要である。それに向かおうとする強い気力は逆にストレスとなる。らっとして、気負うこともなく、しかし強く自分自身への自信を持ち、物事とに動じない精神力を持っていることであろう。そして最後に体力である。この体力は大変難しい、成長要素が大きく関連する。

 上記した2つの要素は、一般的に精神力といわれる力である。精神力は現実問題として大きく効果があることがいわれるし、自分自身も多くの例を知っている。一概に精神力というと、わかりにくい、精神は心理であり、意識である。その機能性が高いとはどういうことかを考えると、思考力であり、前向力であると考える。思考力が知力であり、前向力が気力である。

 なぜ精神力という機能が、ガンなどの克服に強い力を及ぼすのだろうか。この精神的な力は、人間にしかない力である。しかし、人間においてその機能の占める割合は大変広い範囲を占めるようになっている。といういことはその精神機能が他の身体の維持機能に大きな影響を及ぼすことになる。

 

 

群れること 群れる能力と群れれる社会

 

岸本葉子氏は共著「がんと心」の中で、ガンの特徴は、深津生にあると述べている。確かに、手術や薬で治るのかどうか、治療の過程においても、不確実であり、個人差が大きい。医療側もまた主体的ではなく、主体性の装置つを医療側も患者側も喪失する。共著者内富庸介氏は、すべて他者に委ねれらている。自分で律することができな状況が再発不安につあんがる、と述べてそれを乗り切るのは、ソーシャルサポートであるという。内富氏によれば、このソーシャルサポートは1980年代にソーシャルサポートのある人とない人では生存期間が違う、あらゆる長生きに関連しているとされて、急速に研究が始まったらしい。

 この文章から、私の今の専門の一つである、保育にある「群れる」を思い出した。人は群れることが重要である、これは進化的に政界であり、しかし近年群れることのできない子どもたちが増えている、また現代社会が、孤立を促進させ群れることのできない社会構造になっていることを考えさせられる。

  器官的機能と心的機能はともすれば分けて考えられるのだが、同じ人間の生存における機能であり、特に心的な機能は器官的な機能に覆いかぶさるようにして影響を及ぼすことが、近代医療では少し抜け落ちていて、精神は精神で考えられた傾向がある。師、ハンス・セリエは、ストレスは人生のスパイスである、と述べたのだが、精神は人生において、いろいろな局面でいろいろなスパイスとなる。心理的な機能が身体機能をコントロールするかのように思われる。

 先日、精神科医と心理士、ある事案に対する、アプローチに大きな違いがあった。これもまたおもしろい、まだまだ心理的な問題へのアプローチは緒に就いたばかりである。人間の心理は複雑が故に、それを線形科学で論じることは果たしてできるだろうかという疑問もある。少し話がそれたのだが、ガンのみならず他の疾患も含めてだろうが、このソーシャルサポートが大変重要であることは確かであろう。しかしこれは具体的になればなるほど難しい、私にも、セカンドオピニオンなどどうすればいいかの相談を受けるが、まずは信頼である、医療やオピニオンサポートを受ける人との信頼関係、それもそんなに難しいものではない、第一印象しかない。話しているといい人だったということもあるのだろうが、それほどの時間がない、自分が感覚的に会う、それがまず重要ではないだろうか。そして、話していて、あまり合わないならば、変えればいい。そう簡単に考えて、後は信頼できるならば、とことん信頼してかかることだ。誰も信頼されるとその期待にこたえようとする。

 

サイコオンコロジー的にガンを考察する

 

 アメリカに渡ったきっかけの一つに、ハンス・セリエ博士のストレスへの興味があった。そしてシカゴを選択したその要因はハンスセリエ博士に近い位置で過ごせるという事でもあった。一時期ストレスにのめり込んだことがあり、それなりの専門家風邪を負荷して事もあった。その流れの中で心理学を自己流ではあるが学んだ。それが今になり生かされようとは思わなかったが、腫瘍心理学とも訳されている、ガンに罹患した場合の心理学的な考察を、サイコオンコロジーと言うらしい。またもや、自己流、良いように言えば独学、サイコオンコロジーを考えてみたい。

   「貴方はガンです」そう意思からは話された場合、ほとんどの人間は個人差はあるけれどもショックは大きい。(通常は話される事を「告知」と言う。あるガンの患者さんから「告知と言われた。告知と言う言葉が、特にショックだった。」と。かって裁判で「被告」になったことがある。民事裁判での被告である。当初は、犯罪者のような気持ちにさせる。司法関係者はたんに訴えられた側と言うだけであるが、素人から見ると、被告は犯罪者に思えしてしまう。言葉は大変重要である。)サイコオンコロジーでは、がんであることを知ってから2週間程度で、見かけ上はショックを乗り越えられると言う。もちろんガンの状態にもより、そのショックの度合いも違うし、見かけ上の乗り越え方も違う。

  サイコオンコロジーが専門である、内冨庸介氏は、「ストレスに対する反応の個人差としては、個々の人の持って生まれた素質体質と、元々の幼児時期の環境が大きいと思う。ボディーコンタクトがあり、なでられて褒められてという2,3歳ぐらいまでの子育ては重要だと思う。その時の海部快の感情は、ずっと一生作用すると考えられています。」と述べられている。内冨氏の言うように、人間の「場」を司る「扁桃体」の機能が低い場合、そのショックを引きずりやすいのではとの仮説は大変興味深い。アメリカではガンの6割が治り、日本ではその逆であると、言う本当はどうなのかは分からないが、そういう話がある。治療に対する体制の問題もあるのだろうが、大きくは精神構造の問題もあるのではないだろうか。日本は地理的に進化の最先端一つであり、同時に複雑すぎる進化の流れを持っている人種である。その遺伝的な要素、そしてその遺伝的な要素が創ってきた社会的な構造、の二つが日本に住む多くの人種の精神構造に影響を与えており、アメリカのような国に住む人種と大きく、ストレスに対する反応が異なるように思われる。

 

 

 

 

 

 

死と向かい合う 心音の記 3

 

知力で気力を高める

 2つの事を思考する

一つは、治療への理解である。小さなガンが見つかった。これまでのGC両方を生き延びたガンである。異なる抗がん治療を試みる。確かに半年以上の抗がん剤治療で病院生活というのか治療生活にはへ奇癖としている面もある。ストレスでもある。しかし楽しむためには、思考しておくことが必要だ、思考することで治療を楽しむことができる。仕事をしながら治療を楽しむことができる。

 考えれば、以前の「メタ」は5月26日のGpetでは見つからなかったのでその後の発育である。約1.5ミリ程度に8月末に見つかった。3ケ月で月平均の5ミリ、今回は2カ月で4ミリ程度、ほぼ半減しているのは、これまでの抗がん剤の効果でもある。現状のガンは多少は効果を見せていると言える。その上でことなる抗がん剤治療を試みる。おそらく目の前の方向性を変えられたガンは新しい抗がん剤に縮小する。耐性ではない、自然耐性でもない、効果を示したのだが、それ以上に新しい癌には体制と自然耐性の間のような、おそらくはより強いGCであれば縮小したのだろうが、多少要領を減量した。それが完全な効果を示したのではない、ならば、新しいくする出対処すれば、崩れることになる。耐性ではないというのがみそなのだろう、耐性はもっと期間を必要とする、そしてもしそれで縮小しないとすると、予測としてはおそらく多少の縮小は最悪でも見せるだろうが、その時は、通常腎臓関係のガンは放射線の感受性が弱いとされる、手術を選択することになる。

 2クール程度の抗がん剤を行い、効果がなければ大きさは1センチ程度と予測する、体力回復の期間を置いて手術に手摘出が流れだろう。その時他のMETAが出るかどうか、出ていなければそれでとりあえずは終わり、観察に入る。

 あれば少数ならば同時に摘出するか、再度抗がん剤治療を続けるかどうかは縮小状態の判断でもあろう。体力がなければ、この期間の治療に耐えられない。この期間はトータルしたら、半年程度、そして体力は上記の治療をした為に大きく減少する。

 仮に治療を行わないとする。現状のガンは、おそらく、半年で3センチほどになるだろう。それではあまり自覚症状は出ない、一年で10センチ以内、まだ自覚症状が出ない、そして1年半程度で自覚症状が出て、治療に入る、他にガンが無ければ体力次第で手術である。無ければ抗がん剤治療を始める。このままでほぼ1年半後に俗に言う延命治療であり緩和治療になる。そこから1年から1年半、生存は3年程度になる。

 治療を行い体力があれば、抗がん剤の後に手術を行うとしても、原則は目の前のガンはなくなり、観察に入る、そしてMETAが発現すればそのガンとの闘いを続けていく。相手は早期であるがゆえにその戦いとこちらの体力の勝負である。

 体力が落ちると仮定してみると、何もしないのと半として度の差があるが、しないのと同じような流れなのだが、問題は体力が抗がん剤で落ちている。ガンの攻撃に耐える事が出来ない。よって急激に衰える、という事は抗がん剤を使わない流れとそれほど変わらない、逆に体力がない分、長期的に抗がん剤で体力が落ちているだけ衰えると言う。抗がん剤を使っても使わなくとも結果としてそうは変わらないという事が言われることの意味はそういうことである。

 食べること、適切な負荷を身体に与えること、思考すること、それをサプリメントを含めた、食養生を含めた、一つの宗教に頼る事により生き延びる事が出来る、抗がん剤か免疫力が向上し、がんに勝ることはそれほど難しいことではない様である。私は宗教に頼らずに、知力でそれに打ち勝つだけである。

 

 

 

 

不安感は無い、と言えばうそになる。「死」を目の前にして心も常に揺れる。しかし、後悔もない、これまでの人生を楽しんだ、楽しんだ故に後悔もない、そして家族やスタッフに対する想いもそれなりに残せそうだ。現状から見るとのこせる期間が十分あると思う。その上で 死を現実として受け入れて、3年、5年と確実に生きていきたい。死それ自体に恐怖感は不思議となくなった。気持ちが大きく変わった。いかに生きていかに死ぬのかをより明確に自分の人生の中で整理する時にあることも分かる。出来るだけ自分の知っている事を残したやりたいとも思うし、出来るだけ家族が暮らして行ける糧を残してやりたいとも思う。出来るだろうと言うよりもしなければならない状況になった様でもある。本当に命をかけた3年5年が始まった。なぜか燃えている。

 2月で齢62である、よく生きたものである。自分が得たものを残してやること、そして家族の生活ぐらいだろうか、後は思い残すことは無い。綺麗に吹っ切れた様である。方から力が抜けた。そう生きてどう死ぬのか、冷静に治療や治療機関自体も考えることがこれから必要になるだろう、5年間を生き抜くために、生活の質ではなく、生活の中のそれぞれの項目の質を考えて生きて行かねばならない。

 エースデンタルジャパンの治療計画も増えてきた。不思議である。あれだけ縮小していたのが、増加傾向にある。その症例を出来るだけ多くの方に紹介して行きたい。症例は無数であり、個人差があり症例差がある。その一つ一つを伝えて行かねばならないだろう。名誉ではない、財でもない、死を現実として見た時そのようなものに意味は無い。

 忙しくなる、忙しくなるから生活の項目の質を充実させていかなければ時間がない。時間を有効に利用して生きて行く事になる。今はよく食べる、誰よりも元気でもある、昨年は体調にいろいろな数値に、結構あおられた。生きる事に希望を持っていたから、右往左往する。もうそれも気にしない、なるようになる、生活の中の項目の質である、生きることの意義の質を高めることが重要である。

 

 

 

 腎盂尿管がんの5年生存率は通常10%程度であると言う。面白い、その10%に入ろう。10名に1名ならば相当の確立である。有名大学の入学率よりは相当高い。

 なかなか相手はつわものである。根性のあるガンである。抗がん剤に入る前の1.5ミリ弱のガン2つは完全に消えた。しかし根性jのあるガンが5ミリほどの大きさが右肺に見つかった。10%に入ろう、こうなれば、ガンとの共存というよりも、治療と生活の共存で、5年以上は生き延びてやろう。ガンを楽しみ、治療を楽しみ、仕事を楽しみ、生活を楽しみ、4つの事を楽しめる。10年20年の命はいらない、2月には62である。70代の声を聞こうとも思わない、5年以上生きれば67を越える、それを越えればいい按排の人生である。

 楽しむには体力勝負、体力気力知力が基本である。よく食べ、人生を楽しみ、よく思考する、何と楽しい時間なのだろうとわくわくする。

 

 

1月5日

 今年初めてのCT画像での検査であった。これまでのガンは見事に消えていた。と喜ぶのは早く、また小さな5ミリ程度のガンが見つかった。新たな抗がん剤での治療を始めなければならない。

 一難去ってまた一難、神はそうはゆっくりとさせてくれそうもない。昨年末には少し希望をもったが、また闘いが始まる。

 勝てば生、負ければ死、命のやり取りの勝負、以前はそんなスリルを

求めて世界をかけたが、今は病との命のやり取りの勝負、楽しまねば。この勝負は時間に余裕がある、まあ、何があっても3年ほどは生きれそうである。映画の日暮らし日記でもないが、負けてもそれだけの時間がある、とりあえず、3年を目指そう。約1000日その間は負けるわけにはいかない、次の世代に残すことも少なくは無い。3年あれば、多くの事を残して逝ける、家族にも遺して逝ける。

 

2015年元旦

 面白い年末であった。周迪曦が訪ねてきた。面白くなりそうである。初日が今私を照らしている。暖かな日差しである。昨年はガンに罹患し、事業が急激に縮小し、それを回復させる今年、いろいろな話が舞い込む、

 幼き頃山中鹿之助の伝記を読んだ。そして七難八苦を毎年神に祈った。

そしてそれに打ち勝つ力を与えて欲しいとも添えた。しかし、今は、初日に祈る「七難八苦を与え給え」と。それに向かうことが楽しい。

 昨年はガンが襲ってきた。同時に事業の縮小である。まずはガンとの勝負であった。結構楽しむことができた。事業の縮小は、さてどうするか、年末はそれで楽しめた。今年はそれを具現化する。グ添加する材料はそろっている。急がずあわてす、ガンをまずは克服しながら、事業を回復させる。

面白く、可笑しく 人生はまだ止められない。

 

 

 

精神的な危機を乗り越える方法はあるか?

 

 精神医学やサイコオンコロジー的にはNOなのだろう。進化心理学から見れば、Yesである。立場により答えは違う。危機の相手は「死」である。時代により死の思考が異なるのだが、進化的にみると、着実に変わっている。一時的な時代の変化は進化では考えないと仮定する、すると、答えはそれほど難しくはなく、知で危機を乗り越えることが大雑把な答えである。ただ、医療は理屈ではない、医療は情である、医療が自然科学的であると多くの人は思うのだが、あくまでも自然科学ではなく、人文科学の学問である。自然科学は基本的には線形に表現できる。人文科学はほぼ非線形である。

 

ポジティブシンキングをどう考えるか?  

 物事をポジティブに考えることでより良い結果を導くのは、より綿密にポジティブさを考えると大変難しい命題なのだが、簡単に考えると、社会活動においては、おそらくはあたりなのかもしれないが、医学として考える場合は、ポジティブシンキングはそれのど意味をなさない、というのがいわれるが、僕も思う。ポジティブな考え方がいいストレスになるとは限らない、悪いストレスになる可能性がある。これは運動に対する考え方と同じで、ポジティブであることがプレッシャーになることが少なくはない。例えば、りふぁびりでも、ポジティブに回復を目指すことがいいとは限らず、楽しむことに意識を切り替えれば、それはいいストレス、Euストレスとして働く。ガンの場合はどうなのか、上記したようにキーワードは「知」である。知により意識を真にポジティブにすることがポイントである。

 

 理屈的にも=知、情感的にも=情、これからの問題に対して、対応ができる状況にあると自分自身では理解していても、また環境=家族に対する、スタッフに対する、も、最低限生きている間に対処できると思っているのに、

それらの全てをすり抜けて、ガンの進行に対する恐怖のようなものが襲ってくることがある。生業や、これまでの環境から、一般の方に比べて、ガンの進行やその向こうにある死に対する恐怖心は、少ないはずだが、それでも、上記したように、思い出したように襲ってくる。ここでは、私と言う個人の、心を記している。知ではなく情である。多少知にも触れるが、知は生業に近いものであり、他ページで記する。オレゴン州における「尊厳死」の問題が今日のマスメディアで論じられている。私の基本的な病状はよくは無い。ただ現状結果オーライとでも言うほどに、抗がん剤が効果を見せているだけであり、抗がん剤治療後いつ再発してもおかしくは無い。もし抗がん剤がこれほどまでに聞いていなかったと仮定すれば、私の余命は後❍❍とのこともあり得たのだろう。現状でそうなった場合、私はどうしていたのだろうか。今は周囲環境もまだ落ち着かない。金銭的な余裕もない、その状態で、おそらくは次の薬剤を変えた、抗がん剤治療を勧められてであろう。私はそれを受け入れる。徐々に衰弱しながら、しかし基本的な体力で、通常よりも衰弱は遅く、1年はそれほど体力的に変わらないだろう。そしてその後急激な衰えを示すだろう。その時期にはある程度の環境周囲の整理もできているのだろう。私の死が、逆にいい方向に動く方に仕掛けをするだろう。ガンと闘うのかどうかはあまり論じる意味がない様に思う。人生をいかに生きるかの議論であり、それが中心であるべきだと思う。「ガンと闘うな」などさしたる話でもない。人間性と言う視点で考えるならば、低レベルな視点であり、低レベルな主張であり、議論である。人生をどう生きどう死ぬのかを考えるのが人間である。

 

 

 

 

子どもの仕事は5年はかかりそうである、5年は生きなければならない。

 5年は生きれるようである。体力・気力を維持できれば、5年は生きれる、メカニズムである。治療を継続する選択は最低5年を生きるメカニズムである。標準治療は正しい、ただそのマニュアルには患者側の程度は考慮されない。考慮している様には言われるのだが、それはあくまでも大まかな内容であり、最も重要な患者側の状態は結構考えられていない。それを考えるのが医師の腕の見せ所である。治療法などそれほど違いはないし、現在の医学で腕など関係はない。患者の状態をどう考える子、言い換えれば体力=回復力をどう見立てるかである。私は自分で体力を高める。それで患者側の見立ては自分で対応できる。故に最低5年は生きるメカニズムを自分で作り出す。

 今は4ミリ程度の転移肺癌である。抗がん剤治療を行う、少なくとも急激な増大化はしないだろう。新しい抗がん剤により、縮小か現状維持または多少に縮小である。以前の転移性ガンと同じように消失する可能性がある。以前のガンよりも小さい。2クール後画像を見る。最悪大きくなっていても1センチ程度、体力を著しく後退させていなければ、手術に手摘出になるだろう。おそらくファーストラインでの抗がん剤の効果が出ている。故にその種類のガンは消失しているはずであり、数は著しく減じていると言える。故に残っているガンは少数派であり、この2カ月で新しい癌が出てくる可能性はないとは言えないが、少ないし、その後、新しい抗がん剤で、どれが効果を示すか、戦う手段はまだまだ残っている。体力を維持しなければならない。用は体力次第であり、その体力を維持するためには、気力が必要であり、そのためにはどうするのかはだいたいわかる。闘病の中で考えることも当たっているものと当たらないものがあるが、1年程度もたてば、がんとガンの基本が分かりだす。そして抗ガンに対処するためには体力=回復力がポイントであり、その維持にはどうすればいいのかが分かる。人生を楽しむこと、目の前の生活を楽しむこと、それ以上に効果を求めるには、抗がん剤治療に積極的になりその上で体力・気力を維持図る事を計ればいい。

 

 

 

ガンは面白い

 4クールの抗がん剤治療を経て、肺転移のガンは消失していた。完全な消失である。

しかし、喜びも一瞬で、右側肺に5ミリ程度の小さなガンが見つかった。抗がん剤治療にも負けず生き残ったガンである。

 同じガンにもいろいろな奴がいるようだ。様である。とりあえずはこの見つかったガンと対峙しなければならない。一息ついてゆったりとしたいところだが、そうは神は許してはくれない。まだまだ戦い続けろと、言うのだろう。面白い、戦い続けてやろうと思う。

 仕事も忙しくなってきた。中途半端な闘病でなく、本当の共存を見せてやろうともえている。戦いの向こう側には死か生か、命のやり取りをするのは嫌いではない、数年の勝負になりそうである。腰を据えて戦うとしましょう。

 

 

 

 

 

 2クールの抗癌剤治療を経て、CTを撮影した。状況が大きく変化した。一先ずその事を考察してみたい。

 抗癌剤治療の前に撮影したCT映像を見ると、5月末に撮影したPetでのガン状態とは違う、肺にもう一つのガンを見ることができた。このガンは、状況から5月の終わりには診る事が出来ない状態であり、考えられるのは腎臓の転移又は肺癌の小細胞ガンなのだろうが、678月のほぼ3ケ月で、大きさが直径1.3センチほどに進行していた。通常は腎盂ガンの転移と考えた方がいいのだろう。リンパ節1個の転移しかなかったのだが、遠隔転移があった、と考えられる。相当危険な状況に入って行こうとしていると考える方がいいのだろう。

 ここで一つの考察を行う必要がある。もちろんこれからも言えることは、私はガンの専門家でも臨床医でもない。単に生物学的な知識を持っているにすぎない。そのようなたち位置であることを前提として考えて行く。

 3ケ月程度で なぜ遠隔転移ガンが、1.3センチ程度まで大きくなったのだろうか。急激すぎる感がある。考えられるのは、ストレスなのだろう。思い出しても、精神的なストレス以外は考えにくい。6月に入り、バイオプシー(生検)2回、7月に入り手術、手術後の回復時間、その間は確かにいろいろな面でストレスが高く、精神的に相当参ったと言える。ガンの急激な増悪化は、「ストレス」が大きな要素であるように思える。

 そして抗ガン剤2クール後のCT撮影である。以前からある、扁平上皮がんと新規に転移ガンと思われる肺の2つのガンが、ほぼ消えている。扁平上皮がんは、抗がん剤が効きにくいとされるが、こちらの方は映像上では見る事が出来ない状態になっていた。

一つは転移ガンが出来ていたことの衝撃、しかし抗がん剤がそれを消失させているというある意味奇跡に近い状況。これをどう解釈するべきなのだろうか。素人的に考えれば、標準療法であるGC抗ガン剤療法が、ガンをほとんどという表現でいいほどに、縮小させている。後、数クール続けることで、おそらくは当面の危機は去るのではと考えるのだろう。微小がんも、今回の抗がん剤で縮小または消滅できると考える事が出来るだろう。2つの異なるガンであろうと思われるガンが縮小している。後数クールを行い、確実にガンを叩く事になるだろう。通常では考えにくい状況が生じた。ガンにおいては、少ないのだろうがこのような奇跡的な状況を生じる事がある。抗ガン剤などの治療ではなくとも、自然に起きる事がある。

 抗癌剤の効果を求めることは大変難しいと言える。薬の感受性、治癒力また耐性等多くの問題がある。同時に精神的な問題や居住環境の問題もある。

神のみ心のみで奇跡は起こらない。何らかの要因があるはずである。それをどう考えるのかも、必要となる。

そして、2クールの抗癌剤治療を同じ薬剤で行い、年初を迎える。その後も春までは続ける事になるだろう。それが通常の考え方だろう。抗ガンない治療を続けることで、急激な増悪化は一応クリアーしたと考えて良いのだろう。

 その後どうなるか、治癒とは考えにくい。ガンと共存すると考える方がいいのだろう。状況からして、病期はⅣであり、腎盂尿管がんの場合、予後は大変悪く、生存率は数年で10数パーセントと言われている。この10数パーセントにはまった。数年の生存はほぼ確保できたと読んでいいのだろう。5年生存率には諸説あるが、どちらにしろこれは分からない。しかし、ガンの再発に対しての対応のイメージはできた。抗ガン剤や粒子線等の最新技術及び手術などを加えて、戦えば良いだけのことである。

  手術はそれほど心理的には負担ではなかった。抗癌剤の1クールは、心理的に負担でもなく、手術の流れとして、対応できた。副作用は、副作用に対する対応が進んでいて、それほど苦しいとは思う事は無かったが、それなりに倦怠感があり、血球の価の低下があったし、脱毛も生じた。抗癌剤の苦しさはそう感じなかった。2クール目に入り、飽きてきた。飽きることがストレスになった。そしてとりあえずは2クールを終えて、検査を経て今後の予定が決まる事になるのだが、さてどうするか、心の音を記しておく事にしよう。

 その前に、なぜガンになったのか、ガンにならないためにはどうすればいいのか、少しわたくしなりに考えてみたい。そのためには、ガンを病態として考察するのではなく、それは多くの医学者に任せるとして、生物学的な視点で、ガンの生態を考えて行くことが有用であるように思う。詳しくは別ページで考えてみたい、ここでは概要を記する事にしよう。

抗がん剤治療を継続する

7か月の時間が経過している。摘出手術を経て、抗がん剤治療3クールが終わる。抗がん剤の劇的な効果がみられている。尿酸が出現し、腫瘍崩壊証拠う愚に近い状態であり、腫瘍は著しく崩壊している。腎臓だけではなく、肺にも別のガンが発見され、2つのガンに向き合うことになった。標準値用方針に従い、腎臓は摘出、肺がんは腎臓の術後化学療法とともに対応するのが通常の方針でもあろう。

 ガンの告知から1週間だけが、心理的な葛藤が続いた。しかし、ちょうど1週間、5月の15日に、突然、不安感が消えた。それからは、ほぼ不安感はない。自分の疾患を不思議と冷静に見つめている。知識で解決している自分が分かる。

 

ガンから始まる新しい日々

  2014年4月21日に血尿が出た。そして開業医の泌尿器科で、おそらく腎盂尿管癌だろうとそしてリンパへの転移があり、肺にも遠隔転移がありそうだと言われた。大学病院を紹介された。そこでもそうだろうと言われた、というよりも、自分でもCT画像から見てとれた。

後どの程度生きるのだろう、その間に何ができるか、それが気になった。ある文献を見た。遠隔転移があれば、臓器の種類はともかくとして、全てが病気Ⅳである。ある文献で腎盂尿管がんを見ると、Ⅳでは2年生存率が10数%とある。そこから死と真剣に向かい合う事になった。

外科的手術により左腎臓か尿管そして膀胱の一部を標準治療に従い摘出をした。そして抗癌剤治療を2クール受けて、検査を経て、後抗癌剤を続けるか、肺の独立したがんの手術を行うかの判断待ちである。まだ、基本治療の途中であると言える。右肺の中葉に扁平上皮がんと言う、腎盂癌とは別のガンが見つかっている。この癌はまだ小さいが、現在の抗がん剤にどう反応するか、反応しなければ。手術を行うのだろう。この一連の治療は問題無く終わるのだろう。現代医学では、それはそうは難しい問題ではなくなっている。

   問題は、「再発」 3ケ月程度ごとに検査で、再発と付き合う事になる。現代医学は5年を一つの目安にするが、実際はそれ以後も再発と付き合う事になる。「再発」に対してはどう考えるべきなのだろうか。

   再発は遠隔転移と考えれば、それは概念的には「死」へより近づく事を示しているという事になるのかもしれない。ただ、定期的な検査においての発見ならば、早期発見として考えて良いのだろう。その時は明日かもしれないし。5年後かも10年後かもしれない。私は、それを早期に発見できたものして、その時の最高の医療を受診する。

 

 

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