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 ガンを楽しみ ガンとともに生きる  2015~  No.2

                           Let's  enjoy a Life ,enjoy a Caner !

 

生きること 死ぬこと  ガンととも 

 

7月16日 自分自身に「生」に対する執着心はそれほどはない。ガンを何が何でもクリアーしたいとも、生き抜きたいとも思わない。好きなことをして好きなように生きて、おそらくはというよりは確実に、妻以外の女性には相手にされなかっただろう、確実に離婚しただろうというほどに気ままに過ごしてきた。(生まれ変わったら妻と再度結婚するかと問われたら、僕にはそれ以外はない、と答える。いや、彼女が僕を選択するかどうかであり、僕には選択権もないのかもしれない。彼女が僕を選択しなければ、僕の辞書から「結婚」という文字はただ消える。愛していますかと問われたら、愛させていただいている、と答える、いたって謙虚でしかない)

 ガンの罹患が分かった当初は、家族や会社のために何ができるか、何をしておくか、などと考えたが、今は考えも大きく変わった、恐らくは「為るようにしか為らない」のだろう。家族や会社に何ができるかなどくだらない、そしてされた側もたまらない、自由でなければ、そう思って生きて来たのだから、これからもそして残してゆく彼らにも自由であれ、と言い続けようと思う。

 故に、闘病に気力等はいらない。なぜ今を生きるのかと問われれば、生きることが楽しい、面白い、と答えよう。体力をつけるという意味で、遠慮せずに食べることができる、BMIやメタボなど、気にしなくてもいい。体力のためにと言えば誰もが黙る。いろいろと動くことができる。運動のための言えば誰もが黙る。電車に乗り、徒歩で、いろいろな場所を見て歩く。そして治療自体もおもしろい。いろいろな意見があり、いろいろな開発が進み、でも結局は僕のフィールドにすべてが戻ってくる「いかに生まれいかに育ち、いかに生きるか」。

 明日が来るのが楽しい、明日にはどうなっているのだろう、どう向き合い何をするのだろう。楽しみ、考え、実行する!そして楽しく食べて動く。

 

 

 

7月9日 免疫療法の説明を受けた。興味深い、やる価値もあるようだ。いろいろな療法がガンにはどんどんと出てきたいる感がする。医療とはそんなものだというのもわかる。30数歳のころ、直接は関係のない人生であったが、ガンの原因論がほぼ見つかろうとしていた時期を知っている。そのころも食にかかわっていたのだが、今ほど直接的ではなかった。

もちろんガンで死ぬ人も今も少なくはない。ガンに罹患する人は増加しているようでもある。長寿になったこと、ストレスが増えたこと、様々な複合要因なのだろう。今、研究中の子供のアレルギーも然りである、単純な要因ではなく、社会と個人の複雑に関連した複合要因なのであろう。それを単純に言えば、ガンであろうと、アレルギーであろうと、社会の変化と、言うしかない。

  免疫もおもしろくなっている、同じ免疫でも過剰反応のアレルギーを考えるのと、免疫治療とでは違うもののように思えてしまう。しかし、故に免疫療法の話を聞くのもおもしろい。

  現状の抗がん剤にしろ免疫治療にしろ 完全に治癒傾向を表すのは10%程度、基本は体力があるかどうかだと思える。知力だけではない、気力と知力も人間の基礎力として不可欠であると思う。免疫療法を見ると、効果を示すのは25%程度と記している。抗がん剤もそうなのだがこの数字は事実関係を示しているにしか過ぎない。統計とはそういうものである。客観的に数字のみを見つめることも必要である。数字上で表せば、「無」は「0」である。数字的には無は簡単に表現できる。しかし無を数字以外でイメージすることは難しい。同じようなことが統計には起こる。数字と実態は同一ではないことが多い。

  私の場合抗がん剤治療は結構効果を示していると思える。おそらく免疫療法で完全にとはいかぬまでも、ある程度のレベルで安定化するように思う。そして時間稼ぎが十分可能に思う。なぜか、それは体力であろう。

 

 

6月25日 23日のCTでは前回の撮影からは大きく変化はない。左右に小さな影が2つと比較的大きなのが1つ、3月30日から、ほぼ3カ月だがそれほどの変わりはない。ここ5年がガン治療のピークを迎える治療法が開発されるのではないだろうか。人類もそろそろがんとの闘いに終わりを告げる時が来たようである。その後には今僕が手をつけている進化の急激な展開による様々な問題が出てくるのだろう。いつもだが、少し早すぎるのが僕の思考なのだろうか。故にお金にならない。その延長線上にある「口腔育成」そしてマウスピース矯正も早すぎたようでもある。離れた時、花が咲く。それでもちろんいいのだが、今回はそれが見れるかどうかは分からない。死してはなれるか、伝え終わってはなれるか、どちらにしろ、ガン治療が間に合うかどうかの綱渡りのような人生である。刺激があっていいのかもしれない。

 

6月18日 15日に退院し 3日目 最終の抗がん剤の点滴が9日、ちょうど一週間目、Mvacという抗がん剤の合剤の治療法だが結構体も参るようである。臨床の人たちの言う、抗がん剤は効かない、抗がん剤はよくないという話もそれなりに理解できる。この薬を体力のない状態の患者に使えば逆効果になるだろう。抗がん剤、放射線という流れは止める方向で考えるのがいいのだろうとおもう。そして、そう遠くない将来にその治療法が開発されるのだろう。私が間に合うかどうかは別にして、ガンが克服される時代が来そうな実感的な予感がある。

私は何をしても結局は何をしても飽きるから、それほど生活自体に目標もしたいこともないので、まあ、この世をおさらばするのもまたいいのだろうと、思っているし、もがきながら生き続けるのもおもしろいのかとも思うし、ただ、老いを晒して生きることだけは自分のプライドが許さない、それだけは確かである。

 

 

6月5日 ガンという疾患自体に目を向けて、そのメカニズムと成長のメカニズムとの相関を考える穂も面白そうでもある。朝、パートで勤めていた女性に偶然面談した。乳がんでの治療中である。抗がん剤治療を先行し、先日摘出したそうである。抗がん剤は相当きつかったとの話である。基本はやはり体力、その体力を現代人はそのレベルが相当低下しているのだろう。そこに私の研究のテーマがありそうである。ガンそのものの治療は、もう私が入り込む余地もないだろうが、見病である事、元気である事の意味に、何らかのまた面白い引っかかりがありそうでもある。

  抗がん剤には二つの大きな問題があった。新しい治療法の流れが始まっている中では、過去形で「あった」という事にしよう。一つは副作用そして一つは効果が限定的である点である。最後は耐性の問題である。

  ①副作用 ②効果の限定性 ③耐性 の3点である。この3点を少しずつ思考をくりかえしてみたい。

 

5月20日 ガンや免疫の研究は、今から始めても出遅れている。今はまだ、大向こう受けはしないが「成長」そして健康医学が、トップランナーとして走れる分野なのだろう。ガンは間もなく一つのゴールを迎えるように思う、そこに参加の余地は残されていないようである。

 

5月19日  抗がん剤8クール目へ 

       -元気であるー

  昨日5月18日入院 19日から抗がん剤治療を始める。抗がん剤の身体への副作用、俗にいう表現的な副作用ではなく身体全体を衰退させるという副作用については、急激に影響が及ぶ人や徐々に影響される人などに分かれるように思う。

自分自身は炎症反応を一つのマーカーにしているが、前回の退院時から今回も0.2程度、おそらく安定した状態なのだろう。ガンによる組織破壊があまり進んでいない状態、共存できていると考えている。

 

5月13日  アメリカのFDAで以前話題になった近赤外線によるガン治療が本格的に認可された。治験に入りそいう遠くない将来に臨床適用されるだろう。そして日本でも小野薬品など世界でいくつかの薬品会社が開発したらしい、免疫細胞の活性阻害を阻害する薬が臨床応用したらしい。ガンはそう遠くない将来解決されそうだと、スタッフに話したが、現実になろうとしている。もう数年の問題だろうが、現時点でも私に効果があるような気がする。世の中では餅屋は餅屋でその分野分野に優秀な人間が多くいる。ガンにウイングを伸ばしてみたら・・・と少し欲張った気持もなくはなかったが、しょせん付け刃、自分の専門は専門で一本道を走るほうがいいと思い知らされた(笑)

そうなると、私たちは、人生そして社会というものを、冷静に考える事が必要になる。生物としての私たち、人間としての私たち、そして群れとしての人間、生物、自然との折り合い、有限な資源、遺伝と進化、今本気で考える事が求められている。

 

5月12日 今の時点で、ガンが身体を蝕んでいるのか、共存しているのかは分からない。いたって元気である。確かに抗がん剤の副作用としての疲労感はあるが、食欲はいたって旺盛でもある。5月19日から抗がん剤治療のサードラインの2クール目を始める。気持の中では開き直っているというのか、必ず転移がんが見つかって(昨年の夏だが)5年以上は生きるという強い意志があり、抗がん剤がどうのこうのというものでもなく、聞かなければ効かなくてもいいし、抗がん剤がなくとも生き抜いて見せる。非治療でも、免疫療法などを組み合わせて5~10年は生きるしただそれ以上生きて不細工な姿は見せたくないのでそれぐらいでいいと思っている。ただそれだけはきっちりと生きていようと思う。そのためには食べること、生きる強い意欲、そして思考する力と適切な運動が不可欠に思う。

 

 

5月5日 医学は科学的に考える事が難しい分野である。科学的に考えると矛盾が多く出てくる。大学の恩師佐藤精一先生がキリスト教の洗礼を受けた時、私は反発した。科学者が宗教に走る事を。佐藤先生は私の反発に笑っていた。彼は科学者ではなく医学者であった。医学者が宗教に生きる事はよくわかる年齢になった。科学は1+1=2である。しかし、医学の答えはいくつもある。それなりの答えは「1」なのだが、見方におれば答えは無限であるともいえる。

 今日採血をする。連休明けの昨年5月8日にこの大学病院を訪れた。そして腎盂ガンであることが判明した。摘出の手術を経て抗がん剤治療を7クール目、最初のGC療法と言われる薬を早くやめすぎたように今になると思うが、ただ結果としておそらくそれもOKになるように思う。なぜかと言われるとそれなりに意味があるのだが、おそらく正解の様に思う。

  平均値とは違う風変わりな僕である。平均的な面が多くあるのに、なぜか平均値から大きく外れる事がある。最初の抗がん剤治療が3.5クールで終わり次に行った。しかし理屈としては継続しておくほうが短期的な効果としては正解であったように思う。途中で薬を変えた。結構体にはきつかった。術者側の意見とは大きく違った。そして本来はGC療法が効果がない場合行うべきではないと言われているMVACという多剤療法を今始めた。ある程度の時期が来たらなぜこの事が正解なのかを説明してみたいと思う。

 

5.1  白血球数は3400ほど、副作用として血液の減少が問題の様である。前駆細胞を増やすサイトカインが新たに開発されているらしい。次回からそれを投与するとすれば、外出をしながらの抗がん剤治療が可能になる。

抗がん剤には賛否いろいろあるが、がん治療の多くに利用されている。特に私のような病期のⅣ、言い方を変えれば末期にはそれしかないのだろう。

末期という言葉は何を指すのだろう、これもまた難しい。概念的な言葉の意味は難しい。CRPは0.1、この値は結構指標になるように思う。

 

2015.4.29 抗がん剤の新しい療法の1クールが終わった。なんとなくそれなりに効果を示しているように感じる。相変わらず元気であるし、CRP値もここ2回は0.5と多少高いがそれほどの高さでもない状態を示している。抗がん剤の効果があれば高い事も推測できる。今朝はウオーキングと筋トレ、以前に比べればそれほど高いレベルでもないが、それなりに体力の縮小を防いでくれる。体力とは 食に休養に適度な運動と説明されるものだろう。

気力は「生命への要求≒社会力-群れる力等々」そして智恵力が、人間の適応力の基本であるならば、生命力の基本であり、治癒力でもある。

 

2015.4.26  ここ数日 毎朝1.5㎞ほど、病院の周りを歩く。そして筋トレを少しして、ビタミンCを十分に取る、そうしながら次の抗がん剤治療に向かう。白血球の減少と血小板の減少以外の副作用は少し脱毛はあるがさしたるものではない。外に出る事も問題にならなくなるだろう。

 薬剤の耐性とは何なのだろうか?生物の「適応性」で片付ける事ができるのだろうか?

その前に抗がん剤でよく言われる事は効果が少ない例があるということであり、私自身も今回のセカンドラインの俗に言う保険適応のGT療法は効果がなかったと評価されている。

 

 

 

4月24日 昨日で白血球数は3650 CRPは少し高い1.1 前回は0.3.

CRPが少し高い。今週の2回目の抗がん剤は飛ばしたので、来週は予定通り行うことになる。今朝からトレーニングを始める ウオーキングを1.5Km、後はスクワット、腹筋、腕立て等々を少しずつ始める。

ヒトの適応力の高さとは何か、智力・気力・体力である。詳細は進化のページで考える。体力は持久力の高さということは、食と適度な運動が必要である。気力は生きる意欲、群れる気持ち。そして最も重要なものは智力、人間しかもたない力である。智力は考える力である。アメリカ海軍の英雄ストックデール中将は7年間ベトナム戦争で捕虜となった。彼は7年間に及ぶ過酷な捕虜生活から生還した。彼は言う、悲観的でもなく楽観的でもなく現実的であることが生き抜けた要因である。「悲観主義者は風向きが悪いと不平を言う、楽観主義者は風向きが変わるのを待つ、しかし、現実主義者は帆を調整して風向きに立ち向かう」現実をしっかり受け止めながら、思考しその状況に立ち向かう。「なぜ私だけがこんなことになったのかと悲観主義者は想う,楽観主義者は何とかなるさと思う、しかし現実主義者は、現実の状況を思考分析し、それに立ち向かう知恵を持って、気力と体力を高め生き抜く」

 

 

4月20日ある医者が、「夜が怖い」とテレビで話していた。 彼もガンに罹患し、抗がん剤治療を受けている。彼は、地域の医療に長年尽力し、地域の人たちから頼られて生きてきたという。

僕は全くにその感覚はなくなっている。僕は明日が楽しそうである。それには死も含まれる。科学者の科学者たるゆえんは「好奇心」であり、お医者さんたちとは違う。そして、進化に携わる人間は、生命を、自分の生命を客観的に眺め、理解する。そのテレビでは「講演中に倒れたら格好いい」というセリフがあった。その通りだと思う。明日に向かってどんどんと生きる。今を楽しみ生きる。それで、明日に何があろうと、それもまたおもしろい。60年が人としての一つの区切という、故事は良くできている。あとは、残された時間をどのようにして生きるかであろう。5年か10年か15年か、何年かは分からない。

 「いかにして死ぬのか」それは、日々の中で倒れていく、そんな生き方をしよう。講演中に壇上で倒れるのもいい、いつの日か人は逝く、特にがんに罹患した私はその危険性は高いが、いい死に方ができると思う。日々の生活の中で、一瞬にして倒れてそして逝く、多くの人が望む死に方を実践して見せたいと思う。

 

4月11日 今日で抗がん剤とガンの、第7クール、第一回の戦いが終わるだろう。シスプラチン系のこの感覚は慣れた。前回のGTではぐったりと来たが、今回はファーストステージと同じで、ぐったりではなく、体にきた、持続力がない、という感じである。第1クールで自宅に変えっつたとき、階段をkじゃけ上がった時に感じた持続感のなさである。

 10年を生きるその思考は始まったばかりである。急ぐ必要もない、急がなくても体力はまだまだ大丈夫だ。現状はこのような病院と仕事の生活も充実している。副作用時のセミナーの出席が心配でもあるが、うまくクリアーできるだろう。自宅で一人の気ままな生活も面白いが、少し制約のある病室での生活も慣れるといいもので、スパイスが効く。人間には常に「スパイス」=負荷=ロードが必要で、負荷を常に掛けることにより成長し続ける。ステージⅣの状態から10年は生きいるという、科学的な根拠は何か?

 悪性新生物がただ成長し続けるということが問題となる。ガン細胞が、ある程度の進行度において、抗がん剤等をもってして、消失する可能性は今のレベルでは大変低い。成長を抑える、そして共生することは基本的に可能なのだろう。なぜ可能なのか?

 

 

4月10日 少しだが浮腫が出ていて、体重が増加している。シスプラチンの場合は以前もこの程度の体重の増加はあった。倦怠感はどうしてもあるが、ステロイドを入れると回復する。やはり、抗がん剤治療は体力・気力が基本にあるように改めて思う。今回の抗がん剤は初心に帰るでもないが、腎盂がんには初めて適用された多剤適用だが、このほうが効果があるようになんとはなしなのだが、感じている。肺に転移すると、おそらく、腎盂=上皮がんの傾向を持ちながらも、エピジェニックに肺の環境に影響されてくるので、転移ガンは対処が難しいともいえるのだろう。しかし、何とはなくなのだがそれがある意味転移ガンの弱点であるようにも思う。最後の抗がん剤を終えて、36時間一日半、あと36時間程度が抗癌剤とがんとの闘いのようである。

 

 

4月7日 朝

 1ヵ月半ぶりの病室である。12時昼食、6次夕食、9時就寝 夜間に1度程度起きて排尿そして5時過ぎに起床し、6時に朝食。

生活リズムとしては病院生活が合っている。共同生活というストレスはどうしてもあるのだろうが、気ままに過ごすことで解消できる。気に入らなければ

病院を移ればいい。今回の2カ月で、この病院での治療も最後になるかもしれない。少し景色に飽きてきた感がある。

 

 10年を生き抜く、それが僕のテーマであり、目的である。何が何でも生き生きて10年をめざそう。

ガンが見つかりほぼ1年が過ぎた。腎臓の摘出から、肺への転移、そして抗がん剤治療、ファーストレインが4カ月、セカンドラインが2カ月、明確にセカンドラインは効果がなかったが、ファーストラインは効果があった。ファーストレインをもう少し継続するほうがよかった感じもする。今回はそのファーストラインに近いまたは同じ薬剤を含む、古くからある療法を2カ月行う。体力も正常に近く戻り、今回の2カ月の治療はそれなりに楽しみでもある。それでいろいろなことが見えてきそうでもある。効果がなければ出どうするか、新しい発想で、この病院から離れて、違う動きをしてみるのもいい。それもそれなりに楽しみである。色々な立場や環境での楽しみ方があり、僕は僕なりの立場と環境で、がんを楽しむ。お金だけはこれまでは縁がなかったが

七難八苦いろいろあった。ただ、それぞれの局面で楽しんできた。そして楽しめた。とんでもない苦しい時期もあったし、死を考えた時期もあったが、それもそれなりに今となれば楽しめたと思う。楽しむことだ、生きることを、今という時間を。

 

4月3日

  3月30日に再度胸部のCTを撮影、小さな影が2つばかり増え、以前からあるガンが2センチ近くになっているとの画像診断だった。

体調はすこぶる体調である。食事、寝る事等々により体力も相当回復した。腎盂癌に最も標準的な抗がん剤治療を受けることにした。どう転移癌をクリアーして行くのか?治療法としては、抗がん剤しか思いつかない。しかし、もう一つの手は免疫力におる改善である。抗がん剤と免疫力は、原則相反するのだろう。それをいかに相関させるのか、そこに新しい治療法があるように思う。確かに抗がん剤の効果は低い、しかし理論的には効果がないことはない。抗がん剤におけるストレスを軽減しながら体力をつけ、がんに相対する方法を自らの体で見つけてみたいと。来週月曜日にまた入院する。今回は原則として2カ月連続の入院になるが、体力そして仕事、生業いろいろな要素を組み合わせながら快適な時間を過ごしてみたい。10年を生きる、10年後は72歳、どのような癌でも10年は生きることができる、その一つの試金石でもある。

 

 

3月28日

 新しい挑戦のために、10年の時間を全力でかけることが目的になった。10年の時間は、通常の治療では難しいだろう。抗がん剤では数年が限界であり二桁の年数を生き抜けることは考えにくい。自らの進退を鍛え、免疫機能を高め、体力を十二分に高めて生き抜くことが必要であり、受け身の治療ではなく、能動的な挑戦がその基本となるのだろう。

 そして2週間ほど前から、いろいろな試みを始めた。

野菜を中心とした食事、ココナッツオイル、青汁、炭水化物を少なめに

そしてビタミンCを5000mg等々

体力をつけるために 運動は欠かせない、そのためには膝を治す

そして免疫力をつけるために来週から「鍼灸」、ひざを治し姿勢を治すための「整体」も始めようと思う。

 30日に胸部CTを取る、セカンドラインが利かなかった右肺のガンはどう変化しているのか、小さくなるのもよし、大きくなるのもよし、今は10年を生きるために、全力で思考する。私は切った張ったは嫌いだから、医者にはならず歯医者になり、それも臨床から食いぶちを得るとき以外は郷里を置いた。だから治療の腕は基本的にはそれほどでもないし、知らない。しかし考えることは得意だから、考えよう。どうしたら10年を生き抜けるのか?

それはとりあえずは 1.規則正しい生活=睡眠と生活習慣

             2.バランスのとれた食事

             3.免疫力を高める行動

             4.体力をつける適度な運動

             5.ビタミンCなどの摂取     を始める

 そして 必要に応じて ① 手術 ②放射線 ③ 抗がん剤 の標準的な治療を最小限に組み合わせる。さあ、10年を生き抜くために多くの命題がある、しかしこのガンに対する思考もまた心をうきうきさせてくれる。

 

 

3月22日

 昨日は博多に、行き帰りの新幹線で、うとうとしながら想いを巡らした。

ガンの発生メカニズムはほぼわかってきた。遺伝子のスイッチミスがほぼ正解なのだろう。成長期のスイッチのレベルの高低についての検証が私の今のメインの仕事だが、スイッチのミスが何らかのストレスによって生じる、これががんの発生の基本であるとされる。

 「がん細胞は、正常な細胞の遺伝子に2個から10個程度の傷がつくことにより、発生し、これらの遺伝子の傷は一度に誘発されるわけではなく、長い間に徐々に誘発されるということもわかっている。正常からがんに向かってだんだんと進むことから、「多段階発がん」と称される。

 正常な細胞に決まった異常が起こると、その細胞は増殖し、そこに第二の異常が起こると、さらに早く増殖するようになり、異常の積み重ねにより、がん細胞が完成すると言われている。

 

 がん遺伝子の変化は、特定の蛋白質の働きを異常に強めることにより、がんにつながる増殖異常を引き起こす。したがって、その蛋白質の作用をうまく抑えるような薬を見つければ、細胞ががん化することを防いだり、すでにできているがんの増殖を抑えたりすることができる。

 がん遺伝子がアクセルとすると、そのブレーキにあたる遺伝子が、がん抑制遺伝子であり、がん抑制遺伝子は細胞の増殖を抑制したり、細胞のDNAに生じた傷を修復したり、細胞にアポトーシス(細胞死)を誘導したりする働きをする。DNAの傷が蓄積するとがん大変ですので、異常を感知して、その細胞に細胞死を誘導することも必要となるす。このように、がん抑制遺伝子はブレーキの働きをしていると考えられている。

 遺伝子の傷は、その突然変異によるものばかりであると思われてきたが、、遺伝子突然変異以外にも、細胞が分裂しても薄まることなく、新しくできた細胞に伝達される異常があることがわかってきた。それがエピジェネティックな変異で、具体的には、「DNAメチル化」と「ヒストン修飾」の変化で特に、DNAメチル化の変化はヒトがんの多くで認められ、多段階発がんのステップとして関与している場合もあることが知られている」

 というのが多くの解説書に書かれている内容だろう。それは分子生物学的なレベルでの話である、より実際になると、スイッチミスが重なり、ガンになり、ただ多くのスイッチミスは身体の防御機能がそれを消失させる、抑制遺伝子もあるし異物に対する免疫システムもある。それを逃れたがん細胞が増大化する。

 私自身を考えると、成り立ちはそれでいいとして、遠隔転移がある、今のところ肺に限定している。上行静脈で肺に転移し、肺によりフィルターされ転移して発育した状態なのだろう。最後の画像診断での大きさは1センチ強、2か月前からほぼ倍近くに増大化している。その間のセカンドラインの抗がん剤は効いていない。感覚的には、異常に体力が奪われた感がある。薬剤自体は最初の抗がん剤よりは副作用等は少ないとされているが、個体差があるのだろうか、私には大変きつい薬剤であった。

 そしてガンが見つかりほぼ1年の時間が経過した。原発部位である腎臓は摘出した。そして抗がん剤治療をする前に、肺への小さな転移が見つかる。そして抗がん剤治療でそのがんは消えるた、しかし、新しい小さな影が見つかり、セカンドラインに入る、しかしセカンドラインは相当体力を消耗し、抗がんの効果はなかった。最後の抗がん剤の投与からほぼ1カ月半、そして退院からちょうど1カ月が経過している。今朝6キロほどをウオーキング、ひざはまだ痛いが体力はだいぶ帰ってきている。

 さてこれからどうするのか、標準的に考えられることは抗がん剤の治療でサードラインを設定することである。しかしその効果は、やってみなければわからない。薬剤自体では体力の消耗も激しいし、正常細胞、免疫系を含むシステムも攻撃する。主治医任せにする段階でもなくなった、自分のこれまでの知識を総動員して考察しなければならない。

 抗がん剤はどうしても体力を著しく消耗する、30日に胸部CTを撮影するがその画像状況と今月初めの画像の変化により考えることになるだろう。

セカンドオピニオンも必要になるかもしれない。
 

3月17日

 Beam onによる一酸化窒素の産出でのがん治療がどうなるのか、等々を思いながら朝、肺にBeam onを5分ずつの照射を金曜日から始めている。今日で5日目である。膝は比較的快調である。長距離をウオーキングするとどうしても形態的に痛みはあるが、ガンなどは話が違う。一酸化窒素には免疫系への貢献として白血球なども産出し病原菌やガン細胞に対処するメカニズムがあるとのこと。また血流を良くし、もちろんガンの血流も良くなるのだが、それ以上に正常細胞の血流により、正常細胞の活性を高めることは、その不要な細胞を除去する力が働くのだと思っている。

 あと2週間ほどで一度胸部CTを撮影予定だが、楽しみである。これはきっと効果を示していると思う。もちろんそれだけではなく、朝の運動や、食事、サプリメントなどの効果もあるのだろうが。

 

3月15日

 根本的な解決にはならないが、ひざの日常的な痛みは、Beam onで劇的に消失した。違和感はもちろん形態の変化の問題だからあるのだろうが、これについては右側で記述するが、麻酔ブロックの数倍は効果がある。灯台下暗しで、今まであまり気にしなかったのだが、NBCの田中会長の来院にて改めてBeam onを自身に施術するとその高い効果にはおどろだった。ついでに一酸化窒素について、以前の自分のセミナーの資料を見ていると、免疫系への効果やガンに対する効果などが文献などとともに残っており、これはいけるとの、訳の分からない予感。

 一昨日より肺に照射を開始。これは効きそうだ。もちろん誰にでも聞くというものでもないのだろう。もちろん金精機外線だけで、効果が出るなど、マジックではないのだから、体力や気力、心理、いろいろな条件が絡み合い、効果を見せるのだろうが、私には確実に効きそうな気がする。そのためには必要なのは気力と体力、それがすべての前提に思う。何が何でも生き抜いて見せる。もちろん論理的に感知などは考えられないが、ともに生きることは確実に可能に思う。世の中には色々とおもしろいことがあるものだ。本当に身近にこんな装置上がるのを忘れていた。面白い。

 

3月10日

 昨日午後にCT画像の説明を受けに外来に、本音としてはよくわからない。前回新しい影があるという話が画面に向かって右側側だったが、左側の肺の話になっていた。CTは自分の時代にはなかったからどう見るのか、よくわからない。左側は以前の消失したというがんの話だったのだが。角度の違いもありそうだ。間質性肺炎の疑いということでもあったが、肺活量も通常で、逆に人並み以上に4200だった。よくわからない、ガンは難しい、少しずつ勉強もしたいが。

 と言いつつも、ガンに神経を使うのも飽きた。あと何年かはもういい、生きれるだけ生きよう、10年15年、20年は言い過ぎかもしれないが、目の前の仕事をクリアーしてゆこう。あと何年生きて、何をする…、と考えるのに急に面倒になった。しっかりと生活をして、しっかりと仕事をして、生きるだけ生きて、神の御心のままに天然に去ろう、と思う。明日死ぬのもよし、100歳に死ぬのもよし、その時その時を全力で生きよう。

 

 

3月9日 6回目の抗がん剤、5回目からはセカンドラインの抗がん剤治療であった。通常の知識では、手術後転移がんが現れるのが早い、耐性ガンが出現するのが早い、ということになるのだろうが、新生物は、そう簡単に判断できるものではないようにも思う。

 成長のスイッチが次々に入りながら成長をする。そのスイッチにはレベルがあり、はいらない場合は疾病と判断される。私の専門はスイッチが入った場合のレベルの問題である。成長環境が成長にどう影響を与えるのか、成長のレベルにどう関連するのか、ということになるのだろうが、過度になることは比較的少ない、生物には生物には、過度にならない基本的な要素がある。それはそうとして、成長時ではなく、成長後に細胞が変化し続けることを恒常性という。成長の様相と少し違うのだが、基本はよく似ている。ここでスイッチが間違って入り、異質な細胞ができると、これは新生物と呼ばれる。これが成長すると悪性の場合、ガンになる。通常スイッチが正常に入ることは相当保守的なのだが、たまにスイッチが正常に入らない場合がある。これに自己免疫が対抗するシステムもある。正常にスイッチが入らない原因は「ストレス」である。どのようなストレスかは個別性がある、物理的、科学的、心理的ストレスが関連する。ガンの場合は成長という機能だけが極めて強く残っている状態にある。それ以外のその細胞が持つ恒常性における機能性は喪失している。そしてこの中の一部の細胞が、血液・リンパの解剖学的航路に乗って移動し、リガンドの場所で成長を開始するのが転移である。今日CTの画像検査を行う。

 

 

3月5日

 常に「死」に対する意識がある。死自体を恐れるということはない。生きてゆく過程には目的と目標を設定する。その設定に常に死を意識している、という意味である。ガンが発覚後、手術を受け、転移がんが見つかり、抗がん剤治療をした、短い時間での動きであり、通常はあまり良くない状況だというのだろうが、1年が経過して、この土曜日に再度画像診断を受ける。

 本音でいえば、転移がんは消失しているように思うが、外れると厭なので、残っている場合のことを想定している。2クールごとの投薬、問題は体力の回復をどうするか、抗がん剤はこれに尽きるように思う。「耐性」の問題も同様な気がする。薬はある一定以上がないと耐性ができる、体力がないとある一定量以下程度を継続する、そうすると耐性ができる。体力の問題になる。今後の抗がん剤のスケジュールをどうするか、抗がん剤をやめる気はない、薬理が大学の最初の出会いの場であった思い出があり、何らかの縁だろう、抗がん剤ととことん付き合ってみたいと思っている。しかし、体力を優先しないと、抗がん剤に負けるし、耐性もできる。体力はどうすればいいのか、食べることである、そして適切な負荷を身体に与えること、朝の2キロ程度の散歩なのだがその程度でも不可欠の運動である。そして食べる、食べる、人間は食べることに尽きる。

 4月には1年になる。1年は長くもあり短くもあった。人生としては長かった、治療としては短かった。そして1年が経過して、石にかじり付いても2年は生きれる自信がついた。そして動けなくなって半年がプラス、なにやかやで3年は生き残れるだろう。か掘るさんが60歳まであと2年と少しそのぐらいは何とかなるだろうし、その期間で仕事も軌道に乗せる。後はなるようでいい、天然に帰るもいいし、適当に生きるもいい。もっともっと面白おかしく生きるのもまたいい。

 

 

 

3月2日

 春の訪れである。春の終わりにがんがわかり、まあ季節で言えば一年がたったことになる。ネットなどで見ると、また成書でもそうだが5年生存率というのがある、1年生存もあれば2年生存もある、しかしどこからをいうのだろうか。手術後なのか、抗がん剤治療後なのか?よくわからない。

 これから5年~10年で相当がん治療も変わるように思えるが、現時点では、摘出手術、抗がん剤、放射線の3つの治療以外にないのも事実である。治療法としては初期段階ともいえる。どんな失敗も同じようなものであり、初期から始まる。近頃実感するのだが、現時点ではこの3つの治療しかないし、この3つの治療ががんの治療に最も適しているように思う。しかし、どの疾患における治療も同じなのだろうが、初期の治療法は身体への負担が大きい。故に体力勝負の面が大きい。ガン以外の疾患は、体力があればり患しにくい、しかし、ガンは発病メカニズムが違う、体力に関係なく罹患する。しかし、その後の治療では体力勝負になる。初期治療はすべて同じような歴史を持つようである。では、体力とは何か?の命題になるとわからないというのが正直なところである。

 

 

 

2月25日 

 抗がん剤ってなんだろう、何回も記してと思うけれども。そのメカニズムだけを見ていると、正常細胞よりもがん細胞によく聞くはずであるが、比較の問題であり正常細胞もまた痛めつける。それもメカニズムとしてよくわかる。

 薬にはよく聞く聞かないというのがある。どの様な薬にもよく見られる現象である。薬は違わない、受け手が違うだけである。イメージ的なのだが、抗生物質を多く投与して来た事から、水の流れに例えると、水の流れが激しい場所に抗生物質を流すと、それは自由に活動し広がり、水の流れに乗るように思う、淀みのある流れの悪いところでは抗生物質も淀み、活動しないような、そんなイメージを持つ。もともと元気な人、もともと体力のある人、もともと気楽に生きている人、そんな人が抗がん剤もよく聞くし、がんであることを自覚して、無治療を選択したとしてもそれなりの意義を見せてくれる人のように思える。 ガンに立ち向かうには、結局は体力・気力であるように思う。では何が対局で・気力なのか、よくわからない。ただ体力・気力が満ちていれば、ダイナミックな水の流れを作り出す。

 がんになる原因、がんになってからの身体状態、二つは分けて考える方がいいのかもしれないし、同じ流れで考える方がいいのかもしれないが、ここではとりあえず分けて考えてみたい。

 

2月23日坂東三津五郎が死去した。膵ガンから転移肺癌が昨年の9月に発症し、今年1月インフルエンザいを発病し、昨日死に至ったという。私と同じ経過である、9月に転移肺癌が見つかった、そして抗がん剤治療を4クールして、そのガンは消失してが、また小さな影が見つかり、セカンドラインと抗がん剤治療では呼ぶ、新しく選択された抗がん剤治療をして今に至っている。どうなったかは3月に入りCTの画像で判定される。ここまでくればそれほど大したことでもない。ほぼ1年という年月が経ち、ガンとの生活にも慣れてきた。テレビでむ治療を選択して、5年まだ普通の生活を続ける乳がんの女性のテレビを見た。彼女は生きる事に未練もなく、堂々と死を選択している強さがある。その強さが彼女をまだまだ生きさせるのだろう。

 私はすこぶる元気である。もちろん副作用もある。しかし、毎朝、2キロは軽くウオーキングをしている。仕事、生きることへの意欲は、私以上にその女性以上に、彼は持っていたのだろう。何が違うのだろうか、難しい命題である。

 

 

 抗がん剤治療で言うファーストライン、そしてセカンドライン計6クールの治療を終えて退院した。約半年をかけた治療であった。一先ず休息をする。適切な運動と筋トレによる体力を作る。初日 6時起床 芦屋川沿いを川下に向かいスロージョッキング

  朝のジョキング →ホノルルマラソン

  筋トレ

 糖分を減らし ケトン体を摂取し、80Kgを切る体重を維持する

 週に2回程度は、温泉で体を休める

  ビタミンCを2000㍉/日

 

3月からは本格的に仕事を稼働し始める。そしてガンといかに折り合いをつけて生きるのか、抗がん剤も良いだろう、短期の手術も良いだろう、高額な放射線治療も良いだろう、さあ、10年生きて見せよう、

「SAVE the CANCER  !  Let's enjoy a life」

  私は臨床家ではない、単に在野の一生物学者でしかない。故にガンについて臨床的な事項は何も知らない。経験ある臨床家にいろいろ教えてもらいながら、最後は「生物学者」として判断し、10年を生きて行く。

 

 

②1年が経過して

  腎臓の摘出後抗がん剤治療を続けている。クール数でいえば7回目が終わり 8回目に入る。1クールがほぼ1カ月だから7か月が終わった。体調はどうかと言われると、すこぶる快調である。確かに体力というもの、持久力力と言い換える方がいいのかもしれないが、それは抗がん剤を投与すると相当落ちる。

  先日、アメリカのFDAが新しいがん治療法を認可したと新聞に報じられた。以前話題になった抗体をガン細胞に付着させ、近赤外線で抗体を活性化させてガン細胞を破滅させる方法である。おそらく、うまくいくのだろうと思う。今後この10年、ガンに対する夢の治療法が開発されてくるのだろうとの予感がある。現状の方法はステージによりいろいろあるのだが、問題は僕のようなステージⅢからⅣ、ステージⅠ,Ⅱは現状の治療法でも治癒率は高い、しかしⅢⅣになると、治癒という言葉はなくなり、共存になる。そして致死率は異常に高くなる。

5年生存率は、罹患部位により変わるが、僕の腎盂がんなどは10数%程度という報告が多い。ただこの報告もわかりにくい。分かりにくいのだが、数字だけが一人で走りだす、すると、ガンのステージが高いとイコール死に結び付ける。また、日本人の二人に一人ががんにり患し3人に一人がガンが原因で死亡するというと、不治の病のような感覚にとらわれる。特にステージが高いとほぼ死という誤解が生じる。そして抗がん剤は使うべきではない…、ガンは放置しろ…ガンには代替医療等々の議論が活発化する。基礎医学は自然科学なのだが、臨床医学になると急に人文科学的に傾く。少し冷静にガンを考えておく必要がある。ここ10年でガンに対する治療法は一気に高まりを迎える時期にあるように感じる。そのために、今冷静にガンの治療に対する基本的な事項を論理的に構築しておかねばならないように思う、そうしなければ、これからの優秀な研究者たちの努力が、無駄になるように思えてならない。

 

1.生きることとは

 

①はじめに

 ちょうど1年ほど前に、腎盂尿管がんであることを血尿から知った。リンパ節転移もCTから見ることができた。腎盂尿管がんの標準的な治療は摘出である。その形態状腎盂がんが治癒することは考えにくい。4月に血尿が出て、肺に別物の扁平上皮がんがあることもわかり、取り急ぎ7月に摘出手術、それで一息つけるかと思うと8月末には、肺へのメタ、1㎝ほどの転移がんが見つかった。5月末のPet撮影ではなかったので3か月ほどで1センチほどになっている。おそらくその時点では数ミリ、Petでは見れない大きさが3カ月で1センチに急激に成長したのだろう。これで病期は確実にⅣになり、言い換えれば末期とも言える状態になった。8月より抗がん剤治療を始めた。そしてⅣクール、年末になりその転移がんはも従来の扁平上皮がんも消失していた。しかし、GC療法では効果がない異なるメカニズムを持つがんがいるのだろう、肺に5ミリ弱の小さな影が一つ見つかった。CTで確認できる最小の大きさの陰であり、その外形をみると転移がんのように見える。年明けとともに、抗がん剤のセカンドラインでの抗がん剤治療を2クールが終わった。そしてCTを撮影した。

   2ヶ月後のCT画像では空洞の壊死を呈しながらほぼ年末に7ミリ程度であったものが、倍程度に拡大している。もちろん一方向の撮影になるので3D上の拡大はわからない、と。形態は二つにくびれ、その二つの中心が空洞化している。セカンドラインの抗がん剤は効果がなかったのだろうとの説明になったが、前回年始に説明があった部位とは違う。

 ガン治療自体がそう長い歴史があるわけではない。故によくわからないということが多い。それを前提にして、約1年ほど前に腎盂尿管がんが分かり、摘出手術そして肺への転移、それに対する抗がん剤治療がセカンドラインへ、1年もたたない中での動きであった。あわただし一年が終わり、そして、今、たばこをやめ、早寝早起き、そしてビタミンCサプリメントに野菜中心で、炭水化物を減らした食生活、元気である。抗がん剤ファーストラインが4クール、セカンドラインが2クール、抗がん剤による体力の衰えは確かにあるが、回復基調にある。すこぶる元気であり、ガンも説明によると、転移肺がんが一つが増大化傾向にあるが、他には問題は見られないという。僕には僕しかできないものがあり、多くの子供が僕にそれを求めている。自分のことはあまり構っている時間的な余裕はない。ガンはだれかが対処していくのだろう、僕は僕なりに一生物学者のガンへのアプローチ、ガンとともに生きる自分自身の問題として残しておこうと思う。

   「病は患者自身が治す、医療はそのお手伝いをするだけである」そんな話を聞いたことがある。いいえて妙である。転移がんといえども、初期である。手術まではなかった。転移がんは進行が早いと言われる。しかしは早期は早期である、どう対応するか次第となる。ただ、出現の様相をみていると、体力の衰え、ストレスの中で出現が早まる。手術とともに体力が落ちストレスがたまり、METAが出現した。そして2クールの抗がん剤相当の縮小をみた。続く2クール本来は1.5クールになり、体力の消耗は激しく、精神的にもストレスがたまった。その後新しい小さな影をみる。そしてその影に対処するために、セカンドラインの治療を2クール、この治療は体力を相当消耗させた。自分自身には合わない薬剤であり、精神的なストレスも相当感じた。そうすると7ミリ程度の影が倍近くになっていた。そんな中で抗がん剤不用説は間違いだとは思う。無治療説も選択すべきではないと思う。ただ、医療が陥りやすい面がどうしてもがん治療には出て着るのではと思う。それは先述した 「病は患者自身が治す、医療はそのお手伝いをするだけである」の概念を医療側が忘れることである。最後は本人の気力と体力、まさしく今そう思う。私はガンの専門家ではない、今のメインは成長であり、顎骨である。私は臨床化ではない、あくまでも一基礎科学屋である。末端の野にある生物屋である。そんな私よりももっとがん患者と接した医者は多いだろう。しかし私は自分の経験で語る。そしてどうなるかはわからない。間違っていたら、命を落とす。そんな状況下にあるのだが、私は「病は患者自身が治す、医療はそのお手伝いをするだけである」と患者側にあるがゆえにそう思う。気力体力を優先し、抗がん剤治療等のガン治療とどう折り合いをつけて生きて行くのか、そんなきわどいチキンゲームをしかけている。

 とはいえ、無治療でも余命数カ月の宣告を受けながら、5年10年と生きている人も結構少なくはない。死亡する人が目立つし、話題にもなるからガンは怖いとの先入観があるが、おそらく生きたがら得ている人のほうが多いように思う。その基本は上記した気力・体力であり、ある人は普通の人の2倍を食するとブログに書いていた。ガンには確かに悲観的な情報が多く、マスメディアやネットで氾濫している。そして悲観的な情報は取り上げられやすくまた記憶に深く刻まれる。しかし、元気に過ごしている人が多い、そしてもう一つの問題として、ガンをクリアーしたとしてどうするのかという命題にこたえていない。若い人はそれなりに通常の疾病と同じで考えていい。しかし私以上の年齢の人間、高齢に分別される人間にとって治癒する、改善する等々の後の人生はどうなるのかについての命題にこたえなければ、逆にそうがんが簡単に治ってもらうと社会が困る。

 

 

 

 

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