ガンを生きる ガンを楽しみながら新しい人生を生きる
ステージはⅣ それでも10年は確実に生きる 生きる方法を示す
科学的に 普遍的に
その向こうに 確実な治療法が、新しい人たちの手で必ず生まれる
がんを生命をそして生きる事を考える時間は・・なぜか楽しい
生きること 死ぬこと ガンととも
7月17日 20日から抗がん剤治療と免疫療法の複合的な治療を行うことにした。ガンの罹患から1年、ガンにも慣れて、いたって元気でもあるが、抗がん剤の副作用による体力の低下と入院ストレスは、ガンに対応する力を減じる。免疫療法を加えて、抗がん剤治療を少しマイルドにするのは意味があるように思う。
すぐに頭に血が上り怒鳴り散らすし、人間が丸くなったわけでもないし、もともとそうだったから、ガンの心理的な影響でも本当ないのだが、そう周りが思ってくれたらそれもいい。生きること自体の楽しみもそれほどないのだが、ガンのステージⅣで10年生きるという面白さの方に興味を抱いて、なんやらチャレンジしえいると、周りが評価してくれるのでそれもまたいい、結構ガンになることは、プラスになることばかりのように思えるのだが、ぼくだけのことなのかもしれないが。
頑張りましょう、頑張ってくださいと言われるが、それほど生きることに真剣でも・・・昔からないのかもしれない。僕が死んだら、家族が、仕事が、そして研究など、どうなるのかと空想することは楽しい。でもこれは1度きりだからそう何度も楽しめないのだから、もう少し慎重になる方がいいようでもある。
20日から抗がん剤治療のために入院である。しかし今回は3泊4日を2回だけ、変わり映えがしないと面白くないのだが、1年が経過してまた変わった治療を始めることがおもしろい。基本的にはこの治療を1年は続ける。それで2年、またその後のことはその時の状況で考える、それも楽しそうでもあるが。
7月10日 今日から東京。保育の専門家会議、学会にまで持ってゆくスタートである。保育健康科学と呼ぶのだろうか、医学ではない、保育学でもない、子どもたちの健全な成長とその後の健康な人生をいかに作るのか、これからの学問である。医学が疾病の治療そして予防が主な業務、範疇である。保育とも違う、より積極的に成長にかかわり、生活を対象として育ちを創ることにより上記した健全な成長と健康な人生を過ごせることを目的としている。その中で私はどちらかと言うと医学よりの範囲をカバーし、その子どもたちの健康育成科学の第一人者であることを自負している。私が担当する範疇に、「アレルギー」がある。免疫の一つだが、私が受けようとしている抗がん免疫療法とは違う学問であるかのようだ。免疫療法を専門医から受けたが、内容は当たり前の内容で、テクニックが相当進歩しているように思えた。やり方次第ではそれなりの効果がある感じもした。しかし、同じ免疫の範疇でも正反対のものだから、私自身は戸惑うのも本心である。免疫反応を止める方と生かす方、面白いものだと思った。前にも書いたが、生命科学の中で「免疫」を、アレルギーを考えながらウイングを伸ばして、通常の免疫を考えるのも興味深いと思う。ただ、基本はどちらにしろ、体力、気力、知力であることは改めて思う。個の意味をいかに科学的に論理的に記するか、ガンへの挑戦もおもしろそうである。
7月3日 思考することが好きでもあるし得意でもある。自然科学の中でも医学範疇は自分にはあまり適していないのかもしれない。しかしいまさらやり直すことができるものでもなく、この道を進むしかないのだろう。故にもだえ苦しんで生きている。
ガンとは何なのだろうか?根源的な思考をしてみるのもおもしろそうである。その原点はなぜ受精しなぜ受精卵が成長するのか?そんな根源的な生命論を考えることと同じである。
人生をマラソンに例えるならば、もう40キロを超しているのかもしれないし、まだ30キロ台なのかもしれない。どちらにしろ、もう終わりに近づき、スタミナも切れ始めている。しかし、ここからが勝負どころである。忙しすぎるがどうせならこの勝負にのってみるのもおもしろい。
ガンを思考するか、と思う。そのためにはまず生命科学を再度復習することから始めるのことになる。
5月22日 今日で抗がん剤治療の補水が終わる。今朝からホットフラッシュの様な感じが出ている。いつもの事だが、自律神経系に影響を抗がん剤が与えているのだろう。セカンドラインの抗がん剤は思いのほか身体状態=体力の低下があったが、シスプラチン系は体に合うのだろうか、結構感覚的に効果があるような感もある。
Programme cell deathというT細胞の活動を阻害する新PD阻害薬というのが出ている、また従来から興味を持っている抗体と近赤外線の組み合わせ治療など、どんどんと出てくる抗がん剤治療に強い興味があり、どんどん経験してみたいと思っていると、どうも、初期的な抗がん剤治療でも効果が出てくると、楽しい悩みでもあるが。
5月20日 ガンや免疫の研究は、今から始めても出遅れている。今はまだ、大向こう受けはしないが「成長」そして健康医学が、トップランナーとして走れる分野なのだろう。ガンは間もなく一つのゴールを迎えるように思う、そこに参加の余地は残されていないようである。
5月19日 抗がん剤8クール目へ
-元気であるー
昨日5月18日入院 19日から抗がん剤治療を始める。抗がん剤の身体への副作用、俗にいう表現的な副作用ではなく身体全体を衰退させるという副作用については、急激に影響が及ぶ人や徐々に影響される人などに分かれるように思う。
自分自身は炎症反応を一つのマーカーにしているが、前回の退院時から今回も0.2程度、おそらく安定した状態なのだろう。ガンによる組織破壊があまり進んでいない状態、共存できていると考えている。
5月13日 アメリカのFDAで以前話題になった近赤外線によるガン治療が本格的に認可された。治験に入りそいう遠くない将来に臨床適用されるだろう。そして日本でも小野薬品など世界でいくつかの薬品会社が開発したらしい、免疫細胞の活性阻害を阻害する薬が臨床応用したらしい。ガンはそう遠くない将来解決されそうだと、スタッフに話したが、現実になろうとしている。もう数年の問題だろうが、現時点でも私に効果があるような気がする。世の中では餅屋は餅屋でその分野分野に優秀な人間が多くいる。ガンにウイングを伸ばしてみたら・・・と少し欲張った気持もなくはなかったが、しょせん付け刃、自分の専門は専門で一本道を走るほうがいいと思い知らされた(笑)
そうなると、私たちは、人生そして歯というものを、冷静に考える事が必要になる。生物としての私たち、人間としての私たち、そして群れとしての人間、生物、自然との折り合い、有限な資源、遺伝と進化、今本気で考える事が求められている。
5月12日 今の時点で、ガンが身体を蝕んでいるのか、共存しているのかは分からない。いたって元気である。確かに抗がん剤の副作用としての疲労感はあるが、食欲はいたって旺盛でもある。5月19日から抗がん剤治療のサードラインの2クール目を始める。気持の中では開き直っているというのか、必ず転移がんが見つかって(昨年の夏だが)5年以上は生きるという強い意志があり、抗がん剤がどうのこうのというものでもなく、聞かなければ効かなくてもいいし、抗がん剤がなくとも生き抜いて見せる。非治療でも、免疫療法などを組み合わせて5~10年は生きるしただそれ以上生きて不細工な姿は見せたくないのでそれぐらいでいいと思っている。ただそれだけはきっちりと生きていようと思う。そのためには食べること、生きる強い意欲、そして思考する力と適切な運動が不可欠に思う。
5月5日 医学は科学的に考える事が難しい分野である。科学的に考えると矛盾が多く出てくる。大学の恩師佐藤精一先生がキリスト教の洗礼を受けた時、私は反発した。科学者が宗教に走る事を。佐藤先生は私の反発に笑っていた。彼は科学者ではなく医学者であった。医学者が宗教に生きる事はよくわかる年齢になった。科学は1+1=2である。しかし、医学の答えはいくつもある。それなりの答えは「1」なのだが、見方におれば答えは無限であるともいえる。
今日採血をする。連休明けの昨年5月8日にこの大学病院を訪れた。そして腎盂ガンであることが判明した。摘出の手術を経て抗がん剤治療を7クール目、最初のGC療法と言われる薬を早くやめすぎたように今になると思うが、ただ結果としておそらくそれもOKになるように思う。なぜかと言われるとそれなりに意味があるのだが、おそらく正解の様に思う。
平均値とは違う風変わりな僕である。平均的な面が多くあるのに、なぜか平均値から大きく外れる事がある。最初の抗がん剤治療が3.5クールで終わり次に行った。しかし理屈としては継続しておくほうが短期的な効果としては正解であったように思う。途中で薬を変えた。結構体にはきつかった。術者側の意見とは大きく違った。そして本来はGC療法が効果がない場合行うべきではないと言われているMVACという多剤療法を今始めた。ある程度の時期が来たらなぜこの事が正解なのかを説明してみたいと思う。
5.1 白血球数は3400ほど、副作用として血液の減少が問題の様である。前駆細胞を増やすサイトカインが新たに開発されているらしい。次回からそれを投与するとすれば、外出をしながらの抗がん剤治療が可能になる。
抗がん剤には賛否いろいろあるが、がん治療の多くに利用されている。特に私のような病期のⅣ、言い方を変えれば末期にはそれしかないのだろう。
末期という言葉は何を指すのだろう、これもまた難しい。概念的な言葉の意味は難しい。CRPは0.1、この値は結構指標になるように思う。
2015.4.29 抗がん剤の新しい療法の1クールが終わった。なんとなくそれなりに効果を示しているように感じる。相変わらず元気であるし、CRP値もここ2回は0.5と多少高いがそれほどの高さでもない状態を示している。抗がん剤の効果があれば高い事も推測できる。今朝はウオーキングと筋トレ、以前に比べればそれほど高いレベルでもないが、それなりに体力の縮小を防いでくれる。体力とは 食に休養に適度な運動と説明されるものだろう。
気力は「生命への要求≒社会力-群れる力等々」そして智恵力が、人間の適応力の基本であるならば、生命力の基本であり、治癒力でもある。
2015.4.26 ここ数日 毎朝1.5㎞ほど、病院の周りを歩く。そして筋トレを少しして、ビタミンCを十分に取る、そうしながら次の抗がん剤治療に向かう。白血球の減少と血小板の減少以外の副作用は少し脱毛はあるがさしたるものではない。外に出る事も問題にならなくなるだろう。
薬剤の耐性とは何なのだろうか?生物の「適応性」で片付ける事ができるのだろうか?
その前に抗がん剤でよく言われる事は効果が少ない例があるということであり、私自身も今回のセカンドラインの俗に言う保険適応のGT療法は効果がなかったと評価されている。
4月24日 昨日で白血球数は3650 CRPは少し高い1.1 前回は0.3.
CRPが少し高い。今週の2回目の抗がん剤は飛ばしたので、来週は予定通り行うことになる。今朝からトレーニングを始める ウオーキングを1.5Km、後はスクワット、腹筋、腕立て等々を少しずつ始める。
ヒトの適応力の高さとは何か、智力・気力・体力である。詳細は進化のページで考える。体力は持久力の高さということは、食と適度な運動が必要である。気力は生きる意欲、群れる気持ち。そして最も重要なものは智力、人間しかもたない力である。智力は考える力である。アメリカ海軍の英雄ストックデール中将は7年間ベトナム戦争で捕虜となった。彼は7年間に及ぶ過酷な捕虜生活から生還した。彼は言う、悲観的でもなく楽観的でもなく現実的であることが生き抜けた要因である。「悲観主義者は風向きが悪いと不平を言う、楽観主義者は風向きが変わるのを待つ、しかし、現実主義者は帆を調整して風向きに立ち向かう」現実をしっかり受け止めながら、思考しその状況に立ち向かう。「なぜ私だけがこんなことになったのかと悲観主義者は想う,楽観主義者は何とかなるさと思う、しかし現実主義者は、現実の状況を思考分析し、それに立ち向かう知恵を持って、気力と体力を高め生き抜く」
4月20日ある医者が、「夜が怖い」とテレビで話していた。 彼もガンに罹患し、抗がん剤治療を受けている。彼は、地域の医療に長年尽力し、地域の人たちから頼られて生きてきたという。
僕は全くにその感覚はなくなっている。僕は明日が楽しそうである。それには死も含まれる。科学者の科学者たるゆえんは「好奇心」であり、お医者さんたちとは違う。そして、進化に携わる人間は、生命を、自分の生命を客観的に眺め、理解する。そのテレビでは「講演中に倒れたら格好いい」というセリフがあった。その通りだと思う。明日に向かってどんどんと生きる。今を楽しみ生きる。それで、明日に何があろうと、それもまたおもしろい。60年が人としての一つの区切という、故事は良くできている。あとは、残された時間をどのようにして生きるかであろう。5年か10年か15年か、何年かは分からない。
「いかにして死ぬのか」それは、日々の中で倒れていく、そんな生き方をしよう。講演中に壇上で倒れるのもいい、いつの日か人は逝く、特にがんに罹患した私はその危険性は高いが、いい死に方ができると思う。日々の生活の中で、一瞬にして倒れてそして逝く、多くの人が望む死に方を実践して見せたいと思う。
4月11日 今日で抗がん剤とガンの、第7クール、第一回の戦いが終わるだろう。シスプラチン系のこの感覚は慣れた。前回のGTではぐったりと来たが、今回はファーストステージと同じで、ぐったりではなく、体にきた、持続力がない、という感じである。第1クールで自宅に変えっつたとき、階段をkじゃけ上がった時に感じた持続感のなさである。
10年を生きるその思考は始まったばかりである。急ぐ必要もない、急がなくても体力はまだまだ大丈夫だ。現状はこのような病院と仕事の生活も充実している。副作用時のセミナーの出席が心配でもあるが、うまくクリアーできるだろう。自宅で一人の気ままな生活も面白いが、少し制約のある病室での生活も慣れるといいもので、スパイスが効く。人間には常に「スパイス」=負荷=ロードが必要で、負荷を常に掛けることにより成長し続ける。ステージⅣの状態から10年は生きいるという、科学的な根拠は何か?
悪性新生物がただ成長し続けるということが問題となる。ガン細胞が、ある程度の進行度において、抗がん剤等をもってして、消失する可能性は今のレベルでは大変低い。成長を抑える、そして共生することは基本的に可能なのだろう。なぜ可能なのか?
4月10日 少しだが浮腫が出ていて、体重が増加している。シスプラチンの場合は以前もこの程度の体重の増加はあった。倦怠感はどうしてもあるが、ステロイドを入れると回復する。やはり、抗がん剤治療は体力・気力が基本にあるように改めて思う。今回の抗がん剤は初心に帰るでもないが、腎盂がんには初めて適用された多剤適用だが、このほうが効果があるようになんとはなしなのだが、感じている。肺に転移すると、おそらく、腎盂=上皮がんの傾向を持ちながらも、エピジェニックに肺の環境に影響されてくるので、転移ガンは対処が難しいともいえるのだろう。しかし、何とはなくなのだがそれがある意味転移ガンの弱点であるようにも思う。最後の抗がん剤を終えて、36時間一日半、あと36時間程度が抗癌剤とがんとの闘いのようである。
4月7日 朝
1ヵ月半ぶりの病室である。12時昼食、6次夕食、9時就寝 夜間に1度程度起きて排尿そして5時過ぎに起床し、6時に朝食。
生活リズムとしては病院生活が合っている。共同生活というストレスはどうしてもあるのだろうが、気ままに過ごすことで解消できる。気に入らなければ
病院を移ればいい。今回の2カ月で、この病院での治療も最後になるかもしれない。少し景色に飽きてきた感がある。
10年を生き抜く、それが僕のテーマであり、目的である。何が何でも生き生きて10年をめざそう。
ガンが見つかりほぼ1年が過ぎた。腎臓の摘出から、肺への転移、そして抗がん剤治療、ファーストレインが4カ月、セカンドラインが2カ月、明確にセカンドラインは効果がなかったが、ファーストラインは効果があった。ファーストレインをもう少し継続するほうがよかった感じもする。今回はそのファーストラインに近いまたは同じ薬剤を含む、古くからある療法を2カ月行う。体力も正常に近く戻り、今回の2カ月の治療はそれなりに楽しみでもある。それでいろいろなことが見えてきそうでもある。効果がなければ出どうするか、新しい発想で、この病院から離れて、違う動きをしてみるのもいい。それもそれなりに楽しみである。色々な立場や環境での楽しみ方があり、僕は僕なりの立場と環境で、がんを楽しむ。お金だけはこれまでは縁がなかったが
七難八苦いろいろあった。ただ、それぞれの局面で楽しんできた。そして楽しめた。とんでもない苦しい時期もあったし、死を考えた時期もあったが、それもそれなりに今となれば楽しめたと思う。楽しむことだ、生きることを、今という時間を。
4月3日
3月30日に再度胸部のCTを撮影、小さな影が2つばかり増え、そのう日の以前からあるガンが2センチ近くになっているとの画像診断だった。
体調はすこぶる体調である。食事、寝る事等々により体力も相当回復した。腎盂癌に最も標準的な抗がん剤治療を受けることにした。どう転移癌をクリアーして行くのか?治療法としては、抗がん剤しか思いつかない。しかし、もう一つの手は免疫力におる改善である。抗がん剤と免疫力は、原則相反するのだろう。それをいかに相関させるのか、そこに新しい治療法があるように思う。確かに抗がん剤の効果は低い、しかし理論的には効果がないことはない。抗がん剤におけるストレスを軽減しながら体力をつけ、がんに相対する方法を自らの体で見つけてみたいと。来週月曜日にまた入院する。今回は原則として2カ月連続の入院になるが、体力そして仕事、生業いろいろな要素を組み合わせながら快適な時間を過ごしてみたい。10年を生きる、10年後は72歳、どのような癌でも10年は生きることができる、その一つの試金石でもある。
3月28日
新しい挑戦のために、10年の時間を全力でかけることが目的になった。10年の時間は、通常の治療では難しいだろう。抗がん剤では数年が限界であり二桁の年数を生き抜けることは考えにくい。自らの進退を鍛え、免疫機能を高め、体力を十二分に高めて生き抜くことが必要であり、受け身の治療ではなく、能動的な挑戦がその基本となるのだろう。
そして2週間ほど前から、いろいろな試みを始めた。
野菜を中心とした食事、ココナッツオイル、青汁、炭水化物を少なめに
そしてビタミンCを5000mg等々
体力をつけるために 運動は欠かせない、そのためには膝を治す
そして免疫力をつけるために来週から「鍼灸」、ひざを治し姿勢を治すための「整体」も始めようと思う。
30日に胸部CTを取る、セカンドラインが利かなかった右肺のガンはどう変化しているのか、小さくなるのもよし、大きくなるのもよし、今は10年を生きるために、全力で思考する。私は切った張ったは嫌いだから、医者にはならず歯医者になり、それも臨床から食いぶちを得るとき以外は郷里を置いた。だから治療の腕は基本的にはそれほどでもないし、知らない。しかし考えることは得意だから、考えよう。どうしたら10年を生き抜けるのか?
それはとりあえずは 1.規則正しい生活=睡眠と生活習慣
2.バランスのとれた食事
3.免疫力を高める行動
4.体力をつける適度な運動
5.ビタミンCなどの摂取 を始める
そして 必要に応じて ① 手術 ②放射線 ③ 抗がん剤 の標準的な治療を最小限に組み合わせる。さあ、10年を生き抜くために多くの命題がある、しかしこのガンに対する思考もまた心をうきうきさせてくれる。
3月22日
昨日は博多に、行き帰りの新幹線で、うとうとしながら想いを巡らした。
ガンの発生メカニズムはほぼわかってきた。遺伝子のスイッチミスがほぼ正解なのだろう。成長期のスイッチのレベルの高低についての検証が私の今のメインの仕事だが、スイッチのミスが何らかのストレスによって生じる、これががんの発生の基本であるとされる。
「がん細胞は、正常な細胞の遺伝子に2個から10個程度の傷がつくことにより、発生し、これらの遺伝子の傷は一度に誘発されるわけではなく、長い間に徐々に誘発されるということもわかっている。正常からがんに向かってだんだんと進むことから、「多段階発がん」と称される。
正常な細胞に決まった異常が起こると、その細胞は増殖し、そこに第二の異常が起こると、さらに早く増殖するようになり、異常の積み重ねにより、がん細胞が完成すると言われている。
がん遺伝子の変化は、特定の蛋白質の働きを異常に強めることにより、がんにつながる増殖異常を引き起こす。したがって、その蛋白質の作用をうまく抑えるような薬を見つければ、細胞ががん化することを防いだり、すでにできているがんの増殖を抑えたりすることができる。
がん遺伝子がアクセルとすると、そのブレーキにあたる遺伝子が、がん抑制遺伝子であり、がん抑制遺伝子は細胞の増殖を抑制したり、細胞のDNAに生じた傷を修復したり、細胞にアポトーシス(細胞死)を誘導したりする働きをする。DNAの傷が蓄積するとがん大変ですので、異常を感知して、その細胞に細胞死を誘導することも必要となるす。このように、がん抑制遺伝子はブレーキの働きをしていると考えられている。
遺伝子の傷は、その突然変異によるものばかりであると思われてきたが、、遺伝子突然変異以外にも、細胞が分裂しても薄まることなく、新しくできた細胞に伝達される異常があることがわかってきた。それがエピジェネティックな変異で、具体的には、「DNAメチル化」と「ヒストン修飾」の変化で特に、DNAメチル化の変化はヒトがんの多くで認められ、多段階発がんのステップとして関与している場合もあることが知られている」
というのが多くの解説書に書かれている内容だろう。それは分子生物学的なレベルでの話である、より実際になると、スイッチミスが重なり、ガンになり、ただ多くのスイッチミスは身体の防御機能がそれを消失させる、抑制遺伝子もあるし異物に対する免疫システムもある。それを逃れたがん細胞が増大化する。
私自身を考えると、成り立ちはそれでいいとして、遠隔転移がある、今のところ肺に限定している。上行静脈で肺に転移し、肺によりフィルターされ転移して発育した状態なのだろう。最後の画像診断での大きさは1センチ強、2か月前からほぼ倍近くに増大化している。その間のセカンドラインの抗がん剤は効いていない。感覚的には、異常に体力が奪われた感がある。薬剤自体は最初の抗がん剤よりは副作用等は少ないとされているが、個体差があるのだろうか、私には大変きつい薬剤であった。
そしてガンが見つかりほぼ1年の時間が経過した。原発部位である腎臓は摘出した。そして抗がん剤治療をする前に、肺への小さな転移が見つかる。そして抗がん剤治療でそのがんは消えるた、しかし、新しい小さな影が見つかり、セカンドラインに入る、しかしセカンドラインは相当体力を消耗し、抗がんの効果はなかった。最後の抗がん剤の投与からほぼ1カ月半、そして退院からちょうど1カ月が経過している。今朝6キロほどをウオーキング、ひざはまだ痛いが体力はだいぶ帰ってきている。
さてこれからどうするのか、標準的に考えられることは抗がん剤の治療でサードラインを設定することである。しかしその効果は、やってみなければわからない。薬剤自体では体力の消耗も激しいし、正常細胞、免疫系を含むシステムも攻撃する。主治医任せにする段階でもなくなった、自分のこれまでの知識を総動員して考察しなければならない。
抗がん剤はどうしても体力を著しく消耗する、30日に胸部CTを撮影するがその画像状況と今月初めの画像の変化により考えることになるだろう。
セカンドオピニオンも必要になるかもしれない。
3月17日
Beam onによる一酸化窒素の産出でのがん治療がどうなるのか、等々を思いながら朝、肺にBeam onを5分ずつの照射を金曜日から始めている。今日で5日目である。膝は比較的快調である。長距離をウオーキングするとどうしても形態的に痛みはあるが、ガンなどは話が違う。一酸化窒素には免疫系への貢献として白血球なども産出し病原菌やガン細胞に対処するメカニズムがあるとのこと。また血流を良くし、もちろんガンの血流も良くなるのだが、それ以上に正常細胞の血流により、正常細胞の活性を高めることは、その不要な細胞を除去する力が働くのだと思っている。
あと2週間ほどで一度胸部CTを撮影予定だが、楽しみである。これはきっと効果を示していると思う。もちろんそれだけではなく、朝の運動や、食事、サプリメントなどの効果もあるのだろうが。
3月15日
根本的な解決にはならないが、ひざの日常的な痛みは、Beam onで劇的に消失した。違和感はもちろん形態の変化の問題だからあるのだろうが、これについては右側で記述するが、麻酔ブロックの数倍は効果がある。灯台下暗しで、今まであまり気にしなかったのだが、NBCの田中会長の来院にて改めてBeam onを自身に施術するとその高い効果にはおどろだった。ついでに一酸化窒素について、以前の自分のセミナーの資料を見ていると、免疫系への効果やガンに対する効果などが文献などとともに残っており、これはいけるとの、訳の分からない予感。
一昨日より肺に照射を開始。これは効きそうだ。もちろん誰にでも聞くというものでもないのだろう。もちろん金精機外線だけで、効果が出るなど、マジックではないのだから、体力や気力、心理、いろいろな条件が絡み合い、効果を見せるのだろうが、私には確実に効きそうな気がする。そのためには必要なのは気力と体力、それがすべての前提に思う。何が何でも生き抜いて見せる。もちろん論理的に感知などは考えられないが、ともに生きることは確実に可能に思う。世の中には色々とおもしろいことがあるものだ。本当に身近にこんな装置上がるのを忘れていた。面白い。
3月10日
昨日午後にCT画像の説明を受けに外来に、本音としてはよくわからない。前回新しい影があるという話が画面に向かって右側側だったが、左側の肺の話になっていた。CTは自分の時代にはなかったからどう見るのか、よくわからない。左側は以前の消失したというがんの話だったのだが。角度の違いもありそうだ。間質性肺炎の疑いということでもあったが、肺活量も通常で、逆に人並み以上に4200だった。よくわからない、ガンは難しい、少しずつ勉強もしたいが。
と言いつつも、ガンに神経を使うのも飽きた。あと何年かはもういい、生きれるだけ生きよう、10年15年、20年は言い過ぎかもしれないが、目の前の仕事をクリアーしてゆこう。あと何年生きて、何をする…、と考えるのに急に面倒になった。しっかりと生活をして、しっかりと仕事をして、生きるだけ生きて、神の御心のままに天然に去ろう、と思う。明日死ぬのもよし、100歳に死ぬのもよし、その時その時を全力で生きよう。
3月9日 6回目の抗がん剤、5回目からはセカンドラインの抗がん剤治療であった。通常の知識では、手術後転移がんが現れるのが早い、耐性ガンが出現するのが早い、ということになるのだろうが、新生物は、そう簡単に判断できるものではないようにも思う。
成長のスイッチが次々に入りながら成長をする。そのスイッチにはレベルがあり、はいらない場合は疾病と判断される。私の専門はスイッチが入った場合のレベルの問題である。成長環境が成長にどう影響を与えるのか、成長のレベルにどう関連するのか、ということになるのだろうが、過度になることは比較的少ない、生物には生物には、過度にならない基本的な要素がある。それはそうとして、成長時ではなく、成長後に細胞が変化し続けることを恒常性という。成長の様相と少し違うのだが、基本はよく似ている。ここでスイッチが間違って入り、異質な細胞ができると、これは新生物と呼ばれる。これが成長すると悪性の場合、ガンになる。通常スイッチが正常に入ることは相当保守的なのだが、たまにスイッチが正常に入らない場合がある。これに自己免疫が対抗するシステムもある。正常にスイッチが入らない原因は「ストレス」である。どのようなストレスかは個別性がある、物理的、科学的、心理的ストレスが関連する。ガンの場合は成長という機能だけが極めて強く残っている状態にある。それ以外のその細胞が持つ恒常性における機能性は喪失している。そしてこの中の一部の細胞が、血液・リンパの解剖学的航路に乗って移動し、リガンドの場所で成長を開始するのが転移である。今日CTの画像検査を行う。
3月5日
常に「死」に対する意識がある。死自体を恐れるということはない。生きてゆく過程には目的と目標を設定する。その設定に常に死を意識している、という意味である。ガンが発覚後、手術を受け、転移がんが見つかり、抗がん剤治療をした、短い時間での動きであり、通常はあまり良くない状況だというのだろうが、1年が経過して、この土曜日に再度画像診断を受ける。
本音でいえば、転移がんは消失しているように思うが、外れると厭なので、残っている場合のことを想定している。2クールごとの投薬、問題は体力の回復をどうするか、抗がん剤はこれに尽きるように思う。「耐性」の問題も同様な気がする。薬はある一定以上がないと耐性ができる、体力がないとある一定量以下程度を継続する、そうすると耐性ができる。体力の問題になる。今後の抗がん剤のスケジュールをどうするか、抗がん剤をやめる気はない、薬理が大学の最初の出会いの場であった思い出があり、何らかの縁だろう、抗がん剤ととことん付き合ってみたいと思っている。しかし、体力を優先しないと、抗がん剤に負けるし、耐性もできる。体力はどうすればいいのか、食べることである、そして適切な負荷を身体に与えること、朝の2キロ程度の散歩なのだがその程度でも不可欠の運動である。そして食べる、食べる、人間は食べることに尽きる。
4月には1年になる。1年は長くもあり短くもあった。人生としては長かった、治療としては短かった。そして1年が経過して、石にかじり付いても2年は生きれる自信がついた。そして動けなくなって半年がプラス、なにやかやで3年は生き残れるだろう。か掘るさんが60歳まであと2年と少しそのぐらいは何とかなるだろうし、その期間で仕事も軌道に乗せる。後はなるようでいい、天然に帰るもいいし、適当に生きるもいい。もっともっと面白おかしく生きるのもまたいい。
3月2日
春の訪れである。春の終わりにがんがわかり、まあ季節で言えば一年がたったことになる。ネットなどで見ると、また成書でもそうだが5年生存率というのがある、1年生存もあれば2年生存もある、しかしどこからをいうのだろうか。手術後なのか、抗がん剤治療後なのか?よくわからない。
これから5年~10年で相当がん治療も変わるように思えるが、現時点では、摘出手術、抗がん剤、放射線の3つの治療以外にないのも事実である。治療法としては初期段階ともいえる。どんな失敗も同じようなものであり、初期から始まる。近頃実感するのだが、現時点ではこの3つの治療しかないし、この3つの治療ががんの治療に最も適しているように思う。しかし、どの疾患における治療も同じなのだろうが、初期の治療法は身体への負担が大きい。故に体力勝負の面が大きい。ガン以外の疾患は、体力があればり患しにくい、しかし、ガンは発病メカニズムが違う、体力に関係なく罹患する。しかし、その後の治療では体力勝負になる。初期治療はすべて同じような歴史を持つようである。では、体力とは何か?の命題になるとわからないというのが正直なところである。
2月25日
抗がん剤ってなんだろう、何回も記してと思うけれども。そのメカニズムだけを見ていると、正常細胞よりもがん細胞によく聞くはずであるが、比較の問題であり正常細胞もまた痛めつける。それもメカニズムとしてよくわかる。
薬にはよく聞く聞かないというのがある。どの様な薬にもよく見られる現象である。薬は違わない、受け手が違うだけである。イメージ的なのだが、抗生物質を多く投与して来た事から、水の流れに例えると、水の流れが激しい場所に抗生物質を流すと、それは自由に活動し広がり、水の流れに乗るように思う、淀みのある流れの悪いところでは抗生物質も淀み、活動しないような、そんなイメージを持つ。もともと元気な人、もともと体力のある人、もともと気楽に生きている人、そんな人が抗がん剤もよく聞くし、がんであることを自覚して、無治療を選択したとしてもそれなりの意義を見せてくれる人のように思える。 ガンに立ち向かうには、結局は体力・気力であるように思う。では何が対局で・気力なのか、よくわからない。ただ体力・気力が満ちていれば、ダイナミックな水の流れを作り出す。
がんになる原因、がんになってからの身体状態、二つは分けて考える方がいいのかもしれないし、同じ流れで考える方がいいのかもしれないが、ここではとりあえず分けて考えてみたい。
2月23日坂東三津五郎が死去した。膵ガンから転移肺癌が昨年の9月に発症し、今年1月インフルエンザいを発病し、昨日死に至ったという。私と同じ経過である、9月に転移肺癌が見つかった、そして抗がん剤治療を4クールして、そのガンは消失してが、また小さな影が見つかり、セカンドラインと抗がん剤治療では呼ぶ、新しく選択された抗がん剤治療をして今に至っている。どうなったかは3月に入りCTの画像で判定される。ここまでくればそれほど大したことでもない。ほぼ1年という年月が経ち、ガンとの生活にも慣れてきた。テレビでむ治療を選択して、5年まだ普通の生活を続ける乳がんの女性のテレビを見た。彼女は生きる事に未練もなく、堂々と死を選択している強さがある。その強さが彼女をまだまだ生きさせるのだろう。
私はすこぶる元気である。もちろん副作用もある。しかし、毎朝、2キロは軽くウオーキングをしている。仕事、生きることへの意欲は、私以上にその女性以上に、彼は持っていたのだろう。何が違うのだろうか、難しい命題である。
抗がん剤治療で言うファーストライン、そしてセカンドライン計6クールの治療を終えて退院した。約半年をかけた治療であった。一先ず休息をする。適切な運動と筋トレによる体力を作る。初日 6時起床 芦屋川沿いを川下に向かいスロージョッキング
朝のジョキング →ホノルルマラソン
筋トレ
糖分を減らし ケトン体を摂取し、80Kgを切る体重を維持する
週に2回程度は、温泉で体を休める
ビタミンCを2000㍉/日
3月からは本格的に仕事を稼働し始める。そしてガンといかに折り合いをつけて生きるのか、抗がん剤も良いだろう、短期の手術も良いだろう、高額な放射線治療も良いだろう、さあ、10年生きて見せよう、
「SAVE the CANCER ! Let's enjoy a life」
私は臨床家ではない、単に在野の一生物学者でしかない。故にガンについて臨床的な事項は何も知らない。経験ある臨床家にいろいろ教えてもらいながら、最後は「生物学者」として判断し、10年を生きて行く。
②1年が経過して
腎臓の摘出後抗がん剤治療を続けている。クール数でいえば7回目が終わり 8回目に入る。1クールがほぼ1カ月だから7か月が終わった。体調はどうかと言われると、すこぶる快調である。確かに体力というもの、持久力力と言い換える方がいいのかもしれないが、それは抗がん剤を投与すると相当落ちる。
先日、アメリカのFDAが新しいがん治療法を認可したと新聞に報じられた。以前話題になった抗体をガン細胞に付着させ、近赤外線で抗体を活性化させてガン細胞を破滅させる方法である。おそらく、うまくいくのだろうと思う。今後この10年、ガンに対する夢の治療法が開発されてくるのだろうとの予感がある。現状の方法はステージによりいろいろあるのだが、問題は僕のようなステージⅢからⅣ、ステージⅠ,Ⅱは現状の治療法でも治癒率は高い、しかしⅢⅣになると、治癒という言葉はなくなり、共存になる。そして致死率は異常に高くなる。
5年生存率は、罹患部位により変わるが、僕の腎盂がんなどは10数%程度という報告が多い。ただこの報告もわかりにくい。分かりにくいのだが、数字だけが一人で走りだす、すると、ガンのステージが高いとイコール死に結び付ける。また、日本人の二人に一人ががんにり患し3人に一人がガンが原因で死亡するというと、不治の病のような感覚にとらわれる。特にステージが高いとほぼ死という誤解が生じる。そして抗がん剤は使うべきではない…、ガンは放置しろ…ガンには代替医療等々の議論が活発化する。基礎医学は自然科学なのだが、臨床医学になると急に人文科学的に傾く。少し冷静にガンを考えておく必要がある。ここ10年でガンに対する治療法は一気に高まりを迎える時期にあるように感じる。そのために、今冷静にガンの治療に対する基本的な事項を論理的に構築しておかねばならないように思う、そうしなければ、これからの優秀な研究者たちの努力が、無駄になるように思えてならない。
1.生きることとは
①はじめに
ちょうど1年ほど前に、腎盂尿管がんであることを血尿から知った。リンパ節転移もCTから見ることができた。腎盂尿管がんの標準的な治療は摘出である。その形態状腎盂がんが治癒することは考えにくい。4月に血尿が出て、肺に別物の扁平上皮がんがあることもわかり、取り急ぎ7月に摘出手術、それで一息つけるかと思うと8月末には、肺へのメタ、1㎝ほどの転移がんが見つかった。5月末のPet撮影ではなかったので3か月ほどで1センチほどになっている。おそらくその時点では数ミリ、Petでは見れない大きさが3カ月で1センチに急激に成長したのだろう。これで病期は確実にⅣになり、言い換えれば末期とも言える状態になった。8月より抗がん剤治療を始めた。そしてⅣクール、年末になりその転移がんはも従来の扁平上皮がんも消失していた。しかし、GC療法では効果がない異なるメカニズムを持つがんがいるのだろう、肺に5ミリ弱の小さな影が一つ見つかった。CTで確認できる最小の大きさの陰であり、その外形をみると転移がんのように見える。年明けとともに、抗がん剤のセカンドラインでの抗がん剤治療を2クールが終わった。そしてCTを撮影した。
2ヶ月後のCT画像では空洞の壊死を呈しながらほぼ年末に7ミリ程度であったものが、倍程度に拡大している。もちろん一方向の撮影になるので3D上の拡大はわからない、と。形態は二つにくびれ、その二つの中心が空洞化している。セカンドラインの抗がん剤は効果がなかったのだろうとの説明になったが、前回年始に説明があった部位とは違う。
ガン治療自体がそう長い歴史があるわけではない。故によくわからないということが多い。それを前提にして、約1年ほど前に腎盂尿管がんが分かり、摘出手術そして肺への転移、それに対する抗がん剤治療がセカンドラインへ、1年もたたない中での動きであった。あわただし一年が終わり、そして、今、たばこをやめ、早寝早起き、そしてビタミンCサプリメントに野菜中心で、炭水化物を減らした食生活、元気である。抗がん剤ファーストラインが4クール、セカンドラインが2クール、抗がん剤による体力の衰えは確かにあるが、回復基調にある。すこぶる元気であり、ガンも説明によると、転移肺がんが一つが増大化傾向にあるが、他には問題は見られないという。僕には僕しかできないものがあり、多くの子供が僕にそれを求めている。自分のことはあまり構っている時間的な余裕はない。ガンはだれかが対処していくのだろう、僕は僕なりに一生物学者のガンへのアプローチ、ガンとともに生きる自分自身の問題として残しておこうと思う。
「病は患者自身が治す、医療はそのお手伝いをするだけである」そんな話を聞いたことがある。いいえて妙である。転移がんといえども、初期である。手術まではなかった。転移がんは進行が早いと言われる。しかしは早期は早期である、どう対応するか次第となる。ただ、出現の様相をみていると、体力の衰え、ストレスの中で出現が早まる。手術とともに体力が落ちストレスがたまり、METAが出現した。そして2クールの抗がん剤相当の縮小をみた。続く2クール本来は1.5クールになり、体力の消耗は激しく、精神的にもストレスがたまった。その後新しい小さな影をみる。そしてその影に対処するために、セカンドラインの治療を2クール、この治療は体力を相当消耗させた。自分自身には合わない薬剤であり、精神的なストレスも相当感じた。そうすると7ミリ程度の影が倍近くになっていた。そんな中で抗がん剤不用説は間違いだとは思う。無治療説も選択すべきではないと思う。ただ、医療が陥りやすい面がどうしてもがん治療には出て着るのではと思う。それは先述した 「病は患者自身が治す、医療はそのお手伝いをするだけである」の概念を医療側が忘れることである。最後は本人の気力と体力、まさしく今そう思う。私はガンの専門家ではない、今のメインは成長であり、顎骨である。私は臨床化ではない、あくまでも一基礎科学屋である。末端の野にある生物屋である。そんな私よりももっとがん患者と接した医者は多いだろう。しかし私は自分の経験で語る。そしてどうなるかはわからない。間違っていたら、命を落とす。そんな状況下にあるのだが、私は「病は患者自身が治す、医療はそのお手伝いをするだけである」と患者側にあるがゆえにそう思う。気力体力を優先し、抗がん剤治療等のガン治療とどう折り合いをつけて生きて行くのか、そんなきわどいチキンゲームをしかけている。
とはいえ、無治療でも余命数カ月の宣告を受けながら、5年10年と生きている人も結構少なくはない。死亡する人が目立つし、話題にもなるからガンは怖いとの先入観があるが、おそらく生きたがら得ている人のほうが多いように思う。その基本は上記した気力・体力であり、ある人は普通の人の2倍を食するとブログに書いていた。ガンには確かに悲観的な情報が多く、マスメディアやネットで氾濫している。そして悲観的な情報は取り上げられやすくまた記憶に深く刻まれる。しかし、元気に過ごしている人が多い、そしてもう一つの問題として、ガンをクリアーしたとしてどうするのかという命題にこたえていない。若い人はそれなりに通常の疾病と同じで考えていい。しかし私以上の年齢の人間、高齢に分別される人間にとって治癒する、改善する等々の後の人生はどうなるのかについての命題にこたえなければ、逆にそうがんが簡単に治ってもらうと社会が困る。
ガンを科学的に思考する
8クール目の第一段階が終了し、一度退院、また来週から3泊4日の抗がん剤治療の投与に入院する。濃度的には80%レベルで、身体は比較的薬である。投与後数日はほっとフラッシュがステロイドを入れるまで生じる。なるほどこれが「ほてり」かと改めていい経験をしている。火曜日の投与で今朝で3日目 あさすj腰ほてりがあったが、ステロイドを経口で飲んでほぼ問題はない。朝は一キロほど歩いてそれからタクシーに乗り診療所に到着。
免疫療法を始めることにして、HLAの遺伝子型検査の報告書が上がってきた。これからガン標本を調べて樹状細胞が適応するのかどうかを調べることになる。自分の業務として「アレルギー」を見ているからということでもないのだが、大変興味深いし、この治療法が恐らくガン治療の2本柱になるように思う。もう一つは恐らくアメリカのガン研での近赤外線をりようしたガンへの直接的な抗体攻撃なのだろう。免疫療法はもっと早い段階で試される方がいいのだろうが、どうしても標準治療が先行し、その後にくる。免疫療法は抗がん剤以上に自己体力がポイントになるように思う。どこまで行っても僕のテーマである「体力」とは何かに行き当たるようで面白くもあるのだが、効用が認められる割合が25%レベルは相当高いと考えれる。対象が抗がん剤以上にレベルの低い状況の中で利用されるのだから、免疫療法のレベルは相当高くなっているように思う。いろいろ調べていても、そんな感じを持たせる。アレルギーという正反対の免疫を見ている立場から、免疫治療の可能性を感じさせる。当面、この免疫治療派継続して受けて行くつもりだ、もう一つの柱は変わるかもしれないが、少なくとも、延命には不可欠なように思う。
画像的には3月とは大きな差はなかった。炎症反応も0.2、ガンが進行すれば基本的にはCRPも上昇するはずであるが、抗がん剤治療中もそれほどの変化はなかった。
主治医から「免疫用法」を組み合してはどうかとの勧めがあった。一度話を聞くことにする。
ガンのもっと根源的なことを思考することもまだ必要なのだろうか、と思ってしまう。細胞の成長には負荷が必要である。その負荷の値が振り切れたときにガンが生じるのだろうか?それとも別の道でガンが発生するのだ党か?損な思考ががんの治療にはまだ必要ならば、考えてみよう。それでjは自分の治療には間に合わないのだろうが。そんなことはたいしたことでもない。思考する、考察する楽しさはそれに優る。
2クールの抗がん剤治療が終わる。これで合計8クールの治療を行った。Mvacという抗がん剤の合剤の療法は、1週目と3,4週目に2種類の抗がん剤を入れる方法を取るために①クール終了後も身体には結構こたえる。
画像診断後に今後のことを考えることにするが、とりあえずは、体力の回復を優先することが先決のようである。
腎盂がんの転移であるのでマーカーはないと言われているが、自分自身は炎症反応の数値を判断の一つとしている。今回は以前に比べて数値は0.3以下で推移した。画像診断との相関がおもしろそうである。6月23日の画像診断が楽しみでもある。
セカンドラインに選択したGT法と呼ばれる抗がん剤治療が効果を示さなかったのかどうかの判断は難しい。もともとあったがんの影は少し増大し、小さな影が増えていた。合計4つほどの小さな影である。Mvacという、抗がん剤治療では古典的な治療を勧められ、もう少し抗がん剤を継続するのも興味深いと、その療法を始める。とりあえずは2クールの予定である。
抗がん剤を薬剤を途中で変更し6クールが終了している。腎臓の摘出後、短期間で転移肺がんが出現し、元々あった扁平上皮がんの治療を兼ねてファーストラインの抗がん剤治療を行った。状況から判断すればあまりいい状態でもないのだろうか、GC療法の最もシンプルというのか標準的な抗がん剤をⅣクール後、それらのがんは消失していた。しかし肺に新たな小さな転移がんと思われる影があった。GCでは効果のないガンなのだろう。同じ転移がんでも(だろうという想像で明確に生検をしてはいないが)そのために、引き続きセカンドライン、GTでの抗がん剤治療を2クール。少し休養して画像診断街である。その後はどうするか、画像診断後に決めようと思っている。感覚的には今回のセカンドラインの治療もよく利いた感があるが、脱毛や倦怠感の副作用は大きかった。しかし、体力そのものは、退院後いろいろあるいてみたら、以前よりも楽だったようにも思う。ガン治療を経験してみていろいろなことが分かる。これだけは経験しないとわからない。
抗がん剤のメカニズム自体は結構シンプルである。細胞周期のどこかの部分にまたはメカニズムに作用して、その活動を止め、廃止させる。正常細胞にもいろいろな細胞周期の違いがあるように、ガン細胞にも細胞周期に違いがあるのだろう。
よってひとつの生命体においても相当異なる細胞周期に違いがる細胞があるようにがんにも生命体ほどではないとしても、細胞周期に違いのある細胞が存在するということになる。転移状態になった場合その違いの数だけ出現する可能性を持っているとも、いえるかと思う。耐性=適応の問題はよくわからない。
効果があるかどうかは、体力次第のような感じがする。抗がん剤の容量は相当必要なことが多いのではないだろうか。そのためには受けての体力が相当ないと対応ができない感じを持っている。抗がん剤は正常細胞にも打撃を与えるし異害的な作用を行う。故にそれに耐える力も必要になる。目の前の問題、俗に言われる副作用という問題だけではなく、基本的な体力というのか生命力というのか、その見えない何かが大きな要素な感じがする。まったく非自然科学的な論であるが。
抗がん剤治療を受け、体重と基本とした容量を計算するのだが、人並み以上に体重は重い、そのため結構な量が適応される。
結構な量というのが重要である感じもする。その量に、今は副作用で見るのだが、見えない体力はどう反応しているのかがポイントのように思える。
多少効果のある場合は、容量が少ない、効果が全くない場合は容量が極めて少ないか、メカニズムの違う抗がん剤を投与しているのか、になる。抗生物質も同じような歴史だったように思う。今は抗生剤というのか、ただしこれは異物だけに実験が簡単だったが、ガンはそうはいかない。時間がかかる。より効果的なより少量でピンポイントで当てる抗がん剤も少しずつ開発されるのだろう。
私が30歳代、ある大学の農学部で分子生物学に手を染めた時期があり、その時代まだガンの原因は十分には解明されていなかった。若い研修者の間で、原因論についていろいろと話した事を思い出す。今、ガンの原因は、遺伝子のスイッチミスであることはほぼ正解なのだろう。生物は動的に変化を続ける、それは遺伝子が常に細胞周期としてスイッチを入れ続けており、そのシステムの狂いが「ガン」を生じさせることになる。
私の専門に少し話が近くなる。私の専門の一つは、成長である。成長もまた遺伝子のスイッチが継続して成長としてのシステムで動く。その中で、量的なそして質的な細胞周期の問題を考察する。
ガンはスイッチの完全なるミスであるが、私の専門はスイッチの質と量、近いようで遠くて、近い話である。
2014年4月に血尿と共に腎盂がんの罹患を知るにいたった。5,6の2カ月の検査期間を経て、7月に摘出、8月からの抗がん剤治療、すでに抗がん剤治療を始める時には肺に転移がんが出現していた。病気で言うならばⅣ、腎盂がんの病気を調べればすぐにわかる、2年生存率で10数パーセント、5年生存率で10パーセント未満と書いてある。
2015年2月に62歳となった。1年間は一患者としてがんに向かい合ってみようと思った。そしてほぼ1年を生きた。これからは、自然科学者、生物科学者のはしくれとして、ガンに向き合おうと思う。
転移がんはある程度のレベルにまで成長したガン細胞が血流にのり異なる臓器に転移している。故に、成長速度は基本的には原発ガンよりも相当早くなる。
「がん細胞は、正常な細胞の遺伝子に2個から10個程度の傷がつくことにより、発生します。これらの遺伝子の傷は一度に誘発されるわけではなく、長い間に徐々に誘発されるということもわかっています。正常からがんに向かってだんだんと進むことから、「多段階発がん」といわれています。
傷がつく遺伝子の種類として、細胞を増殖させるアクセルの役割をする遺伝子が必要ではないときにも踏まれたままになるような場合(がん遺伝子の活性化)と、細胞増殖を停止させるブレーキとなる遺伝子がかからなくなる場合(がん抑制遺伝子の不活化)があることもわかっています。
傷の種類として、DNAの暗号に異常が生じる突然変異と、暗号自体は変わらなくても使われ方が変わってしまう、エピジェネティック変異とがあることがわかってきています。
正常な細胞に決まった異常が起こると、その細胞は増殖します。そこに第二の異常が起こると、さらに早く増殖するようになります。この異常の積み重ねにより、がん細胞が完成すると考えられます。ある遺伝子に傷がついたときに、細胞増殖のアクセルが踏まれたままの状態になる場合があることが知られています。このような遺伝子は、がん遺伝子と呼ばれています。多くの場合、がん遺伝子によってつくられる蛋白質(たんぱくしつ)は、正常細胞も増殖をコントロールしていますが、その働きが異常に強くなることにより、細胞増殖のアクセルが踏まれたままの状態になります。
例えば、「myc」と呼ばれるがん遺伝子の場合、1個の細胞あたりの遺伝子の数が殖えることにより、「myc遺伝子」によりつくられる蛋白質が増えすぎて、際限ない細胞増殖を引き起こすことがわかっています。また、「ras」と呼ばれる一群のがん遺伝子は、特定の場所に傷がつくと働きが過剰な状態になり、やはり際限ない細胞増殖を引き起こすと考えられています。」と解説されている。
身体中とは言わないが、少なくとも肺にはがんの転移細胞がいくつかいることは確かである。原発ガンは周囲環境と競い合いながら、時間をかけて成長している。本来はあるレベルならば身体の防御システムがガンを消失させるのだが、ある時期の著しい身体の防御レベルンど低下=ストレスがガンの成長の基盤を作ってしまっている。ある程度成長した原発ガンを消失させることはできるが、それ以上になったがんは原発巣をまず除去し、転移がんに対応するという流れになる。整理すると、あるレベル以上のストレスが身体のどこかにかかると、がんが遺伝子スイッチミスで発症する。スイッチミスはいつも生じているのだろうが、ガン化することは、ある時期に相当のストレスがかかったということであり、そのある期間にガンは体制を整えてしまい、免疫等に対して反応しない状況を作り出す。そしてそれは徐々に序所の時間をかけて成長をする、というのがガンの基本的な出現だと仮定する。「スイッチミスは常に起こっているのだが、それ身体の免疫システム等が対応している。ガンはそれとは違い、ある時期に相当レベルのストレスが身体にかかり、免疫が対応できない成長システムを構築してしまう。そしてそのシステム化に於いて時間をかけた成長をする」となる。
転移がんは原発ガンとまた異なるメカニズムを取るのだろう。転移がんは成長が早いという、それは、メカニズムが違うのか、どうか、同じならば成長の速度は原発と同じである。そこでもう一度原発ガンに話が戻る。ガン細胞の細胞周期は早いとされる。それはどういうことなのかを考える事が必要になる。
4.ガンの初期発現は、長期の発がんメカニズムが働く。その解決法とガンが発症レベルになってからの解決法は分けて考えるほうがいいだろう。
また、原発がんと転移ガンの考え方も変えるほうがいいように思う。私は腎盂がんであり、その構造上から摘出が優先である。そして、メタ=転移が肺にあり、静脈に乗り肺に移転し、何らかのリガンドで発症している。 幹ガンがあるという、それがガンを生み出す。幹ガンとは何か?も考える必要があるのだろう。ガンの研究にはいろいろなアプローチがされている。三重大がこの幹ガン細胞に発行マーカーをつけることに成功している。面白い研究である。ガンの治癒への流れは加速しているように思う。あと10年ほどなのかもしれないが、それはある意味人類の終わりの始まりでもある。その人類の哲学て命題を私の立場からは忘れてはならない。故にガンの治癒の思考ではなく、ガンと共存して生きてゆく、エイズの発症をさせないという論理構造と同じであるのかもしれない。「共存」その向こうに「治癒」はある。しかし治癒の向こうには「より悲劇性の可能性」が待つのかもしれない。
3.ガン発現の基本的なメカニズムの現在の知見をまず見ておくことにする
簡単には、がん情報センターからの引用になるがわかりやすい。
がん遺伝子の変化は、特定の蛋白質の働きを異常に強めることにより、がんにつながる増殖異常を引き起こします。したがって、その蛋白質の作用をうまく抑えるような薬を見つければ、細胞ががん化することを防いだり、すでにできているがんの増殖を抑えたりすることができます。
がん遺伝子が車のアクセルとすると、そのブレーキにあたる遺伝子が、がん抑制遺伝子です。がん抑制遺伝子は細胞の増殖を抑制したり、細胞のDNAに生じた傷を修復したり、細胞にアポトーシス(細胞死)を誘導したりする働きをします。DNAの傷が蓄積するとがん化に結びつくので、修復が必要です。異常細胞が無限に増殖すると大変ですので、異常を感知して、その細胞に細胞死を誘導することも必要です。このように、がん抑制遺伝子はブレーキの働きをしていると考えられます。
これまでの研究から、いくつかのがん抑制遺伝子が発見されましたが、代表的なものは「p53遺伝子」、「RB遺伝子」、「MLH1遺伝子」等が知られています。それぞれ細胞死の誘導、細胞増殖の抑制、DNAの修復に重要な働きを持つことがわかっています。
遺伝子の傷はDNAの傷を意味します。ヒトの細胞の中にはDNAが存在し、そこにわれわれの遺伝子が暗号として記録されています。遺伝子突然変異とは、この遺伝子の暗号に間違いが生じることを意味しています。タバコ、食物の焦げ、紫外線等、さまざまな外的要因(発がん要因)が遺伝子突然変異を引き起こすことがわかっています。
もう少し詳しく説明すると、DNAはG、A、T、Cの4種類の文字の組み合わせでできています。さまざまな発がん要因により、これらの文字に間違いが生じると突然変異が起こります。がん遺伝子やがん抑制遺伝子を記録したDNAに間違いが生じた場合、がん遺伝子の活性化やがん抑制遺伝子の不活性化が起こります。
遺伝子の傷は、その突然変異によるものばかりであると思われてきました。しかし、遺伝子突然変異以外にも、細胞が分裂しても薄まることなく、新しくできた細胞に伝達される異常があることがわかってきました。それがエピジェネティックな変異で、具体的には、「DNAメチル化」と「ヒストン修飾」の変化です。特に、DNAメチル化の変化はヒトがんの多くで認められ、多段階発がんのステップとして関与している場合もあることが知られています。
遺伝子の暗号のもとであるG、A、T、Cの4つの文字は、細胞が分裂するときには、そのとおりに新しい細胞に受け継がれます。DNAメチル化(図の中の赤丸印)も、塩基配列と同じように、もとのとおりに受け継がれます。」
2. 子供たちの異変について、考え始めた時のように、現場の専門家でもないし、専門の研究者でもない私が、同じように、臨床家でもないし、専門の研究者でもない私が、私がこれまで学んできたことを、誰もが解決できていない、「ガン」に臨む。子供たちの成長と同じように、私にできることは、解決のストーリーを作ることであり、それをより普遍的な理屈と方法を作るのは、私ではない。ガンもしかりである。私は、再演ティく・ストーリー・メーカー、の域を出ない。今回は自分自身が題材である。まずは10年を生きてみせる、その中で何かのストーリーを捜索する。それを次なる世代が形に変えてもらいたい、そんな夢を持って切り込んでいこう。
1.ガンという疾患は難しくもあり、面白くもある。1年がたった。肺の転移があり、ステージはⅣ.抗がん剤治療も標準治療は終わり、一定の効果はあったが、転移ガンは残った。セカンドラインの最後の投薬から2カ月、体長はすこぶる快調でもある。1週間ほど前のCTでは、肺に2センチ弱のガンと小さなガンらしき影が2~3個、そして今日から仕切り直しの抗がん剤治療を始める。
抗がん剤治療は賛否がある。抗がん剤は効かないという意見は医療関係者にも多い。しかし、それ以外の治療法がない中で、抗がん剤を使うしかないのだろう。抗がん剤の文献を見ていると、臨床的な効果という面では確かに治療薬としては相当弱い。しかし、理屈的には抗がん剤は効果を示している。ということは、薬そのものではなく、環境に問題があるのだろう。同時にがん特有のキャラクターの問題もある。しかし、抗がん剤を抜きで今は治療法を語れない。ある一定の効果を示す抗がん剤の使用の確立の向こうにこそ、この独特な疾病の解決があるように思う。
何はともあれ、現状の治療レベルで、10年を確実に生き抜ける、方法を自ら考えてみたいと思う。治癒ではないが、10年を確実に生き抜ける治療法は、普遍的でなければならない。誰にでもどのような人にも通用できる方法であることが前提になる。考えよう、頭をいっぱい使って考えよう。