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命の限りの中で 想いを語る映像と日暮の記      謳食記

 生きることは食することである。食することは、喜びである。食することにより、季節を想い、行く時を謳い、静かに明日に向かう。

7月12日 博多にて

         やま 

 水しぶき 男の祭りぞ 山笠が跳ぶ

  ひと夏の  祇園山笠  駆け抜けし

  

 

まだ梅雨が明けない博多の街を

山笠が駆けて行く

初めて祇園山笠を目の前にして

幼き頃の 宍喰の祇園祭を思い出す

真実は知らない

幼心に

3大祇園祭  京都・博多・宍喰と聞かされた

 あの故郷の祇園祭は今どうなっているのだろうか

残された時間はそれほどないのだろうが、

 故郷の祭りを もう一度見てみたいと思った

1月10日
山口を旅する

 

保育協会の講演の後、湯田温泉に村上氏と泊まる。瀬戸内海の幸を 刺身とカキフライを食す。

ホテルニュータカダ 12階の部屋の朝焼け

東の中国山脈に朝日が昇る

 

 

元旦の芦屋川は雪模様


2015年の元旦は午前中は、東の空に初日の出が輝いていたが、午後になり雪模様になった。

 

芦屋川から六甲山


10月21日 芦屋川の両岸にも、秋の訪れ

大学時代、アメリカ時代、両親はこの町に住んでいたが、私は埼玉そしてシカゴに住んでいた。その間にすんだ期間はほんの1年ほど、そして1980年に神戸に家族で移り住んだ。それから阪神大震災まで神戸に住み、震災後また芦屋に帰った。その後引き続き芦屋に住み続けている。

 

秋空の朝に


 一時的かどうかは分からないが、退院して1週間が経過した。まだ少し抗がん剤の影響が残っている。朝の散歩を少し長い目に2キロ以上歩くと、やはり体にこたえる。長い入院が体力を低下させた様でもある。

 体力とは何か、を入院中に考えたが、体力は、食、運動、そして睡眠が適切にそしてバランス良く行われることにより、体力がついてくるようである。そして運動は適切な負荷が必要であり、睡眠は夜になると、適切な時間に眠くなる程度の時間がいいかと思う。食は基本はバランス良く、偏らず、そしてまあ腹八分、適切な体重を、その人によるのだが維持することが必要である。

開森橋から、旧山邑邸、六甲山を望む


間もなく、10月が終わる。最後の日曜日の朝、ほんの少しだけ六甲山の登山道を上ってみた。坂道は少しのぼるだけで、息切れをしたが、木々は秋の装い、冬に向かっていた。

水の音だけが、木々にこだまし、そのほかの音は無かった。一時は果たして今年の秋をそして冬を、としての代わりを生きることは無いかもしれないとの不安も頭をよぎったこともあった。今は季節を感じられることに感謝し、毎日に感謝し、生きて行きたい、確かにいろいろなことから、逃げたこともあったのかもしれない、迷惑をかけた人もいたのだろう、自身が気づかない、自分にはその論理はあっても、その人が感じたならそうなのだろう、もっともっと逃げないで、残された時間を過ごしたい、一度は死を意識したのだから、本当に自分自身は、「名誉も財産もいらない、命もいらない」との心境にと感じた一日でもあった。

抗ガン剤と毛髪
 

抗ガン剤の第一クールの3週目から4週目にかけて始まった脱毛。面倒なので頭髪をそり上げてから数日の状態が上記。そして第2クールを経て、ほぼ1カ月後の頭髪。第2クールは、投薬量を80%に減じた。頭髪や血球の副作用は減少した。あくまでも原則論だが、副作用の強い場合は、元にも効果が高いと考えるべきであろうが、1クールの効果が強く、そしてそれをフォローするかのように第2クールがかぶさりよく効果を表していると考えるべきなのだろう。後2クールをとりあえず80%で行い、様子を見て、次の計画を立てるが、通常の考え方なのだろう。

 頭髪の生えるスピードだけは、早いようである。

11月の終わり、後1カ月後にはほぼそり上げる前には帰るのだろうが、抗がん剤が完全に完了するまでは、以前の通りにはならないが。

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