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がんと共に、新しい時間が始まる 2015~

                         Save  the cancer!   Let's  enjoy a life.

  坂東三津五郎氏の死去に考えることも多い。観念的な話でしかないし、科学的な思考ではないのだが、昨年の9月に転移肺癌を発症したのは同じである。抗がん剤治療をされたのだろう、私も4クールの治療を行い、その時の転移肺癌は消失したのだが、肺に新たな影が年末に見られたのでセカンドラインに移行して2クールを終えた。抗がん剤は、その効果が不明確であるといわれる。効く人効かない人、その効果の平均値がそれなりなら承認されると言う。それはそれなりにいいのだろう、そしてそんなもんでもある。

 でもなるか、と歯科大学に進み、飯を食べさせてくれた教授に親しみを感じ、薬理学に興味を抱いた。友人が大学院に進んだ、もし彼がいなければ、薬理学の大学院に進み、生理学か分子生物学に進んだ様に思う。

  まあ、そんなことは別にして、薬に面白さは、薬自体の効果にその普遍性を求めながら、表現系は個体性が強い。私は「科学は普遍的でなければならない」と最初に教えられた。誰がやっても同じ結果が出なければならない、論理的に説明ができなければならない、と。マウスなどの実験でも、生物系はどうしても揺れ幅が大きい、とはいえ人間に比べればその振れ幅は小さい。人間の振れ幅は他の動物に比べれば大きい。

  あまり細かく考えると科学的な思考に入り込み分けが分からなくなるので、観念的に考えよう。なぜ薬は人間においてはよく聞く人からあまり聞かない人まで分かれるのだろうか?なぜ、人には耐性や廃用性が生じるのだろうか?

 抗がん剤で多いのだが、効くのだと思っていれば、高い効果が見れれルと言う話をよく聞かされる。私自身もそう思うし、自分の癌でも、何でもいい抗がん剤を入れてくれたら、効くからと投与前から思っていた。耐性のあるガンがあり、セカンドラインが必要な事は頭になかったのだが、今回も同じように感じ同じように思いこんでいる。おそらくそうなるのだろう、何が彼と違うのだろうか、もちろん私にも副作用がある、全身は脱毛し、末梢神経がやられピリピリする。   

 体力的にも相当落ちている、動くと息切れが激しい、ただ、食欲は異常にあり、朝の散歩も2キロから3キロ来週には軽い筋トレを始めようと思っている。生きる事にそれほど執着信もないし何かを残したいとか、成し遂げたいとかという気持ちもないのだが、ただ面白そうだという好奇心というのか新奇性というのかはどんどんと湧いてくる。

 体力と精神、ステージⅣ、余命数カ月と宣告されて、平気で3年5年それ以上生きていいる人も本当に多い。逆に、医者のシナリオ通りになる人もいれば、シナリオが逆になってしまう人も少なからずいる。不思議なものである。

 

 

  今週で自分ががんに罹患し治療を始め、そして自分の中で設定した一つのステージが終わる。腎盂がんだからこれは摘出しかない、あとは転移がんをどう対処するかであった。しかし、思いのほか早く転移がんが出現した、第一次転移がんは消滅したが、すぐに第二次転移がんの小さな影が出てきた。そしてセカンドラインの治療が始まった。6回の抗がん剤クール治療が間もなく終える。基礎的な体力も相当落ちている。

 私は、発症後10年という時間を生きていこうと思っている。その根底にには、今回の疾病罹患の治療を通じて感じたことがある。それは「自分の人生は自分で決める、介護をされて生きる必然性を求めることはできない」それが今回のがん罹患で得た、最高の神からの贈物であったと理解している。もちろんそれは自分自身の価値観であり、それを人に押しつける気は、娘であろう妻であろうとも、もうとうない。

 同時にがんへの罹患は「死の意味を知ることができた、それは、「死は生物の種としての、最高の種自体の継続方法である」ということであった。

 次の命題は、個体性、個という自分は、如何に死を考えるかであり、その答えは、「如何に生き、如何に死ぬか」であった。生物学者のはしくれである私は、生物としての基本を亡くした時、自らの死を選択したいと思った。生物は自らが生きてい行けなくなった時、死を迎える。私もそうでありたいと思った。

 ガンに罹患した時、最も気になったことは「妻」の老後であった。まだ事業は途上にあり、彼女の老後までフォローできる状況にはなかった。今、その目安は付きそうである。どのような状況に至ろうとも、今から2年は入院生活を繰り返しながらも、生きることは確実にできる。入院生活は、仕事と両立できる。2年の日は妻の老後の資金に対処することは確実にできる。面白おかしく生きてきた自分にとって、自分の詩は「妻」への思い以外に何もないと言える。いつ死んでもいい、それほど未練もない。

 では次のテーマを何に求めるのか。「如何に生き、いかに死ぬか」という命題である。社会と向き合い、がんと向き合い、どう生きて、そして最後にどう死ぬかというテーマに向かう時がきた。

 事業者としての自分、自然科学者としての自分、医療従事者としての自分、そして文人としての自分、4つの自分で思考するのである。これほど面白い思考はない。人生の最後に来て、これほど充実した時間を持てるとは思わなかった。

 

 今週で、自分が設定した、自分自身のファーストラインは終わる。抗がん剤の選択ではなく、治療の区切りである。腎臓摘出の手術を受け、抗がん剤治療が始まった。抗がん剤治療が始まる時点では、すでにMETA(転移)の肺がんはあった。最初は考えにくかったが、手術後手術前、3カ月の間に転移は進んでいたということであろう。おそらく、もしこれが手術前に見つかっていたら、標準的な考えでは抗がん治療が先行するのだろう。おそらくそれは間違いだと思う。標準的な治療の意味するところはわかる、しかしそれは相手次第である。基本は原病巣は取り除けが先になる。故に、手術は正解であった。そして次は転移がんとの折り合いである。転移がんがあることにそれほどの不安もなかった。同時に抗がん剤の効果は相当あるだろうという何げない感覚があった。そして正確には3.5クールの抗がん剤治療を行った。2クールに手画像を見たとき、相当縮小していた。想いの通りであった。その時に決めた。生きることが目的ではない、如何に生きるかが目的であり、その第一ハードルが、妻への思いであり、それは何はともあれクリアーできる自信を得た。

そして完全消失を求めて次の2クールを受けた。年末までの2カ月、そして新年早々に、画像を見ると、これまでの転移がんともともとあった肺がんは完全に消失していたが、ほんの小さな影が、形から見たら転移がんなのであろうと推測される画像が見えた。当初よりそう簡単に何事も平均的な進み方はしないだろうという予感があった。またがんとはそういうものであろうという、感覚があった。短期間であらわれる、転移がん、そしてよく効く抗がん剤、普通でない自分が面白くなった。そして2015年この新しい転移がんに向かい合おうと思った、2または4クール、状況次第だが、それを自分のがんに対するファーストラインにしようと思った。ラインの意味が違うのだが、このラインは妻のための堤防である。その間の準備を進めて、抗がん剤治療を受けてきた。そして、一つのめどはついた。ここでファーストラインとするか、あと2クール程度の子言うガン剤治療を受けるか、それは画像次第である。どちらに白これで、自分のファーストラインが終わる。3,4クールを受けるにしろ、次のセカンドラインの準備が必要である。

 セカンドラインは、上述したように

「如何に生き、いかに死ぬか」という命題である。社会と向き合い、がんと向き合い、どう生きて、そして最後にどう死ぬかというテーマに向かう時がきた。 人生の最後に、社会とどうかかわり、いかに貢献するのかというテーマなのだろう。

 2015年3月から、死に向かうセカンドラインが始まる。如何に生き如何に死ぬか、他の疾患ではこの高揚感はもつことはできない、そして今の年齢と今の状況ゆえにこの燃えるような感覚がわき出て切る。50歳代では無理であったろうし、70歳では遅すぎる。今である。

 転移がんがどのような状況にあろうとも、70歳までは折り合いをつけながら生きていく、そのためには節制し、運動し、体力をつけ、仕事をし、人生を楽しもうと思う。

 そして知識を伝え その結果を確実にすること

 一医療人として、人々にに向かい合ってみること

 事業をより大きいな可能性を持たせて次世代に引き継ぐこと

この3つのテーマを目標に置こう。楽しそうである。

 

 

 

 

 今週で62歳を迎える。長く生きてきたものだ。いや行き過ぎたのかもしれない。がんに罹患し、死に向き合うまで、僕は生きべくくして生きる、ただ食し、性を営むことを軽蔑していた。しかし、生と死が、生物が編み出した最高の種の継続の方法であることに気付いた。自然上のあらゆる障害に打ち勝ち、種を継続させる方法はこれ以外にないと言えるのだろう。その上に「人」だけが意識性を持つにいたった。生きることの意味を個体制として考える意識を持つに至り、同時にそのレベルはここにより相当の違いを見せることになる。しかし、それは種の継続性とは関係はない、人間としての問題である。

 どう生きどう終わるかを。それは個体性の中の思考である。生物体としての行動ではない。ただ、人間の場合、思考性が強い場合と生物性が強い場合に分かれることがある。どちらがどうのというのでもないのだが、どちらも強いほうが生命力があるということになるようでもある。

 

 

 

20数年ほど前に、アフリカやアラブ、そしてアジアを歩いていた。ジャーナリストと立場は違うが、海外の悲劇に目を向けて歩く、ある意味走りの頃であった。危険もらちもどきも多く経験したが、時はもっとおおらかな時代だったように思う。20数年の月日は、日本だけではなく、世界も世知辛くなったようである。

 解決方法は単純である。経済でしかない、豊かになればそれは終わる。ただ、経済の格差は終わりがない、永遠に経済問題は人間社会の中に存在してしまう。それがある限りまた憎しみは続く、しかし憎しみのレベル、ハードルは多少は低くなり続ける。豊かさを求めるしか方法はない。

 

 昨年の7月に左腎臓から尿管そして膀胱の一部の予防的摘出を行って、その時は遠隔転移はなかったが、とりあえずは数回の抗がん剤治療を行う予定であった。あえて病期を言えば、その時点ではⅢということになるのだろう。

 しかし、最終的にPetを撮影したのが5.26日そして3ヶ月後、抗がん剤治療を始めるに際して撮影したCTでは、肺に遠隔転移だろうガンが出現していた。5月末の撮影時では5ミリ以下程度だったのだろう、Petでわからない大きさの最大限だったというのだろうか、そして3ヶ月後には1cmを超える大きさに成長していた。1.5か月で倍になる、3ミリの大きさが半年で5センチ、なのだろうか?9月に始まった抗がん剤治療はこの遠隔転移肺ガンにはよく効いた。年末までの正確には3回半の抗がん剤投与でほぼ消失していた。

 しかし、そうは簡単にはがんも終わってはくれない。新しい小さな影が肺に出現していたが、目視できる最小限の大きさなのだろうか、遅くらは転移肺ガンであろうと思われる影がCT画像に写っていた。立て続けにがんが出現する状況で、色々なことが集約されていて面白いと言えば面白い。

そして新年 ゲムシタビン+シスプラチンというオーソドックスな抗がん剤からカルボプラチン+パクリタキセルにかえて、100%用量で2クール、9月からすれば、6か月6クールの抗がん剤治療を経て間もなく終わろうとしている。今回は相当体力面で答えたようである。前回はそれほど疲れは残らなかったが。今回は、次はどうするのかは別にして、一度体力のリセットが必要なようである。おそらく体質的には相当抗がん剤が効果を示しやすいのだろう。今回もよく効果を示しているように思う。しかしまた転移がんは形を変えて出現するのだろう、抗がん剤との一生の付き合いの中で、どのように生きていくのかを考える必要がある。自分の人生は自分で決めるが、少なくともあと5年、社会との関わりの中で、生きていく。そのためにはどうするのが一番の選択なのか、それほど生物学が好きでもなかった私が、歯科大学に行き、研究者になり、生物学者の片隅に生きた、そんな私の最後の知恵を絞る時なのだろう。

 如何にがんと共に生きていくか、面白くもない世の中だが、自分で面白くしているようである。

 

 

 

 がんに関する書物があふれている。一つは早期発見である、これはまさにそのとおりである。異論はない、しかし僕のように、遠隔転移がある病期Ⅳ、緩和医療か終末医療、それとも宗教まがいか金儲け、冷静にどう対処するか、どう生き抜くかなどを論理的に期された所はそう多くない。少し冷静に、がんを見つめてみることにしよう。

 原発の病名は「左腎盂尿管がん」近隣のリンパ節転移が見止られ、摘出し組織性は播発性の高いがん細胞である。抗がん剤治療に入る前に肺への転移が認められた。もともとの原発の扁平上皮肺がんもあったのだが、それとは違う転移性のがんが1.3ミリ程度の大きさのものが出現していた。抗がん剤治療を3.5クール、年末まで続けた。そしてそれらの転移がんは消滅していたのだが、新たに5ミリ程度の小さな影が見つかった。おそらくは抗がん剤に対抗する新しい転移がんであろう。その治療のためにあたらな抗がん剤をまずは2クール行っている。現状である。

 見た目的にはお元気になられましたね、と皆が言う。食欲は今まで以上、元気である。今回の抗がん剤のクールは3週間、点滴は1日と気分的には楽なのだが、関節痛や倦怠感など1週間は結構疲れるが、まあそれほどでもない。

 あと2週間もそれば、再度画像診断で、小さな影の状態を確認することになる。

 

 さて、まずはこの種のがんの報告を見ていると、病期Ⅳで5年生存率が10%程度、まずは意地でもそれはクリアーしてみせるが、それより以前に生物学者としてはこの数字がよく意味がわからない。

 がんになることの恐怖、「がん」と聞けばだれもが「死」を思い浮かべる。2人に1人が罹患し3人に1人ががんで死ぬ、といい、ところが逆に平均寿命は女性80数歳、結局は何であろうと、平均寿命はそうなんだと、思うと、たわいも無くなる。  

 

 

昨年は死ぬこととどう向き合うのかが毎日のテーマであった。生き抜くことへの情熱をかきたて、生きることへの意味を見出し、前に向かった一年であったようにも思う。年末に父を亡くし、生命は死を必ず迎えることを実感した。

年が明け、そして5回目の抗がん剤治療を始める。考え方が大きく変わった。もちろん生きる意欲が消失した訳でもないし、生きる意欲は前以上にきらきらと燃えている。抗がん剤が効こう、効かないが、がんが再発し増殖しようとしまいと、

そうたいした問題ではなく、生きる意欲がある限り、生きることを楽しんでいこう、と思い始めた。

 負けず嫌いでいうのではなく、がんへの罹患は、老化してゆく人生の中で、今まではただ空想でしかなかった「死」を具体的にイメージし、残された人生をどう生き、そしてどう死ぬのかを考え新たな人生を歩くことができる日々を与えてくれた。

 

 人生のすべての出来事に感謝し、楽しんでいきたい。人は必ず老いてゆく、私も老いてゆく。老いてゆく中で活動内容も範囲も縮小してゆく。以前は拡大を楽しんだ、未知なるものへの新奇性が人生のすべてであった。

今は、確かに老いた。活動内容も範囲も比べれば相当縮小しているし、新奇性をなくしていた。

 しかし、むくむくと何か新奇性が噴出し始めた。これまでの新奇性とは異なる。活動範囲も内容も縮小する中での新奇性はより深くより重厚になってこなければならない。

かっては社会のすべてを知り経験したかった。今は生きること自体が楽しみである。生きること自体に興味がある。自分への新奇性、自分の体力や気力・知力への好奇心、能力への新奇性が出てきた感がする

 人はだれもが自らのの意思で生まれることはない。そして何か明確ではない本能により生きるべくして生きる。その意来るべくして生きる能力を生命力とも呼ぶ。生命力は、体力と気力・知力から成り立ち、人により比重は異なる。そのトータルなものが、たとえばがんなどから生き抜く 基本となる。がんに罹患したらどうしたらいいのか、、体力気力知力と僕は答えるだろう。

 元五輪金メダリスト柔道斎藤仁氏が逝去された。肝内胆管がんである。確かに難しい病気である。しかし、彼をもってすれば、その体力気力は、なみの人間を凌駕する。

 しかし、抗がんにおける体力、気力、とは通常のイメージとは大きく異なる気がする。

 確かに胆管がんの発見は手遅れであることは理解できる。しかし手遅れ状態、あと数カ月との宣告を受けた人間が笑って生きている。

 

 

  立花隆氏はその著で、抗がん剤治療に対して、頑張るつもりはなし、と明言されている。筑紫哲也氏の頑張りなどを見てその意義を見いだせないとしている。 重なることも多いが、がんの治療は医療の歴史を見ているようで興味深い。歴史というよりも、医療そのものなのかも知れない。感染症を見てみても、感染症治療薬は原則細胞毒である。細胞毒の安全性を高めたために今は抗生剤は、何のためらいもなく日常的に使われている。抗生剤の治療をしないという人もいないわけではないだろうが、ほんの少数だろう。原則自己細胞であり、たくましいがん細胞への細胞毒は他の生物体への対応とは格段に難しくなる。

  抗がん剤はそれなりに意味のある治療なのだが、科学的なことはさておき、頑張るか頑張らないか、抗がん剤治療では、本来は主導は医師の役割であるが医師にそれを期待する時代でもない。自己管理である。しかし医者にできない自己管理が患者にできるわけがない。ではどうするか、楽しめるかどうか、である。頑張りはストレスになるのでよくはない。楽しみは良いストレスになり、生体活動を活性化する。どのような楽しみ方をするのか、人による。僕は科学者のはしくれなので、もし今回の抗がん剤が効果がなかったとすれば、なぜなかったのか?どうすれば効果が出るのか?などを思考する、それが楽しみである。楽しむことは必ずいい方向に向かう。悪い方向に進んでもそれほど後悔をすることでもない。

  

  年が明けて、予定通り、目的は少し変わったが、抗がん剤治療が始まった。夏から目的とした転移がんは消失し、以前からの肺原発のがんも消えていたが、新たにほんの数ミリの小さな影が見つかった。これまでのがんとは少し趣が異なるのだろうか、以前の抗がん剤には効果を示さなかったがんまた出てきたのだろう。転移がんの発現も、効果のないがんも出るなど、いろいろ問題が次から次に出現する。

 昨年は生き抜くことに真剣を使った。肺転移があり、病期は勿論Ⅳ、5年平均の生存率は10%程度という・・・おもしろい、少なくとも5年は生き抜いて見せよう、話は大きい穂が面白いの典型であり、とことんな困難からぬ消すためには、体力・気力そして知力であると思った。4回の抗がん剤治療を経て、体力もそうとう落ちはしたが、意気軒昂そして元気でもある。

 ただ、もちろん昨年の意気込みは変わっていないし、より強くなっているし、問題が出れば出るほど気持ちも高ぶるのだが、その心音の内容が少し変わっていることに気づく。

 生き抜こうという気持ちが生きるのを楽しもうという気持ちに触れてきている。もちろん前述したように生き抜こうという気持ちが減少しているのではなく、10%になろう、そのうえで生きるのを楽しみたいという想いがある。

 

 

 

ガンを科学的に思考する  

 

 抗がん剤を薬剤を途中で変更し6クールが終了している。腎臓の摘出後、短期間で転移肺がんが出現し、元々あった扁平上皮がんの治療を兼ねてファーストレインの抗がん剤治療を行った。状況から判断すればあまりいい状態でもないのだろうか、GC療法の最もシンプルというのか標準的な抗がん剤をⅣクール後、それらのがんは消失していた。しかし肺に新たな小さな転移がんと思われる影があった。GCでは効果のないガンなのだろう。同じ転移がんでも(だろうという想像で明確に生検をしてはいないが)そのために、引き続きセカンドライン、GTでの抗がん剤治療を2クール。少し休養して画像診断街である。その後はどうするか、画像診断後に決めようと思っている。感覚的には今回のセカンドラインの治療もよく利いた感があるが、脱毛や倦怠感の副作用は大きかった。しかし、体力そのものは、退院後いろいろあるいてみたら、以前よりも楽だったようにも思う。ガン治療を経験してみていろいろなことが分かる。これだけは経験しないとわからない。

 抗がん剤のメカニズム自体は結構シンプルである。細胞周期のどこかの部分にまたはメカニズムに作用して、その活動を止め、廃止させる。正常細胞にもいろいろな細胞周期の違いがあるように、ガン細胞にも細胞周期に違いがあるのだろう。

よってひとつの生命体においても相当異なる細胞周期に違いがる細胞があるようにがんにも生命体ほどではないとしても、細胞周期に違いのある細胞が存在するということになる。転移状態になった場合その違いの数だけ出現する可能性を持っているとも、いえるかと思う。耐性=適応の問題はよくわからない。

 効果があるかどうかは、体力次第のような感じがする。抗がん剤の容量は相当必要なことが多いのではないだろうか。そのためには受けての体力が相当ないと対応ができない感じを持っている。抗がん剤は正常細胞にも打撃を与えるし異害的な作用を行う。故にそれに耐える力も必要になる。目の前の問題、俗に言われる副作用という問題だけではなく、基本的な体力というのか生命力というのか、その見えない何かが大きな要素な感じがする。まったく非自然科学的な論であるが。

 抗がん剤治療を受け、体重と基本とした容量を計算するのだが、人並み以上に体重は重い、そのため結構な量が適応される。

 結構な量というのが重要である感じもする。その量に、今は副作用で見るのだが、見えない体力はどう反応しているのかがポイントのように思える。

 多少効果のある場合は、容量が少ない、効果が全くない場合は容量が極めて少ないか、メカニズムの違う抗がん剤を投与しているのか、になる。抗生物質も同じような歴史だったように思う。今は抗生剤というのか、ただしこれは異物だけに実験が簡単だったが、ガンはそうはいかない。時間がかかる。より効果的なより少量でピンポイントで当てる抗がん剤も少しずつ開発されるのだろう。

 

 

 

 

 

私が30歳代、ある大学の農学部で分子生物学に手を染めた時期があり、その時代まだガンの原因は十分には解明されていなかった。若い研修者の間で、原因論についていろいろと話した事を思い出す。今、ガンの原因は、遺伝子のスイッチミスであることはほぼ正解なのだろう。生物は動的に変化を続ける、それは遺伝子が常に細胞周期としてスイッチを入れ続けており、そのシステムの狂いが「ガン」を生じさせることになる。

 私の専門に少し話が近くなる。私の専門の一つは、成長である。成長もまた遺伝子のスイッチが継続して成長としてのシステムで動く。その中で、量的なそして質的な細胞周期の問題を考察する。

  ガンはスイッチの完全なるミスであるが、私の専門はスイッチの質と量、近いようで遠くて、近い話である。

 

 

2014年4月に血尿と共に腎盂がんの罹患を知るにいたった。5,6の2カ月の検査期間を経て、7月に摘出、8月からの抗がん剤治療、すでに抗がん剤治療を始める時には肺に転移がんが出現していた。病気で言うならばⅣ、腎盂がんの病気を調べればすぐにわかる、2年生存率で10数パーセント、5年生存率で10パーセント未満と書いてある。

 2015年2月に62歳となった。1年間は一患者としてがんに向かい合ってみようと思った。そしてほぼ1年を生きた。これからは、自然科学者、生物科学者のはしくれとして、ガンに向き合おうと思う。

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